第四章

2055年 10月30日(土)

第101話

 三日後の正午過ぎ。先日の倉嶋禍殃が画策したECM騒動の後処理がようやく終わった。

 まず今回の騒動によって被害を被った地域は大田区。その区画の七十パーセントほどがノヴァに侵略され半壊していた。

 これにより被害者数を算出したところ四十万人ほどの人口であったはずだが、大田区の生存者は七割近くにまで減少しているという。

 リミテッドの総人口は前回の観測では七百万人ほど。被害者数は全体の二パーセント以下だが十万人以上もの人間が失われたのだ。

 最悪の事態は免れたもののアイドレーターによって癒えない傷跡が残されたという事実は残る。

 マスメディアは今回のノヴァ出現に関しほとんどその詳細を防衛省に詰問することはなく。考えれば考えるほどリミテッドからは疑わしい点が鎌首をもたげるのだ。


「聞いていますか? 時雨様」


 旧東京タワーの内部に申し訳程度に内接されたカフェテリア。ほとんど人のいないその席に腰掛けている時雨の前には、ブロンド髪のシエナが座っている。

 

「あ、ああ聞いてる」

「ふん、気の抜けた顔をしていて良く言う」

「悪いがこれが俺の顔だ」

「シエナ様が直々に報告に上がられたのだ。もっと敬意を表したらどうだ」


 あわてて返事をした時雨にシエナの後ろに佇むルーナスが嫌味たらしく叱責を飛ばす。


「もう、お兄様、ことあるごとに時雨様の言動に難癖をつけるのはやめてください」

「申し訳ありませんシエナ様。ですがこの下郎が」

「ですがも何もありません。これは必要な中間報告なのですよ?」

「……申し訳ありません」

「ごめんなさい時雨様。お兄様も悪気はないのです」


 いやそれはありえないだろ。


「ああそうだ、先日新作の紅茶を仕入れたのです。C.C.Rionを製造する際に余る柑橘の皮を、レーション以外に有効活用する方法を考えていまして。炭酸が苦手な方も中年層高齢層の方にも多いようでしたので。万人に受けるC.C.Rionティーを開発してみました。どうでしょう試供品ですが味見していただけませんか?」

「じゃあ頂こうかな」

「ありがとうございます。お兄様」

「ご用意いたします」


 場を和ませようとしたのか全く関係のない話題を振ってくるシエナ。さすがのルーナスもこれ以上の独断行動は分が悪いと踏んだのか、素直に頭を軽く下げる。

 しばらくして戻ってきた彼の手には不釣り合いなトレイ。そこに乗せられている紅茶のソーサーをシエナの前に音もなく置く。

 そうして一瞬時雨を疎ましそうに睨むと、時雨の前にもシエナと同じカップを置いた。


「ルーナスが俺に紅茶を……」

「ふん、シエナ様に命じられたからやっているだけだ」


 これまでの彼の言動からは想像もできない事態に戸惑う。

 対し、彼は心の底から不満げに嫌悪感を丸出しにして背を向ける。トレイを胸に抱いた彼はシエナの後ろに佇んだ。

 はたまた珍しいことがあるものだと思いながら目の前のカップを見下ろす。すると本来夕焼け色に染まっているはずの紅茶が、下水溝を流れる水のような澱んだ色をしていた。

 その手に乗るものか。カップに伸ばしかけていた手を下ろしお茶請けのクッキーを口に放り込む。凄まじく苦かった。

 シエナの後ろに佇むルーナスが満足そうに口角を吊り上げる。無性に腹が立つ。


「……話を戻すが」

「はい、まずはノヴァ騒動のその後に関してですね」


 静かに紅茶を啜っていたシエナは音を立てずにカップをソーサーにおろした。


「時雨様もご存じであるとは思いますが、防衛省は今回のノヴァ出現に関しまして一切の公表は致しませんでした。もちろんあれだけの被害を被ったのです。マスメディアによって多方向からリミテッド全域に拡散されはしましたが……」

「デルタサイトの存在は一般には広報されていない。それ故、国民のほとんどがノヴァ出現の原因に関しては雲を掴むような現状だ」


 アイドレーターの配信後、洋上発電所への核テロが行われなかったことも周知の事実。当然高周波レーザーウォールは機能不全に陥らなかった。

 だのに領域内にノヴァが出現した事実に関して世論が大きく動いているのが現状だろう。というのがルーナスの意見だ。


「とはいえ、この世論の変動も大した問題にはならないかと思います。おそらくは何かしらの整備不良だと公表することになるでしょう」


 実際にマスメディアは大した事実の掌握はできていなかった。報道されたのはあくまでも目に見える事実だけ。

 国民たちの頭に残された疑問はいくつも重なり続け。それでも防衛省に対する猜疑には繋がりえない。

 

「こうした不祥事は、重なれば重なるほど目に見えて大きくなっていきます。今はレッドシェルターという殻で隠し通せていますが、いずれ国民たちも疑いを抱き始めることでしょう」

「だがそれを悠長に待っているわけにもいかない。今回のアイドレーターの一件が転機だったと言えば、それは不謹慎なんだろうが俺たちが率先してリミテッドを変えていかなければいけないんだ」

「ええ。時雨様の仰る通りです。私たちはそのために活動しているのですから」


 凛然とした面持ちでシエナは真剣な眼差しを向けてくる。

 状況に身を任せていて平和が訪れることなどありえない。安寧は自らの手でつかみ獲得するしかないのだから。


「次に、M&C社からの資源輸送に関してだが」

「確か二十九日、昨日港区の貿易港に到着する予定だったな。滞りなく進んでるのか?」

「ああ、燃料補給のための洋上発電所が爆破されなかったため、予定通り行われた。防衛省の警備状況の問題もあり、少々時刻の変更などはあったがな」

「その資源の搬入先だが……」

「ええ。時雨様の認識の通りです。レジスタンスの施設拡張は地下空間にて行われました」


 そう、ずっと疑問を抱いてきた施設を拡張する場所。地上で拡張を行えば速攻で防衛省に観測されてしまう。だからして、どこに拠点の拡張などする土地があるのだと勘ぐっていたのだが。

 唯奈の言葉を借りれば灯台下暗し。その土地は本拠点の真下に広がっていたのだ。


「次期都市開発計画の名残、残されていた地下空間……皮肉な話ですね。アイドレーターが潜伏していたその場所を、私たちレジスタンスが継ぐことになろうとは」

「規模としては最適でしたからね……新たな施設を増設するとなると、かなりの空間が必要になります。全体の容積が百八十万立方メートルほどもあるあの地下空間ならば、最適と言えたでしょうね」

「皇も地下空間の存在を認知していたなら、もっと早く言ってほしかったもんだな」


 棗曰く地下への入り口を見つけることが出来ず悪戦苦闘していたようだ。

 次期都市化計画自体が信憑性の乏しい物であったため、そもそも地下空間など存在していない可能性もあったという。

 それゆえに確証が持てるまでは広報しないつもりだったそうな。


「もう少し早く話してくれていれば、アイドレーターの暴動を事前に防げていたかもしれませんね」


 シエナは苦笑する。まあ棗はどこか閉鎖的なところがあるし、そう言った政策は破綻させたくはないのかもしれない。仲間を信頼していないわけではないようだが。


「それで、そこへの搬入だが」

「お待ちください時雨様。ここでその話をするのも野暮ですし、現地に向かってみるのはいかがですか?」


 シエナは空になったカップをソーサーにおいて立ち上がる。彼女に促されるようにしてエレベーターへと向かった。


「向かうって、地下施設にか?」

「はい、ご存じのとおり地下にありますので」

「あのダストシュートを下ってくのは……汚れるぞ?」

「その心配はございませんよ」


 首をふるう彼女の意図が読めず問いかけようとする。その前に開かれたエレベーターの扉の外の光景を見て納得した。

 もともとダストシュートがあった場所の壁はくりぬかれ、昇降機らしきものが配置されている。簡易的なエレベーターだろう。彼女に連れられて昇降機に身を任せる。


「現状では円滑に輸送は進んでいます。バージニア級原子力潜水艦六隻が、防衛省に観測されぬよう百二十分周期で台場の貿易港へと誘導されました。総計で52020トンの資材が搬入されましたね」

「かなりの資源量だよな……搬入された資材は何だ?」

「用途は様々ですね。小型重機から大型重機まで。戦車なども搬入され、武器弾薬に関しましてはおそらく今後枯渇することはなくなるほどかと。その他も軍需だと思ってもらえればよろしいかと」

「どうやってこの地下に運ぶ? この昇降機じゃ、精々数百キロくらいしか耐えられなそうだが」


 少なくとも戦車などといった重機を下ろすことはできないだろう。上方に流れていく金属壁を俯瞰する。重量以前にこの昇降機では重機を乗せる幅もない。


「それに関しましては別の経路を用いています。地下運搬経路から直接地下に運び込めるように、別の運搬路を確保したのです」

「昨日、そのための通路を開通したのだ」


 かなりの深さがあるはずだが流石の一言である。昨日の今日で資源を運搬できるだけの準備を整えていたとは。

 簡易昇降機であるため、吹き抜けになっている機材の隙間から僅かに地下の様子がうかがえる。

 牽引車やら搬入用車両やらが無数の廃材や機材を運び込んでは出ていくという循環を繰り返している。


「というか、すでに搬入は始めているようですがね」


 同じものを見ていたのかネイは端的に時雨の疑問を言葉にして発した。


「はい。必要資材はすでに半分近くが運び込まれ、今は増設作業を進めています。潜水艦に同伴していた数十名のM&C社局員が総動員して、増設に務めてくれていますね」

「また拠点拡張のため、様々な施設を設けるために必要な機材も搬入された」

「施設?」

「大まかに分別すれば、四種類だ」


 そう言った細かいことは聞かされていなかったため、興味を引かれて耳を傾ける。どうせ後々棗たちから話があるのだろうが。


「まず司令塔。基本的には皇がその場の管理をする。管制室的な役割を果たす施設だ。東・昴、酒匂泰造の管轄する情報局の総司令でもある。つまり、HQヘッドクォーターだ」


 司令塔施設としてこれまでの旧東京タワーではだめなのか。


「あの場所にはまともな管制機能がない。幸い電波塔ということもあって防衛省が扱う周波数をハッキングするには最適であったがな。私たちレジスタンスにはもっと明確な管制施設が必要なのだ」


 まあ確かにわからないでもない。これまでは大展望台に配置されたソリッドグラフィを囲う形で会議を行っていた。

 そもそも東京タワーにはまともな内部施設すら存在しないのだ。トラス構造である以上、空間的な意味合いでは最悪な物件だったわけだ。

 これまでは物資の格納などは地下運搬経路で済ませていたわけだが、膨大な地下空間を得た以上それを有効活用しない理由はないだろう。


「二つ目の施設は生活施設です」

「今は、構成員のほとんどがタワー外の宿舎で生活しているしな」


 前述のとおりタワー内部には到底構成員全員が生活できる空間など存在しない。

 身柄を保証している紲なども含め構成員のほとんどは地下運搬経路に増設していた宿舎に住んでいるのだ。

 時雨たちがタワー内部に部屋を持っているのは特例も特例だ。


「有事の場合に備えた生活施設は必要ですし、それ以前に、スタッフの士気にも関わります。地下運搬経路の宿舎では閉鎖的な環境に鬱屈な気分を抱く方も少なくはないはずですから。皆が同じ環境で生活できる、そんな状態を作ることが求められます」

「レジスタンスはブラック企業じゃないしな」

「そうですね、少なくともどこぞの防衛省よりは」


 ネイの発言にシエナはふふっと表情を弛緩させる。そんな彼女の反応を見て、兄の方はこわばらせた顔に明確な難色を張り付ける。

 この男どれだけシスコンなのか。


「シエナ様、この男にそこまでの貢献をしてやる必要などありません。シエナ様のお手を煩わせずとも、この男が自分で調べればいいだけのことではないですか」

「お兄様、よいではないですか。何事も何かが起きてからでは手遅れなんです。また不測の事態が起きてしまうかもしれないのですから、時雨様にも状況を認識していただく必要があるとは思いませんか?」

「しかし……それでも私は納得がいきません。シエナ様の貴重なお時間を、このような下賤な輩のために費やすなど」

「はぁ……お兄様、もう黙ってください」


 シエナが叱責するとルーナスは子犬のように項垂れる。相変わらず相手に応じて態度が極端に変わるやつだった。

 

「ふん……仕方ない、シエナ様の御手を煩わせぬためにも、私が貴様らに説明を続ける」

「見てください時雨様。叱られ萎れていた忠犬ルー犬が、名誉挽回のために時雨様を利用しようとされていますよ」

「貴様……!」

「刺激するな」


 話が進まない。


「まあいい。三つ目の施設だ」

「司令塔、生活施設と来たが……工場系列は増設しないのか?」

「着眼点は悪くない。誉めてやろう」


 偉そうに腕を組むな。


「そうだ。第三の施設は、開発プラントである」

「武器弾薬などといった軍事に必要な物を開発する区画です。すでにM&C社からの援助でかなりの資材はありますが、何が起きるかわからないのがリミテッドですからね」

「戦闘機とかの製造プラントはないのか?」

「愚問だな。戦闘機や戦車といった物はパーツごとに大規模な工場で製造する必要がある。この地下空間だけで賄うのは不可能だろう」

「それに、それらの機体などに関しましては、かなりの数をM&C社より提供されています。それらは第四の施設、格納施設に格納しています」


 そんなことを話しているうちに昇降機が地下にまで到達した。

 三日前禍殃を討伐するために訪れた時とは、打って変わった空間。まさに軍事施設という要素を体現したような機械仕掛けの空間だ。

 幾重にも用途不明な機材が積み上げられた管制室。無数に配置されている巨大なタンクたち。

 中に収められているのは燃料かあるいは武器弾薬を製造するための鉄か。何であれ相当の内容量であることは間違いがない。

 広大な床を覆い隠すように配置されているものはコンテナだ。何が入っているのかはしらないが。


「ここが拡張されたレジスタンスの拠点……」

「そうここが


 現在進行形で何やら機材を開発しているのか、数十メートルもありそうなクレーンが金属を持ち上げ、移動する。

 天井の高いこの環境を生かしてか、軍用車両ほどに巨大な鉄の塊ドローンが浮遊している。巨大なプロペラを駆使し重たい装置を移動しているのだ。

 無数の人間たちが作業をし、少しずつだが着実に軍事施設は完成へと近づいていた。

 

「ジオフロントか」

「なんだか、レジスタンスもなかなかに軍事団体らしくなってきましたね」

「体裁だけ整えらしくなっても、実際に行動を起こさなければ意味はない。この軍備拡張によって、少しでも防衛省の軍事力に匹敵できるようになっていることを祈るしかない」

「お兄様、防衛省とレジスタンス。その優劣の判断基準は何も軍事力だけには限りませんよ。結束力、そして各々の思いの強さ。様々な要素が一つになって、事は初めて動き始めるのです」

「このような下賤げせんな輩とシエナ様が結束するなどフヒィン!」


 様々なマシンが軍事施設を組み立てていくのを眺めながら、壁際に巨大なシェルターのようなものがいくつも並んでいるのを確認する。


「格納庫か」

「そうだ。格納庫には現状、運搬された戦闘機や戦車が格納されている」

「こんな大がかりな増築を、ここ数日で完遂させたのか?」


 半信半疑で素直に疑問を漏らす。それにシエナは小さく首をふるった。


「いえ、そうではありません。確かにほかの施設の大半は改めて増設したものばかりですが、この格納庫に限っては最初から存在していました」

「最初からって……つまり倉嶋禍殃たちが根城にしていた時から、ということか?」

「はい」

「それは少々不穏因子ですね。何かしら、罠などが設置されていたりはしないのですか?」

「現状、それらしきものは検知できていません。もちろん有事の際に備え、爆発物処理アンドロイドは配備していますが……ただ爆発物よりも不可思議なものがありまして」


 彼女はそう言って格納庫へと歩み寄っていく。時雨もまた彼女に連れられ、見上げるように巨大な格納庫を仰ぎ見た。

 どうやら彼女の目的地はいくつも配列されたそれらの格納庫ではないようである。

 シエナは毅然とした足取りで壁沿いに歩んでいくと、一番末端の格納庫の前で足を止めた。


「この扉です」

「これは……?」


 一見ほかの扉と何も変わらない風貌だ。他の扉がロック解除の緑に点灯しているのに対しこの扉だけ赤の表記。

 

「この扉だけ、かなり上位のセキュリティロックが掛けられていました」

「ロックされているということですか。セキュリティレベルは?」

「他の扉が2であるのに対し、この扉だけ3なのです」

「七……かなり高いな」


 レッドシェルターのセキュリティシステムはレジスタンスの形式で5と言われている。デルタサイトを格納しているセキュリティゲートが4。

 単純計算ではそれよりも下であるから難航するではあろうが、レジスタンスの力で空けられるはずであるが。


「この扉のセキュリティは三重仕様になっている」

「それはまた厳重ですね」

「何を考えてこのような無駄に堅牢なセキュリティに設定されているのかはわかりかねるが。単純な数値が3でも、三つのセキュリティを限られた時間内で解除するのは厳しい」

「……ネイ、お前ならできるか?」

「統計的に考えて不可能ではありませんが」

 

 正直厳しいですねと少し思考したのちに首を振る。


「時間か」

「私の場合は、サイバーダクトを用いる場合一分以内に解除が出来ないと、私が消失してしまう恐れがありますから。一つなら三十五秒ほどで解除できますが、三つとなると……厳しいですね」

「さすがのハイスペック人工知能様も、お手上げみたいか」

「うるさいですね、食って寝て肥えるだけしかない家畜時雨様の分際で」


 むっとしたように暴言を平気で吐くネイ。しかしネイですら太刀打ちできないのか。ネイでも難しいとなるとハッキングでどうこうしようというのは無理な話ということだろう。


「この格納庫の中に何があるのかはわかりませんが、まずは危険物がない、ということでも確認したいのです」

「まあ確かに大事だな」

「しかし時雨様方でも無理、ということであれば他の対策を考えるほかありませんね」

「悪いな、役に立てなくて」

「いえ、もとより高すぎる敷居です。正攻法で乗り越えていけないのならば、潜り抜ける手段を見つけ出さないといけませんね」


 シエナは考えあぐね顎に手を当てる。そうして脱力したようにため息をついた。


「まあ焦ったところで案は出ない。何か方法があるなら、おのずと見えてくる」

「そうですね……ジオフロントの増設工事も、おそらくあと数日で完了することでしょう。一度落ち着いてから改めて考えましょうか」

「それで、この場所の元居住者に関してなんだが」

「……アイドレーターですね」


 シエナは落胆したような声音を一転、神妙なものに変える。


「まず倉嶋禍殃に関してですが監禁しています。ジオフロントの最奥部に設けた監獄に」

「脱獄の可能性は?」

「厚さ四メートルの鉄壁で囲い、部屋の外側四方にデルタサイトを配置しています。ナノマシンを用いた攻撃で破壊しようとしても威力は減退するはずです」

「厳重だな……」

「それくらいしなければ、何をしでかすか解らない人物ですから」


 まあ当然の対応といえるだろう。彼はアイドレーターの首謀者であり未曽有の大災厄をもたらした張本人なのだから。

 警戒が足りていないことがあっても、し過ぎということはない。


「とはいえ今は傷の後遺症かまともに立つこともままならないようですが」

「リジェネレート・ドラッグを投与していないのか?」

「もちろん、倉嶋禍殃や時雨様といったナノテク改造を施された方に、通常の医療が無効であることは承知しています。ですのでリジェネレート・ドラッグによる治療は試みましたが……彼の肉体はひどく損傷していましたので。完治には時間が掛かるかと思います」

「貴様が裂傷させた心臓や肺自体は修復している。だが肋骨が八本粉砕、無数の破片が肺と心臓に突き刺さっていた。五臓六腑のうちの半分近くが破裂し、出血量も致死量だったといえる。その状況から止血までなしているのだから、害虫並みの生命力だといえるだろう」


 それだけにメディカルナノマシンの技術は驚異的だということだ。

 しかして皮肉な物である。世界を滅ぼそうとしているナノマシンが時雨たちの肉体を修復できる唯一の回復手段メディシンだなんて。


「それから、娘の方ですが」

「…………」


 切り替わった話に思わず固唾を飲んで備える。泉澄の処遇についてはまだ聞かされていなかった。

 彼女は倉嶋禍殃に加担し世界転覆を目論んだ幹部なのだ。通常ならば終身刑、死刑に処されても仕方ない。

 実際レジスタンスではなく防衛省に捕縛されていたのならば、彼女はもうこの世に生として留まっていなかったはずだ。


「現状、警戒監視対象として監禁されています」

「死刑じゃないだけましか」

「倉嶋禍殃とは別で、ジオフロントではなく地下運搬経路に内設された簡易監獄に拘禁しています」

「……経費削減か?」

「いえいえ」


 彼女は小さく笑う。その反応を見ても泉澄に対するレジスタンスの処遇はだいぶ寛大な物であることを理解した。


「今は、あくまでも風間泉澄の精神面を観察するために拘禁しているにすぎません」

「どういうことだ?」

「端的に言えば、私たちに倉嶋泉澄を監禁し続ける権利はないということだ」


 まさかそんな結論が? あの棗が危険因子である泉澄を解放するつもりだというのか?


「時雨様、それから凛音様の申しだてあってのことですよ」


 確かに時雨と凛音は泉澄の罪を軽減するようにと棗に進言した。

 今の彼女にはリミテッドに害悪を振りまくも理由も、レジスタンスに刃向う意識もないと理解していたからだ。

 それに泉澄は確かにアイドレーターに加担していたが、実際に殺人を犯したのは一度だけだ。それも対象は民間人ではなく防衛省局員の葛葉美鈴くずはみれいである。

 目的遂行のために防衛省局員の命を何度も奪っているレジスタンスには、確かに彼女を裁く権利はない。


「そうは言っても俺たちの言質だけじゃ判断できないだろ。信憑性はないし、それにいくらだって捏造ねつぞうできる。そうでなくても、俺たちが騙されている可能性だってあるわけだ。あの神経質な皇がそんな寛大な……」

「ふふっ、それは時雨様が寛大であるが故の……棗様なりの改心なのかもしれませんね」

「は……?」


 どういう意味かと問おうとするがシエナはそれに応じない。静かに踵を返し目線だけ振り返らせた。


「思い立ったが吉日。会いに行かれてはいかがですか?」


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