向日葵を君に捧げる
神父SON
第1話 起
当時付き合っていた彼女が亡くなってから早三年が過ぎようとしている。僕は社会人二年目になり、少しずつだけど仕事にも慣れてきた。
大学一年の時にふと立ち寄った花屋で働いていた彼女に一目惚れして猛アタックの末に付き合うことが出来た。とても幸せだった。一緒に温泉旅行に行ったり、くだらないことで笑いあったり、喧嘩もしたけど、それでも幸せの日々を送っていた。
今でもあの日のことを思い出す。
僕が大学三回生の時、付き合って二年が経過しようとしていた日のことだった。僕は交際二年を記念して、彼女を遊園地へ旅行に連れて行く計画を立てていた。勿論、サプライズだ。ある程度旅行の計画がまとまったところで、僕は彼女を自宅へ呼び出してそのことを伝えた。
結果を言うならば大失敗だった。その時期は忙しいから仕事を休めるか分からないと言われた。今考えてみると、お盆の時期に遊園地へ行こうというのだから・・・彼女のためを思って立てた計画が、全く彼女のことを考えていなかったことに気付いた。僕はそのとき謝るべきだったはずなのに、怒ってしまった。言い合いになり、彼女はそのまま僕の家を飛び出し、帰らぬ人となった。
最悪の別れだった。僕はそれからショックで食事も喉を通らなくなり、それ以降、約二週間の記憶が欠落している。今でもその当時のことは殆ど思い出せない。
彼女の死から半年も経つと徐々に普段の生活に戻れるようになった。しかし、あの日の後悔はいつまでも付きまとった。それは今でもだ。
あの日以来、僕は自分に対する責任として女性と交際をすることを止めた。それを彼女が望んでいるとは思えなかったが、あの日を思い出すと前に進もうと思えなかった。
一年目の命日にはお墓参りに行き、彼女の死を悼んだ。彼女が居なくなったあの日から僕の心は無くなってしまった気さえしていた。
二年目の命日は社会人一年目の忙しさから行くことは出来なかった。その日以来、彼女のお墓に近づくのが申し訳なくなってしまったし、彼女のお墓を前にするとあの日の後悔が押し寄せてきて、居ても立ってもいられなくなる。
三年目の命日が近付いてきているのは分かっていた。でも、行こうとは思えなかった。
丁度、彼女の命日の一ヶ月前、僕が会社から駅へと帰っていたときだった。僕は彼女を見かけた。正確に言うならば、彼女の生き写しのような女性をだ。僕は気がついたらその女性に話しかけていた。
「綾乃・・・何でここに」
無意識的に飛び出した僕の言葉に目の前の女性は戸惑っているようだった。似過ぎている。僕とは不釣合いなほど整った顔。くっきりとした二重に、全てを見抜いているような大きな黒い瞳。肩にかからないくらいの少しパーマがかかった黒髪。僕が一目惚れした彼女がそこに立っていた。
「・・・何でここに」
僕の口から自然と言葉が漏れる。
「会いたかった」
目の前の女性は口をパクパクさせ、どうしようといった表情を浮かべている。
「あの、どちら様ですか?」
女性の言葉で正気に戻った僕は急激に恥ずかしくなり、顔を下に向ける。
「あっ、すいません。人違いですよね。知り合いに随分と似ていて・・・」
「そうなんですか。でも、まるでずっと探していた人を見つけたみたいな感じでしたね」
そう言うと女性はクスッと笑った。笑い方まで彼女にそっくりだった。
「ははは・・・」
僕は苦笑いを返すことしか出来なかった。死んだ彼女に似ているなんて絶対に言えなかった。
「綾乃さんに会いたかったんですか・・・」
女性は僕の言葉を全て覚えているようだった。彼女は続けて、私の名前は残念ですが、綾乃じゃないですからねと付け足した。そう言うと彼女はまた笑った。
僕は彼女に出会った日のことを思い出していた。僕が彼女の苗字を間違えて呼んでしまった時に、彼女は「残念ながら、私は小野寺じゃないですよ」と言われたことをだ。まるで五年前の繰り返しだと僕は思った。
「いえ、気にしないでください・・・すいません、ご迷惑おかけしました」
僕は彼女に頭を下げ、その場を後にしようとした。
「待ってください」
呼び止められて僕の心臓が高鳴るのが分かった。女性の方へ振り返ると、手に持った何かを振っているようだった。
「落としましたよ」
女性が持っていたものは僕のハンカチだった。そういえば、女性に会うまで汗を拭っていたことを思い出した。まさかの衝撃でハンカチを落としてしまっていたのだ。
「すいません。何度も迷惑を」
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
女性の手からハンカチを受け取った僕は、女性に軽く会釈をして次こそは本当にその場を離れようと方向転換する。その時、嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐった。時間が止まったような錯覚に陥る。僕にはその匂いが何か一瞬で分かった。
彼女がよく付けていた向日葵の匂いの香水。
頬に一筋の冷たさを感じた。自分でも何が起きたのか分からない。気付いたときには自分の目から涙が溢れていた。ボロボロと溢れて止まらない。僕の横を通り過ぎる人は奇妙なものを見る目で見ていたが、お構いなしに泣いた。
「大丈夫ですか?」
女性は僕の背中をさすってくれているようだった。その優しさが当時の彼女を思い出し、さらに僕に追い討ちをかける。嗚咽混じりに泣く僕の姿はまるでそこだけ世界に置いていかれているようだった。
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