第91話

 目を覚ました時、まず後頭部にじわつくような鈍痛を覚えた。

 見開いた視界の中には微かに赤いベールが引かれ、血が滲んでいるのだとすぐに気づいて目元を拭う。


「……っ」


 立ち上がろうと床に手のひらをつき力を込めた時、全身を打ち付けられる様な痛覚を感じてその場にくずおれた。

 骨折などしている様子はないが右腕を眼前に翳すと無数の打撲痕がある。

 覚醒したばかりで曖昧な思考しか紡げないながらも顔を上げる。視界に収まったその場所には無数のホログラムウィンドウが配置されていた。

 どこか見たことがあるその部屋の内装で、管制室にまでたどり着いたのだと理解した。

 前回ここにはデルタボルトの核融合炉を暴走させるために出向き、失敗した。おまけに空爆の報せを受けて離脱したというのに、どうやらこの部屋は半壊すらせず耐えきっていたようである。


「っ……」


 凍え突くような肌寒さを全身に感じて視線を伸ばす。この場所から二十メートルほど離れた場所に窓があった。いや外の空間が露出しているが窓ではない。

 もともとは壁があったのだろうが、今は全てぶち破られ周囲にコンクリ片が散乱している。五階層分の標高に位置しているため、開けたその場所からは凍えるほどに冷たく強い風が吹き込んで来ている。

 おまけに雨が降っているのか、窓ガラスのなくなったその場所からオフィスの中には雨水が流れ込んできていた。

 何故自分はこんな場所にいるのか。そんな疑問が脳裏に芽生え始めた時、その窓の向こう側の光景に視線が止まる。

 豪雨の中で僅かにチロチロと上がる火煙。火薬と燃料の入り交じったような不快な臭いがその煙の発生源から発せられている。装甲が無残にもめくり上がり、へし折れひしゃげている巨大な金属の塊。

 そうだ、先ほどまで時雨はブラックホークに襲われていて……。


「目覚めたのね」


 立ち上がろうと四苦八苦していると後ろから扉を開く軋んだ音が聞こえた。

 はっとして振り返ったその場所から工具箱のようなものを手に持った唯奈が歩み寄ってくる。彼女は時雨の元まで迫ってくると足元にかがみ込み床に工具箱を置いた。

 

「お前、脚の傷が……」


 そんな彼女の右大腿部の包帯は尋常ではないほどに赤く滲んでいた。新しいものに巻き変えたようではあるが、出血はいまだに収まっていないようである。


「アンタほどじゃないわよ」

「は?」

「あの黒づくめが来るまで、アンタ私のこと庇ったでしょ。破片がいろいろ突き刺さって全身血だらけ」


 何を言っているのかと疑い彼女の顔を見つめるも、特に応じるつもりはないようで工具箱から何やら取り出す。ペンチだった。


「おいそれでどうするつもりだ」

「治療だけど?」

「おい待て早まるな、まだ俺の体はピンピンしてるしそもそもドナー契約してない」

「……別に内臓引きずり出そうとしてるわけじゃないっての」


 思わずその場から這いずって後ずさると、彼女は心外だとでも言わんばかりの表情で頬をひくつかせる。

 胸元を鷲掴んで後退を止めた彼女は、手際よく時雨の戦闘服を剥がして背中を向けさせた。ズキズキと痛む背中が冷風に晒された後、突き刺すような痛みが全身に走り抜ける。


「この階層の中を探し回ったけど包帯以外の最低限の医療キットすらなかった。多分三階に医療施設があったから、そこにあるんだろうけど……下への退路は絶たれてるしね。ピンセットがないからペンチで我慢して」


 彼女がそう言うとまたもや形容し難い鋭い感覚が背中に突き立った。どうやら背中に突き刺さっている破片を引っこ抜いているようだ。


「アンタはリジェネレート・ドラッグをうてば治るんでしょうけど、破片が突き刺さった状態で治すわけにもいかなかったから。アンタが起きるのを待ってたってわけ」

「気絶している間に引っこ抜いてくれる優しさはなかったわけだ」


 破片をすべて摘出してもらってから首にリジェネレート・ドラッグを突き立てた。

 異物が血管内部に染みわたるような不快感が全身を襲い、同時に痛みが消えていく。これを薬物ヤクと呼ばずしていったいなんと呼ぶのだろう。


「それで、烏川時雨、ちょっと頼みがあるんだけど」

「どうした?」

「この傷、自分では治療できないのよ」

「ああ……」


 体勢的に自分ではどうすることもできなかったのだろう。

 応急処置的に包帯が巻きなおされてはいるが止血すらできていない。このままでは最悪右足の細胞が壊死してしまう。


「ネイ、どうすればいい?」

「直接圧迫で止血を試みましょう。時雨様、とりあえず唯奈様のニーハイを脱がしてください」

「ちょ……」

「これは立派な医療行為ですが、何か?」

「べ、別になんでもないわ」

「では時雨様、脱がせてください」


 いいのだろうか。


「時雨様、唯奈様がいいと言っているのです。何をためらうことがあるのですか。許可を得てニーハイを脱がせられるなんてそうそうないですよ」

「黙ってさっさと脱がして」


 困惑しながらも包帯を巻き取り、傷を刺激せぬようソックスをゆっくりと下ろす。真っ赤なソックスを脱がし切るときめ細やかな真っ白い素肌があらわになった。

 その脚も今はどす黒い血で汚れてしまっている。左脚の太ももの中程、外側にパックリとあいた傷跡。そこから絶えず溢れ出してくる赤い液体は脚を伝い、床に真っ赤な水たまりを形成していた。

 救急箱からガーゼと包帯を取り出す。


「時雨様、ガーゼをしたあと包帯は巻かず、そのまま手のひらできつく傷跡を抑えてください」

「だが」


 傷跡をそんな風に押さえ込んだりしてもいいのか。凄まじい痛みがあるであろうに。


「構わないからさっさとやって。死んだら元も子もないし」


 指示されるがままにガーゼをしたあと傷跡を手のひらできつく締め付ける。


「もっと強くです」

「いいのか?」

「ええ構いません。ですが細胞が壊死してしまわないように少しだけ血が出る程度に……それくらいでいいです」

「烏川時雨、アンタんとこの人工知能、相当サディストね……ッ」


 あまりの激痛にか唯奈はわずかに涙目になって下唇を噛みしめていた。

 リジェネレート・ドラッグひとつで致命傷すら回復できる体になって忘れていた。本当ならばこんなにも人体は繊細なのである。唯奈にこんな怪我をさせたのは時雨なのだ。


「ちょっとやめてよ、そんな罪悪感満載な目で見ないで」

「俺を庇ったせいでこんな目にあったんだ」

「それは私が私の意思で行ったこと。バカだったのは私。それだけの話」


 呆れたように彼女はそう告げて見せた。


「まだ血が止まりませんね。これはあまり使いたくなかったのですが、止血剤を試してみましょう」

「止血剤? どれだ?」

「トラネキサム酸と表記されています」


 薬品は工具箱の中に入っていた。


「人工合成されたアミノ酸を用いて止血します」


 注射器中にその液体を注入する。指示されるがままに唯奈の患部にそれを突き立て注入した。


「これでとりあえずは大丈夫でしょう」

「……死ぬかと思ったわ。薬物注入して気が楽になるなんて、私もあんたと大して変わんないわね」


 唯奈は脱力して壁に寄り掛かる。心底疲れきったかのように。血色が良くなく疲弊が進行していることが目に見えるように分かった。


「そう言えば風間は……それに、あの黒づくめはどこに行ったんだ?」


 問うと彼女は無言で時雨の斜め後ろを見やる。つられるようにしてそちらを向くと、部屋の隅に黒の色が伺えた。

 外は宵闇に包まれた豪雨、さらに蛍光灯も大半が割れている。彼女の黒い戦闘服は、そんな薄暗い部屋の中漆黒に飲まれていた。ホコリの積もる地面に屈みこんだ彼女の前には、支柱に括りつけられている泉澄がいた。


「やめてください。敵に情けをかけられるなど……っ」

「あたしは敵じゃ……いやなくもないですけど」


 搬送荷物固定用のプラスチックベルトで拘束されている泉澄の口元に、少女はレーションを突き付けている。

 それを嫌そうな顔で拒む泉澄だったが拒む理由は他にもありそうだ。わざとなのかは知らないが、少女の差し出すレーションは包装されたままであった。


「拘束したのは……」

「私。あの女、アンタが気絶してる間に逃走しようとしてたから。ちなみにここまで連れてきたのはあの身元不明の黒づくめ」

「アイツが、か」


 唯奈もまたその正体に見当をつけているような声音。あえて名前を出すことはしなかった。相手の真意を読み取れていないが故だろう。

 そんな唯奈と時雨の視線にさらされているとも知らず、少女は悩んだ末に、無理やり泉澄の口に包装状態のレーションを突っ込む。素でやっているのだろうがなんとも泉澄が不憫だ。

 立ち上がった彼女は、壁に立てかけている身長ほどもある巨大な銃砲ペインキラーの取っ手のような部分を掴む。一見数十キロはありそうな銃砲を軽々しく持ち上げそのまま立ち上がった。


「そう言えば……地上の突撃兵部隊、あの黒づくめが一掃したわ」

「は……?」


 唯奈が何気なく紡いだその言葉に一瞬言葉を失った。


「一掃って、軽く数十人はいただろ?」

「数人は一機目のブラックホークの墜落に巻き込まれて死亡。それから他十名ほどは撤退したけど……それ以外を蹴散らしたのはソイツよ」

「突撃兵部隊は壊滅したとして、迫撃砲は?」

「迫撃砲の着弾地点観測は私たちが落としたヘリのレーダーを使っていたみたいで、それがなくなったから撤退したみたい。でもそのうちまた来るはず」

「そうか、ならすぐにでも行動した方がいいな。だがそれよりもまず――」


 正体の知れぬ少女について解決しなければならないことがある。その言葉が紡がれうることはなかった。二つの弊害によってだ。

 一つ、少女の姿がすでにこの場から失われていたこと。

 一つ、インカムから甲高い真那の声が伝達されたこと。


「時雨、複数の生体反応を観測したわっ」


 突如、管制室が震撼するほどの爆発が後方で起き、鉄板のような扉が勢い良く飛来してくる。

 それは横転したデスクや椅子を蹴散らしながら転がっていき、突貫した壁から外へと吹き飛んでいった。


「管制室は既に占拠した。逃走経路はない!」


 吹き荒れる砂煙と硝煙のなか突撃してきた数名の部隊員。各々がアサルトライフルを構え銃口を時雨に向ける。

 唯奈の手首を掴み近くのデスクの陰に飛び込んだ。


「っ、きゃ……っ!」


 隠れ潜んだデスクの足が一本ぶっ飛んだ。

 突然のことに驚愕しアナライザーに触れようとした手首スレスレの部分を何かが通過する。次の瞬間すぐ後ろの床コンクリートが砕けちった。反射的に別のデスクの裏に隠れる。


「狙撃されてる!?」

「この部屋は、計六箇所の狙撃ポイントからどこにいても狙い打つことが可能だ。無駄な抵抗はやめろ。その前に貴様たちの脳天を鉛玉がぶち抜くぞ」

「っ……!」


 今度こそ絶体絶命だった。後ろから飛び降りることも考えるがこの場所は標高数十メートルもある上に、地上は瓦礫の山である。ここから落下すれば確実に助からない。たとえ助かったところで狙撃されて終わりだろう。


「は、離せっ!」

「司令、アイドレーターは如何しますか?」


 泉澄の叫び声が聞こえ思わず隠れている場所から頭を出す。

 部屋の隅に拘束していた泉澄のプラスチックベルトが切られ、彼女の両の手に電子手錠が付けられる。そんな彼女の手錠を掴み頭側面に拳銃が突きつけられていた。

 迂闊だった。撤退したと思っていた残りの突撃兵部隊のことを注視せず、完全に防御体制を解いていたせいでこんなことになろうとは。


「構わん、殺せ」

「ですが、捕虜を殺害してしまうわけには……上層部からの伝達では確か」

「殺せと言っているのが聞こえないのか。突入時に不慮の事故でも起きた、とでも通しておけばいい」


 助けなければ、そんな思考が脳裏に過ぎり、同時に飛びだせば確実に射殺されるだろうと確信する。

 そもそも泉澄を救う必要などあるのか? 彼女はアイドレーターなのである。

 第三統合学院にて未曽有みぞうの大災厄をもたらした偶像崇拝団体。ノヴァをフォルストと崇め、その頂点に君臨するリヴァイアサンこそ超越した存在であると信じてやまない。

 そんなふざけた信仰のせいで罪なき命がいくつも奪われたというのに。そうだ、助ける必要などないではないか。


「……っ!」


 泉澄が腰に指していたナイフを掴んだ。自分の首筋に押し当て今にも突き立てようとし、そのナイフを握る手は震えている。


「おいふざけるな……!」

「アンタ、まさか馬鹿な事考えて……っ、やめなさい! 死にたいのっ?」


 唯奈が手首を掴んでくるのを振りほどく。

 無意味な正義感を振りかざしているのではない。ただ泉澄がやろうとしていることに虫唾が走っただけだ。

 力任せにデスクを乗り越え駆けた。アナライザーを抜銃し部屋の隅にいる泉澄の元へと────。


「っが、っ……!」


 オフィスの半分ほどを駆ける間もなく接近したU.I.F.に脇腹をストックで殴打される。

 衝撃に屈みこみこんだ時雨の頭部にさらに強烈な一撃が叩き込まれた。思わずその場に突っ伏した時雨の後頭部を、追い討ちをかけるように隊員が踏み下す。


「どう、して……っ」


 泉澄が震える声を漏れ出した。首を無理矢理もたげ彼女を見上げる。

 ナイフを微かに下げた彼女は、なにかに惑い溢れ出る感情を押さえ込むように時雨のことを見つめている。


「どうして、あなたは僕を助けようと……」

「ふざけるなッ!」

「っ!?」


 気迫に押されたのか彼女は言葉に詰まる。時雨は地面に拳をついて踏みつけられる頭を無理やり持ち上げた。


「死を恐れながら、自殺しようとしてんじゃねえ……ッ」


 再度地面に顔面を打ち据えられ血反吐をぶちまける。それでも彼女を睨み据えた。


「俺の前でそんな顔で死ぬな、死ぬなら後腐れなく死ねッ」


 後頭部に銃口が押し付けられる。もう一言でも発せば、それを言い綴る前に脳天には巨大な風穴がぶち空けられることだろう。

 自分でも、どうしてこんなに衝動的になっていたのかは分からない。

 様々な念に駆られたことは確かで、それはこの無慈悲なる世界の条理とやらに虫唾が走ったという言葉もまた誤ってはいない。

 しかしそれだけではなかった。敵である泉澄が自身の命を軽々と投げ出そうと本来時雨には関係のない話。

 それなのに彼女がその首元に刃物を押し付けた時、どうしようもなく自分の心が揺れたのを感じた。

 視界の中、繰り広げられているこの世界の条理。それを目の当たりにしながら頭のなか脳裏にこびりついた情景がフラッシュバックしたのである。

 明瞭には想起できない。しかし、いまこの状況に限りなく類似している記憶。その時も誰かが時雨の前で自身の命を糧に何かを成そうとしていた。


「僕、は……」


 泉澄は力なく腕を弛れナイフを落とした。その存在に気がついた隊員が彼女の手の届かない場所へとそれを蹴り飛ばす。

 もはや、彼女の手には自分の喉元を突き立てるだけの力も気力も残っていないことだろう。

 ああ、これが最期の見栄か。今の行動になんの意味があったのだろう。どうせ殺害される。それなら自殺したところで何の違いもなかったではないか。


「──ギルティが罪を重ねることは……必ずしも罪、ではない」


 後頭部にかかる圧力が失われた。何かを抉るような突貫音が響き後方で瓦礫が蹴散らされる。

 はっとして体を起こし振り返ると、頭を踏みつけていた隊員が壁面に叩きつけられていた。

 一瞬の静寂が空間を支配する。誰もが何が起きたのかを理解できず、混乱し先の声が聞こえた方へと視線を向ける。


「お父、様……?」

「ああ全く、本当に仕方のない娘だ」


 泉澄が消え入りそうな声を漏れ出させる。背筋に冷たい感触が走り抜けるのを感じながら、ゆっくりと視線をそちらに向けた。


RAUGNHOSラグノスへの加担者たちよ。私が、私こそが────」


 翻る白衣に悪趣味に光る片眼鏡。鋭利な感情を張り付けた凶器の顔が、その口元を不気味に吊り上げた。


「腐った世界に破綻をもたらす────断罪者ジャッジメントだ」


 倉嶋禍殃かおう……ッ!?

 痛む全身が悲鳴を上げるがそんなことも気にしていられない。それよりも目の前のこの男の出現があまりにも衝撃的だった。


「腐った畑から腐った果実が出来るわけではない。果実が腐っているから、畑が腐るのだ」


 時雨たちを取り囲むU.I.F.たちを見て突如そんな言葉を漏らす。

 司令官と思しき局員は、時雨の後頭部を足で踏みつけていたU.I.F.が、突然血飛沫をぶちまけながら飛んで行ったのを一瞬呆然と眺めていた。

 彼の反応は早かった。男の存在に気がつきアサルトライフルを構え指示を飛ばす。


「ターゲットをアイドレーター・倉嶋禍殃へとチェンジ! 斉射!」


 合図に合わせて半壊した管制室の中に、弾幕の嵐が飛び交った。

 八方向からの一斉射。通常ならばどの方向に回避しようとしたところで、致死確実な数の鉛玉が白衣を貫通していたことだろう。


「っ、なッ!?」


 禍殃の肉体に弾丸が着弾しようとしたとき弾丸はその勢いを突如失って地面に落下した。男の周囲にバラバラと銃弾が山積していく。

 こんな現象は見たことがない。あたかも不可視なバリアでも張っているかのように確かに弾丸は弾かれている。


「そんな玩具では、私には傷をつけることすら出来ない」


 やがて弾幕が途切れて、白衣には一切血の赤の色が滲んでいない。火薬が付着し灰色に汚れていることを除けば、銃弾をその身に生身で受けたとは到底思えない。

 防弾チョッキなどを着用していたとしても無傷なんてことはありえないのだ。


「解析不可」

「不測自体に直面。適切な指示を要求」

「狼狽えるな! どんな小細工をしているかは解らぬが、あやつも生身の人間だ! 殺せないわけが無い!」


 淡々と状況を並べるU.I.F.に対し、半分狂ったようにそう怒涛を荒らげる司令塔だったがその身は徐々に後退していた。

 再びの斉射の指示が轟き隊員たちは疎らながらもリロードして弾薬をばら撒く。

 U.I.F.に関しては一切の狼狽を見せず、通常通りの正確すぎる射撃にて禍殃に強襲をしかける。それでも禍殃には傷ひとつつけられることはなかった。


「まったく学ばない連中だ。学ぶ機会がありながら、それを甘んじて受け入れない……それはギルティに他ならない」


 禍殃は片眼鏡を指で押し上げ呆れたようにそう呟き、一番近くにいた壁際のU.I.F.の元へと肉薄した。

 肉体を貫く鈍い音。飛沫が辺りに撒き散らかされる音。背を向けている禍殃の周囲に大量の赤が飛散した。

 僅かな硬直の後、気分の悪くなるような凄惨な粉砕音と共に隊員は後ろに倒れ込む。胸部に突貫を穿たれたU.I.F.はそのまま半壊した壁の穴を越えて下界へと落下していく。


「罪深い赤に袖が汚れてしまった」


 腕を振り乱し白衣に付着したどす黒い液体を払う。隊員の胸を貫通させたはずであったが、血が付着しているのは何故か袖の部分だけ。

 弾丸すら貫通させないU.I.F.の強化アーマーを掌底しょうていで粉砕したのか……?

 到底人間とは思えない化物じみた能力。何度も対面してきたその能力は人智を軽く超越している。

 時雨は壁際により横転した真鍮デスクの陰に隠れる。


「狙撃開始」


 無線機に対してU.I.F.が射撃指示を飛ばすのが聞こえる。おそらく合図を待っていたのだろう。間髪入れず飛来した弾丸が禍殃の後頭部に弾けた。

 だがその弾丸もまた力を失って地面に落ちる。


「弾の無駄だ……ラグノスの下っ端には無能な人間しかいないのか」


 禍殃はため息を一つついた。この状況に一切危機感を抱いてなどいないかのように。

 無線機に怒涛を荒らげているU.I.F.の存在など気にも止めず、泉澄を拘束している隊員に視線を送る。


「く、来るなバケモノがッ!」


 思わずたじろぎ、泉澄の側頭部に銃口を押し付け彼女を盾にするかのように後退する。泉澄と言えばもはや気力も失ったように身体を震わせていた。


「近づくな! そ、それ以上近づいたらこの女……っが……!」


 隊員の警告は最後まで紡がれ得ない。禍殃が腕をかざすと、喉元から突然真っ赤な飛沫が迸る。そのまま血を撒き散らしながら地面に突っ伏した。

 確かに距離はあったはずだ。接触もしていない。それだのにいったいどうやって禍殃は彼を殺害したのか。あたかも目視できない手でその喉を捻り潰したような。

 思い当たる節は一つしかない。ナノマシンだ。

 何が起きたのか理解が及んでいないのか、頭部から血にまみれた泉澄はその場に崩れ落ちる。そして動かなくなった人間の抜け殻に目を落とす。


「あ……あ、あぁ……っ」

「我が娘よ、今更死体を見た程度で何を狼狽えている?」

「ひ、ひ、人が……こんなに、簡単に……っ!」

「お前自身、人を殺したことがあるだろう。葛葉美鈴くずはみれいといったか? ラグノス計画に加担した罪深きひと房の果実。お前はそれを摘み取った。私が今断罪した事実も、全く同じだ」


 泉澄の元へと死体を跨ぎながら歩み寄った禍殃。どこか軽蔑するように彼女のことを見下ろす。

 

「それは人間ではない。打ち付けられ潰れただけの、ただの腐った果実だ。腐ったものは食べられない、故に処理をしただけだ。そうだろう? 泉澄よ」

「そ、それ、は……」


 彼女は血に染まった自分の手のひらを見下ろし、再び肩をがたがたと震えさせ始める。

 そんな彼女を呆れたように見下ろしていた男であったが、小さくため息をついて彼女を片腕で抱えあげた。


「おい、お前……」


 思わず時雨は掠れた声で彼に声を投げかけていた。

 泉澄をどこに連れていくのか。そんな疑問を言葉にする前に彼は背中を向けたままこちらを一瞥し、途端にその顔に歓喜の色を浮かべる。


「やあ奇遇じゃないかギルティ。こんなところで何をしている? うちの娘を連れて僻地への観光旅行かな?」

「ソイツを、どこに連れてく気だ」

「どこに。愚問だねギルティよ。私は自分の娘を迎えに来ただけさ」

「ふざけるな、お前が風間をそんな殺人の犬に仕立て上げたんだろ……!」


 はっとしたように抱え上げられていた泉澄が時雨のことを見やる。内心の読み取れないその表情は、絶望か怨嗟かもしくは一抹の後悔なのか。

 その感情に名前をつける間もなく、禍殃は彼女を抱えたままこのフロアの壁際、ガラスの無くなった窓辺に寄る。躊躇もなく虚空へと飛び出し一言呟いた。


「ギルティが罪を重ねるのは、どことなく、滑稽だ」


 気付けば禍殃は既に宵闇に呑み込まれていた。

 しばらくはその場から誰も動き出そうとはしない。

 数分のうちに生み出された死体の山。死のにおいが充満した管制室の中で最初に動き出したのは敵勢力の統率官だった。


「レジスタンスを拘束する」


 時雨の存在を思い出しての指示──と言うよりは司令塔からの新たな指示か。

 成り行きのままであれば抵抗せずに捕まったことだろう。そこに介入がなければ。


「呼ばれて飛び出て、リオンンン~ン! なのだっ」


 禍殃が消えたばかりの部屋に、破壊された扉からピンク色の毛玉が飛び出した。

 毛玉はU.I.F.の背中に強烈な飛び膝を炸裂させ、ぶっ飛ばす。身軽に中空で姿勢をただし着地した。


「凛音ッ……なんだその掛け声」

「前に中継の録画で見たカズナリのマネをしたのだ」

「敵襲! 増援部隊だっ! 応戦しろ!」


 突然の強襲に度肝を向かれていたであろうが、さすがの対応力で局員がそれぞれ銃器を構える。

 

「まぶしいのをお見舞いなのだ!」


 凛音は手に持った閃光弾を一気に管制室床に投擲する。


「グレネードだッ!」

「落ち着けスタンだ! 持ち場を離れるな!」

「逃げるのだっ」

「あ、ああ……柊!」


 隊員たちが怯んでいる隙、唯奈の手首を掴む。フラッシュアウトする視界の中で、インターフィア越しに凛音の背中を追いかけた。



  

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