第50話 ニートは働かない。俺たちの気持ちが一つになること。

 薬屋は相変わらずぷりぷりと怒っていて、なぜか俺のことまで召使として扱おうとしてきた。


「そこのタカシ2号君。仕事をしなさい。頼みたいことがあるのですよ」


 俺は思いきり顔を顰め、ニートらしくキッパリと断った。


「嫌です。それと、俺は2号じゃないです。1号です。コウと言います」

「なんだって!?」


 食って掛かってくるタカシを片手で退け、俺はタリスカに聞いた。


「タリスカ。これからどうやって帰るの? 来た時みたいに、頭を掴んで、バヒューンと帰るわけにはいかないの?」


 タリスカは俺とタカシと薬屋の前方を、悠々と大股に歩きながら答えた。


「それは不可能だ。先にお前も経験した通り、空間と空間の間には流れがある。逆らう場合には、一手間要るのだ」

「経験? 何の経験?」


 俺はタカシの質問に「後で」とだけ応じ、さらにタリスカに尋ねた。


「俺にも何か協力できること、ないですか?」


 タリスカは俺を振り向くと、なぜか少し嬉しそうな口ぶりで言った。


「血が騒ぐか? さもあらん。…………焦らずとも、すぐに好きなだけ使う機会が訪れよう」

「えっ…………いえ、別に、血が騒ぐとかじゃないんですけど」

「フッ、隠さずとも良い。力に触れた者は、誰しもそのように昂るものだ。だが…………しばし待て」

「…………わかりました」


 言いながら俺はしょんぼりと肩を落とした。ある意味では、フレイアの「お気遣いなく」よりも、もっと取りつく島の無い対応だった。やっと俺にも何かできるような気がして嬉しかったのに、これでは結局、いつもと同じだ。

 俺は仕方無しにタカシの方へ振り向き、事の経緯を尋ねた。


「タカシは、どうして結界の外にいたの?」


 タカシは俺の顔を見て口を尖らせつつ(26歳男が子供ぶる様は非常に痛々しい。それも、自分の面なら尚のことだ)、薬屋にチラと目をやってから話し始めた。


「まずさ、部屋でお前が寝てるじゃん? そしたら俺、退屈じゃん? することもないし。だから、リズに許可取ってから、部屋の外を探検しに行ったわけよ」

「余計なことを」


 俺が大袈裟に身を引いて見せると、タカシはわざわざズイとこちらへ体を寄せてきて続けた。


「他人事みたいに言うけどさ、自分のことだろう? 自分が何しでかしそうかぐらい、わからない?」

「わかるから、やめとけって言ってんだよ」

「まったく、つまらない奴だな。…………でさ、厨房から大広間、浴室まで、色々と見て回ったわけよ。どこも豪華過ぎて、めっちゃテンション上がりまくったんだけど、ちゃんと例の人形のいる場所より奥には行かなかったんだぜ? 事前に、ちゃんと俺もリズから話を聞いておいたからさ。

 ああ、そういえば…………。俺と話していた時、リズ、やけに落ち込んでいたよ。彼女、そこの店長のことを案外まだ気にしていたみたいでさ。俺がちょろっと聞いた限りでは、毎晩あの人の声は聞こえて来るのに、どこにいるのか見つけられなくて、心配で眠れないんだってさ」


 タカシは溜息と共に肩をすくめた。


「あの子、ぶっちゃけちょっと精神的に危なっかしいところあるじゃん? でも、本当はすごく優しい子なんだよ。多分」


 俺はタカシを見つめ返して、呟いた。


「わかっているよ。それぐらい、俺だって…………」

「何とかできないものかねー? あれ」


 俺はタカシの目線の先を追いつつ、腕を組んで思案した。

 事実、このままあの薬屋をリーザロットの所へ連れて帰るのは気が引けた。今のところ、彼には全く反省の色が見られなかったし、擁護できそうな事情もありそうになかった。


 それに何より、個人的にも彼のことは好きになれそうに無かった。ニート生活をしていれば、大抵の見下しや悪口には慣れるものなのだが、それでも彼の口の悪さには閉口せざるを得ない。特にそれが自分ではない、他人に向けられているとなると、尚更不快だ。


 薬屋はさっきからずっと、先導するタリスカに向かって、凄まじい暴言を浴びせ続けていた。


「アナタのような魔物がどうして、私を迎えにきたのでしょうか? 騎士団か、せめて魔術師を寄こすのが筋ではありませんか? それをよりにもよって、穢れた者を寄こすとは、やはりあの姫も育ちは隠せませんね。礼儀の本質を丸っきりわきまえていない! 三寵姫というのも、いよいよ眉唾物ですな! 己の屋敷の管理すらままならぬようでは、どうして魔海なぞが治められましょうか!

 聞けば、まだ玉座の主との謁見も叶っていないそうで。…………フフン! 主も、ちゃんと自分の寵姫を選んでいるということですかね。まぁ当然のことでしょう。この私にすら、もっとまともな女性を選ぶ品位と知性があるぐらいなのですから! いわんや、全知全能の主となれば、ねぇ?

 ハァ…………それにしても、哀れな姫を心底憐れんで、わざわざこのような穢れた館に足を運んであげましたら、この仕打ち! ハァ!」


 聞く限り、彼が決して聡明でも寛容でもない人物なのは明白だった。そういったことをタリスカに話して何になるのだろう。もっと具体的で実の成る話をしていたなら、もうちょっとは同情できるものを。


 対するタリスカは涼やかなもので、全く動じず、相槌を打つこともなく歩き続けていた。

 俺は再びタカシに目を向けて、彼が薬屋を見つけた時の様子について聞いた。タカシはさも億劫そうに語った。


「別に、大した話でもないよ。お前の想像通り。…………何だか急に、廊下の奥から声が聞こえてきたんだ。「助けてくれよぅ」っていう、哀しい声が。まさに孤独の水底に沈んでいく間際の、魂の叫びって感じの声。今でこそ威勢を取り戻してあの通りだけど、あの時は物凄く必死に聞こえたし、見つけた時のあの人は本当に…………哀れなものだった。

 とにかくさ、俺には、すぐにそれがリズの言っていた男の声だってわかったんだ。放って置けなかった。そりゃあ、行っちゃいけないと分かっていたし、怖かったけど…………。リズにも、もう泣いて欲しくなかったし」


 俺は何も言わずに表情で共感を示した。タカシは口を噤むと、首の後ろで手を組んだ。きまりが悪い時の俺の癖だった。



 タリスカが立ち止まったのは、行きにも通った、荒れた大広間に着いた時だった。全く別の道を歩いてきたはずなのに、俺たちは不思議と同じ場所に導かれていたようだった。

 タリスカは俺とタカシに、こう尋ねてきた。


「時には、自ずから融合の起こることもあると聞く。どうだ、感覚は掴めそうか?」


 俺とタカシは互いの、当たり前ながら瓜二つの顔を見合せてから、同時に首を振った。


「いいえ、全く」


 タリスカはその虚ろな眼窩で俺達を見つめつつ、


「そうか」


 と呟くと、改めて場の全員に向けて呼びかけた。


「…………これより反転の術式を作動させる。「歪みの魔物」が乱入する可能性があるゆえ、各自、備えよ」

「「歪みの魔物」だと!?」


 聞いた途端に、俺らより先に薬屋が動揺を露わにした。俺は薬屋の方を振り返り、慌てふためく彼を見守った。


「どういうことだ!? あの娘、そんな忌々しいものまで飼っていたのですか!? 明らかな不法行為だ!! 私は――――私は、断じて認めませんよ!! 今すぐ、他の道を探しなさい!!」


 タリスカは鋭く冷えた視線で薬屋を射抜くと、ゾッとするほど沈んだ調子で言い放った。


「疚しきことがあれば、今のうちに全て吐き出すが良い。――――盗人よ」

「なっ!? 何の話ですか!? 私はっ…………」


 俺は蒼ざめた男の顔に、一筋の汗がつぅと垂れ落ちるのを見た。ふと、彼がリーザロットの人形を解体し、部品を持ち去ろうとしたという話が思い出される。

 薬屋の腕が、膝が、不穏な挙動を見せかけるや否や、俺とタカシは咄嗟に目を合わせた。俺らは完全に一致したタイミングで、薬屋に向かって飛び出した。


「くっ、来るなぁぁぁっっ!!!」


 タカシが体当たりするのに合わせて、俺は薬屋が胸元から取り出した物体…………何らかの液体が満ちた茶色い小瓶を、取り上げようとした。


 薬屋はしかし、俺に取られまいと上体をぐんと伸ばして小瓶の蓋をこじ開け、中身を一口で飲み干した。

 薬屋が呻き声を上げてうずくまると同時に、空の瓶が床に落ち、微かな音と共にガラスの破片が飛散した。


「離れろ!!!」


 緊迫したタリスカの声が広間に響き渡った。

 俺は視界がタリスカの黒いマントで覆われる寸前に、薬屋の身体が大きく、毛深い何かへと急激に膨張していくのを目撃した。彼にタックルしたタカシは腰を抜かして、その足元に倒れ伏していた。


「タカシ!!!」


 俺はタリスカに身を引かれながら、無我夢中で呼ばわった。


 その瞬間、俺は奇妙な感覚に捕らわれた。まるでもう一対、目が開いたみたいに、タカシの見ている景色が自分の視界のように広がったのだ。


 タカシの眼前には、3メートルを優に超える巨大な熊が聳えていた。さっきまで薬屋だったとはとても信じられない、圧倒的な威圧感。

 熊が牙を剥き、頭をもたげると、月光が完全に覆い隠された。思わず自分自身があの場で仰ぎ見ているのかと、錯覚しかける。


 ――――…………錯覚?


 湧いた疑問を粉々に吹き飛ばす、熊の凄絶な咆哮が轟く。


 足腰が震える。鳥肌が立つ。全身の血が凍りつく。ガチガチと激しく歯の鳴る音が、脳を揺する。


 …………俺はその時、完全にタカシと融合していた。

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