第三十四話 バイク便

 翌日、甲府にある医療検査会社を訪問した小熊と礼子はバイトとして採用され、甲府市とその周辺の医療機関を回って検査物を受領するバイク便ライダーとなった。

 市街地の複雑な道順を覚えるのはそれなりに手間だったが、支給されたタブレットPCのナビゲーション機能による案内に従っているうちに慣れてきた。

 巡回先の病院や医院で試験管に入った血液や骨髄液等の検査物を受け取り、保冷ボックスに収めてカブの後部に積み、社に持ち帰る。行き先と道順は同じだけど、道路状況と天候は毎日変わる。

 社長の話では、検査物と共に紙の検査票を受け取っていた頃は、個々のドライバーやライダーが記載内容をその場で確認し、記入漏れやミスに対応しなくてはいけなかったらしいが、今は電子化した検査票をタブレットの機能で受け取るだけで、記載内容のチェックはアプリソフトやオンラインでつながった本社の人間がやってくれる。


 小熊がバイクで走るより自分にとって負担が大きいと思っていた接客も、多忙な医療関係者が相手だとあっさりしたもので、たまに個人医院の暇で喋り好きな医師と出くわした時は、こっちが多忙なフリをすればいい。

 服装も小熊が普段着ているデニムパンツと赤いライディングジャケットのままで問題ないらしい。学生バイトが中心の集配ライダーは皆、思い思いの格好をしている。

 バイト仲間同士の交流らしきものはほとんど無かった。社を出る時間も戻ってタイムカードを押し、帰る時間もバラバラ、持ち込みの原付が故障したバイトの仕事を近くに居た小熊が引き継いだ時に、何度か話した程度。社内での待機の時も、礼子と喋っていると、他のバイトは話しかけてこない。


 同じような時間に甲府の会社に行き、毎日同じコースを通って同じ客先を回り、同じような時間に帰る単調な仕事。毎日同じようなことを繰り返す仕事は、慣れてしまえば楽なもので、それなりに得るものもあった。

 バイトも何もしていなかった時の小熊は、学校が終わった後の放課後にカブで走り回る時、同じところには行きたくなかった。昨日とは別の場所へ行き、別の道で帰る。その変化こそ、電車やバスではなくバイクに乗るということの価値や意味だと思っていた。

 仕事で毎日同じ道を走り続けた小熊は、その考えに少し変化が生まれた。単調な走りも、それがただの遊びではなく仕事や責任が伴うものなら、いつも同じであることこそが正確で安全な移動に繋がることを知った。


 道順や行き先も同じだとしても、公道を走るバイクにはそれ以外の要素が無数に存在する。それらの波風を少しづつ均していくことを心がけていれば、異変に気づき、危険に対して敏感になる。

 小熊には毎日同じ道を走り続ける郵便配達人や、サーキットの同じラインを走り続けるレーサーの気持ちがわかった。彼らもまた、同じ走りなど一つも無い走りを繰り返し、少しでも同じものに近づけようとしている。

 小熊は夏の学校書類を届けるバイトを思い出した。あれも甲府から北杜までの道を繰り返し往復する仕事で、幹線道路と市街地を走る毎日は、まだカブに乗り始めて間もなかった小熊の操縦技術を向上させてくれた。


 あの時、仕事で走ったルートが、今では単なる通勤路、そして小熊はあの頃よりずっと過酷な気候の中で、もっと複雑な道を走っている。それが小熊の成長とも言えるものなのかもしれない。カブは小熊にとって、自分の身の丈を測る物差しになっていた。

 小熊は、もし自分がこのままカブに乗ることを仕事にしたら、いつか戦地や災害の現場でも、いつもの散歩と同じようにカブで走れるようになるのかもしれないと思った。そんな喜怒哀楽や新しい発見の無い走りはあまり嬉しくない。学校が休みの期間に限った小遣い稼ぎと割り切ったほうがいいだろう。

 同じ道を同じように走り、事故や危険を出来るだけ避けるのは、カブの正しい走り方。でも、それは小熊の望んでいる走りではない。

 

 医療検査物をルート集荷するバイトは順調に続いた。帰るべき田舎の無い小熊にとって、年末年始も仕事は減りこそすれ無くなることが無いのは有難かった。他のバイトが正月休みを取る中、小熊と礼子はバイトに出て、休日手当てを頂戴した。

 冬休みが終わりに近づき、最初に決めていたバイトの最終日を迎える頃、月末〆の給与が支払われ、小熊の口座には結構な額が振り込まれた。

 秋から冬にかけての出費による金欠を補うに十分な残高。今のところ使う予定は無いが、これからはあるかもしれない。

 小熊と礼子の三学期がもうすぐ始まる。

 一月から二月にかけて、山梨は寒さと降雪のピークを迎える。

 春はまだ遠い。

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