2055年 1月28日(木)

第133話

 目覚める時はいつも冷たい感触が全身に張り付いている。

 二十畳程の無駄に広い部屋は壁が分厚い真っ白い金属で構成されており隙間という隙間もない。

 無菌室もかくやという冷たく無機質的な空間の中、冷たい床に背をつけ何をするでもなく天井の継ぎ目を目で追っていた。


「俺、何してんだろな」


 意味のない自問自答をするのも何回目だろう。気の遠くなるほどの長い期間。いやきっとまだ一か月くらいなんだろうがここでは時間が止まって感じられる。

 ほとんどこの部屋から出ることもなく過ごしてきた身は衰退していた。思考という思考すら紡ぐことが出来なくなるほどの孤独感。


 今いる場所は尋問独房室だ。レッドシェルター中央区を占める帝城を中心に築かれた巨大な軍事機関群に内接する刑務所である。

 リミテッドには刑務所は一つしか存在しない。それこそがこの収容施設である。

 東京23区を基盤としているため囚人の管理が追いつかず、犯罪者はまとめてこの場所に収容される形になったのである。

 それに伴い刑法にもいくつかの変更点が設けられ十八歳未満の人間でも場合によっては収容されることになった。和馬は成人しているため関係のない話だが。

 しかしここにぶち込まれているのは罪による服役ではない。尋問期間。それがここにいる理由だ。


「……優姫」


 ぼそっと消え入りかねない程に小さく声を漏れださせ横たわったまま右腕を頭上に掲げる。掴みどころのない疑問の解答を追い求めるかのように何もない空間を鷲掴んだ。

 クリスマスから胸の中にはポッカリと穴が空いてしまっている。掛け替えのないモノの喪失に伴って生じた拭いきれない欠乏だった。


 あの日ラウンジに落下した優姫は致命的な損傷を脳に受けていた。

 脳出血を起こしていたためか意識が覚醒することはなかった。今は同じレッドシェルターに建設されている最新鋭の医療機関にて存命させられている。


「そろそろ返事、返した方がいいか」


 肌寒い独房を照らすのは輝度の低い電球一つ。その暗がりの中、手探りでホコリをかぶったビジュアライザーに触れる。

 展開したメッセージソフトには既読メッセージが二桁単位で残されている。宛名はなく、数文字、葛城章くずしろあきらと言う文字が記されていた。

 もう既に数十もの回数読み返したそのメッセージに目を通す。そこには業務的で無機質的な文が記されていた。内容は大まかに纏めて、娘である優姫の容態は一向に変化する様子を見せないというもの。

 レッドシェルターの独房に拘留されてからの一か月ほど吉報は一度としてなかった。

 きっと優姫の両親は和馬を恨んでいるのだろう。それは文面から見て取れる。リミテッドを支える葛城家の嫡女をこんな状態に貶めリミテッドの未来をどうするつもりなのか、とか。彼女には多額の資金を投与して英才教育の限りを尽くしてきたとか。

 そんな憎まれ口ばかりがつづられている。優姫に関する心配はないのか。


「ま……恨まれて当然だけどな」


 優姫が今の状態に陥ってしまっているのは、紛れもなく和馬と言う存在に関わってしまったが故なのだから。

 和馬は知らなかったが、きっと優姫は常に捜索され続けていたのだろう。

 まさか原宿に隠れているだなんて誰も思わなかったから、あそこにいた間はリークされなかった。だが脱走作戦の後、彼女はカルテブランシェを用いるようになった。おそらくそこから彼女の所在をリークされていたのだ。

 以前レッドシェルターに来た時、その外周区でアンドロイドとドローンが集まってきたことがあった。あれもレジスタンス掃討のためなどではない。きっと優姫を確保しに来たのだ。

 あの時隠れさせたりなどしていなかったら、きっと優姫がこんな目にあうことはなかった。

 結局は何も知らない和馬が招いた事態なのだ。


「結局俺が生きていた世界に、希望の光なんてなかったんだな」


 彼女に初めて出会った日、荒地の中に咲く一輪の奇跡を垣間見たような気がした。だがそれも自分の手で摘み取ってしまったわけで

 こうなることは最初から解っていたのに。


「囚人番号062、和馬翔陽、尋問の時間だ」


 備え付けのスピーカーから聞きなれた声が響く。


「尋問……? おいおい、今日の分は終わったろ」


 この施設における囚人には一般的な人権は存在しない。だが和馬のように罪人ではなく尋問期間中ということで一時的に拘留されている人間には、それが等しく適応される。

 その一つとして尋問は和馬の精神状態の問題もあって二十四時間に一度と取り決められていたのだが。連中もついに強行手段に出てきたということか。


「定時の尋問とは別だ」

「別……? 誰だ、葛城か?」

「直接対面して確認するといい。お前の今後の人生が変わるかもしれないぞ」


 普段から多少愛想の良かった看守がそう言うと何やら機材を操作する音が響く。すぐに壁の一面が透明に変わった。これは尋問期間中の囚人専用の個室で尋問時の機能である。

 ガラスの向こう側には見覚えのない男が佇んでいた。全体的にクマのような体型で、剃りあげた頭部には獣に引っかかれたかのような醜い傷跡がある。

 まるで無人島で過酷なサバイバルでもしているのではないかという巨体は自衛隊服を身に纏っていた。


「アンタは……?」

「陸上自衛隊一等陸尉、峨朗幸正がろうゆきまさだ。国防政務上の話があり貴様との面会に来た」


 彼に向かい合うように椅子に腰掛けつつ訝しく思って問いかける。


「なんたって自衛隊が俺に? またあの時の事件の再調査か? 言っとくが何度尋問されても俺の答えは変わらない。優姫を殺したのは俺じゃない……まあ、アイツを死に追いやったのは俺だし間違ってはないけどな」

「要件はそのことではない。貴様に書状が来ている。目を通せ」


 峨朗はそう言ってビジュアライザーで展開しホログラムファイルを送信してくる。


「尋問機関からの釈放書? まだ尋問期間は終わってないんだろ?」

「その通りだ。だが貴様が尋問官に話した暴走族の桐生についてだが。その遺体から葛城優姫の指紋、さらに葛城優姫の衣服から桐生の指紋が検出された」


 優姫の名前が出て思わず眉根を寄せる。

 桐生はここに収監された次の日に遺体として発見された。立ち入り禁止区域指定されていた原宿でのことだ。


「なるほど、桐生を殺害した罪で俺は晴れて尋問対象じゃなくただの罪人になるわけか」

「違う。確かにリミテッドにおける殺人行為は無期懲役の罪に該当するが、あのエリアは特殊だ。立ち入り禁止区域に指定された後も、原宿はまだ無法地帯だった。法が適用されていなかった以上、貴様の行為は殺人罪に該当しない」

「あんだ? ならまじで何の罪もなく釈放ってのか?」

「そういうわけにはいかない。貴様にはそれ以外の容疑がかけられている。葛城優姫の誘拐罪や、立ち入り禁止区域への侵入を試みたことだ」


 前者に関しても後者に関しても和馬自身が認めたことである。

 誘拐行為に及んではいなかったにしても実際に優姫と一緒に過ごした。捜索願が出されていた優姫を匿い続けていたわけだ。

 葛城家からしてみれば誘拐犯以外の何物でもないだろう。


「なら、この釈放ってのは何だ?」

「そのことだが、貴様には特例として一時的なレッドシェルター内部での活動権が認められた」


 峨朗は腕をきつく組んだまま元々いかつい顔を更にしかめてみせる。

 それを見てなんとなく嫌な予感を抱きつつも目線で続きを促すと彼は話を継いだ。


「つまり仮釈放状態だ。レッドシェルターからの外出は認められていない。だがその条件を呑んだ場合は、貴様にはレッドシェルターでの一時的な居住権が認められる」

「なんだそれ、何のデメリットもねぇじゃねえか」

「話は終わっていない。貴様にはレッドシェルター内部での職務が提示される。それに努めている間は仮釈放されるわけだ。だがその職務期間が満了した際には、またここに戻ってくることになる。途中で放棄した場合もだ」

「なんでそれを犯罪者の俺に? 厚生でもさせる気か?」

「防衛省の意向だ。また貴様は犯罪者には該当しない。これを受けた場合はな。犯罪者であろうと、貴様のような尋問機関の拘留者の場合は人権が失われていない」


 なるほど。よく判らないがこれだけ聞く限りはデメリットはなさそうだ。逆にそれが怪しい。


「だがの防衛省側のメリットは何だ? 俺がそれに応じることによる利益が何かあるのか? まさか満了した後、懲役が数十倍になるとかはねえだろ?」

「それ相応の理由がある。それについては貴様がこの提案に同意した場合、後日指令書と共に資料を」

「悪いが断る」


 彼の言葉を遮るように出した回答に峨朗は何の反応も見せなかった。

 理由を問いただすわけでもなく案の定という納得顔を浮かべるわけでもない。ただ無機質な鉄仮面を顔面に貼り付け鋭利な目で和馬を見ている。


「もし満了後、無罪放免、懲役ゼロ年とかになるんだとしても、悪いが俺は防衛省に加担するつもりはない」


 峨朗は相変わらずの表情で。そんな彼から目をそらし面会室の天井に接続されている監視カメラを見やる。看守がこちらの様子を伺っているはずだから、立ち上がったのを見てすぐにやってくることだろう。 

 もう外の世界に希望を見出してなどいなかった。優姫があんな風になってしまった世界は、まるで抜け殻のように無機質で色も温もりも無い。希望の光なんてある筈がないから。

 そんな世界に放免されたところで行く宛も希望も求めるものすら何もない。

 それに防衛省という存在そのものが疑わしい。リミテッドを牛耳っている連中に加担するなど死んでも御免だ。


「葛城優姫、だったか」

「……!?」


 思わず峨朗を見返していた。

 彼はやはり変わらない鉄火面のまま、ホログラムを操作してファイルを展開していた。まるで和馬を試すかのように無言でそこに座っている。

 無言故の威圧感。それを漂わす熊男を睨むようにして踵を返していた身体を戻す。


「今回貴様へ出された職務の概要だが、それはあの小娘にかかわることだ」

「おい待てよ何言ってんだアンタ、なんで優姫がここで出てくるっ!?」


 混乱しながらも彼に詰め寄るようにして問い質す。

 この目の前の大男の口からこんな形で彼女の名前が出てくるとは想像もつかなかった。

 

「資産家・葛城章くずしろあきら、並びにその妻・葛城滴くずしろしずくはつい先日、政府のとある政策の過程で死去した」

「……は?」

「産業事故扱いにされているが彼らが死亡していることは検死によって確証を得ている。死因は不明だ」


 理解に苦しみ言葉に詰まっていたがその言葉の意味を少しずつ理解し始めていた。

 

「葛城優姫の存命に必要な医療機関には相当額が費やされる。だが葛城家には莫大な財産が存在する。それ故に葛城優姫の延命処置が取りやめになることはない。また防衛省は、葛城家の莫大な資産の一部をリミテッドの運営に流すことを条件に、葛城優姫の状態の改善を約束している。それ故に彼女を目覚めさせる医療を施してはいるが……」

「芳しくねえわけか」

「彼女を目覚めさせない限りその資産は永久に眠ることになる。リミテッドの更なる発展のためにも次回案を練った。それが貴様だ」

「どういう意味だよ」


 話になかなか追いつけない。状況は察したもののそれがなぜ釈放につながるというのだ。


「貴様は短期ではあるがその期間最も葛城優姫に近しい存在だった。その貴様が接触することで、防衛省は葛城優姫が目覚める可能性に賭けている」


 思わず呆れた。つまり和馬が優姫に接触すれば白雪姫のように彼女が目を覚ますとでも。


「そんなおとぎ話じゃあるまいしよ。防衛省はそこまで困窮してんのか? そんな希望的観測に縋ってまで何考えてんだ?」

「葛城優姫には現状リミテッドが施せる医療の限りを尽くした。それでも目覚めていない現状、藁にもすがりたい状態に置かれている」


 後は解るなと端的に言い残し彼は黙る。

 意味は理解できたがその事実を頭は理解していても心は受け入れようとしない。

 つまり峨朗はこう言いたいのである。優姫の命に関してはどうでもいい。だが葛城家の莫大な財産をリミテッドの運営に回すためには、優姫を目覚めさせる必要がある。だからお前が起こせと。


「ゲス野郎どもが……」

「それ程までにリミテッドは困窮しているのだ。葛城家が失われた今、リミテッドの財源はスファナルージュ・コーポレーション一つとなる。それではこれまでの資金繰りが不可能になる。葛城家の資金は必要不可欠なのだ」

「結局、優姫の命なんかどうでもいいんだろてめえらは」

「貴様はそうではないはずだ。愛していたんだろう」


 それが挑発などということは理解していたが。それでもその話を受けないわけにもいかなかった。

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