2054年 12月26日(土)

第132話

「つっ……」


 激痛に喚き声を上げる腹部を抑えながら立ち上がる。

 見慣れた天井。ここは自室だがつい昨晩まで和馬がいたのはレッドシェルター内部だった。

 レッドシェルター内部の中央区総合管轄施設・帝城。それに隣接した医療施設。そこで緊急手術を受けたのである。

 幸い弾丸は貫通していたため命にかかわるほどの重症ではなかった。そのこともあってか医者はさっさと出て行けと言わんばかりに施設からたたき出したのである。


「優姫……」


 彼女にはもう会えていない。会えるはずもない。何故なら彼女はリミテッドにおける重要資産人のたった一人の令嬢なのだから。和馬のようなどこの馬の骨とも解らない男を近づけるはずなどなく。

 それ以前に、彼女は今もなお集中治療室にて体にメスを入れられているのかもしれない。

 

 優姫が死んだ。窓が割れシトラシアの最上階から姿を消した彼女を見てそう錯覚した。

 どうやら百メートル近い高さから落下した彼女は数階層下のラウンジに落下したようで。すぐに到着したアンドロイドで搬送された優姫。医者の処置によって一命を取り留めることに成功した。

 しかし聞かされた話によれば彼女は一度として目を覚ましてはいないらしい。

 頭部へのダメージが大きく彼女の意識はもしかしたら永遠に閉ざされたままになるかもしれないらしい。たとえ目覚めても脳に障害が残るかもしれないと医者は言っていた。


「く、そ……っ!」

 

 意味もなく解消しきれない感情を壁に叩きつけた。指の皮がはがれ血が滲みだしてもその荒ぶる感情は収まらない。

 あの後、近づいてきたアンドロイドのサイレン音を耳にしたチンピラたちは一斉に散り散りになり姿を消した。

 優姫もチンピラたちも誰もいなくなった寂れた部屋で。ただ一人、撃ち抜かれた腹部から生命線を噴出させながら無力感に苛まされていた。

 これは自分の弱さが招いた結果。彼女という光に当てられ、リミテッドでは欠かせない注意を暗闇に隠してしまったが故の罰だ。


「くそ、くそが! くそがっっ! ……っ」


 足が震え立っていることも出来ずにその場に崩れ落ちる。額が血だらけの壁をゴリゴリと削るがそれすら気が付かない。

 閉じた瞼の裏側にはただ彼女の姿が張り付いていた。優しい笑顔。はにかんだ時に見える歯が愛らしくて。

 むっとしたように頬をぷくぅと膨らます顔。怒った時、彼女は少し子供っぽくなる。照れたときは耳まで微かに朱に染まるのも優姫の可愛いところだ。

 全部大切な優姫の表情。それら全てが奪われた。彼女の笑顔をもう目にすることはない。


「優姫……こんなところで終わるわけには行かないよな」


 取り憑かれたようにおもむろに立ち上がる。復讐。その二文字だけが頭を支配していた。陳腐だと意味などないのだと。そんなことは理解している。それでももう引き下がることなど出来ない。

 静かに立ち上がり足元に転がっていたそれに手を触れさす。ひんやりとした冷たい血がこびり付いたザラザラとした感触。それはすべてを奪った男たちが唯一残していった置き土産だ。


「駄目、そんなことしちゃ……」


 誰かが頭の中で悲痛の顔を浮かべていた。


「そういう風に自分を嫌いになっちゃダメ。人に嫌われるようなことをしないで」


 最初から自分が大嫌いさ。


「私に和馬くんを嫌いにならせないで……お願いだから」

「悪いが、そういうわけにはいかねえ」


 持ち上げたそれはずっしりとした重みを持っていた。人の命という何物よりも重たいものを呆気なく奪ってしまう重さだ。また罪を重ねよう。


「だって言ったろ。俺は暗闇の――――こっち側の人間なんだから」


 最初から光の袂になんていなかった。世界は暗闇に閉ざされている。この心の暗闇を照らす光は失われちまったんだから。

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