たられば、君を。
鯵哉
地球が惑星じゃなかったら。
化学室から出ると、窓の外に夕暮れが広がっていた。
夕暮れという表現が好きだ、と思う。暮れるというのは暗れると同義らしい。それを知ると、途方に暮れるという意味がとても悲しいものに思えてくる。
どうしたって、ここは地球という惑星で、太陽ありきで暮らしている私たちが太陽に何か言う権利はないのだけれど。勝手にまわっているのはこっちだし。そういえば、暮らすには暗い意味は入っていない。
どうしてか、と考えていると一階の廊下の真ん中で誰かが立ち止まる姿があった。
夕日を見ているのかと思えば、廊下の向こう、もっと遠くを見ていた。しかもこのひと、隣のクラスの嘉月くん。確かバスケ部でエースで、目立つひと。
「……どうしたの?」
宇宙人に魂を取られたのかもしれない、と思って単純に話しかけてしまった。きっと周りに人がいたら話しかけない。人がいなくて、夕暮れ時で、しかも今日は実験が上手くいったから、勢い余って話しかけた。
「あ、えーっと、コンタクト落として……」
なるほど、だから立ち止まっているのか。私はコンタクトを探せば良いのだろうか。
「探せば良い?」
「いや、眼鏡はあるんで。今急いでる?」
「急いではないよ」
「本当に申し訳ないんだけど、体育館まで連れて行って欲しい」
お安い御用だ、と簡単に請け負った。よくボランティアでやっているのでそういうのは得意。私は彼の手を自分の肩に乗せて、歩き始めた。一階にいたので、階段がないのが幸いだ。
なるべくゆっくり歩いて、障害物の説明をした。まあぼんやりは見えているし、通っている学校のことだから分かるだろうけれど。でも段差で少し足を引っかけているところを見ると、慣れてはいないらしい。
「一年?」
何故わかったのだろう、と思いながら振り向くと彼の視線が私の足元に向かっていた。上履きの色は学年共通になっている。あ、ばれてしまった。
「……うん」
「びびった、もしかして上級生かと思って今焦ってた」
「あはは」
なるべくお近づきにはなりたくなかったので正体は明かさないことにしようと思っていた。そこでその話は終了。私は体育館が近いことを言った。
「本当にありがとう、ここで大丈夫」
「うん、気を付けて……あ、靴紐解けてるよ」
嘉月くんが足元を見てからしゃがみ、慣れた手付きでバスケットシューズの紐を結んでいく。
あ、首紅い。
それが夕暮れ時だったからか、それとも照れていたからなのかは分からないけれど、私はそれを可愛いと思った。エースだとか目立つひとだと線引きしてしまったのは私の方で、普通のひとだった。
「新良ちゃん、一緒に三組行こうよ」
「どうして?」
「三組のバスケ軍団怖いから。体育祭のアンケート渡しに」
「頑張れ、部長」
「協力してよ副部長」
同じ化学部で同じ体育祭係の穐田くんに誘われて、席を立った。三組か、三組……。三組の体育祭実行委員は嘉月くんとマネージャーの皆越さん。そして嘉月くんは委員長。
うちの学校は体育祭は毎年気合いが入っていて、委員会の中でも体育祭に関するひとが多い。私たちみたいな文化部も駆り出されるくらいだから。体育祭実行委員会は体育祭に関わる仕事を大きく任されていて、係は主にクラスでの仕事が多い。私は図書委員会を希望していたけれど、じゃんけんで負けて体育祭係になってしまった。
面倒だけれど、夏休み前に仕事が終わるじゃんと友達に宥められて納得した。
三組の入口に立って二人で固まる。このクラスに化学部いないからな……誰に話しかければ良いんだろう。
「どうしたの?」
廊下から入ってこようとした子が話しかけてくれた。ポニーテールの大きい目をした子で、バスケ部のマネージャーの皆越さん。
可愛いな……としばらく見惚れていると、きょとんとした顔した。これまた可愛い。それを見た穐田くんが口を開く。
「嘉月呼んで欲しいんだけど」
「ああ、体育祭の。雅輝! 実行委員のだって!」
こちらを見た顔の中に嘉月くんがいた。眼鏡をかけている。バスケをしている時はコンタクトをしていて、授業中は眼鏡をかけているらしい。彼は友達の輪から抜け出してこちらに来る。
「これ、アンケート」
「ああ、了解」
「じゃあ、新良ちゃん帰ろ」
用件は無事に終わった。やっぱり私居なくても大丈夫だったんじゃないの? と思ったけれど、言わないでおいた。
嘉月くんと仲良さげな可愛い皆越に会釈をしてその場を退散しようとする。その前に、その可愛い皆越さんが閃いたかのように話し始めた。
「今度海浜公園でやる花火大会に、実行委員で行くんだけど、二人も行かない?」
「は……」
声を漏らしたのは穐田くんだった。私も同じ気持ちで、同じような仕事をしていたからといえ、実行委員は殆ど運動部だというのに、どうしてそんな内輪な集まりに声がかかるのかが分からない。
穐田くんが窺うようにこちらを見る。どうするかって、そんなの決まっている。
「私たちは大丈夫でーす」
あはは、と愛想笑いをして断った、つもりだった。
「行こうよ、大勢の方が楽しいし」
強い一声。嘉月くんが皆越さんの後ろに立って言ってくるから、更に。私たちが弱小文化部だからといって、そんなものに屈すると思っているのだろうか。ほら、我が部の部長、何とか言い返してくださいよ。
「わかった、日時決まったら教えて」
しっかりして部長……!
「どうしてあんな返しをしてしまったのか」
「ああ言わないと絶対返してくれなかったじゃん。そういう人たちなんだよ、バスケ部は」
「私ドタキャンするから穐田くん絶対行ってね」
「新良ちゃんいなかったら俺ぼっち決定じゃない?」
「化学部の日南ちゃんを連れて行けば良いんだよ!」
「日南ちゃんもっと関係なくね!?」
元はと言えば私がきっぱり断ったのに嘉月くんがあんなことを言ってきたから……。悔しい思いを抱いて席に戻る。
バイブ音が聞こえて、私はポケットから携帯を取り出す。メッセージが一件あるらしい。見ると、『土曜日、五時に駅』とわざわざ送ってきてくれた。
「……日時決まっちゃったよ」
「え、誰から?」
「嘉月くん」
なんで連絡先知ってんの? と穐田くんは訊いてきた。なんでって教えられたからだ。私のを教える代わりに。
それにどう返信しようか考えて、大きく息を吐いた。あ、あれで良いや。さっき嘉月くんが言っていた言葉。
『了解』と一言返す。私は彼の部下か。そんな風に思ってみたりして、皆越さんて可愛いし優しいんだなと思い返す。
「そういやさ、あのバスケ部マネージャー、嘉月のこと名前で呼んでたよね」
「そうだね」
「付き合ってるって噂を日南ちゃんがしてた」
「お似合いだもんね」
付き合ってるの私だと思ってたんだけどね。
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