第102話
レジスタンスの簡易拘禁施設に出向くのはこれが初めてであった。
その場所の外観はレッドシェルターにあったものとよく似ている。防弾ガラスを合間に配置された真っ白い部屋。
レッドシェルターでは倉嶋禍殃の乱入により目の前で看守が殺害され、色々と問題が発展してしまったわけだが。
この施設も収監されているのは
直接的な関連性があるわけではないが、厄介事に巻き込まれでもしないかと勘繰りながら泉澄の独房へと向かう。
「柊……足は大丈夫なのか?」
監獄施設には脚の包帯の外れた唯奈もいた。もしくはソックスで覆っているだけかもしれないが。
どちらにせよ松葉杖なしで歩行できる程度にまでは回復しているらしい。泉澄の独房に向かっているのだろうか。
「少なくともアンタに心配されるほど重体ではないわね」
「その発言からして安易に大丈夫とは言えないか」
「大丈夫よ。筋肉も大体が結合して昨日抜糸も済ませたし」
「抜糸か。そうだよな、縫合しないといけないくらいの怪我だったんだよな」
反射的に彼女の足に流し目をしてしまう。ソックスで隠れているが傷痕は残っていることだろう。
彼女は時雨のような改造人間ではないのだ。ちょっとした傷でも大小はあれ痕が残る。
「ストップ、そういうのやめて」
唯奈は手のひらを眼前に突き出して静止をかける。喉まで出かかっていた謝罪の言葉を止められて面食らう。
「何度言えばわかんのよ、謝罪なんていらない」
「だが、傷跡が」
「傷跡が何よ。そんなもの最初からいくつもあるわよ。いまさら一つ増えたくらいで何とも思わないっての……あのね、私たちは人前に出る役者でも、ましてや進んで体を見せびらかすグラビアアイドルでもない。脚なんかさらす予定すらないし」
「というカミングアウトをした唯奈様の思考を分析しますに、可能性は三つ。一つ、グラビアアイドル志望。一つ、誰にもこのソックスの中を見せる気はないけど、烏川時雨には必然的に見せることになるかも……チラッチラッ、という戦略的思考」
「ぬっ殺すわよ」
「そして最後は、唯奈様はツンデレなので単純に反対の意味でとらえて、露出狂である。という三つの可能性が有力ですね」
「はぁ……」
こめかみに青筋を立てるほどに怒りを沸々と煮えたぎらせていたが。唯奈は不意にため息をついた。
吐き出された息とともに鬱憤が抜けて行ったのか、彼女はネイではなく時雨を見やる。
「アンタ、よくこのAIと常時一緒にいて精神崩壊起きないわね」
「憤りを呆れに変えるとは……ワンストライカーなデビルであった唯奈様が成長を遂げた……?」
「私にそれ貸してくれたら、無駄口叩けないような思考プログラムに書き換えてあげるけど」
「っ……目がマジです」
さすがのネイもたじろいだようだ。
「それでどうしてここに? 風間への面会か?」
「まあそんなとこね。アンタもそうなんでしょ?」
「シエナに行って来いと言われてな。ここ数日は色々と事後処理で忙しかったから、まともに旧東京タワーに来れてなかったということもある」
色々とつじつま合わせをするためにここを離れていたのだ。具体的には防衛省の目を晦ませること。
今回の一件は、旧東京タワーから発信されたECM電波が原因で引き起こされた。それを防衛省に感づかれるわけにはいかない。
そのために、棗に指示されネイの力でリミテッド中に飛び交う周波数を滅茶苦茶に混雑させたのだ。痕跡を全て抹消するために。
結果23区内のビジュアライザーが一時的に全て使い物にならなくなった。マスメディアは通信網の瓦解の解明に追い回されていたことだろう。
「そういえば、タワー点検の件はどうなったの?」
「爆発のことか」
タワー内部で倉嶋禍殃による爆破テロが起きたことが広まることはなかった。外部に硝煙や火の手が漏れたりしなかったことが大きい。
それでも爆音を耳にした民間人が無数にいたのも事実。その人物たちが防衛省に通報したらしいのだ。
「俺たちは諜報員の妃夢路伝手に、その情報は確保していた。どうやったのかは知らないが、防衛省人事に手をまわして何もなかったようにしたらしい」
「ふーん」
興味なさそうに彼女は息をつく。まあレジスタンスに降りかかる危険が確認されないのならば特にどうでもいいのだろう。
「時雨様、面会に来てくださったのですか?」
「まあそんなところだ」
ガラスの向こう側には少女が腰掛けていた。首元あたりまでのショートボブの少女。
もしかしたら暴動の第二首謀者ということで、肉体的にも痛めつけられているのではないかと心配していたが。
シエナはああ言っていたものの、アイドレーターに激しい怒りを覚えているスタッフもいるであろうから。
そういうこともなく丁重に扱われているのか、きちんとした正装をしていた。もちろん武器は没収されているようだが怪我らしい怪我もない。
髪が乱れている様子もなく僅かな安堵を覚えて胸をなでおろす。
「柊さんもお久しぶりです」
「まあ久しぶりといえば久しぶりかしら。まだ数日しか経ってないけど」
「……御脚の方は大丈夫でしょうか」
泉澄は唯奈に対し臆しながらものその安否をうかがう。
「それはこっちのセリフ。アンタはアンタで、だいぶ傷深かったでしょ」
「い、いえ! 僕の怪我など、いえ怪我などというのも
「敬語おかしいけど」
「唯奈様の常時発しておられる悪魔の近づくなオーラに気圧されているのですよ」
「そんなオーラ発してるつもりないんだけど……まあとにかく、心配されるようなとかそんなことは言わない。人の厚意は素直に受け取っとくのが礼儀ってもんよ。まあ厚意も何も、面会に来ただけだけど」
「それを柊が言うのか」
足を踏まれる。容赦のない踏み潰しによろけそうになりつつも、防弾ガラス越しに泉澄に声を掛けた。
「風間、監獄での生活は楽しいか」
「冗談がきついです、時雨様。ですが食事は美味しくて、そういう意味では快適です。お父様……いえ、
「俺が悪かった、痛ましいからもう言わないでくれ」
苦笑を浮かべる彼女。倉嶋禍殃とともに防衛省とレジスタンスから逃げていた身だ。
それに大々的にマスメディアでも報道されているわけで、まともに人前にも顔をさらせない状況だったろう。大半はアイドレーター日報が原因だろうが。
しかし泉澄の顔はマスメディアでも出回っていなかったはずであるが。彼女だけなら普通に人前にも出られるであろうし、食生活も到底満足に摂れない差し迫った環境にはいなかったはずだが。
「どうしてそんな乞食みたいな食生活を……レーションだって配給されているだろ」
「食に困っていたのは食べ物を得られなかったというわけではなく……倉嶋禍殃に禁止されていたからなのです」
「なにそれ、偏食化なの? あいつ」
「さ、さぁ、どうなのでしょうか……」
再度苦笑。仮初とは言え父子関係にあった二人のはずだが、その溝は大分深かったようだ。まあそんなことはあの時の泉澄の言葉を思い返せば一目瞭然なのだが。
「それで何かご用ですか? その、僕は時雨様にお仕えすると誓った身ではありますが、その……ご覧の通り、何もできない状況でして」
彼女は正した姿勢のまま、時雨との間に立ち塞がるガラスに指先を触れさせる。そうして困ったように笑って見せた。
「本来であれば時雨様の身の回りの雑事は勿論、炊事選択といった家事もせねばいけないのに……申し訳ありません」
「家政婦かよ」
「そんな立場の人間が時雨様の周りにいれば、時雨様は堕落する一方ですね。オフトゥンの魔力は最高だぜ、とかなんとか言ってまともに動かなくなる。そうしてブクブクに肥え、家畜的な存在から晴れて本当の家畜に降格する未来がはっきりと見えます」
「そこまで怠慢する気はない」
「しかしまあ、そう、食生活は快適ね……じゃあずっとここで生活する?」
唯奈のどこか意地悪な発言。と思えたが、どうやら唯奈の意図は意地悪目的ではないようで。何かしらの提案のための口火にしているような物言いだ。
「食生活的には快適なのですが、たまにはお風呂に入りたいです……隠れ蓑で生活していた時でさえ、一応、洗浄用貯水で身体を流すことはできましたので……鉄の味がしたこともままありましたが」
彼女の身の上話に発展するとどうしてこうすぐに痛ましい話になるのだろうか。これまで散々な生活を送ってきた彼女になにかしてやれることはないものだろうか。
「アンタ、風呂入ってないの?」
「え、あ、はい。倉嶋禍殃がナノマシンを扱えたので、僕にもその技術があるのではと疑われているようで。極力この部屋からは出せないみたいです」
彼女も女性であるということだろう。
唯奈に声をかけられ動揺しながらも、服に匂いがついているのが嫌なのか本気で困ったように眉根を寄せる。
「それは気の毒ね」
「も、申し訳ありません、匂ってますよね……」
「臭ってないし臭っててもガラス越しだからわかんないわよ。予定変更。早く入浴施設行くわよ」
「え? ここから出ることはその、」
「もうとっくにアンタは保釈されてる。早くそこから出てきなさいよ」
「え? え?」
困惑したように何度も瞬きをする泉澄。時雨も釈放だなんて話は聞かされていない。
もしや唯奈の独断なのかと一瞬思ったものの、唯奈が何をするでもなく機械音に併せて突然ガラス戸が開かれる。
「ど、どうして」
「立った立った」
困惑する泉澄にかまわず唯奈はそこから泉澄のいる部屋に足を踏み入れる。そうしてその腕を掴んで立ち上がらせた。
「い、いけないです、柊さんまで同罪になってしまいますっ」
「いいでしょ? 看守」
泉澄の手首を引きながら唯奈は看守を見ることもせずに声をかける。
「勿論です。倉嶋泉澄の釈放予定時刻は既に更新していますので」
彼は突然の出来事に動揺する様子もない。彼が泉澄の独房のロックを解除したのだろう。
自分の後ろで扉が閉じられるのを見て、泉澄は全く状況を把握できていないのか惚けたような顔をしていた。
「アンタは釈放、風間泉澄」
「ですが、僕は蜂起軍の首謀者の側近として数多の人間を」
「アンタは無実の人を殺してないでしょ? 少なくとも一般市民はね。唯一アンタが手に掛けた
「まあ、どの立場の人間と言えど失わせていい命はありませんがね。ただ状況が状況でしたから。葛葉美鈴の殺害は致し方ないものだったといえるでしょう」
「それだとしても釈放だとはな。皇もだいぶ甘くなったもんだ」
「……まあ無条件ではないんだけど」
引き摺るようにして連れてきた泉澄の肩を唯奈はポンとたたく。一件落着かと思われたが少し間をおいてから唯奈は含みのある発言を継いだ。
「僕はここから出ても、行く場所が……」
「最後まで話聞きなさいって」
泉澄が申し訳なさそうに言うのに対し唯奈はその額をこつんと叩いて告げる。
「レジスタンスに来なさい」
「え?」
「そんな反応が返ってくると思ったけど。もう一度言うわ。レジスタンスに来ればいい、というか来なさい」
「え? ええっ?」
「困惑するのも解るけど、まあ聞きなさい。これは勧誘に見せかけた命令なわけ。アンタは一応、防衛省に楯突いた
「……はい」
泉澄は悔やむように小さく頷く。
「そんなアンタに折衷案。レジスタンスに迎え入れてあげるから、籍を変えなさい」
「僕がレジスタンスに……」
「防衛省の監獄に囚われてる時もあの生え際チャイニーズ男に同じような勧誘されれたかもしれないけど。でも一つ断言してあげる。私たちレジスタンスはあの連中とは違う。正義か悪かなんてことは、定義があいまいだから断言できないけどね。少なくとも、私たちはリミテッドを改変するために戦ってる……倉嶋禍殃とは違ってより良い形でね」
泉澄はそれに返さない。悩んでいるというよりは呆気にとられているようだ。
客観的な立ち位置にいた時雨からしても驚愕的な話であったから、泉澄にとっては相当の驚きだろう。言葉を失うのも無理はない。
「……よろしいのでしょうか」
「俺たちに許可を取る必要はない。もう上からの許可は下りているみたいだしな」
「もし皆さんが僕の入隊に反対意見を出されず、これまで僕が抱えてきた無数の罪を、それでも受け入れていただけるのなら……」
「俺たちは仮にもレジスタンスだ。みんな揃って逆心の大罪抱えてる」
「……僕は時雨様の御傍で、同じ環境で、お世話をさせていただいてもいいのですか? 僕のような人間が、」
「御世話やらなんやらは頼むから勘弁してくれ。お前は家政婦じゃなくメンバーの一員になるわけだからな」
「いいから来ればよいのです」
少し強めの口調でネイがそういうと彼女は何も言えなくなったように『は、はい……』と述べた。
それを聞いて、半分無理矢理言わせる形になったものの小さく胸を撫で下ろす。
何故もともと敵であった彼女に肩入れしまうのか解らない。きっと彼女という存在に自分を重ねているのだ。
彼女は時雨と同じ元、救済自衛寮入所者なのだから。
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