第153話
深く頭を下げた泉澄を尻目にハッチを閉める。バルブが締まっていることを確認してから梯子を降り操縦席へと進行した。
片側の操縦席には真那が腰かけモニタを前に操作パネルを弄っている。
凛音の姿を探すと、彼女はあたかも自分が荷物であると主張するかのように、武器弾薬を収めたバッグの間にちょこんと腰かけていた。邪魔はしないと決めているようだ。
「動かせそうか?」
「ええ。ただこの地下ダム、完全に吹き抜け状になっているから降下している間に基地の人間に気付かれてしまうかもしれないわ」
「それはどうしようもないだろうな……覚悟していくしかない」
彼女の隣の操縦席へと着席した。
「潜航開始するわ」
真那が機材を動かすと潜水艇はそれに比例するようにその身を水面に沈め始める。
ライトが投射され一瞬不明瞭になっていた視界が明らかになった。
「ああ、これは気づかれる可能性が高そうですね……」
「覚悟は決めても正直怖いな」
実際に潜航してみてようやく地下ダムの内構造を把握する。
通常のダムはただ水を塞き止め囲うだけの壁によって作られた空間に過ぎない。だがこの地下ダムはあたかも超巨大な密閉型水槽のようなものだ。
均一のとれた強化コンクリートによって構成されている壁。前にも後ろにも横にも壁。膨大な空間には数十億、数百億リットル、もしかすれば京の単位にまで達するほどの容積の水が貯水されている。
潜水艇を沈めていくとそのうち水底が見え始めてきた。平面に見えるそのどこかに基地への入り口が隠されているのだろう。
「……どこだ?」
「見つからないわね」
水深三百メートル地点すなわち水底にまで潜行しきったところで、肝心な基地への入り口を見つけられずにいた。
あまりこの場で難航していては監視などされている場合不審がられてしまいそうだが。
「時雨様、前方百二十メートルほど、そこから右に二十メートルほど進んだ地点に入り口があります」
助け船を出したのは泉澄だ。おそらくはあの場にあったモニタで確認しているのだろう。
泉澄の誘導を受けて潜水艇を進ませると、確かに泉澄の言う場所にさらに地下へとすすめそうな入り口があった。
真那は細やかな操縦スキルを駆使してその入り口に潜水艇を沈めさせる。そうして降下できなくなった時点で前方へと続く経路があることが解る。その経路に潜水艇を進ませると浮上できる場所に出た。
「そこを浮上すれば、基地内に潜入できます」
「人がいないか分からないか」
「流石にそれは調べられないようです……申し訳ありません」
「こればかりは仕方ないな」
ライフルを構え真那に目線で合図を取る。彼女は特に躊躇うことなく潜水艇を浮上させた。
水面上に潜水艇が浮上し途端に水中ではない光景が映り込んでくる。乗ってきた潜水艇以外にもいくつかの艇がそこには停留していた。
素早く周囲の光景を伺うが無機質なその空間には人影が見当たらない。
「よし、いいぞ」
ハッチを開けて施設内に足を踏み下ろす。彼女たちもまた潜水艇から身を降ろした。
「風間、基地内の情報を、」
「敵を観測」
奥から廊下を抜けてやってきたと思われる兵士が時雨達を見受けてライフルを構えた。敵の接近に気づけていなかった。
「エントランス。侵にゅ」
「だっ」
無線機に異常を伝達しようとしたそのU.I.F.に俊足で凛音が肉薄した。
彼女は彼が臨戦態勢に入る間もなく右喉に強烈な裏拳を叩きこむ。あごの骨でも粉砕したのではないかという鈍い嫌な音を立てて、U.I.F.はぶっ飛んだ。そのまま強風にあおられた枯葉のように宙を舞い水面に着水する。
「おい! どうした! エントランスで何があった!? 返事をしろ!」
「な、何でもないのだっ」
異常を察知した無線相手に対し凛音が致命的なミスを犯す。落下していた無線機を手に取り上げあろうことか返事をしたのだ。
「おい」
「誰だ貴様!」
「リオンはリオン……ではなくてだな、エントランスのU.I.F.なのだ」
「凛音……そのような名前はリストには、」
「安心するのだ。敵は排除したのだ……あ、違うのだ、敵は来ていないのだ。来たのはリオンたちなのだ」
「…………」
「だから安心していいのだ。何も問題はないのだ。おぬしらはその場でヒンドゥースクワットをしているのが健康的なの」
「エントランスにて侵入者を観測ッ! 取り押さえろッ!」
「違うのだっ、侵入者ではないのだっ! リオンはリオンなのだぁっ!」
「U.I.F.部隊! 出動開始!」
「ちがっ……」
「おい」
「…………」
「…………」
「シグレ、この基地の者達は、どうやら日本人ではないようなのだ」
「疑いようもないほどに日本人だ。日本語解していないのはどちらかと言えば凛音の方だからなッ!」
突っ込んでいる時間すら惜しく同時進行で凛音のフードを鷲掴む。そうして一気にU.I.F.が通ってきた道へと駆け出した。
すぐ後ろに真那が並走してきているのが足音で分かる。更に前方奥からその数倍もの足音が反響してきていた。
「距離は二百メートル、数は十二と言った所でしょうか」
「ぶつかったらまず勝ち目がないぞ、どこに隠れればいいッ?」
「時雨様っ、その通路を左折、そのまま進行した先に軍需倉庫がありますっ」
自称ハイスペックAIの空間把握能力よりも献身的な泉澄ナビの方がよっぽど役に立つ。彼女に誘導してもらってとりあえずはその倉庫に隠れ潜むことにした。
軍需倉庫に駆け込み後ろ手にドアを閉める。そこで安堵感が噴出してくるのもつかの間、足音は徐々にこの場に迫ってきていた。
「ま、まずいのだっ」
「こんなとこで応戦なんてできないぞ……」
軍需倉庫ということもあって、様々な武器弾薬、弾頭などが格納されている。この場所で銃撃戦でも繰り広げようものなら、誘爆して一瞬にして消し炭になることだろう。
「こっち」
状況の深刻さに狼狽しまともに打開案を見いだせなくなっていた時。真那に勢いよく手を引かれそのまま彼女の方へと倒れ込んだ。
「ゃぁっ!?」
横転の衝撃で掴んでいた凛音が吹っ飛んで行く。彼女はあたかもボールのように転がり逆さになる体勢で壁に衝突した。
打ち所が悪かったのか凛音はおかしな体勢のまま微動だにしていない。そんな彼女の上に武器ラックに掛けられていたものと思われる暗幕が舞い落ちかかる。
「っ……」
時雨には凛音のことなどまともに気にかけている余裕などない。先ほどの横転によって真那のことを押し倒すような体勢になっていたのである。
彼女が時雨の手首を掴んで引っ張ったというのに、転ぶ際反射的にその立場が切り替わったのだろう。彼女の片手首を掴み組み伏せていた。
「わ、悪」
「しっ」
急いで謝辞を述べて立ち上がろうとした時雨を真那は拘束する。片腕を首に回してだ。限界にまで真那の端正な顔立ちが接近し思わず息を止めていた。
今にも唇が触れてしまいそうなほどの超至近距離。つややかで艶やかな黒い髪は妖艶にその耳から垂れ波紋のように広がっている。すべすべと真っ白い弾力のあるその頬は僅かに高揚していた。
心臓が早鐘のように、あたかも獣のように鼓動する。濁りのないガラス細工のような澄んだ瞳と自分の視線が重なるたびに。どくんどくんと通常の三倍くらいの速度で隆起と陥没を繰り返すのだ。
「真那様の美少女っぷりに改めて興奮を隠しきれない気持ちはわかりますが。今はその繁殖期の猿のような欲情は心の内側に格納し、状況判断に身を任せるのが先かと」
ネイの言葉にはっとして聴覚を研ぎ澄まさせる。足音はもはやすぐ近くにまで迫ってきていた。脊髄反射的に暗幕を引きずり下ろし凛音の様に自分の背に被せた。
こんなもの目晦ましになりえるかすら解らないが、あのままただ横たわっていただけでは確実に見つかってしまう。幸いこの軍需倉庫は光源が乏しかったため疑ってみなければ気が付かれないはずだ。
やがて倉庫にまで到達した足音の数は四人分ほど。追跡者たちはしばらく倉庫の中を探索していたがやがて入口の方へと戻っていく。
ここにはいないと踏んで別の場所の探索に乗り出そうとしているのかと期待するが、そんな人心地などできぬままに足音は倉庫内から出ていかずに止まった。
「見つかったか?」
「いや、今のところは」
反射的に真那に覆いかぶさる自身をさらに低くし状況の変化に備えるが、どうやら存在に感づいたわけでは無いようだ。
「そもそも侵入者なんて本当にいるのか?」
「いるな。アイアンフォース.125の姿が見えない。もしかしたら拉致されている可能性もある」
「だが、そもそもどうやって敵は侵入したんだ? この基地に来るには当然水処理施設から降りてこないといけないはずだが。どうやってあのセキュリティゲートを潜り抜けた?」
「そんなもの大して考えなくても解るだろ。敵はレジスタンスだぞ。セキュリティなんてあってないようなもんだ」
どうやら正体がレジスタンスであることは割れているようだ。
そもそも防衛省に楯突こうだなんて考える人間はそう多くない。消去法的に考えればレジスタンスであることは自明の理であったが。
「上に敵の仲間が待機してる可能性もあるな。偵察班を派遣するべきだ」
「それは既にやってるらしい。この基地の場所を特定されちまった以上、逃すわけにはいかないからな」
まずい、当然と言えば当然だが泉澄の存在も察知されている。
彼女への警告を促したいところだが今無線に語りかけるわけにもいかない。会話が彼女にも届いていることを願うほかあるまい。
「しかしまあ最悪だな。この最も重要なタイミングに敵の妨害を受けるなんてよ」
もっとも重要なタイミング、その言葉に眉根を寄せる。今この時点において、何か防衛省にとって重要とされる出来事が展開されているのか。
「まあ台場全域が停電しているらしいし当然連中も勘ぐるわな。とはいってもここまで早く感づかれるとは思っちゃいなかったが」
「ってことはやっぱり侵入してきた連中は、NNインダクタを停止させる目的か?」
「十中八九そうだろうよ。デルタサイトの機能も停止して、ノヴァが町中に出現しようとしてるだろうからな」
「それだが一体上層部の連中は何を考えてやがんだ? なんでわざわざこうなることを予期していながら、デルタサイトの電力確保を優先しなかったんだ?」
「確かにそれは気になるな……デルタサイトが必要とする電力量などたかが知れている。別途で電力供給ラインを導入すべきであると考えるがな」
「んなこと知らねえよ。お偉いさんの頭は大分ぶっ飛んでるっぽいっしな。俺達みたいな常人には理解できない思考があるんだろうよ」
どうやらこの者たちはそう言った事情は知らされていないらしい。
確かに気になる。電力がクラッシュするだけならばデルタサイトに他に電力を供給する手段を与えればいいだけの話なのだ。
それだのに防衛省はその手段に及んでいない。その手段を考案しなかったということはないであろうし、あえてデルタサイトを不備にしたと考えるのが自然なのか。
「新しい省長、まじで頭おかしいよな」
「佐伯元ナノゲノ局長だろ。非人道とかそう言うレベルじゃねえよな。人格を疑うぜ」
「おい、他の連中に聞こえるぞ」
「いいんだよんなこと。どうせこの水底基地の人間なんざ、全員補充のきく下っ端どもさ。佐伯元局長に絶対的な信仰心抱いている奴なんかいないだろ」
「そうはいっても、俺たちは全員その佐伯の傘下にいるんだぞ。その非人道性を侮蔑したところで大して俺たちも変わらない。俺たちは羽振りのいい防衛省についた。防衛省がラグノス計画って言うキチガイじみた非人道企画を考案していることを理解したうえでだ。自衛隊が聞いてあきれるぜ。何という皮肉だろうな。国民を守るはずの自衛隊がその国民の屍を踏み台にして生活してる。もはや俺たちは傭兵だな」
「違いねえ」
下品に嗤っていた。今敵勢力がこの基地内にいると理解していながらの余裕さ。
彼らは絶対的な優位性を確信しているのだろう。防衛省がリミテッドで、いな世界中で最も影響力のある存在であると。
その防衛省に駒のように扱われそれでも難色は見せない。それはあくまでも自分たちの懐が温かいからである。
弱きを護り平和を維持するはずの彼らが今やその仮初の安寧の中で護られている。虫唾の走る話であった。
「にしてもよ、NNインダクタの稼働はいつまで続くんだ?」
「さぁな、それは上層部の連中しか解らんことだろ。管理局は随時更新される指示に従ってインダクタを動かすだけだしな」
「インダクタ……?」
先ほどから何度か耳にしているそのワード。流れからしてそのNNインダクタとやらが台場の電力を貪っている要因であることには違いない。
何のためにインダクタであろうか。そもそも一時間当たり数十億キロワットも貪る健啖家なインダクタなど存在するのかすらわからないが。
「何であれ、俺達がすべきことはインダクタに侵入者を近づけないことだ。無駄な勘繰りを展開してその間に敵に出し抜かれたなんてあったら俺達の首が飛ぶぜ」
「俺としてもあの大電喰らいなでかぶつが何のために稼働してるのかは気になるだろ」
「そんなもん報されなくたって大体わかんだろ」
「ナノマシンねえ……この水底基地までノヴァだらけになったりしねえだろうな」
「それはないんじゃねえか? あのインダクタはナノマシンを抑制するなんかみたいだしな」
彼らの会話はそこでは終わらなかったが声は遠のいていく。
この基地を知るための有力な情報源であったが深追いはよくないだろう。ほとぼりが冷めるまでこの軍需倉庫に隠れていた方がよさそうだ。
「……時雨、重いわ」
「あ、すまない」
見つかってはならなかったことと同時にインダクタなる存在について新たなる情報が入ってきていたため、この体勢のままであったことすら忘れていた。
依然として維持されたままのゼロ距離状態、そこに真那の端麗な面相があった。はっとして一瞬上体を勢いよく起こしかけるがまだ敵が残っている可能性がある。
逸る心臓を無理やりに抑え込んで、極力音を立てぬよう暗幕を自身の背中から引きずり下ろした。そうして陰から倉庫内を一瞥し敵がもういないことを確認する。
ようやくして豁然として救われたような心になる。何とか命拾いできたようだ。
「真那、怪我はないか?」
「ええ、それよりも時雨、泉澄に警告をしないと」
真那の手を引いて立ち上がらせると真那が急かすようにそう指示をしてくる。
泉澄に連絡を付けるまでもなくネイが発信を済ませていた。
「……おかしいですね、応答がありません」
「間に合わなかったのか?」
侵入に気が付いた基地の人間がすでに彼女を捕らえてしまった可能性。
無線越しにこちらの状況は察知できていたであろう。自分に差し迫る危険を予期し離脱してくれているのならばいいのだが。
応答がないところを鑑みれば最悪の状況を想定しておいた方がいいかもしれない。
「酷な話だけど、今泉澄の救出に私たちが出来ることはないわ。私たちにできることをしましょう」
捕縛されたと決まったわけでは無いが真那も一縷の望みにかけるつもりはないようだ。
泉澄が捕えられたと仮定しその上で最善の行動指針を図ろうとしている。であるならば弱音ばかりはいてはいられない。
敵の基地の中にいるのだから。潜入に気づかれているし正直袋の鼠なのはこちらであると考えてもいいだろう。
「どうせ、逃走経路もU.I.F.に監視されているだろうからな」
外との物理的な繋がりはこの基地に侵入する際に使ったルートしかないのだ。
であるならば炙り出すためにそのルートは塞き止められていて必然だろう。
「そう言えば凛音は……」
凛音が吹っ飛んでいった様子は見ていなかったのか、真那は倉庫中を見渡して彼女の姿を探している。
凛音が転がっていった壁にまで歩み寄ると彼女に覆いかぶさっている暗幕を払ってやった。
「……頭が痛いのだ」
気を失っていたのか覚醒したばかりと言わんばかりの眼で彼女は自身の後頭部をさすっていた。
強く頭を打ち付けたのが幸いしたと言えるだろう。もし気を失っていなかったのならば凛音のことだ、確実に連中に捕捉されていたことだろう。
「こちらHQ、聞こえるか」
凛音を引っ張り起こしていると、泉澄の代わりにしわがれた声が無線越しに反響した。老骨声からして伊集院で間違いあるまい。
「こちら烏川、聞こえている」
「感度は良好だな。潜入状況はどうなっている」
「正直最悪だ。敵には捕捉され風間は音信不通になっている。今は水底基地のU.I.F.と隊員が血眼になって俺たちを探していると思われる」
「ふむ。芳しくない状況だな。電力障害に関しては何か分かったか?」
「いくつか。だがまだ何とも言えない。地上の状況はどうなってる」
「こちらも芳しくはないが現状被害は最小限に抑えている。ノヴァの出現は十五分ほど前に始まった」
台場海浜フロートを離れてからすでに三十分近くたっているのだ。ノヴァの出現が始まっていてもおかしくはない。
「現状でどれだけの被害を被ったの?」
「観測しうる中ではまだ人的被害はでていない。だが台場海浜フロートに出向いていなかった人間の中には、ノヴァに襲われ絶命したものもいるかもしれんな」
「持ちこたえられそうなのか?」
「敵勢力が現状のまま維持されるのならば、まだしばらくは時間を稼げるだろう。だがさらにナノマシン濃度が上昇し現状以上にノヴァが出現するのならば、防衛網が瓦解するやもしれぬ」
即席にして棗が配備した防衛網はかなりの規模であった。十式戦車が数十台、更に航空部隊の支援もあるわけだから壁は固いはずだ。
だが相手は人智を超越したノヴァなのである。常に予測不能な斜め上の行動をとってくる。もしかすれば呆気なく全てを抹消せしめられることになるやもしれない。
「何であれ、この状況の打開策は君たちだけだ」
「思ったんだが、前と同じで新しいデルタサイトを用意するわけにはいかないのか?」
「電力供給がなされていない以上、それでは解決には至らん。デルタサイトを起動するためには一定の電力を供給しうる環境が必要であるからだ」
それもそうか。
「改めて、君たちに指示を出す」
棗の指示が介入してくる。無線の傍らにて聞いていたのだろう。
「端的に告げる。早急にデルタサイトへの電力供給を遮断している要因を排除し帰投せよ。指示はおって出す」
彼はそう短く命をだし改めて怒涛のような指揮を執り始めた。ブラックホークという言葉が何度となく出てきているのを聞けば、おそらく航空部隊を指揮しているのだろう。
地上のことも心配であるが彼らならば最善の策を尽くしてくれるはずだ。
「さて、私たちも状況整理を始めますか」
ネイが改めて提案してくる。
「さっきの話、どう思う?」
「NNインダクタのことか?」
「ええ。ここでいうインダクタは電気を蓄えたり放出するあれよね、多分」
真那が口元に手を押し当て考えあぐねながらそう疑問を口にする。
インダクタと言われてもあまりピンとこないが、電力を食らいまくっていることを考えてもその見識で間違いはないのかもしれない。
「一般的には、まあ充電式乾電池のような役割を果たすものだと考えてもらって構いません。正確には、電子回路に用いられる部品の一部ですが」
「それが使われているというのは、どういうことなんだ」
「インダクタは先ほど真那様が仰ったように電気を蓄えている物です。すでに電力は蓄積されているので、新たに数億という電力消耗は必要としないはずですが……この基地で行われていることは、その超巨大なインダクタを稼働させ、何かを機能させるということでしょう」
「何かとは何なのだ?」
「それは解りかねますが。ただ、先ほどの局員が憶測立てていたように、それがナノテクノロジーの関係するものであることは事実です。現に、この基地内にはナノマシン反応が充満しているようですから」
伊集院の言葉を思い返せばそれは確かなる情報だと言えよう。
ただ気になるのは、地上とは違って単純にナノマシン濃度が上昇しているという状況ではないことだ。
もしそうであるならば先ほどU.I.F.が危惧していたことが実現してしまうからである。すなわちこの基地内にノヴァが出現してしまうという危惧が。
「インダクタ、それにナノテクノロジー。一体この基地で何をしようとしているの?」
「現状でもいくつかの憶測は立てられますが、それらはあくまでも憶測の域を出ませんね。まずはその目で確認し判断するほかないでしょう」
「U.I.F.たちの監視の目を掻い潜って、そのインダクタを見つけないといけないわけか」
かなりの困難だと言えるだろうが足踏みをしている余裕はないのである。
真那と凛音に目で合図を取ってセキュリティゲートから身を滑り出させた。周囲に敵影がないことを確認し突き当りにまで身を疾走らせる。
そうして曲角に身を潜めそこから顔だけ覗かせて人影を探した。これと言って巡回兵などがいる気配もない。
「時雨様、インターフィアを」
とたんに視界が明晰化する。サーモグラフィによって壁の構造すらを透視、人体反応を探る。付近に数名のU.I.F.が待機しているのが観測された。
「突き当りの左折点から数メートル地点に三人いる。武器は多分短機だ」
「インダクタがどの地点にあるかは解る?」
「それは視覚的に観測するのは無理だな……ネイ、解るか?」
「変質者の発するような、ドロドロに凝り固まったナノマシンの嫌ーな臭いはがっつり漂っています。それ故に大まかな位置は分かりますが。流石にその場所までの経路は図りかねますね」
「それでいい。インダクタの位置は?」
「方位120度方面さらに地下です。充満がかなりの規模なので、おそらくは巨大な電力稼動室でもあるのかもしれませんね」
地面に這いつくばってインターフィアによって鋭敏化された聴覚を駆使し施設内に反響する足音を辿る。
まず反響してきたのは先ほど観測した一番近くのU.I.F.たちの足踏み。その中の壁に寄り掛かっている局員が踵で壁を軽く蹴っているのだ。
波紋のようにその震動がこの場にまで伝わってくるのを感じながら、さらに神経を研ぎ澄ます。
もっと離れた地点を巡回するU.I.F.の足音。それは無機質な廊下の硬質な壁に反響し合い、大まかな基地の内部構造を脳内にインプットさせる。
さらに施設の中央辺りに反響が途中で途切れ遠のいていくような地点が存在していた。おそらくはそこが地下に繋がる非常階段だろう。
「大まかな位置は特定できた。非常階段には何人かのU.I.F.と自衛隊員が待機している。多分そこで張っているんだろう」
「さっきの局員達は、自分たちの役割は私たちをインダクタに近づけさせないことと言っていたわ。多分地下に連なる経路は全力で塞いでくると思う」
「強行突破は厳しいか」
「当然、エレベーターも同様でしょうね」
エレベーターは階段よりも考えられないだろう。稼働すれば確実に管理局の人間に感づかれる。
幸いこの施設には監視カメラの類はないが、そうは言ってもこちらを見つけ出すために様々な監視の目が機能していることは確かだ。
「それに、まず非常階段を強行突破できるとしても、そこまでの道のりがかなり過酷と言えるでしょう」
「さっきの索敵で観測できた数は少なく見積もっても十はあった。通路はそんなに入り組んでいないし、避けて向かうこともできない。必然的に相対することになる」
もしその場は切り抜けられても位置が特定されてしまう。
捕捉されてしまえば最後、こちらを見つけ出すまでU.I.F.は止まらないだろう。本格的に進退窮まっていた。
「なぁなぁ、あれはどうなのだ?」
難航し途方に暮れている時雨に見かねたのか、凛音が腰をちょんちょんとつついてくる。彼女は進行すべき通路の先ではなく壁を指さしていた。
「まさか壁を突き破って行けとでも言うのか。流石に無理だし、出来てもU.I.F.が駆けつけてくる」
「そうじゃないのだ、あの上のやつなのだ」
視線を少し上げてようやく凛音が何を言おうとしているのか解る。そこには大きめの通気口があった。
「ダクト……使えるか」
「ただのダクトである場合、これで地下に向かうのは難しいでしょうが。時雨様、入り口を開けてみてはくださいませんか?」
ネイに指示され通気口の枠に指先を走らせる。そうすると何やら指が窪みに引っかかった。
どうやらそれは通気口の鉄柵を外すための機構であるようで、難なく入り口が露出する。幅も高さも十分通れるくらいの幅があった。
「おそらくここを経由すれば地下にも向えると思います。U.I.F.に感づかれることなく」
「どうして分かる」
「このダクトは換気目的とは別に脱出用機構でもあるからです。ご覧になれば解るかと思いますが、この通路にはブロックごとにシャッターが設けられています。セキュリティシステムが誤作動でもして閉じ込められた時のための物でしょう」
確かに廊下の天井には空間を区切る配置でシャッターが格納されているのが解る。つまりは閉じ込められてしまったときに脱出するための機構ということか。
当然地下でも同じ機構が存在するため、ダクト内に階移動できるシステムが搭載されているということ。
そうと決まれば留意している猶予はない。先に凛音を忍ばせ次いで真那に上らせる。敵が近づいてきていないことを確認してからダクトに入り込むと、後ろ手に通気口の蓋をした。
「極力声は押さえてくれ」
「解っておる、どっちに行けばよいのだ?」
「いや、俺が前に出るから待っててくれ」
先行する凛音の問いに静止指示で応じる。後ろに敵影がないとなれば次に懸念すべきは前方だからだ。
幅に余裕のあるダクトの中を這い進み真那の脇を抜け更に凛音の前に踊りでる。そうして道なりに沿って進んでいった。ダクトには特に分岐点がないようでそのまま進んでいく。
「見つけたか?」
「まったくだな、見つかる気がしねえ。もう逃げたんじゃないか?」
「馬鹿か、そんな悠長なことを言っていられる状況でもないだろ。しっかり監視をしろ」
真下の通路にて叱責の声が上がった。おそらくは先ほど観測した一番近隣の局員達だろう。
可能な限り音を立てぬようにしてそのまま行進し梯子のある地点にまで辿り着く。どうやら大分下にまで続いているようで、ネイの推測が間違っていないことを物語っていた。
「ここが制御室……?」
ネイに指示され辿り着いた場所は二十畳程度の空間の真上だった。
ダクトの中からその室内に素早く視線を走らせる。天井から垂れる配線と無数のモニタが目を引く部屋だ。ブルーライトがクラクラするような機械的な発光で明滅する。
この位置からではよく内装が見渡せないがインダクタらしきものは見当たらない。
「本当にここであっているのか?」
「ええ、あっています」
「どうするのだ?」
「局員が何人かいるわ。この数なら奇襲を掛ければ制圧できそうだけれど」
真那の発言の通り管制室然とした室内には数名の人影が見える。各々が無数のモニタに対面し電子カルテのようなものを操作しながら何かを話し合っていた。
その人物たちは先ほどまで時雨たちを追跡捜索していた者たちやU.I.F.とは衣装が違う。研究者が着るような白衣を身にまとい、観測しても武器の類は携帯していない。
彼らが相手ならば殺さずに組み伏せることも可能だろう。二人に合図をし同時にダクトから飛来した。
落下と同時に研究者の首筋に肘を叩き付け、突然の奇襲に狼狽する別の人物を容易く昏倒させる。
リジェネレート・ドラッグを打ち込んだ凛音は風のように舞い、瞬く間に三人の対象を叩き伏せる。真那も手早く残りを一掃したようで。
「なんだか呆気ないのだ」
「それに越したことはないがな」
この場所はデルタボルトの管制室だとかその他の防衛省系列の施設だとか。そう言った所とは何かが違う。この白衣の男たちを見ればそれは一目瞭然だ。
この者たちは明らかなる科学者だ。ただの科学者であるのならばたいした留意点でもないが、問題なのはその研究内容が十中八九ナノテク関係であること。この研究者たちは一体この場所でどんなことをしていたというのか。
「何……これ」
その思考は無意識的にも思える真那の発声によって遮断される。彼女の動揺に触発され彼女の見据える先を見やった。その方面はダクトの位置からは死角になっていた場所。
この管制室は視覚的に認知できていた空間規模でしかないと思っていた。それ故にあまりにも閉塞的な空間であると思ったわけだが、その違和感に解答を据える光景がそこには展開されている。
卓上モニタの向こう側、強化ガラスを隔てて広大な空間が広がっていた。この管制室の数十倍ほどの容積のある機械仕掛けの空間だ。
左右の壁にはいくつものアーム型クレーンが設置され、それらが接続されている壁は核シェルターもかくやと言う堅牢さ。実際に爆弾を用いても煤程度しか生じさせられなそうな。
内部を縦横無尽に飛び交うものは探査ドローン。それだけでも異質な空間だったが何よりも目を引いたのはその中央に鎮座している物だ。いな鎮座ではない。その空間に出現している物。物と表明していいのかすら解らなくなるような。
いびつな形状の二桁ほどの数のインダクタに囲われた空間には、時空の歪みが生じていた。
「なんだ……これ」
戦慄が途端に胸の中で激しく
本能的に理解していたのだ。目の前にあるこの正体不明な存在はこれまで対面してきた如何なる存在よりも危険であると。人類種そのものを食らいつくすそんな死神のような何かであると。直感的に理解していた。
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