第72話
「……待って」
ふと何かに感づいた様子の真那が眉根を神妙にひそめる。
「どうした?」
「さっき和馬翔陽が霧隠月瑠を探して屋上に出向いたって言っていたわ。その時、風間泉澄は凛音に監視を任せたって……」
「で、ですが、凛音さんは運動場に皆さんを避難させるので手一杯だったんじゃ……ないですか?」
「今、風間は誰にも監視されていない?」
真那の考察を脳内にて反芻させるのにあわせ、ぞわりと悪寒が背筋を舐める。
一連の失踪事件。それを隠ぺいするかのように仕組まれた葛葉美鈴の死。それらは真の局員つまり風間が何かしらの計画を進めるために仕組んだことだ。その計画がこの文化祭に乗じたこの事件であることは間違いない。
そもそもアイドレーターの目的とは何なのか。目的も不鮮明なこの大虐殺を引き起こすことだったのか。本当にそうか。
「奴らはノヴァを偶像崇拝してる連中だ。大量殺戮なんてなんの意味がある」
「何か別の目的があるのかしら」
「別って、だってもう百何十人も人が死んじゃっているのです……」
「敵は手段を択ばない非道な人間たちよ。何を考えてるかなんて解らないわ」
「だが何かを目論んでるはずだ。そうでもなければこんな大がかりなことは」
「今回の一件、この騒動の目的も目くらましだったとしたら」
予感がパズルのピースのように嵌っていく。あと一歩というところで形を成さない。キャンバスは依然として未完成のままで。
「あの……風間さんが本当に犯人なのです?」
「多分だが確証はない。もしかしたらまったく俺たちの予期しないところで、他の人間が動いていたのかもしれない」
「少し心当たりがあるのです」
「心当たり?」
何か思い当たる節でもあるのかクレアが控えめにそう告げる。心当たりというのは風間泉澄の行動に関してか。
「時雨さんたちがデルタボルトに向かった後、私と和馬さんで、屋上に向かったのです。その時少し給水塔を調べたのです」
「給水塔っていえばあの巨大な循環制御機のことか」
「はい。昨日シエナさんから故障の話があって、時雨さんがその整備に行ったと聞いたので……そこでこれを見つけたのです」
そういって彼女が差し出してきたもの。それは4.6x30mm弾丸の詰まったロングマガジン。サブマシンガン用のものだ。
「マガジン……」
「これはMP7A1のものですね。しかしなぜこれが屋上に……」
「暴動軍が屋上で落とした? だが屋上で銃撃戦が起きた形跡はなかった」
「……そう言えば、葛葉美鈴の自室から発見された葛葉の遺体。あの体内に混入していた弾丸も確か、」
「4.6x30mm弾でしたね」
あまり汎用性のない弾丸であるため記憶に鮮明に残っていた。
風間泉澄の所有物か。彼女が何かしらの形であの貯水槽に関与していたことは間違いない。
そうでなければ昨日、故障などしていない貯水槽に時雨を誘導などしなかったはずだ。
「……時雨様、とっても嫌な予感がいたします」
「俺はさっきからずっと嫌な予感しかしてないが……どうした?」
ひそめられたネイの声。本日何度目かわからないが彼女はどこか慄くような立ち居振る舞いで。
「今突然。ここを中心に半径三キロ圏内のノヴァウィルス濃度が急激に増大しました」
「それって、どういうこと?」
「ノヴァウィルスすなわちナノマシン濃度です。この台場メガフロートを中心とした三キロ範囲が」
「そうじゃない、どういう意味だよそれ」
ナノマシンだと。この区画の大気中の濃度が増大だと。
「言葉通りの意味です」
「……デルタボルトか?」
「いえ、少なくとも私の観測しうる範囲内に着弾した様子はありません。そもそもあの施設は半壊していますので、狙撃など無理な話でしょう」
「それなら一体どこから、」
「それに関しては分かりかねます。突然、濃度が急増いたしましたので」
「そんなことが……」
全身を内側から叩かれるような戦慄。この感覚は初めてではない。もう何度も体験してきた感覚だ。今はその原因を追及している時間的猶予はない。
ナノマシン濃度が上がったという事実が指し示すこと。すなわち。
考察が実るまもなく尋常ならざる衝撃がキャンパスそのものを揺らした。
「ぁぅっ」
「な、なんだッ!?」
足場が頼りなくなるなか横転しそうになっていたクレアを支える。時雨自身もまた倒れこみそうになる激しい振動。
キャンパスが揺れている。継いで爆音が幾重にも重なり轟いた。
「っ!」
「真那ッ、窓から離れろ!」
一斉に窓がはじけ飛び廊下中に散らばる。
割れた窓の外から激しい絶叫が響いてきていた。男のもの、女のもの。何百という断末魔にも似た鋭い悲鳴。階下はパンデミックに陥っているようだった。
「あそこよ!」
割れて何もなくなった窓辺。真那はそこから身を乗り出しキャンパスの外を指す。校門とキャンパスの間辺りに巨大な何かがひしめいていた。
「フェンリル、です……!」
「くそ……ッ、こんなに早く!」
地面を覆い隠すほどの勢いで溢れかえらんばかりに出現しているノヴァたち。
それらは逃げ惑う人間たちに追いすがりナノマシン凝固弾を機関銃のような装甲からばら撒く。たちまちアスファルトは真っ赤な血海と化した。
中には、一回り巨大なクモのような体躯のノヴァも垣間見える。突撃するそれらに応戦するレジスタンスの姿も見えるがこのままではジリ貧だろう。
「早く俺たちも合流して、」
「待って」
アサルトライフルを背に窓辺から飛び降りようとした時雨の手首を真那が掴む。
「なんだよ、早くしないと手遅れに、」
「私たちが加担してもいずれ皆ノヴァに殺されてしまうわ。それよりも発生するナノマシンの元を絶ったほうがいい」
「元って……」
「真那様の仰る通りですね。たとえ今出現しているノヴァをすべて駆逐できても根本的な解決には至りません。ナノマシンが大気中に溶け込んでいる限りいくらでもノヴァは出現します」
「それに、この状態に長くいたら皆感染しちゃう」
確かに真那の言うとおりだ。時雨のようなナノテクノロジーによる強化を成された人間ならともかく、普通の肉体ではナノマシンに耐えられない。
大気中に分散しているごくわずかなナノマシンでも、人体の皮膚細胞を侵食しやがて肉体すべてを食らいつくす。
そうなってはもはや快復は見込めない。発症し肉体がすべてナノマシンになっていく恐怖に耐えることしかできなくなる。
この会場にいる数百という人間すべてが死の宣告を受けるようなものだ。
「だが、どうすれば」
「ナノマシンの発生。この原因は熟考しなくてもさすがに検討が付くわ」
「デルタサイトですね」
これまで何度も体験してきたイモーバブルゲート内部でのノヴァ出現。
ホームレス収監施設、A.A.講演会会場。そのどちらもデルタサイトが破壊、あるいは電源落ちすることによってナノマシンが充満した。それによってノヴァが出現したのである。
「デルタサイトなんて、どこにあるんだよ」
「学外にあるとは考えにくいわ。このキャンパスを中心にしていることもあるし、何よりこの辺りには学生寮くらいしか建物がないもの。キャンパス内に関しても、少なくとも一般学生が入れる場所にはないわ」
「だがキャンパス内に一般学生が、というか誰も入れない場所なんてあるのか? あるとしたらハイセキュリティの掛かった屋上か、あるいは……」
脳裏にふとひらめきが走る。残されたピースがパネルにぴったりとはまり込んだ気がした。
「どうして風間の奴、屋上の給水塔の点検なんて進言したんだろうな」
「いい着眼点です。そもそもあの貯水槽は故障などしていなかった。正常。何の誤作動も起きていませんでした。ですが風間泉澄様は確かにこう言いましたね。『故障している』と」
「風間はシエナの指示だと言っていた。だが考えてみれば変だ。俺に直接指示しなかった理由。わざわざ疑わしかった風間を中継に選んだ理由」
「全部ブラフ……」
「でしょうね。おそらくシエナ様に、どうして故障していない循環制御機の点検などさせたのかと聞けば。こう返ってくることでしょう。『そんな指示など出していない』と」
「……地下、あのセキュリティゲートか」
「ぅぇっ?」
クレアの襟首をひっつかんで引きずるようにしてそのまま駆け出す。真那も追随してきているようだ。血塗られた廊下を抜けて階段を一気に駆け降りる。
泉澄は循環制御機の点検ののち地下のゲートの点検も指示してきた。あの時時雨はセキュリティの解除などしていない。だがもしかしたら……。
「……開いてる」
「そういうことか」
セキュリティゲートは開いていた。ここにはかなり高度なセキュリティが仕掛けられていたはずなのに一体どうやって開いたというのか。
「そういえばあの時、私は時雨様にパスコードを教えました。『ahfks97skn』だと。泉澄様には私の存在を検知されていないと確信しての行動でしたが……迂闊でした。どうやら彼女は角膜操作レベル3以上の軍用ARコンタクトを着装していたようです」
「風間泉澄にはネイのことも見えていた、ということね」
「クソ、迂闊だった……!」
彼女が時雨をここに誘導した理由もそれだろう。ネイならばこのゲートを開けられると解っていて、あわよくばこのゲートの開け方を聞き出そうとした。
そしたら時雨たちが間抜けにもセキュリティの解除コードを口走ってしまったわけだ。
「……デルタサイト、あったわ」
「破壊されていますね……」
無機質な電力供給室。その金属質の床にはひびの走った三角錐の機械が転がっている。弾痕が刻み込まれているところを見ても、すぐに稼働することは難しそうだ。
「……どうすれば」
「万事休すですね。電力を遮断されているだけだったのならばまだ修復の余地はありました。ですがこう破壊されてしまうと……」
「仕方ないわ、棗の指示を仰ぎましょう」
この状況でも冷静さを欠かない真那。彼女はビジュアライザーで無線をつなぐ。
「棗」
「状況の把握は出来ている。まずは地上に戻り船坂たちと合流しろ」
「デルタサイトはどうすればいいの?」
「構造上、信管を破壊されれば修復はできない。それももう虫の息だろう。それがなければナノマシンが充満することが解っている以上、替えのデルタサイトを供給するほかない」
「当てがあるの?」
「残念ながらない」
棗も切羽詰っているようで別の部隊の連中に指示を出し始める。時雨は目配せをして急いで地下から飛び出した。
アナライザーを抜銃しキャンパスの外へと転がりでる。外に出た瞬間に視界が真っ赤に染まった。どうやら想定していた以上に状況は悲惨なものになりつつあるようだった。
「時雨様、北西方向、八つのナノマシン反応があります」
「規模は?」
「平均的なサイズですね。速度からしてフェンリルでしょう」
「解った。殲滅する、ネイ」
「準備は出来ています。インターフィア」
駆け出しながらアナライザーを手に取る。
「烏川、くん!?」
どうやらフェンリルは紲含む人間数人を取り囲んでいるようだ。
接近し狼のような醜い顔面をこちらにもたげる直前、時雨はその首根っこを鷲掴んだ。
アスファルトに張り倒しインターフィアによって明晰化された視界の中、フェンリルのコアを目視する。
アナライザーの銃口をそこに押し当て通常弾を乱射した。そのまま肩の力で飛び上がり、踵を別のノヴァの後頭部に炸裂させる。あるはずもない頭蓋が粉砕するような音。狼はナノマシン粒子となって分散した。
「ッ! 烏川くん、後ろ!」
反射的に右側へ直線移動。間一髪で回避しノヴァの首元を弾丸にて穿つ。通常弾がその図太い喉を貫通し銀色の粒子がまき散らされた。
「くそ、きりがない」
「大気汚染濃度は急速に上昇中。このままでは撃滅する速度よりノヴァの供給量が上回ります」
このまま単身戦っていてもジリ貧というわけだ。
「大本を叩けなくなった以上、他の手段を選ばざるを得なくなったし……」
「この状況を打開しうる方法は限られています。破壊されたデルタサイトを火急速やかに修繕すること。もしくは新しいデルタサイトを設置し、ナノマシンの増幅を抑えること。いずれにせよかなりの時間を要しそうですが」
「そもそもレジスタンスの軍資源にデルタサイトはない」
怒涛のように押し寄せるノヴァを捌きながら民間人たちの集まる場所へと急ぐ。幸い紲たちの中に被害者はいなかったようで。
「怪我はないか?」
「う、うん私たちは何とか。でも沢山人が死んじゃったみたい……ねえ烏川くん、一体何が起きてるの?」
「見ての通りだ。ノヴァが出現した」
「で、でもここはリミテッドだよっ? なんでノヴァが、」
「原因は定かじゃないが、誰かの陰謀だということは確かだ」
核心に触れるような発言は控える。今は紲の混乱を解消してやる余裕はない。
時雨はさりげなく彼女の後ろに並ぶ一般人たちを見やる。ほとんどの人間がこの状況に動揺し、恐怖し正気を保てずにいるようだ。紲はまだ比較的落ち着いているように見える。
「いいか紲、この場所はすぐに激戦区になる」
「激戦区って……すでに沢山死んじゃってるのに」
「それでもだ。このままだともっと死人が出る。紲、皆を連れてここから離脱してほしい」
「離脱って私が先導するの?」
「ああ。頼めるか?」
紲はどこか不安そうに他のものたちの様子を伺う。今は物陰に隠れているからいいものの、ここから校門目指して踏み出せば即死の渦中だ。
ここで頭を縦に振れば、尋常ならざる責任が彼女に付きまとう。
彼女自身の払拭しきれない恐怖も、自身が行動に出ることを拒んでいるはずだ。心の内側から警鐘を叩き鳴らすように。
「……どうすれば、いいの?」
彼女はその恐怖に屈しなかった。確たる瞳で指示を仰いでくる。
「烏川、何をしている、早く戦線に復帰しろ!」
幸正や船坂たちが築いている防衛線もこのままではすぐに瓦解してしまいそうだ。
暴動を起こしていた学生たちはどうやらノヴァに加担しているわけではないようだが。皆が地面に突っ伏して意識を失っている。スタビライザーの効果が切れたのか。
無数のノヴァに包囲されている現状、多勢に無勢であることは変わらない。
「俺たちが突破口を開く。紲は民間人たちを連れて校門から離脱してくれればいい」
「校門の外には、きっと防衛省の皆さんが控えているはずなのです」
グレネードを危なっかしく両手に抱えたクレア。彼女はこの激戦でどうすればいいか判断がつかなくなっていたのか、時雨のもとへと後退してきていた。
「防衛省はおそらくこのキャンパスを包囲している。突撃して、場を鎮静化するタイミングを見計らっている。奴らが俺たちに助力することはまずないだろうが……だが無下に民間人を見捨てることはないはずだ」
「防衛省が烏川くんたちを助けない……? どういうこと? 烏川くんたちは防衛省の局員なんでしょ?」
迂闊だった。この状況で以前どのようなお膳立てをしたのか忘れていた。
弟と父を失う原因となったレジスタンス。それを極端に毛ぎらう紲を落ち着かせるために、いやその信頼が失われるのが怖くて嘘をついたのだ。自分たちが防衛省なのだと。
「ダサ」
ネイの本音は無視する。
「色々あるんだ。防衛省の内部での分裂とか」
「そうなの?」
苦し紛れの言い訳。紲の納得を勝ち得ることはできなかった。
「とにかく今はここから逃げてくれ。これ以上の犠牲を出さないためにも」
「で、でも、」
「紲、聞こえるだろ悲鳴が。この瞬間にもかなりの人間が死んでいる。だから頼む、早く逃げてくれ」
「……解ったよ」
地獄絵図のような叫喚の嵐。それを理由に紲の疑念を逸らすことしかできない。
「でも、どうやって離脱するのです?」
「すでに私たちは包囲されてる。校門側にもノヴァがいるのよ」
アサルトライフルを構えながら後退してきた真那。確かに彼女の言うように、どこを見渡しても巨大な金属ばかりだ。
縦横無尽に駆け回る殺人の猛者たち。このまま校門へ紲たちが走っても血潮が撒き散らされる未来しか見えない。
「強引だが俺が突破する」
「でも、どうやって?」
「強引にだ」
返答になっていない気がするが策などない。
「クレア、グレネード余ってるか?」
「な、なのです」
彼女はカバンを開けておもむろに中身を差し出してくる。これで包囲網に綻びを作るしかない。
「紲、俺たちでノヴァの包囲網に穴をあける。そこから皆を誘導してくれ」
「う、うん」
「時雨様、早急に行動に移したほうがいいかと。急激にノヴァの数が増加しています。これ以上増えると突破が出来ても一般市民の誘導に支障をきたしかねません」
「……解った」
クレアからグレネードをいくつか受け取り、隠れ場所から一気に飛び出す。
真那たちが経路を確保してくれていたのか校門までの道のりに障害物は存在しない。無論、最奥に無数のノヴァのひしめく金属壁がそびえているが。
「行くぞッ!」
後ろを紲たちが追随してきているのを確認しノヴァの壁に突っ込んだ。グレネードを投擲してその包囲網を瓦解させる。
「インターフィアを開始。指向性マイクロ特殊弾の軌道を予測します」
「風穴あけるぞ」
「特殊弾の装填を確認。着弾地点を観測」
「
銀色の壁に大穴が開く。巨大な個体が横転し粒子となって拡散していく。
「今だ行け!」
振り返ることをせず紲に向けて怒涛を荒げる。
「……烏川くん、死なないでね」
時雨の脇を数十人が抜けていく。このままいけば空けられた風穴が修繕される前に、皆学外へと離脱できるはずだ。
更なる人員の離脱をするべく振り返って真那に目配せをした。
「よし次だ! 真那、他の連中は、」
「きゃ……っ!?」
地面が揺れた。足場が反転したのではないかと錯覚するような衝撃。数珠のように連なって炸裂する爆音。どこかで何かが爆発していた。
それよりもまず致命的な障害が生じていた。紲たちもその爆発によって足止めを食らったらしい。
「っ、いけない!」
血潮が新たに撒き散らされる。十数人分の淡い命が呆気なく吹き散らされていく。
「ッ!」
「時雨! そっちは危険!」
真那の静止も聞かず踵を返して駆け出した。このままでは自分が送り出した者たち全員が殺されてしまう。これ以上、自身の判断による人的被害を容認してなるものか。
「紲、伏せてろッ」
死体の山積するなか今にもノヴァに押しつぶされそうになっていた紲を回避させる。そうして飛来してきたノヴァの首筋めがけて通常弾を叩き込んだ。
金属塊は勢いを失ってその場に落下し砂塵を巻き上げながらバリケードとなる。生者を食らいつくそうと肉薄してきていたノヴァたちが、それに衝突して勢いを失った。
「怪我はないか?」
「うん、でも皆が……」
「もう助からない。今は自分の安全だけ考えろ」
新たに生まれた死体の山を目視しようとする紲の頭を無理に抑え込む。
そんな物を確認しても恐怖と不安が募るだけだ。怒涛のように押し寄せてくる敵から急いで距離を取る。
一瞬にして何十という人間の命が奪われた。この状況下では、少しの油断も命取りになりかねない。
「でも私が先導して、それで……」
「ここは戦場だ。無数の人間が死ぬ。紲のせいなんかじゃない。それに判断を誤ったのは俺だ」
「でも、どうするの?」
「正直、万事休すだ」
後方から援護してくれていた真那と合流し、キャンパス側から攻めてくるノヴァに応戦する。
いくら弾丸を撃ち込んでもその数が減る気配すらない。それどころか時雨たちの抵抗をあざ笑うように増していく。次々とノヴァが出現しているのだ。
いくら殲滅に励んでも、数分と持たず戦線は瓦解するだろう。そうなれば時雨も紲も、ここにいる全員に生存の選択肢は残されない。
「時雨、さっきの爆発、キャンパスで起きたみたい」
「キャンパス? キャンパスのどこだ?」
「解らないわ。でも、屋上から黒煙が噴き出してる」
真那の言うとおり屋上から火の手が上がっていた。フェンスや壁の至る所が瓦解し形を成していない。一体何が爆発したのか。
「あの爆発、多分爆弾を使ったんだと思うのです」
「爆弾? 人為的な爆破ということか?」
「はい。なんだか、お父様に教えてもらった火薬の爆発の仕方に似ていたので……」
「爆弾、か」
それを使ったのは考えるまでもなく泉澄だ。
その目的が何であるのか定かではないが、このノヴァ襲撃に乗じて何かをしようとしているに違いない。
「リミテッド内部でのノヴァの出現。大虐殺劇……こんなのアイドレーターの筋書き通りだ。他に何をしようというんだ」
ノヴァをフォルストと称し神の遣いと崇めるアイドレーター。それによる虐殺劇。まさに狂った偶像崇拝者たちが考えそうなことだ。
それでもまだ目的は達成されていないのか。
「風間様の目的、それはノヴァの出現で間違いないはずです。そのために、時雨様からセキュリティゲートのパスコードを聞き出した」
「それは分かってる。だがさっきの爆破はなんだ。デルタサイトはもう使い物にならなくなっていた。爆破する必要なんて」
「別に爆破する対象は、デルタサイトに限らないのではないですか?」
「限らないって、だってほかに――――」
何かが引っ掛かる。泉澄の不可解な行動。それは何もセキュリティゲートに関することだけではない。彼女はその前に故障していない循環制御機が故障していると言って時雨に整備させた。
おそらくシエナからの指示という嘘をついてまで。
「循環制御機……?」
悪寒が冷たい感触となって背筋を伝う。
考えてみれば、いや考えてみなくても泉澄はあの給水塔をどうにかしようとしていた。そのために時雨を連れて屋上に出向いたのだ。その目的は何かを聞き出すため。
「その話を聞く限り、この循環制御機が故障したら大変なことになりそうですね」
脳裏に伊澄の言葉が反響する。
「給水が止まったら台場全体が水不足になるな。それにこの汲み上げポンプが故障して制御が効かなくなったら、文字通り循環してる水が一気にここからあふれ出すわけだ」
迂闊にもそう答えた。
「具体的にどう故障したらそういう現象が起きるのですか?」
「おそらくは強化資材を使っているのでしょうが、設置型のリモート爆弾で容易に破壊できるでしょう」
ネイは泉澄に聞こえていないという前提で時雨にそう説明した。結果として詳しく制御機の機構について話し聞かせてしまったわけだ。
リモート爆弾。汲み上げポンプの故障。それによる循環水の漏水。これが指し示すこと。そんなもの考えるまでもない。
「循環制御機の破壊……それによる――――水害だ」
そうとしか考えられない。
「まずい、制御機が破壊される前に止めないと」
「ど、どこに行くのです?」
「屋上だ」
何はともあれ今は屋上に向かったほうがよさそうだ。
水害がアイドレーターの目的だとしてその末に何をしようとしているのだとしても。まともなことでないことだけは確かなのだから。手遅れになる前に制御機に辿り着かなければならない。
紲を一人にするわけにも行かずその手を掴んで駆け出す。
「でも水害なんて……そんなことして何があるというの?」
「たしかあの循環制御機は台場一帯の水の供給を担ってるって話だったよな」
真那の疑念。自己解釈を以って解消しながらキャンパス内に駆け戻り階段を駆け上がる。
「はい。高台にあるこのキャンパスで制御し、直接地下ダムから水を組み上げています。結果としてダムの水が枯渇しない限りは無限に供給できるシステムですね」
「それって……」
「逆を言えば、汲み上げポンプが破壊されればその無限ともいえる水が際限なく溢れ出すということです」
「そんな……そんなことになったらこのキャンパス、ううん台場メガフロートが水没しちゃう」
「それだけならいい。それだけなら。だがたぶんそれ以外に何かある。アイドレーターの目的。水没以外の何か……」
水害が一体アイドレーターの行動にどう影響するというのか。
「皆、用心してくれ」
屋上に出る扉。そこの前でアナライザーを手に皆に目配せをする。敵がその場にいるかもしれないからだ。
「……まさか」
「どうした?」
扉を開けようとしたとき何かに感づいたように、ネイがはっと息を漏らす。
「まずいです、すぐに屋上に出てください!」
「なん」
「循環制御機の爆破を止めてください。このままでは被害が更なるレベルに……!」
再度、爆音が轟く。
「くっ……またか!」
手をかけていた重厚な扉が激しく振動し思わず膝をつく。連鎖的に屋上のコンクリが吹き飛ぶ衝撃が扉越しに伝わってきた。そして同時にコンクリ以外の何かが誘爆する。
扉を開け屋上に転がり出る。循環制御機が木端微塵に吹き飛んでいた。
「間に、あわない……ッ!」
刹那、大地が唸るような地響きが鳴り出す。小刻みにアスファルトが揺れ、屋上から尋常ならざる水流があふれ出した。
間欠泉のように多量の水が噴き出しそのまま一斉にキャンパスに降り注いだ。
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