第82話
「とはいえ、真那様の手は借りられないのが現状でしょうね」
高架モノレールから降りるのと同時ネイが唇に触れながら呟いた。
「さっき助けてくれただろ」
「時雨様の脱出に関しましては真那様の行動が予測不可の物であったからだと言えます。これ以上の関与はほかのメンバーの皆様方に感知されかねません」
時雨が逃げ出してることももう感づかれているかもしれない。
「それに、時雨様を逃がした時の真那様の心理的状態は、ひどく情緒不安定だったと言えます。あの時は時雨様が真那様の中に見出していた、別の真那様の人格になり替わろうとしていた。その意識から来た、突発的な行動だったと言えるでしょう」
「レジスタンスの指針から背くことまでは期待できないか」
「もしかしたらすでに、時雨様捜索に加わっている可能性もあります。次に出会ったときは、今度こそ時雨様の敵になる可能性だってありますね……こちらからのコンタクトは、たとえ無線であっても得策とは言えないです」
つまり誰かの助けはもう望めないということか。
凛音ならば当然賛同してくれただろうが、彼女の隔離されている部屋を特定できなかった。ネイのナノマシン観測で大まかな位置は特定できたがその別棟には分厚い監視があり手を出せなかったのだ。
そこで改めて捕捉され捕まればもはや脱走は不可能となる。
「これから、どうすればいいんだろうな」
「何をいまさら思い悩んでおられるのですか。単独でも唯奈様の救出に向かう、と、そう豪語していたのは時雨様でしょう?」
「いやそうなんだが」
「もしやレッドシェルターを前に怖気ついたのですか? 真那様の前であんなかっこつけておいて、なんてみっともない」
「そうはいっても、実際どうやって潜入する」
今いる場所は千代田に面する港区の外周区だ。中央部に比べて比較的建築物が少ないのは、ここにはほぼ人が住まなくなっているからである。
高層建造物帯の密集地となっているとはいえ、この場所はレッドシェルターのすぐ傍なのだ。すぐ傍ということはつまりA.A.に護られ、更にその内側に高周波レーザーウォールが設置されている場所ということで。
もしレッドシェルターに侵入を試みよう死に急ぎ野郎が現れれば、ここは一瞬にして戦場と化す。弾丸が飛び交う中で日常生活を満喫できるものなどいない。
それ故にリミテッドが成立し高周波レーザーウォールが設置されたその月末には、周辺地区の住民全てが千代田区外周区からそれ以外の地域に転居していた。
「目視でも、A.A.が定間隔で配置されているのがわかりますね。約十メートル間隔、更にその後ろには、20メートル間隔でセントリーガンの配置が観測できます」
「レッドシェルター外周部のセキュリティに関して、どこまで詳細を取得できている?」
「時雨様がTRINITYプロトタイプとして防衛省に在籍していた時代に得た情報。それから妃夢路様からの情報。また昴様と酒匂様が持ちこんだ防衛省の情報から統合しますに、おおよそ85パーセント以上は把握できている物かと」
「十分だ。潜入に伴う障害に関してと潜入の成功率に関して、詳しく教えてくれ」
「かしこまりました」
ネイが次々と出現するウィンドウを操作して何やら計算を始める。数秒と待たず、彼女の前にあった無数のウィンドウはわずか数枚にまで減っていた。
「演算結果が出ました。時雨様の身体能力、知力、その他様々なスキルから憶測し、レッドシェルター突破率を算出しました」
「話してくれ」
「まず、時雨様がA.A.に気が付かれず通過することは不可能です。あの脳金連中とドンパチすると考え、物理的な突破を試みた場合の成功率は……20パーセント未満ですね」
かなり厳しい確率だ。
「とはいえ80パーセントで死亡する、というわけでもありません。急所を免れれば、命を落とさずに離脱することが可能でしょう」
「突破できなければ意味がない。実質20パーセントということか」
「あくまでもA.A.の壁に関してですよ」
残り二つの壁のことを考えると頭がくらくらする。
「次の弊害となるセントリーガンに関してですが、これはA.A.と比較すれば突破難易度は低いです」
「どうしてそう言える?」
「どちらも同じ無人機ではあります。ただセントリーガンは移動ができないので、A.A.のように小回りは効きません。またセントリーガンの射撃範囲は斜角120度です。使用機銃はブローニングM2重機。使用弾丸は規定通りの12.7mmNATO弾。有効射程は二千ってとこでしょう」
「十分難易度高そうなんだが」
「いえ、確かに射程内に時雨様が入り込み、そこに一斉射撃されれば蜂の巣ですが。センサーに反応するため照準を合わせるまで僅かのタイムラグがあります。そのタイムラグを利用して一機でも破壊できればこっちのもんですよ。斜角から外れることになりますから」
「そもそもA.A.の位置からセントリーガンまでの距離、500メートル程度だぞ。もしA.A.を突破できても、即撃ち殺される」
「誤射を避けるため、センサーは機関銃から300メートル圏内です。その距離なら射撃までに到達できるんじゃないですか?」
「投げやりだな……アナライザーの有効射程はせいぜい50メートルだろ」
「時雨様が時速130万キロくらいの速度で走ればどうとでもなりますよ」
「音速越えろと。無茶言うな」
それでも自称超高性能人工知能かよと突っ込もうとしてやめる。事実、それくらい不可能に近いということだろう。問題はそれだけではないのだ。
「無傷の状態でセントリーガンの壁に挑めたとして、突破率はせいぜい5パーセント未満ですね」
「A.A.より難易度高いじゃないか」
「ちなみに二つの壁を突破できる可能性は……1パーセント以下ですね」
「ほぼ不可能に近いな」
「事実、1パーセント弱は可能性があるわけですが。時雨様のミジンコほども感じない可能性を、言葉通り無に帰す壁が待ち構えているわけでしてね」
「……高周波レーザーウォールか」
イモーバブルゲートにも用いられている機構。高周波という名前の通り超高速電磁波を発生させ、ふれたものを分子レベルで乖離させる。
どんな硬質な物質であっても、触れただけで乖離してしまうのだ。もし肉体が触れようものなら一瞬にして触れた場所から消失してしまうだろう。
「イモーバブルゲートのレーザーウォールは、ナノマシンの侵入を拒むためにドーム状にリミテッドを囲っている。レッドシェルターもそうなのか?」
「いえ、レッドシェルターは千代田区を囲うように、円筒状に上方に伸びているだけですね。目視で観測すれば、おおよそ4000メートルといったところでしょうか」
「ブラックホークで乗り越えられないのか?」
「ヘリではその高度を航行するのは厳しいですね。ホバリング限界高度は余裕がありますが……人体が耐えうる酸素濃度からいえば、せいぜい3000メートルが限界ですから」
「まあ、ヘリなんかで近づいたら撃墜されかねないか」
事実上、乗り越えるというのは難しい。となれば直接的に高周波レーザーウォールを突破するしかないわけだが。力技で強行突破できる壁ではないのだ。
「突破しようにも……電気系統を破壊するのは?」
「それは難しいですね。そもそもとして、どこから電力供給されているのかもわかりません。電気で動いているのかすら。電力だとして、これほどの磁場を展開させ続けていることを考えればかなりの消費のはずですが。おそらくは、レッドシェルター内部にある風力、火力発電施設で生産される電力を直接流しているのでしょう」
「レッドシェルター内部からの供給か……その電力を遮断するのは難しいわけだな」
そもそもそんな方法で無効化できるならば、イモーバブルゲートも簡単に無効になるということだ。
そんな防衛網でリミテッドが護られているとは考えにくい。電気系統を遮断したとして、きっとそれだけでは無効化できないだろう。
「イモーバブルゲート……そういえばネイ、これまでの事件に関してだが。リミテッド内部のデルタサイトが不全に陥ったことで、ノヴァが出現したわけだよな」
「はい、その事実から私たちはイモーバブルゲートが機能していないと判断しましたしね」
「それはこの高周波レーザーウォールも同じだ。機能してないということは、もしかしてあれは見た目だけということなのか? 本当は乖離能力なんて存在しないんじゃないのか?」
「生身で通過しようとしても大丈夫なんじゃないか、と考えているのでしたら答えはノーです。あくまでも機能していないのはナノマシンを阻む機能です。ナノサイズのマシンは通過してしまうというだけであって、なんでも通過できるわけではありません」
「まあ、それもそうか」
そうでなければ今頃リミテッドにはノヴァが侵入し、人類は追い込まれているはずだ。つまりこれも廃案ということである。
「高周波レーザーウォールは海外の技術を盗んだんだよなたしか」
「織寧重工にて聞かされた話ですね」
「ああ、確か織寧重工が資金を横流ししたとかなんとか……」
あの一件の後に聞いた話だが、織寧重工は元々防衛省直下の機関であったらしい。
だが防衛省の金を不正に流出させ島流しに会った。その結果、行き着いた先が民間企業。というのがマスメディアで報道された内容だ。
だが真実はそうではなく、実際は防衛省がとある事実を隠ぺいするために流したデマ情報だという。
憲法九条による抑圧を受けていた日本より当然海外の方が軍事技術は進んでいた。日本はその海外の技術を盗み高周波レーザーウォールを生み出したとか。
どこまでが本当かはわからないが、大事なのはその技術が海外の物だということにある。
「技術が防衛省だけでなく海外も会得しているものなら……海外に問い合わせれば、突破法も編み出せるんじゃないのか?」
「それは無理ですね」
「なんでだ?」
「まず、もし高周波レーザーウォールを海外が解明できているなら、そもそもデルタサイトは必要とされないのです。日本にへりくだることなどせず自国で生産すればいいのですから。つまり日本以外の諸国は、いまだに高周波レーザーウォールのギミックを解明できていない」
「そうか」
「さらに、もし海外諸国がその技術、というよりもメカニズムを理解していたにせよ。この状況の根本的解決には至りません。何故ならば海外諸国に連絡をつけること自体、難しいからですね。それは織寧重工で行った、オペレーション・バラージのことをかんがみれば、明白でしょう」
鎖世の中継を行っていたワールドラインTV、通称αサーバー。弾幕に紛れさせM&C社にコンタクトを取ったのだ。
あんなことをもう一度行うなどこの状況下では不可能に近い。
「一連の作業を完遂するまでに、少なくとも四十八時間は要するでしょう……とはいえ、私たちにはそんな時間は残されていません。何故ならば、タイムリミットは、もう後五時間に迫っているからです」
はっとしてビジュアライザーの時刻表示を確認する。すでに夕方の5時を回っていた。空は赤らみ始め寒々とした空気に辺りは包まれ始めている。
「あと五時間で柊を救出できなければ……」
「あまり最悪の状況は考えないことです。そんなことに精神や時間をすり減らす余裕があるのならば、それをこの五時間でどう動くのか決めるのに使うべきです」
「だが現状、この壁を突破する方法なんて……」
数キロ先に目の前にそびえたつ半透明の壁を見やる。ガラスよりも薄く目視しただけでは簡単に通過できそうなその壁。
それは時雨の行方を阻むように確実な殺傷性を持って聳えていた。
「私なりにこの三つの壁を無事に突破する方法を算出してみましたが……結果はゼロです」
「もう取り付く島もないな……」
「いくつか侵入経路は算出できましたが、すべて実現不可能なものばかりですね。誰にも認知されていない場所でもあればいいのですが」
「誰にも認知……そうだ、地下通路はだめなのか? レジスタンス御用達の」
リミテッド地下にはクモの巣状に地下通路が張り巡っている。高架モノレールが一般化されたことで今は使われなくなった運搬路だ。
レジスタンスがイモーバブルゲートを越えるのに用いているのもその地下通路であるし、他にも色々な場所で使っている。
織寧重工の格納庫にすら潜入することができた経路なのだから。レッドシェルターに侵入することも可能なのではないだろうか。
「残念ながらその線はないですね。防衛省も千代田区区堺の地下通路は通行止めにしています」
「通行止めって……ネイのサイバーダクトでどうにかならないのか?」
「無理ですね。外交関係自体、防衛省は遮断しています。貿易といえばデルタサイトの輸出くらいでしょう。地下を用いての運搬が不要になった以上、地下の運搬ルートを維持する必要もなくなり……地下の設備が不能になっています」
「つまりもう用済みだから、セキュリティ云々以前に、もうその扉は開けられないと」
「扉自体が存在していませんね。地下を陥落させ、瓦礫で塞いでしまっています」
それは確かに経由するのが難しそうだ。しかして本当にほかに道はないのか。
最後の希望が無慈悲にもかき消され足場を失う気分になる。
「万事休す、だ」
そんな時雨の葛藤をあざ笑うように時刻は着実に過ぎていく。あれからまた十分ほどが経過していた。
「また十分、柊の死が近づいた……」
「時雨様、先ほども申しあげましたが、最悪のケースは考えるべきではありません。あくまでも想定するだけに留めてください」
「そんなこと言っても殺されちまうんだ」
「焦る気持ちはわかりますが、それで状況が好転するわけではないです。逆に時雨様の精神状態が乱れ、最適な思考を紡げなくなるだけです」
落ち着けと言われ落ち着ける状況でもない。
「……ネイ、答えてくれ」
「なんでしょう」
「強行突破以外にレッドシェルターに侵入する方法はあるのか?」
「ありませんね。レッドシェルターは織寧重工の正面ゲートセキュリティと同じで、生体識別により入場者を識別します。すなわちレッドシェルターに居住権を有している人間のIDを剥奪したとしても、その人物に成りすますことはできないということです」
「そうか」
それを聞いて、すとんと胸の中で何かが落ち着く感覚を覚えた。
「……何か、よからぬことを考えてはいませんか?」
「何を悩む必要があったんだろうな。手段なんか最初から決まっていたわけだ」
アナライザーを抜銃する。そうして空になっていたシリンダーに指向性マイクロ特殊弾のスピードローダーを装填した。
「正面突破以外に選択肢はないんだ。ならどこに躊躇する意味がある」
「時雨様、お気を確かに。それは自殺行為ですよ」
「自殺行為がなんだ。もう仕方ないだろ。今この瞬間にも公開処刑の時間が近づいてきてるんだ。それならもう生存率なんて考えてる余裕はない。現状もっとも可能性が高い強行突破……これしかないだろ」
「最もといっても確率的にはおそらく0コンマ、ゼロゼロゼロ……という次元の話ですが」
「…………」
「はぁ、こんな時に限って覚悟を決めたような顔をしないでください。調子が狂うではないですか……まあ、どうせそういうかと思っていましたが」
呆れたように見上げてくるホログラム少女。猛反対されるものかと思ったが案外すんなりとため息をついた。止めるつもりはないらしい。
「最悪……死にますよ」
「わかってる」
「生存率は無に等しいのですよ」
「わかってるそれも」
「……解りました」
もう一度ため息。ARコンタクト上の視認可能なものが全て情報化される。インターフィアだ。
「生身で突っ込まれては死なれかねないので、保険です。私からの餞別だと思ってください」
「話の分かる人工知能で助かる」
「これが餞別ではなく、死者への手向けにならないことを祈りましょう」
「あんまり不吉なこと言うな」
「さぁ、それでは参りましょう。唯奈様の待つ――――ディストピアへと」
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