第109話

「何……?」


 棗はたった今無線機から仕入れた情報にその耳を疑っていた。


「それは本当なのか? 峨朗」

「確かな情報源だ。妃夢路、及び東・昴が持ち出してきた防衛省の企画書。その項目から推測して確かに建造履歴が確認できる」

「何が目的だというんだ?」

「どうなさったのですか?」


 管制室司令塔。それにて全管制局に指示を飛ばす棗の様子が幾ばくかあわてた様子であることを昴は感じ取った。


「さまざまな状況から鑑みて、今機密裏に防衛省が何やら不穏な動きを見せていることが判明した」

「不穏な動きとな? 一体何のことですかな」

「レッドシェルター内部で目的不鮮明なロケットの開発が進められているらしい」

「ロケットというのは……ミサイルなど軍事的兵器のことですか?」

「いや、宇宙に飛ばすことを目的とした一般的なロケットだ」


 棗はそう言って幸正から送信されてきたロケットの概要を確認する。

 展開されたロケットのホログラム。そこには『U.I.F.Spread lance』という表記がなされていた。


「スプレッドランス、通称SLモジュラー。それがレッドシェルター内部、化学開発部門ナノゲノミクス管轄で製造されているという」

「ロケットですか……何が目的なのですか?」

「それは不明だ。企画書によれば核などを乗せている様子もない。これ自体を兵器として運用する様子はないが……」

「ふむ。そのSLモジュラーとやらの打ち上げ軌道は決まっているのですかな?」

「どうなんだ? 妃夢路」


 酒匂の疑念の答えを求めて棗はその場にいない妃夢路に呼びかける。すぐに彼女の肩口から上のみのホログラムが出現した。

 彼女の背景には見慣れない会議室然とした空間が広がっている。防衛省に諜報員として潜入中なのだ。


「現状では、12月8日、第二水曜日に打ち上げが予定されているみたいだね」

「12月8日……十日後か。軌道はどうなっている?」

「それに関しては今計算中。ただ現状で分かることは、どうやら打ち上げしたSLモジュラーの軌道上に、何かしらの人工衛星があるみたいなのさ」

「人工衛星だと……? 何のだ?」

「それが、打ち上げ記録には存在しない未確認の人工衛星なのさ。所属は不明、日本が打ち上げたものなのかどうかもね」


 奇妙な話である。防衛省の目的がその人工衛星にSLモジュラーを到達させることだとして、何を目的としているのか。


「ならば今後は引き続き、その人工衛星に関して調査を進めてくれ」

「了解したよ」

「峨朗、君は民間の情報網を継続してあたってくれ」

「情報を取得できる可能性は薄いが……まあいいだろう」

「ぼくはどうすればいいですか?」

「東、酒匂は現状では動かなくていい。各スタッフにSLモジュラーに関することを伝達してくれ。後はジオフロントの増設作業に問題がないかの点検を頼む」

「畏まりましたぞ」


 

 ◇



「さて、打ち上げ計画の方は円滑に進んでいますかな?」

「勿論さ。このままいけば、予定通り、12月8日に打ち上げられるはずだよ」

「ノアズ・アークの正確な軌道は読み込めていますか?」

「それも心配はいらないよ。ノアズ・アークは、12月8日、午後九時ジャストに東京都上空を通る。それに合わせて発射すれば問題なくドッキングできるさ」


 色々なウィンドウを展開させ見せてくる妃夢路に佐伯は満足そうな顔を見せた。

 このまま問題なく事が進めば全ての作戦が成就する。これまで積み重ねてきたものがついに花となって開く時が来るのだ。


「アゲインスト計画に関しては、どうですか? アダム」

「心配しなくてもちゃんと進んでいるよ」


 一成は無い前髪をかき分ける仕草をしながら不敵に笑う。


「毎度思いますがアダム、その動作にはどういう意図があるんですかね」

「なんのことだい?」

「髪をかき分ける仕草ですよ」

「ああ、これかい? これは視界に掛かる鬱蒼としたものを払っているのさ。僕の視界には汚いものはいらないからね。香しいものだけがあればいい」

「よく解りませんが、理解不能なことは理解できました」

「局長、あまり口は挟みたくないけど、その局長の発言も大概理解に苦しむよ」

「科学者は、ちょっとくらい偏屈な方が冴えた思考が出来るんですよ」

「はたから見れば君たちはただの変人だけどね」


 妃夢路はため息をつきながら電子タバコをふかした。


「妃夢路君、ここは禁煙ですよ」

「問題ない。これは副流煙を出さないのさ」

「そういう問題ではないんですがねえ……まあいいでしょう」

「気になっていたんだけど妃夢路くん、君はどうして電子タバコを吸っているんだい?」

「ニコチン中毒だからさ」

「そういう意味ではないよ。どうして電子の煙草を使っているのかという疑問さ」


 一成の問いに妃夢路はしばらく答えなかった。彼女自身その解答を持ち合わせていなかったのだ。

 そう言えば確かにいつから電子タバコを吸うようになったのだろうか。昔は普通の煙草を吸っていたというのに。


「気まぐれさ」


 彼女の脳裏に浮かんでいたのはいつしかの叱責の言葉だった。自分のタバコ癖を窘める誰かの声だ。



 ◇



 モノレールから降りて徒歩数分の距離。港区と千代田区の区界にて。

 要塞のような鋼鉄の外壁に囲われた施設に時雨たちはいた。

 煉瓦ではなく硬質な金属で構成される頑強な外周壁。見上げるほどに高い塀には目視では確認できない生体識別センサーが設けられていることだろう。


「救済自衛寮……」


 三年ぶりに目の当たりにしたその建造物に様々な感慨を得ていた。

 時雨を閉じ込めていた牢獄。行き場のない孤児たちを幽閉していた防衛省の悪事の証拠。


「中には入れないか」

「いえおそらく入れるでしょう」

「だがセントリーが設置されているぞ」


 施設外部には自動機関銃が設置されている。勿論視認可能な位置取りではないが。

 孤児が逃げ出さないように、また部外者が内部に入り込まないように設置されたものだ。この自動小銃に射抜かれ死亡する孤児を何人も見てきた。


「この場所への電力の供給は遮断されているようですので、セキュリティも機能していません」


 ネイの言うように入り口は難なく開いた。

 足を踏み入れると同時に懐かしさがぶり返してくる。そして胸糞悪さが。以前は満開に咲き誇っていた無数の向日葵も今は枯れ頭を垂れてしなびていた。

 ここはもはや向日葵の監獄アルカトラズなどではない。ただの廃墟だった。


「ただいま、なのかな」


 真那は様々な感傷に浸っているような小さな声を紡ぎだす。


「真那が今でも帰るべき場所だと思ってるなら、ただいまでもいいんじゃないのか」

「帰るべき場所……いいえ、ここは私の居場所なんかじゃないわ」

「生まれ育った場所だろ」

「ラグノス計画の創設した罪の産物だもの。私が帰る場所はレジスタンスだけ」


 そう呟く真那の声音はどこか寂しそうだ。不法なことばかりしていた家とは言え彼女の実家であることには変わりない。

 

「この軒下、懐かしくもあるな。確かここで真那と出会ったんだったか」


 赤錆だらけの軒下を乗り越える。正確にはもう少し建物の内側だったようにも思えるが。


「奥には孤児の隔離部屋が残っているわね」


 真那が先んじて進んでいく施設内。そこには孤児たちが自室として利用していた部屋が立ち並んでいた。セキュリティゲートもかくやと言うような堅牢な扉は健在だ。


「どうですか? 記憶を刺激されるようなものはありますか?」

「どうだろうな……虐げられていたころの嫌な記憶しか出てこない」

「私も特別何かを思い出したりはしてないわ。時雨のことも、何も」

「そう上手くはいかないか」


 踵を返し入口へと向かう。施設内部とは言え暖房などが効いているわけもないためかなり寒いのだ。こんな場所に長居する必要はない。


「待って」

「どうした?」

「何か落ちてるわ」


 だが外に出ようとしたところで真那が何かを拾い上げる。一本の萎れた花のようだ。

 

「薔薇……?」


 脳裏のどこかを刺激される。血のようにどす黒い枯れた花に底知れぬ不快感を抱かずにはいられない。


「不吉な色ですね」

「…………」

「どうしたんだ?」

「……いえ」


 その花を持ったままそれを凝視している真那。何か記憶が刺激されたのかと思ったが、彼女は静かに薔薇をもとあった場所へと戻した。


「行きましょう……ここにはあんまり長くいたくないわ」

「まったくもって同感だ」


 身を抱きすくめるようにした真那の手首を掴む。そうして施設外へと躍り出た。一刻も早くこんな場所から退散したかった。


「何が……起きたんだろうな」


 何に駆り立てられているかも理解せぬままに救済自衛寮を後にした。



  

 

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