第57話
「施設の外部にTRINITYを発見した。狙撃体勢に入ってる!」
「嘘、だろ……」
唯奈の切羽詰まった声に狼狽を隠せないながらもインターフィアを発動し施設外を伺いみる。分厚い壁に阻まれていて不明瞭ではあるものの、確かに無数のU.I.F.の反応が観測できる。
「発射までもうほとんど時間がない、早く逃げて!」
「だが包囲されてるッ! どうやって、」
「そのための地下通路だ! 早く行け!」
「皇はどうするんだ?」
「俺にはやらなければならないことがある。すぐに向かう、烏川は先に行け!」
棗はそう言って指示を止める。インカムからは彼が走る音が聞こえた。
唯奈からの情報では外部には狙撃手がいるという。十中八九立華紫苑だろう。彼女が狙撃体勢を取っているということは外に逃げるのは得策ではない。
「凛音、聞こえるか。今すぐそこから逃げろ」
「わ、分かったのだ」
人混みから紲の手首を掴んだ凛音が飛び出すのが見えた。凛音に守られている以上、絆は比較的安泰だといえるだろう。だがしかしこの状況下、確実に安全な場所など存在しない。
船坂がホール奥の扉をあけ放つ。あそこが脱出経路か。
「時雨様、鎖世様がまだ残っています」
「っ、燎、今すぐそこから逃げろ!」
周囲の人間たちの目線を憚らず大声を張り上げた。
観客たちの視線が殺到する中、鎖世もまた時雨のことを見つめる。ちょうど間奏部だったのか彼女は歌っていない。
それゆえに時雨の言っていることも聞き取れていただろうが、その場所から降りようとしなかった。
「何してるッ、早く逃げろ!」
「…………」
「この会場は危険だ、今すぐ逃げないと――――」
「知ってる」
はっとして鎖世の耳を見やる。そこにはインカムが接続されていた。事前に渡していたものである。それを聞いてデルタボルトのこともすでに把握していたのか。
「それなら状況も正確に把握できているだろ、早く逃げろッ」
「……時雨」
「こんな場所にいたら、死んじまうぞ!」
「…………」
「いますぐ船坂のいる場所に――――」
「時雨……うるさい」
振り返った鎖世の目に動揺の色はない。普段通りの眼差しながら、どこか鋭利さを感じさせる眼光で時雨を射抜く。
「ここは私のステージよ」
「いまはそんなこと、」
「そんなことじゃない。このステージは、この歌は私の全て」
「そうは言っても……」
「この歌を途中でやめたら、私はこの世界の
時雨の返答になど聞き味すらたてず、彼女は時雨から目線を逸らす。そのまま再びマイクにその美声を轟かせ始めた。
「……烏川時雨、早くそこから離脱しなさい」
「だが燎が」
「それでいい」
「は……? おい柊、何言ってんだ? 分かってるのか? ここに残ったら確実に燎は死ぬぞ」
「解ってないのはアンタの方。燎鎖世はアンタを逃がすためにここに留まろうとしてんのよ。デルタボルト発射のタイミングはNEXUSの曲のラストと同時。これがどういう意味なのか分かるでしょ」
「そんな……」
その意味は明白だ。鎖世が歌い終わると同時、デルタボルトは弾頭を発射する。つまり彼女が歌を途中でやめた場合、それこそが時雨たちの最期だ。
「時雨様、逃げてください」
「だが燎が……」
「それが鎖世様の意思なのです」
「っ、待ってくれ、前みたいに指向性マイクロ特殊弾で抹消すれば」
「前回成功したのはほぼ奇跡ですし、今回も被害を抑えられる保証はありません。何より外では立華紫苑が狙撃体勢を取っています。時雨様が弾頭を破壊することをみすみす見逃したりはしないでしょう」
ネイの言う通りだ。それでも鎖世を残して逃げることなんて出来るのか。
為す術もなくただ
「あなたが私の名前を出した。その意味は分かる。この不詮衡な世界で私の役割が詮衡されたということ」
「私の意思は変わらない。この世界の詮衡を保つためなら私は動くわ」
もしかしたらこの時点で彼女はこういう事態も想定していたのかもしれない。彼女には自らの命をなげうつだけの覚悟があった。だのに時雨は鎖世に背を向けることしか出来ない。
「この会場は軍事的組織に狙われている! 今すぐ逃げるんだ!」
船坂が民間人たちを誘導していた。レジスタンスには全く関係のない人間たち。
船坂は勇敢にも罪なき命を救おうとしているのだ。ラグノス計画の無慈悲な非人道な死の鉄槌を前に少しも臆さない。
「確かに私はあなたたちの味方ではないと言った。でも詮衡された役割があるなら、私はあなたたちの軌道から逸れるつもりはないもの」
頭の中で彼女の言葉が反響する。自分の役割がそこまで大事なのか?
その志は正しい。嘘と
でもそれで自分が死んでしまったら、意味がないじゃないか。
「烏川時雨、早く」
「ふざけるな」
「……?」
「レジスタンスは罪なき市民の味方だろ。誰かを見殺しにして生きるなんて出来るかよ」
「ま、まちなさ―――」
唯奈の制止も聞かず時雨は踵を返した。
既にホールには人がほとんどいない。数名倒れ伏している者がいるがそれらを助けている余裕はなかった。それらの屍を、いな屍に成り果てていくであろう者達を踏み越え壇上に乗り上がる。
「燎、逃げるぞ」
鎖世の手首を掴み彼女が抵抗する間も与えずに、そのまま駆け出す。
「何するの……? 離して」
「お前がどういう価値観もってるかは知らないが、友人をみすみす死なせられるか」
「…………」
身勝手な時雨の価値観の押し付けに対し彼女は何も答えなかった。その代わりにインカムから非難の声が飛び交う。
「ああもうバカ! アンタのせいでメチャクチャよ!」
「デルタボルトの発射もすぐに行われるだろう……仕方ない、オペレーション・バラージ、第二フェーズに移行する」
第二フェーズだと? そんな予定は聞いていない。もしやこうなる事態を見越していたのか。その疑問を直接言葉にして棗に問いただすよりも早く、彼は矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。
「今すぐ地下に駆け込め!」
「だがまだ民間人が……」
「今すぐだ! 犠牲者を増やしたくなければ早くしろ!」
「……ッ」
そのまま地下へと駆け込む。船坂が避難させたのであろう民間人数十名と、真那たちが待機していた。
「急いで地下通路へと向かえ!」
幸正の誘導に従い脱兎のごとく駆けだした。全員が地下通路に入った瞬間、変化が訪れる。
「……っ!?」
すさまじい横揺れ。施設が崩壊してしまうのではないかと言う振動が爆音とともに生じた。
ガラガラと瓦礫が崩れていく音。地下通路にいた者たち全員がたまらずその場に転倒する。格納庫が崩落する。
「きゃ……っ」
格納庫に瓦礫が落下し衝撃と砂塵が地下通路にまで雪崩れ込んでくる。瓦礫の山が雪崩のようになって迫ってきていた。
「っ、ネイ」
「解っています、セキュリティゲートを閉めます」
アナライザーを開ききっていたセキュリティゲートに向けるとゲートが激しい落下音とともに閉じた。一瞬遅れて瓦礫がゲートにぶち当たる衝撃音が轟き、ゲートがひしゃげる。それで瓦礫の雪崩は収まったようだった。
「予測不能の狙撃を受けた! 救援航空部隊を要請するッ」
「なんだ……? デルタボルトか?」
「何故だ、どうしてこの会場が狙われた! ここに俺たちが潜入しているだなんて保証はなかったはずだ!」
突然の強襲にそれぞれが困惑を隠せずに当惑するものの、今はそんな時間的猶予もなかった。
「今すぐそこから離脱して! 捕捉されてるわ!」
「追撃戦か……走れ!」
外部からの唯奈の指摘。棗に指示され地下通路を駆ける。
船坂たちがこの場に向かうべく用いたのであろう運送車両が停車していたが、それに搭乗して離脱を図るのは危険だった。
地下運搬経路が崩落しない保証はないし、車内に閉じ込められる結果になっては元も子もない。そもそもこの数の民間人を全て載せられる規模ではない。
避難した民間人の中には紲の姿もある。巻き込まれなかったようだ。
「地下通路出口も包囲されてる! 臨戦体勢!」
各々が武器を構えターミナルから地上に飛び出した。降り注ぐ弾雨。無数の弾丸が空間を抉り襲い掛かる。ざっと見積もっても数十人単位のU.I.F.に取り囲まれていた。
「コンタクト! 十時、サブマシンガン! 一個小隊!」
「かなりの数だぞ……!」
「コンタクト、八時、軽機関銃……こっちも小隊!」
「どうしてここまで捕捉されてるんだ!?」
「解らないわっ、でも今はここから離脱しないと……」
「だが、どうやってだッ」
アナライザーを構え実弾でU.I.F.を牽制する。通常弾では拉致があかないため、四の五の言っている余裕などなく、特殊弾で彼らのアーマーを無効化して討伐する。血潮を噴きU.I.F.の数名が倒れふしても、一向に数が減る気配がない。
気が付けば取り囲まれた時雨たちの中にもかなりの犠牲者が存在していた。民間人たちが次々に打ち殺されていくのである。
このままでは紲が危ない。近くにいた和馬に鎖世を任せて紲の場所へと近寄る。
「紲、隠れてろ」
「烏川くんっ!?」
地面に屈みこんでいた紲を引っ張り起こす。だがすぐに脚に力が入らないのかくずおれる。何が何だかわからないという様子だった。
「このままじゃジリ貧だ……!」
物陰に隠れながらも既に民間人のほとんどが殺害されている。このままでは時雨たちも持たない。
「皆伏せて!」
「っ、伏せろ!」
紲の頭を抱え込んで地面に倒れ伏すと新たな弾雨が降り注ぐ。今度は上空からだった。周囲を薙ぎ払うように弾幕が降り注ぐ。
「新手かッ!? さすがにさばき切れねえぞ!」
「いや、あれは……シエナ様!」
「ランディングゾーン到着! 降下します!」
空気をかき乱しながら降下してきたものは巨大な汎用ヘリ。防衛省の機体であることを示すJの字の記されていない海外所属の機体──レジスタンスの救援ヘリである。
「皆様! 早く乗ってください!」
そこから手を伸ばしてきているのはシエナ。風に煽られブロンド髪が激しくたなびいている。
先の船坂の救援要請を受けて、ここまで即座に航行してきたのだろう。牽制射撃もあって、一時的な物であろうがU.I.F.の兵士たちも距離をとっている。
「紲、乗れッ」
「きゃっ……」
地上付近まで降下してきたブラックホークに紲を押し込む形で搭乗させる。和馬が鎖世を同様に押し込むのを確認して他の民間人を探す。数名船坂が乗り込ませた以外、民間人に生存者はいなかった。
「貴様らも早く乗れ!」
U.I.F.達を牽制する幸正に促されるようにして時雨たちも搭乗する。全員が乗り込んだのを確認してシエナがブラックホークを上昇させていく。
機銃を掴んでいるのは見知らぬ隊員だった。軍役が短いのかガトリングのリコイルに耐えられなかったのか、機銃に振り乱されているようだが。
先の射撃もまともに照準を定めたものだとは思えない。流れ弾が時雨たちに当たらなかったのは奇跡といっても過言ではなさそうだ。
「地上部隊を多数確認! 迎撃しろ!」
上昇するブラックホーク目がけて地上のU.I.F.達が次々と発砲してきていた。そんな中で、巨大な筒状の砲塔を抱えている姿がいくつかある。
「RPGだ! 撃ち落とせ!」
ロケットランチャーが火を噴いた。時雨は隊員をどかして機銃にしがみ付き、がむしゃらに弾幕を撒き散らす。下界が爆音とともに炎の海に紛れた。
「次弾装填してるわ!」
「おいおい全部で八機あんぞ……あんなもん撃ち落とせるわけがねえ!」
「っ! 時雨様、棗様! 極力撃ち落としてください! 残りは私が回避します! お兄様!」
「はい!」
シエナの隣で操縦桿を握ったルーナスが機体を急旋回させる。遠心力に吹き飛ばされそうになりながら、時雨は機銃のハンドルをきつく握りしめる。反対側の機銃は棗が掴んでいた。
「RPG部隊、第二射撃発射したわ!」
「撃ち落とせ!」
飛来してくる弾頭のうち四つを時雨と棗が撃ち落とした。残り四つの弾頭はきりもみしながら上昇し機体へと迫ってくる。
「お兄様ッ、右旋回! 仰角35度です!」
「了解しました!」
最大規模の衝撃と共にぐわんとブラックホークが旋回する。複雑な軌道で弧を描き、機体は崩壊してしまうのではないかと不安になるような軋めき音を発しながら弾頭を回避した。
反対側に抜けたはずの弾頭が急旋回する。再び機体へと照準を定めた。
「くっ……レーザー誘導ミサイルだ!」
「LGMですか! もう一度回避します!」
「無理です! この状況で回避すれば、機体が持ちこたえられない!」
「ですが……っ! チャフがあります! 展開します!」
怒涛を上げたシエナ。ブラックホークの下部ハッチから何か無数の金属が落下した。それらは飛来してきていた弾頭に雨のように降り注ぎ空中で爆発させる。
その爆風の合間から次いで四発の砲弾が飛び出してきた。
「時間差で撃ってきたのか! 烏川、皇! 撃ち落とせ!」
迫ってくる砲弾に向けて再度、弾薬をばら蒔く。連鎖的に激しい爆音が響いた。そのうちのひとつの砲弾が突然凄まじい密度の煙幕を放出する。
「! 発煙弾だッ!」
奪われた視界の死角から一発の砲弾が頭をもたげた。
尾のような煙を引きながら飛翔してくる砲弾。それはそのままブラックホークの開け放たれたドアへと接近し──。
「まずいっ、着弾────」
「どいて!」
着弾する直前に爆ぜた。時雨を押しのけた真那がアサルトライフルを機外に向けて掲げている。がむしゃらにフルバーストして撃ち落としたのだ。
「離脱します! 捕まってください!」
シエナの言葉と共に機体が急上昇していく。既にロケットランチャーでも捕捉できない標高にまで達していた。
「この高さを維持しろ」
「解りました。本拠点へ帰投します」
敵影が存在しないことを確認して安堵感がどっとこみあげてくるのを感じる。
ガトリングから手を離しドアを閉める。そうして椅子へと座り込んだ。立っていることすら出来なくなっていたのだ。
「何が……沢山の人が、死んで……」
だが時雨以上に堪えている人間がいる。言わずもがな紲だ。十数人もの民間人が射殺された光景を目にして、恐怖に飲み込まれそうになっているのだろう。
名前の付けられない疑念と困惑。それに苛まされるように紲は体を抱きすくめる。
「大丈夫か?」
「烏川くん……何が、起きてるの?」
「それは……」
なんと説明したものかと返答に詰まる。ありのままのことを伝えるわけには行かなかった。
「あそこに、お父さんが……残ってたのに」
「言いたくないが、織寧社長はもう……」
「…………」
隠していても後に引くだけだと紲に現実を直視させる。彼女は放心したように何も言わない。ただ体を震わせているだけだ。
時雨はそんな彼女に掛ける言葉を持たない。そんな資格も権利もない。紲たちを巻き込んでしまったのは紛れもない時雨なのだから。
「くそ……何が、どうなっている!」
ブラックホークの内壁を船坂が殴打する。
「なぜ奴らはデルタボルトを使った! 俺たちがあそこにいるという確証もなかったのに……何故だ!」
「どこからか情報が漏れた……? それはないわ。それより考えられるのは……現場にいた誰かが私たちのことを流した可能性」
「だが誰が……っ、織寧社長、か」
はっとしたように船坂が眉根を寄せる。そうして彼は時雨たち以外に生き残っていた二人の男性を見やった。一人は大木のような巨体の初老の男。久々に見た顔だ。もう一人はまだ若い少年だった。
皇太子護衛隊長の酒匂と共にいるということは、彼が現皇太子である東・昴で間違いない。
「そうでしょうね。織寧社長があなた方の所在を流したと考えてよいでしょう」
「だが……織寧社長は棗との商談を呑んだ。そうだろ?」
少年の正体を確かめる前にそう問うた。今は何よりもまず、なぜ計画がここまで読まれていたかを突き止めなければならない。
「最初から契約を呑むつもりはなかった……そういう事でしょう」
そう考えるのが妥当だろう。時雨も棗との商談を終えた社長の姿に違和感があった。なんとなく社長が何かを隠しているような気がしたが。まさかこんな形で発覚するとは。
「おそらく、最初から織寧社長は、佐伯・J・ロバートソンたちと結託していたのでしょう。例の資金繰りの一件を呑む条件として、私たちが今回会場に来る際のレクリエーションも済んでいた」
レジスタンスを油断させるためにわざと契約を呑んだふりをしたわけだ。
「ですが織寧社長も、どうやら佐伯・J・ロバートソンに利用されていたにすぎないようですね」
「デルタボルトの使用はきっと社長には伏せていたのでしょうね。武装兵が私たちを取り押さえる……それくらいのことしか話されていなかったのでしょう」
「だが、まさかデルタボルトを撃ち込んでくるなんて……」
あそこには何百人と言う民間人がいた。重役たちは避難していたようだが、それでも百何十人と言う民間人が取り残されていたのに……。
「ですが皇棗様。あなたもどうやら、最初からすべて読んでいたようですね」
突拍子もない昴の言葉に一瞬解釈しかねる。
「あなたは、織寧社長が契約を呑まないこともあなた方の存在を流すことも、分かっていた……そうではありませんか?」
「…………」
「おいそれ、どういう意味だ」
何も言わない棗に詰め寄る。思わぬ話だった。
「それは……」
「! 皆様!」
だが彼が何かを言う前にシエナの声が響く。幸正が駆け寄ると、シエナが切羽詰まった声を出した。
「機影を確認しました。後方0.5マイルを維持し当機を追跡しています!」
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