第42話

「佐伯・J・ロバートソン……!?」


 絞り出した声が震えているのが解った。すぐに時雨たちの下の通路に影が差す。歩んできた人物たちは真下で足を止めた。悪趣味な白衣は見間違えようもなく彼のものだ。


「先日防衛省が提示した見積額では、足りませんかねえ」

「そうは仰いましても……」


 防衛省、化学開発ナノゲノミクス顧問、佐伯・J・ロバートソン。本来レッドシェルターからは一切足を踏み出さない偏屈思考の変人が確かにそこにいた。

 ぞわぞわと冷たい感触が背筋を伝うのを感じる。この男こそがリミテッドを、いやこの世界をメチャクチャにした元凶なのだ。

 世界を破滅に押しやったノヴァ、否ナノマシン。その大量破壊兵器を生み出した組織こそが科学開発班。

 ここ数年で人事異動などが頻繁に起きたため、ナノマシン開発時の局長は彼ではなかったが、何であれ現状でもナノマシンの統制を行っている科学開発班のリーダーであることに変わりはない。


「確かにその見積額で生産費用の捻出はできます。ですが今後の更なる改良と公共費用への運用を考えると……これくらいの額は加算してもらいませんと」


 佐伯と話している人物には見覚えがない。恰幅のいい妙齢の男性でウィンドウの電卓を操作している。電卓に記された数字の額は数百億ほどもあった。


「お父さん」

「あれが、織寧重工グループの社長か」


 顔を見たことはなかったが、なるほどつまり半月後の講演会の主催はあの人物と言うことになる。だがしかし佐伯が何故この場所に来ているというのか。

 防衛省と織寧重工が軍事提携しているという裏付けがある以上、コンタクトがあること自体は何も不思議ではない。

 問題なのは何故佐伯が赴いているのかと言うことだ。引きこもりのように実験ばかり繰り返しレッドシェルターから出たこともないはずのこの男が。

 そもそも化学開発に携わる大研究者である彼なのだ。そんな重要人材を、防衛省長の伊集院純一郎が外部に出させるはずがない。万が一のことが起きて佐伯が死に至れば、実質ノヴァと言う形で暴走するナノマシンを制御する術がなくなるのだから。


「社長、知っているでしょう? 防衛省も、昨年葛城くずしろ財閥の嫡女がなくなったことで資金援助を受けられなくなっているんですよ。こっちもね、そんな額を工面する余裕はありませんで」

「か、勘弁してくださいよ佐伯局長。こっちも慈善事業じゃないんですよ」


 遠慮なく超至近距離から佐伯にねめつけられ社長は尻込みするように言葉を詰まらせる。

 

「考え直してくださいよ、ねぇ社長。防衛省に貢献するということはね、エリア・リミテッドそのものに助力することと同義なんですよ。あなたがそれを拒むということは、つまり反逆の意思があるとして、」

「そ、そんな脅しはききませんよ」


 と言いつつも社長の方は相変わらずかなり狼狽している。

 

「はぁ、あなたもなかなか強情ですねえ……仕方ありませんね、一成、あれを」

「一成……? まさか」


 あいつまで来てるのか? とそう漏らしかけたところで佐伯の脇にもう一人現れた。悪趣味なスーツ姿にさらに全身の毛が逆立つ。まさかこの男までこの場所にいるのだとは。


「呼ばれて飛び出てアダムムムーン」

「そういうつまらないネタをさらに無表情でやると、通夜の空気になりますからやめた方がいいですねぇ」

「それで織寧社長、これを」


 自称アダムの変態TRINITYがビジュアライザーを操作する。ファイルが社長へと送信された。


「これは?」

「新たなる指令書ですよ。佐伯局長からのね」

「佐伯局長……? 何故あなたが? 防衛省長の伊集院純一郎からではないのですか?」


 困惑したように社長は問い詰める。

 たしかに当然の疑問だろう。軍事提携している以上はお互い最高責任者同士で契約しているはずだ。織寧重工グループは当然社長。防衛省は省長の伊集院純一郎で間違いない。


「通常ならばそうですがね。これは私なりの折衷案なんですよ」

「折衷案、ですか?」

「防衛省はあなたに先ほど提示した見積額で契約してもらう必要があるが、織寧重工グループとしては資金が不足している。ですが防衛省にはそれに見合う額を工面する方法がありませんね。ですので……」

「防衛省ではなく、端数額は我々化学開発部署が工面します」

「あなた方がですか? なぜそのような工面を……? あなた方からしては何の得もないと思いますが」


 不審げにそう問い詰める社長。たしかに化学開発部には莫大な資金があると聞いたことがある。新型軍用A.A.の総生産資金、並びに今後の運用資金だって簡単にまかなえるだろう。

 だが佐伯たちがそれを負担する理由が解らない。佐伯とアダムが直接ここに赴いているのを鑑みても何か裏がありそうだ。


「それゆえの、先ほどの新たな指令書ですね」

「どういうことです?」

「そこには、近日中に催される予定の講演会における指令が記されています。おっとまだ開封しないでくださいね。それは、あなたがこの契約をのんだ場合にのみ開封が可能です」

「つまり、あなたは私に契約内容を確認すらせずにこの提案をのめと仰るのですか? そんなバカげた話がありますか」

「とは言え社長、君はそれをのまずにはいられない。何故なら、織寧重工グループは今回の新型A.A.の開発に伴って莫大な資金を費やした。織寧重工はいま資金飢饉に陥っている。当然だね、その資金は防衛省から回収するはずだったんだから。でも、防衛省にはその資金がない」


 少しずつ崩れていく一成の敬語。だがそれを叱責する余裕すら社長にはなかった。

 一成の言う通りである。防衛省とは違ってあくまでも織寧重工は重工会社なのだ。資産家でもなんでもない。金がなければ何もできなくなる。それ故に、織寧重工は見積額に多額の資金の加算を要求した。


「君たちは僕らを顧客だと思ってるかもしれないけど、それは違うさ。君たちが僕らの顧客なのさ」

「それが契約相手に対する態度か! もう構わん! この契約はなかったことにする。すべて白紙だ!」

「それで、いいんですかねぇ?」

「……なんだと?」

「あなた方は、生産資金の回収のために防衛省以外にA.A.を販売しなければいけません。ですが、防衛省以上に資金を提供できる機関があるとお思いで? それ以前にリミテッドには防衛省以外に法的に認められた武力保有団体は存在しませんよ。武力を持つこと自体がイリーガルですからねぇ。あるとしたら、レジスタンスかアイドレーターとか言う偶像崇拝団体ですかね。ですが、あれらの団体と軍事提携することがいかなることであるのか、あなたも解っていますよねぇ? 等しく反逆行為に捉えられますよ」


 機関銃じみた正論の連打に社長は言葉に詰まる。

 結論的に言えば織寧重工は防衛省の契約をのまざるを得ないということだ。それをのまない限り織寧重工は資金の回収が出来ない。織寧重工は既に背水の陣と言うわけだ。


「僕らは君を脅してるわけじゃないよ。むしろ事を荒立てずに解決しようとしてるのさ。君たちが望む額を用意しよう。それに新たな契約内容だって、無理難題じゃないんだからさ」

「……解りました。その契約呑みましょう」

「いいお返事が聞けて満足ですねぇ。では契約ファイルにIDの照会を。……ありがとうございます。協力に感謝いたしますよ、様」

「……っ!」


 織寧は苛立ちを隠せなそうに体を震わせていたものの契約が満了したためか格納庫から出ていく。一成と佐伯もここからすぐに出ていくかと思ったが格納庫の中のA.A.の物色を始めた。


「しかし、こんなガラクタが一台当たり5億とはね。第二次世界大戦期の、鉛玉を吐き出すことしか能のないキャタピラ戦車の方が、まだ有能な気がするよ」

「アイデアは秀逸ですがいろいろと問題が見受けられますね。用いている武装は新世代兵器ですが、それに対し弾薬は一世代前の量産品ですねぇ。通常運用すれば、口径のサイズの違い関係なく、ジャムる可能性があります。……致し方ありません、すべて指向性マイクロ特殊弾を装填できるよう改造しますか」

「そこまでするなら、最初から佐伯局長が開発すればいいじゃないか」

「分かってませんねぇ、一成。最初から、こんな産業廃棄物に期待なんてしてはいませんよ。あくまでも、これはデコイに過ぎないんですよ。デコイに、ねぇ」


 不敵に笑って佐伯は格納庫から姿を消した。一成はそれに疑問そうな顔をするわけでもなく彼の背中を追っていく。

 彼らが消えてからもしばらくの間、時雨は息をひそめていた。万が一彼らがまだどこかに潜んでいる可能性を危惧したのである。


「二人ともこの部屋から離れたみたいね」

「たった今施設外に出ました。時雨様、そこから降りても大丈夫です。と言うよりそろそろ離した方がよろしいのではないですか」

「へ?」

「ん~! ん~!」


 ネイに指摘されてようやく紲を拘束していたことに気が付いた。いつの間にか彼女の口を腕で塞いでいたためか苦しそうに顔を赤くしてもがいている。


「あ、悪い」

「ふぅ……はぁ、窒息するかと思ったよ烏川くん」


 拘束していた腕を離すと彼女は息苦しそうに忙しなく息を吸う。


「大丈夫か」

「うん……それより苦しいよ、ここから降ろしてくれない?」


 そう言えば天井配水管の上に隠れたままだった。腕力だけで彼女を支えているため紲も限界が近いのだろう。彼女をゆっくりと地面におろし自身もまたその場所に着地する。


「もう……なんでいきなり隠れたの?」

「……この場所は本来入ってはいけないところなんだろ」

「でも隠れなくたって……盗み聞きしたみたいで気分悪いよ」


 ましてや自分の家の経済事情に関してとなれば。防衛省に半脅し的に契約を結ばされる姿を見せられたのは、精神的にもかなり来る出来事だったろう。

 

「あの防衛省の二人組、普段からここに来てるのか?」

「ううん、私は見たことはなかったかな……でも、お父さんの態度からして、初対面ではないと思う」

「契約自体は以前から生きていたものだと推察できますね。いえそもそも、新型軍用機が開発された経緯自体が、防衛省との契約に基づいたものだと考えられます。となると、その時点から防衛省と提携していたということになりますね」

「佐伯・J・ロバートソンと山本一成。元から通じてそうな感じはしていたが、裏がありそうだ」

「それ以前に、口ぶりからして、今回の新たな契約と言うものも、即席で用意したものではありませんでしたね」

「社長が最初期の見積もりでは納得しないでごねるって解っていたみたいよね。それでいて、妥協案を提示した感じがしたわ」

「何より、伊集院純一郎には全部内密な契約な感じがしたが、一体アイツら、何を企んでいる」

「烏川くん、さっきから何ぶつぶつ言ってるの?」


 インカム越しに他の者たちと会話していると、何も聞こえない紲はやはり不審そうな顔をした。


「烏川くんは、さっきの二人のこと知ってるの?」

「ああいや……色々あるんだ」

「へぇ、そうなんだ。まあ深くは詮索しないよ」


 気になる様子だったがもう聞かないと決めたらしい。


「悪いんだが、少し一人で見て回ってもいいか。この格納庫」

「うん、いいよいいよ、私は入り口で待ってるから、終わったら声かけてね」


 散々思わせぶりな発言をした時雨に対して彼女は少しの警戒心も見せない。そんな彼女にもうしわけなさを感じつつも、当初の目的を果たすことにした。


「目的の扉は、格納庫の第三整理区画の最奥にありますね。元々ここではアンドロイドの貯蔵をしていたのかもしれませんね。そのサイズならば、地下通路経由で外部に運搬が可能ですので」


 ネイに指示されて向かった先には確かにホログラム地図で確認したものと同じ扉がある。かなり厳重なセキュリティで守られていそうな堅牢な扉だった。


「でも、この扉の施錠を解除したとして、皇は何をするつもりなんだ」

「皆目見当もつきません、と言いたいところですが、だいたい想像はできますね。まあレジスタンスの飼い犬である時雨様は、飼い犬らしく指示を仰いでいればいいのですよ」

「この扉のセキュリティ結構固そうだが、大丈夫か?」

「侮ってもらっては困りますよ時雨様。私は奇跡のハイパーブレイン、自立思考プログラム付きのAIなんですから」


 極小サイズの彼女は腕を捲るそぶりを見せて、サイバーダクトの準備を整えた。


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