第45話

 放課後、実際に時雨たちは郊外へと赴いた。校舎から出ると後方には巨大な第三統合学院がとん挫しているのが見える。その風貌は圧巻のひとことである種の要塞都市のようにも思えた。

 だがそれだけ巨大なのには理由がある。この学校が小中高大と一貫した段階式の教育機関であるからだ。


「織寧は、この学園への入学が決定したのはいつなんだ」

「私は一応高校からのエスカレートかな。勿論この校舎は最近建築されたから港区の別の校舎似通っていたんだけど」


 リミテッド自体が建造されたのはナノマシンであるノヴァが世界に蔓延するよりも前だ。2052年初頭辺りと言うことになる。

 その頃は時雨もまだ防衛省にすら属していなかった。孤児院と言う名目の救済自衛寮、目的不鮮明な行き場のない子供たちを隔離する施設。

 そこで真那と一緒に暮らしていたころだ。まあ真那は孤児ではなかったわけではあるが。


「この学園が、防衛省とかレジスタンスとか紛争に巻き込まれたことはあったか?」


 現在進行形でアイドレーターの手が及んでいるかもしれない第三統合学院。この学校のセキュリティに問題があるのかと探りを入れる。

 脈略のないその質問に紲は当然のように顔をしかめてみせた。


「どういう意味?」

「ちょっとした知的好奇心だ。最近世の中物騒になってきたからな」

「うーん、私の知る中では、そういうことは特になかったかなぁ。なんといっても、スファナルージュ・コーポレーションは、織寧重工ほどではないけど軍事産業にも進出してる。それなりのセキュリティ体制を築いているから、校舎自体も結構厳重な警備態勢で守られてるし」


 なるほど、要塞都市と言う印象もあながち間違いではなかったわけだ。

 もう一度振り返る。この校舎に潜入し学生名簿とのデータを改竄、半端な痕跡を残すこともなく隠蔽しきったアイドレーター。その偶像崇拝連中の軍事影響力はどれほどのものであるのか。

 そもそも連中の目的が不鮮明である以上は過剰な考察も無意味なのだが。倉嶋禍殃が何を考えてアイドレーターなんてものを結集したのかも解らないのに。


「そういえば屋上にも、軍用ヘリ専用のヘリポートがあったな」

「屋上?」


 訝しげに紲が顔を覗き込んでくる。


「ああ、屋上に上がると、大型汎用ヘリ用のヘリポートがある。さすがにヘリに格納庫はなかったが。普通の学校には似つかわしくないよな」

「この校舎の屋上につながる手段って、確か階段を上がった部分のセキュリティゲートしかなかったよね。烏川くん、どうやって屋上に行ったの?」


 その返答を聞いてしまったと自分の迂闊さを痛感する。そうだ、屋上に出るための扉にはレベルの低度なセキュリティがかけられていた。サイバーダクトで解除できるレベルであったからおそらくはレベル3かその上位互換だろう。

 そう言えば結局どうやって月瑠が出入りしていたのかいまだにわかっていない。今度聞かないとな。


「まあ、色々あるんだ」

「烏川くん、都合が悪くなるとそればっかだよね」

「有用なあしらい方だろ?」

「それはそうだけど……ちょっと感じ悪いよ」

「あの屋上、給水塔があるだろ。あれは循環制御器で、台場に配給する大量の水はあれで制御しているんだ。だが巨大なだけあって、整備が必要で俺が点検しているんだ」


 振り返ってみてみてももうそこそこ距離が離れたためか屋上は見えない。だがあそこには見上げるほどに巨大な給水塔が鎮座しているはずだ。

 

「給水塔……?」

「給水ラインがこの台場には存在しないから、台場全域にあれから水を送っているんだ。詳しいことは知らないが」


 前にネイに教えられていた知識が役に立った。我ながら即興にしてはなかなかの機転の利いた理由づけだろう。


「それじゃあ、私の家の工場で発電に使ってる水の循環も、あの制御器が管理してるのかな?」

「そういうことになるんじゃないか?」

「仰る通りですね」

「そのとおりらしい」

「?」

「じゃなくて、そうなんだ」

「なんか、烏川くんって時々変だよね」


 ネイを視認することが出来ない紲にとってその印象は普通なのだろうが。今後は少し注意した方がよさそうだ。うっかり自分の正体を感づかれかねない。


「でも、それだけの水を扱う循環制御器が壊れたりしたら、台場が大変なことになりそうだね」

「どういう意味だ?」

「だってそれって凝縮したダムみたいなものなんでしょ? それが壊れて、たまってる水が全部噴き出したりしちゃったら、大変なことになりそうじゃない」


 そう考えると整備どうのと言う話も信憑性があるように思えた。

 台場から港区本島につながるレインボーブリッジを渡るため高架モノレールに搭乗する。

 すでに日は落ち始めリミテッドは茜色に染まり始めていた。赤く染まっていく街並みは美しく、どこか歪だ。鎖世の言う不詮衡な世界。それがこの外観にも表れ始めているのかもしれない。


「というかさ、烏川くん、聞いてもいいかな」


 しばらくして、そんな幻想的な光景に目を落としながら紲がふとそう呟いた。


「なんだ」

「烏川くんって、本当にただの編入生なの?」

「……どういう意味だ?」

「だって先週、烏川くんたちがこの学校に来てから、変な噂が沢山立ってるんだもん」


 聞きなれない話に思わず車窓の外から紲へと目を向ける。彼女はどこか言い辛そうにしながら見返してきた。


「烏川くんたちが、何かの組織の人間なんじゃないかって、噂だよ」

「どういう、意味だ?」


 心臓が爆ぜそうになるのをぐっとこらえて平然を装う。


「前も言ったよね。凛音ちゃんが学生の目を欺くおとりで、烏川くんたちは諜報員なんじゃないかって。それ、この間は言わなかったけど、本当は根拠のある噂なんだよ」

「意味って、なんだ」

「これは又聞きしたことだけど、最近無断欠席してる学生が多くなってる。その数は異常なほどみたい。あんまり公にはされてないけど、学生寮にその学生たちの姿がないんだって」

「待て、何の話だ?」

「そういう噂もあるってこと。学生たちが沢山、先週から失踪してるって噂なの」

「なんだそれ」


 そんな話聞いていないぞ。さりげなくビジュアライザーを二回小突く。ネイに対する合図。


「棗様からの定期更新資料にもそのような供述はありませんね。すこし、学生名簿の方を探ってみます」

「時期が重なってるから、烏川くんたちが誘拐してるんじゃないかとか、そんな根も葉もない噂がね。その、皆してるんだよ」

「そういうことか。だから織寧は俺に探りを入れてきたわけだな」

「ううん、違う違う! そういうわけじゃないよ!」


 焦慮したのか紲は弾かれたように両の手のひらを大げさに振ってみせる。


「そんな噂は、根も葉もないって言ったでしょ。私は烏川くんたちがそんなことをする人たちだと思わない。だって、烏川くん、軍役志望だって言ってたもん。リミテッドのために頑張ろうって思える人に、悪い人なんていないよ」


 矢継ぎ早にそう言って見せた紲の表情は嘘をついている人間の顔ではない。おそらく本音からそう言ったのだろう。どこまでも純粋な彼女に時雨は罪悪感ばかりが煮えたぎるのを感じる。

 実際問題時雨はそのような善意で動いているわけではない。リミテッドを悪の手から解放しようと動いているのは間違いないが、外面的に見ればレジスタンスはこの世界に悪の火種を振りまく害虫に他ならないのだから。


「なんか、ごめんね」


 なんとなく気まずく思いながら無言でモノレールの座椅子に腰かけていた。

 まったく彼女は時雨を疑っていないわけではあるまい。だがその心は信用しようと揺れているわけだ。それを考えると彼女に迂闊に声をかけられなかった。


「心境ご察ししますが、時雨様。名簿の確認が完了いたしました。何も仰らなくて結構です。紲様に不審がられますので。それで、名簿と学生全体の出席率を参照したところ、確かに紲様の仰る通りの結果が出ました」


 と言うことは学生が大人数欠席しているということか。


「この高校の在校学生人数は、大凡千人です。ですが、確かにここ数週間のうちに、出席している学生が激減しています」

「それって本当に私たちの編入と同時期からなの?」


 インカムから真那の声が響く。どうやら会話を無線越しに聞いていたらしい。


「確かに大きく欠席率が増加しているのは先週の火曜日からです。ですがその兆しは先々週辺りから確認されています。9月の26日からですね」

「26って、日曜日じゃない?」

「はい、私が算出した出席率と言うのは、明確には学校への通学人数ではなく、学生寮に置いてある生体識別センサーの割り出した値です」


 と言うことは実際に失踪している学生の人数と踏んで間違いあるまい。


「学生寮を使っている学生だけではないので具体的な数は多少の誤差はありますが、先週の時点で、既に80人近い学生が失踪しています」

「80って……相当な数」

「さらに、昨日一昨日の二日間で、さらに30人近くが確認できなくなりました。これは明らかに、何者かの手が及んでいると考えて間違いありません」

「俺たちが疑われても仕方ないわな。で、その何者かってのは? 防衛省か? それともアイドレーターか?」


 和馬が会話に参入する。

 しかしなかなかに興味深い話だ。これがただの学生たちのうわさに過ぎないのならば特に気にも留めなかったが。実際に失踪しているとなればその考えも改めなければならない。


「前者の可能性は極めて低いでしょう」

「確かに前に廃工場にホームレスを隔離する実験があったわ。でもそれは、防衛省の非合法なナノマシンを用いた実験に彼らが選ばれたから。彼らだったのは、彼らがホームレスであって身寄りのない行き場のない人間たちだったから。……少なくとも、普通の学生をその実験の材料にするとは思えないわ」

「仰る通りです。それらの状況を鑑みても、アイドレーターの手が加わっていると考えて間違いないでしょう」

「目的は、なんだ?」

「倉嶋禍殃は、インターネットに配信された例の動画で学生をアイドレーターに引き入れるような犯行予告をしてたわ」

「ってことは、学生たちを勧誘したってのか? だがそんな得体のしれないアブナイ組織に、それだけの学生が賛同するとは思えねえけどな。そもそも、そんな大胆な勧誘してたら、アイドレーターの存在が校内に広まっていてもおかしくねえ」


 その通りである。少なくとも時雨たちは校内を巡回して何かしらの動きがないか見張っていたのだ。しらみ潰しとは言えねども、そのような行動があれば流石に発覚していてもおかしくなかった。

 それがなかったということは、局員が直接学生たちに接触しているということはなさそうだ。


「どうやら私たちはちょっとした見当違いをしていたのかもしれません。現状、何かしらの動きがアイドレーターに見られないからと、何も計画が進行していないのだとたかをくくっていましたが……実際は、そうではないのかもしれません」

「すでに、アイドレーターは行動を始めていた、と言うこと? でも、どうやって……」

「それだけの学生が失踪。しかもそれが学生の任意でないと考えるのが妥当。つまり誘拐ですね。だのに、私たちはそれに気が付くことが出来ませんでした。あまつさえ、私たちよりも先に、学生たちがその失踪を噂し始めました」


 そこから考えるとこの失踪はひどく慢性的なものと解釈できる。それなのに着実に多数の学生が消えている。この事実から考えられる可能性としては……、


「俺たちの監視の届かない場所、つまり、」

「校外……多分学生寮における、犯行ってことね」


 その可能性には一切目を向けていなかった。アイドレーターの活動は活発ではないのだと。まだ何も動いてはいないのだとそうたかをくくっていたのだ。


「そういえば……葛葉美鈴くずはみれい、今日学校に来てなかったな」

「え?」

「あ、いや、なんでもない」


 思わず口に出したその言葉に当然紲が反応する。慌てて目を閉じて素知らぬ顔を浮かべた。


「葛葉美鈴、欠席と言うことになっているわ。でもこの話を聞いた後だと何か怪しい」

「一枚噛んでそうだな……そういや、常にゼミの学生を観察してたが、その葛葉美鈴ってやつを見たことがねえな」

「学生たちが失踪し始めた当初から葛葉美鈴が無断欠席していた場合、彼女がアイドレーター局員である可能性がかなり高いですね」

「俺たちは今、柊と、風間泉澄の追跡をしてるが……どうする? 葛葉美鈴の調査に徹するか?」

「いえ、今は風間泉澄の追跡に専念すべきね。何の対応策もなしに、葛葉美鈴の学生寮に行くのは危険すぎるわ。まずは棗たちと連絡を取ったほうがよさそうね」

「それが得策ですね。今夜の会合を機に、今後の身の振り方を考えるべきです」


 そこで彼女たちの作戦会議は終了する。まさか水面下で既にこれだけの動きがあったとは。これは間違いなくレジスタンスの失策だろう。


「これは、早急に動く必要がありますね」

「…………」

「失踪している学生たちがどうなっているのかは皆目見当が付きません。殺害されているのか、どこかに拘禁されているのか……それにそれだけではありません。すでに三桁に及ぶ数の学生が失踪しています。この時点でも学生たちの噂はかなりの規模になっていることでしょう。今後も失踪事件が続けば、その噂は核心へと変貌を遂げます。そうなれば、何かしらの変化が起きてしまう」


 変化。抽象的な言葉だったがネイが言わんとしていることはたやすく想像できる。

 失踪する学生たち。その波に自分もまた呑まれてしまうのではないかと言う取り留めのない恐怖に皆駆られ始めるはずだ。

 現に、今巷は、アイドレーターという狂信偶像崇拝組織の話題で持ちきりだ。もし校舎内にその局員が潜んでいるということが知れたら、学生たちに寄ってパンデミックが起こされかねない。

 そうなればアイドレーターの思うつぼだろう。その紛争に乗じて彼らが何を仕掛けてくるか分かったものではない。


「そろそろ、つくね」


 紲がそういうのにはっとして車窓の外の光景に目を落とす。さらに緋らんだ世界。そこに広がる光景は台場の工業地帯じみたものではない。どことなく懐かしさを感じさせる港区本島の光景だ。

 地平線の中央にはひときわ巨大な建築物が鎮座している。旧東京タワーだ。


「そういえば、旧東京タワーって、周囲に何もないよな」


 聳え立つ巨大な電波塔。そこはレジスタンスのリミテッド最大の拠点であるわけだが、初めてそのことに気が付いた。

 リミテッドは余すことなく全域に無数の高層建造物が経っているが、旧東京タワーの周囲に関してはそうではない。半径数百メートル範囲にわたって使われていない建築物が並んでいる。


「烏川くんって、結構疎いところあるんだね」

「え?」

「だって烏川くんって港区郊外の学校から編入してきたんだよね。それにしてはリミテッドについて結構疎いところ多いなって」


 紲はどこかおかしそうにふふっと笑う。

 まあそう思うのも当然だろう。日本国内における生存者の大多数はリミテッド建国後イモーバブルゲートの外になど出たことすらないのだ。

 外の世界で生きている人間それ即ちレジスタンスを指すのだから。つまりこの世界で生きる人間たちは東京23区のみで生きている。

 総面積621平方キロメートル。総人口720万人。

 酷く限られた領域でそれだけの人間が生きていれば、嫌でもこの狭い世界について人は詳しくなる。だから時雨ほどこの区画における常識に疎い人間は逆に目立つのだ。

 だがどうして言えようか。今やその領域の外に位置する人間なのだと。まあもともとはレッドシェルターと言う更に狭い世界の中で生きてきたのだが。


「……筋金入りのバカな物で」


 だから言葉を濁す。本当のことなんて言えるはずもないから。


「えっとね、旧東京タワーは今、防衛省の管轄下にあるんだよ。ってこれは知ってるかな」


 もちろん知っている。ある種の東京の象徴たる建築物として数十年間あの電波塔は保管されてきたのだ。

 タワーから百メートル地点には何者の侵入も許さない赤外線センサーが張り廻っている。タワーを囲う形でだ。

 そこは高レベル立ち入り禁止区域に指定されていて、無断でそのセンサーを越えようとすれば、セントリーガンで針のむしろにされる。

 だがあそこまで人の手が及んでいないものとは思っていなかった。通常地下通路を経由して内部に赴いていたため知らないことは当然といえば当然なのだが。


「だからリミテッド建造時点で、周辺区域に住んでいた住民は皆避難したんだ。立ち退き令が出されたけど、でもそれがなくてもみんな立ち退いただろうね。だって、誤って中に入って殺されたくはないもん」

「しかし今考えてみると、どうして防衛省は、旧東京タワーを取り壊さずに残しているんだろうな」

「どういう意味?」


 彼女が不思議そうに問うてくるのに答えようとしてそこでモノレールが停車する。港区に足を下ろし、シエナにどこで待ち合わせるかと言う旨のメッセージを飛ばし、ひとまずレッドシェルターに向かうことにする。


「東京の象徴というのは解るが、23区はエリア・リミテッドという形でいろいろ変わってしまっている。ただえさえ人類の生存領域が制限されているのに、広大な無駄な空間を維持する理由が解らない」


 勿論、レジスタンスからしてみれば絶好の隠れ蓑なのだが。だが防衛省があんな場所を温存している理由が解らない。

 土地が足りずに、最大の工業地帯たる台場フロートの規模を縮小して教育機関に割り当てるくらいの困窮状態なのだ。数百世帯が居住できるほどの領域を立ち入り禁止区域にしているするなど、正気の沙汰ではない。


「烏川くん、東京都都市化計画ってしってる?」

「もちろん知っている」


 東京都都市化計画と言えば、それ即ちリミテッド建造のことを意味する。公には諸国の核兵器実験に対応しての23区独立政策だったか。

 まあノヴァの襲来に時期が重なっていることを鑑みても、その対処法として防衛省がイモーバブルゲートを作ったに過ぎないのだろうが。


「イモーバブルゲートの高周波レーザーウォールによる、ノヴァウィルス侵入の阻害だ」

「それもなんだけど、旧東京タワーのことも関係してるみたいだよ」

「関係?」

「旧東京タワーはある種の文化遺産的な位置づけになってるけど、でも次期都市開発の先駆けでもあるみたい」

「先駆け? 次期都市開発? 一体何を言ってる」

 

 聞いたことのない話だ。

 

「次期都市開発っていうのはリミテッドの拡大を目的とした政策だよ。2053年夏に、防衛省がマスメディアを介してリミテッド全域に報道したの」

「拡大とはどういうことだ? 物質的に規模を拡張するのか? だがあの数百メートル圏内に、規模も何もないだろ」

「ううん、そういうことじゃなくてね。東京タワーを中心にした地下の世界を建造するみたい」

「地下の、世界……?」


 一体何の話だ。リミテッドの地下にもう一つ人類の生存できる世界を建造しようとでもいうのか。


「でもね、都市開発の過程で、エリア・リミテッドの地下にその空間を作るのが難しいってことが解ったの」

「地盤の問題か」

「うん。リミテッド建築以前に使っていた運搬用地下通路があって、それが邪魔になってるみたい。塞き止め工事も推進していたんだけど、地下空間を維持できる強度にするのは難しかったんだって」

「それで……どうなったんだ?」

「次期都市開発計画は白紙になったよ。地下世界の建造もなくなった。今は地下空間が中途半端に作られた状態で放置されてるんじゃないかな」

「なるほどな……だから、あの区画は隔離されているわけか。地盤の問題でいつ陥落するかもわからない場所に、建造物を建てるわけにもいかないわけか」

「もちろん陥落しないように、ちゃんと補強はしたみたいなんだけどね」


 つまり東京タワーの地下には巨大な空間が存在しているということか。そんな話聞いたこともなかったが、マスメディアで報道されたということは本当なのだろう。

 このことを棗たちは理解しているのか。いやしていないわけがない。仮にもレジスタンスの本拠点なのだから。むしろそれを理解したうえで、今後何者の手も加わらないことを見越して拠点にしたのかもしれない。


「時雨様、シエナ様からの着信です」

「繋いでくれ」

「……あ、時雨様ですか? 返事が遅くなって申し訳ありません」


 ビジュアライザー上にホログラム液晶が点灯する。そこに移ったシエナの顔は申し訳なさそうに歪んでいた。


「C.C.Rionの製造工場に今いるのですが、少々立て込んでいまして……もうしばらく時間を要しそうなのです」

「それは大丈夫だが……どれくらいかかるんだ」

「一時間もあれば終わると思いますが、申し訳ありませんがお待ちいただけますか?」

「織寧、大丈夫か?」

「うん、全然大丈夫」

「申し訳ありません……それではしばらく暇させていただきます。終了次第、すぐに連絡を入れさせていただきますので」

「シエナ様、あのような愚鈍な害虫に対し、謝辞を述べる必要など――――」


 そこで回線が遮断された。シエナがブチったのだろう。彼女の叱責にルーナスが犬のようにへこむ姿が瞼の裏に浮かぶ。


「と言うわけで、どうしようか」

「手持ち無沙汰になっちゃったね」


 困ったように苦笑する紲。

 彼女を近隣のシトラシアに連れて行こうとしてやめる。内部に入ったところで間が持たないことは明白だ。気まずくなるのは慣れているが、そうなるのが解っていてその道を選ぶのは得策ではあるまい。


「時間までとりあえず、各々……」

「この甲斐性なし時雨野郎様。何ちゃっかり別行動しようとしてんですか。もう夜分遅いのに、こんな危険な時世女子大生を一人で出歩かせるつもりですか」

「いや逆に、この時世、そんな無謀なことする奴の方が少ないと思うが」


 警備アンドロイドには銃殺権限がある。プログラムされた犯罪レベルに達していた場合、余儀なく発砲されるのだ。そんな危険を冒す奴はそういないだろう。


「解ってないですねえ、愚鈍な時雨様。JDですよJD! 現役女子大生! しかも生制服! その程度の危険を冒してでも、いえ、おかしたくなるのは当然ではありませんか!」

「そのおかすという言葉が違う意味合いなのは分かったが、その考え方は全く理解不能だ」

「ごちゃごちゃうるさいです。先ほど、紲様がどこかに行く予定だったと申されていたではありませんか。それに同伴してください」

「……はぁ、分かったよ」

「烏川くん、さっきから何ぶつぶつ言ってるの?」


 痛いものを見る目で見つめられる。きっと独り言の多い奴だと思われているのだろうな。


「別行動はなしだ。さっき織寧、どこかに行く予定があるって言っていたが、どこなんだ?」

「あ、えっと……」


 同伴の申し出をしようと考えたのだが彼女は不意に顔を曇らせる。何か聞いてはいけないことだったのか。


「ああ、だから地雷は踏むなとあれほど……」

「そんなことを言われた記憶はないし、そもそもこう聞けと言ったのはお前だ」

「ほんと、大丈夫……?」


 その後に『頭』と入るのは間違いない。


「ああ、で、どうなんだ?」

「えっと……病院なんだけど、興味ある?」

「いや、興味あるかないかは置いといて、流石に他人のそういう事情に首を突っ込むほど馬鹿ではない。聞いて悪かった」

「時雨様、私は非常に気になります。同伴してください」

「お前な、さすがにここは引くしかないだろ」

「……烏川くん、ついてきた方がいいかも」


 だからそんな病人を見るような目で見るな。


「うーん……うん、そうだね」

「なんだ?」

「個人的に、ちょっと烏川くんに見てほしいものがあるの」

「見てほしいもの? その病院関係か?」

「うん、私の近親者が入院してるんだけど、ついてきてくれないかな」


 紲の方からの申し出に判断しかねる。ネイを見やると彼女はしきりに頷いていた。まったく、どこまでも他人のプライバシーにちょっかいを出したがるAIである。

 

「俺はいいが……本当にいいのか」

「うん。烏川くんにはぜひ知っておいてほしいんだ」


 そう応じる彼女の表情は晴れていない。あまり気が進まないのかもしれない。それだのに同伴させるというのはどういうことなのか。

 困惑しつつも、彼女の誘いに乗ることにした。紲との距離を縮めるチャンスかもしれない。タイムリミットである10日の講演会はもう差し迫っている。四の五の言ってはいられない。


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