童話戦記

太陽 てら

1.幕開け

プロローグ

1-0.それは些細な言い合いで

 童話――

 それは、子供向けの民話、伝説、寓話ぐうわ、創作された物語。


 そんな童話には、世界を代表する二つの童話が存在する。

 グリム童話とアンデルセン童話。


 次男ヤーコプと三男ヴィルヘルムのグリム兄弟と、ハンス・クリスチャン・アンデルセンによって生み出された二つの童話は、瞬く間に世界中を駆け巡り、多くの子供たちの教育や道徳心を培うために今もなお、読まれ続けている。



 ▽


 ――世界を代表する童話作家がこの世を去り、幾万年の月日が流れただろうか。


 笑い声の響き渡るこの場所で、昔懐かしい顔触れが集まり、昔話に花を咲かせていた。


「いやいや懐かしいですねぇ。あの時、ヤーコプとヴィルヘルムが私を尋ねに来てくれた時は本当に嬉しかったんですよ」


 ハンス・クリスチャン・アンデルセン。アンデルセン童話を手掛けた童話作家であり、詩人の男性。

 七〇歳の時に肺癌で亡くなってしまったのだが、今この場にいるアンデルセンは三〇代の若さを保ち、知的に高い雰囲気を併せ持っている。生まれつき色素の薄いアンデルセンの肩まで伸びた髪の色やまつ毛は、薄っすらと金色に輝いている。

 それにうまくマッチングした教会の神父が召している祭服さいふくに身を包み、何やら分厚い本を目の前に置き、談笑に夢中となっている。


「いやぁ、まさかせっかく僕らの家を訪ねてくれたのがアンデルセンだとは思わなかったからな。あの時は大変失礼な態度をしてしまったと今でも反省している」


 グリム兄弟、次男ヤーコプ。グリム童話を手掛けた兄弟のひとり。ベルリンで七八歳の頃亡くなっているが、今の見た目はアンデルセンと同じく三〇代。嵯峨鼠さがねずの髪は腰まで長く、耳の後ろでひとまとめに結んでいる。一六五センチの男性の平均身長よりも低く中性的な顔立ちで、女性のようなしなやかさをもっている。

 すべてを包み込んでしまいそうなほど真っ黒なパンツスーツを着て、足を組んでワインの味を堪能している。


「アンデルセン、あの時は申し訳なかったよ。兄のヤーコプは人と会話をするのがとても苦手だったからね」


 グリム兄弟、三男ヴィルヘルム。グリム童話を手掛けた兄弟のひとり。ベルリンで七三歳の頃亡くなっているが、今の姿は他の二人と同じくらいの年代であろうか。ヤーコプよりも長身一八五センチで大柄な体型。短髪の嵯峨鼠さがねずの髪は、全体的に後ろに向かって流れるように整えられており、それを支えるように前髪部分に眼鏡を差し込んでいる。

 その体格とギャップのある優しい笑顔。ヤーコプと違い、上下ともに白のスーツを着ており、体格や筋肉のつき方からかパツッと生地が伸びている。



 ここは、何もない真っ白な不思議な空間。


 ドイツの街並みを堪能できる洒落たレストランにいるわけでもなく、デンマークの首都コペンハーゲンで世界一に輝いたレストランでワインを味わっているわけではなく、そこは壁のない無限の空間。他の色はない、ただ白いだけの場所。


 そこにひとつの高貴なテーブルに三つの椅子。

 それぞれの椅子に三人の同志が腰かけ、昔話に花開かせている。


「いやぁ、またこうやって巡り合えるなんて、運命とは分からないものですね。お二人兄弟は本当に兄弟思い、家族思いで見習うことばかりでしたよ」

「僕たちがも、こうやって仲良く交流していたしな。いや、それはアンデルセンも同じじゃないか? 弟のヴィルヘルムの体が弱く、よく入院していた時も見舞いに来てくれたじゃないか。本当に優しいお人だ」

「本当にありがとう、アンデルセン。そう考えると、僕たちの出会いと関係は本当に最高の物だったよね」


 三人は、手に持ったワイングラスを掲げると、お互いの目を見合わせ、再会の喜びを噛みしめるように乾杯をした。


「しかしお互いの童話、今もなお世界中に浸透しておりますな」

「そうだな。本当はあまり子供に向けられた内容でないものもあったんだが、子供たちに読ませるためにどんどん改良されていった」

「そうだね。兄さんでもさ、改良してでも子供たちに読んでほしいと思ったんじゃないかな。それだけと比べて深い内容が込められていたことに気付いてくれたということなんだと思うよ」


 ヴィルヘルムは何やら得意げに自分らの童話を自讃し、しれっとアンデルセンの童話よりも優れていると蔑んだ。


 アンデルセンはその言葉に、眉毛をぴくっと動かした。ワインがほとんど入っていないグラスをテーブルに置くと、肘をテーブルに乗せ、前のめりになる。


「いや、私のアンデルセン童話も、未だに非常に高い評価を頂いていましてね。すべての絵本の原点となる作品だとか、児童文学の最高峰の作品だとか」

「へぇ。僕たちの作品も、聖書に並ぶほど読まれているとか、多くの芸術家に影響を与えているとか、かなりの影響を与えているよ」


 アンデルセンの言葉に、ヤーコプは反射的に、そして衝動的に『僕らの方がすごいぞ』と言葉を被せてきた。


「お言葉ですがグリム童話は、『本当は怖い』とか言われ、だんだん恐れられているではありませんか。二人の傑作がこうも大きく、方向転換されてしまうとは。悲しくもツラい現実ですなぁ」


 アンデルセンは腕を組むと「ぶふっ」と笑いを堪えきれずに吹き出した。そんなアンデルセンの挑発の言葉に、ヴィルヘルムは悔しそうに眉をしかめるとテーブルを叩き立ち上がる。


「何を言っているんだい、アンデルセン。あなたの作品は国によって、評価の差が激しすぎる。国々の共通の文化にそぐわない内容じゃないか。それに比べグリム童話は、常に安定した評価を幅広く得ているという事実があるんだよ」


 その言葉を受けて、額の血管が盛り上がったアンデルセンもテーブルを叩き立ち上がる。


「たしかに差が激しいのかもしれませんが、そもそもあなた方の童話は、話がグロテスクすぎてイギリス占領軍に取り上げられるだけではなく、出版禁止命令まで出ていたじゃないですか! それなのにまたしょー凝りもなく、次から次に出版して!」


 テーブルを挟み、アンデルセンとヴィルヘルムは立ち上がり、胸ぐらを掴み、どちらが優れているかと口論をする。

 同じ童話作家として、世界に名を馳せる双方は、仲が良いと言われていても、ライバル心はどこかしらあったのだろう。


 挟まれたテーブルの上で、ワイングラスがそのやり取りから逃げたいと言っているように、カタカタと音を立てて揺れている。


 そんな様子を足を組み冷静に見ていたヤーコプが、「はぁ」とため息をついて口を挟んだ。


「おい、もう辞めないか。アンデルセンもヴィルヘルムも。お互い素晴らしい童話作家で、素晴らしい作品をこの世に残した。それは紛れも無い事実だろう。死んだ後も、こうやって再会できたんだ。今こうやって、お互いがお互いの傷のなめ合いをしてもしょうがな――」


 冷静に止めに入ったヤーコプに向かい、二人の作家は勢いよくヤーコプの方を振り返り、感情をむき出しにして叫んだ。


「兄さんは何とも思わないのかい? 明らかに僕たちの方が、世界中の子供たちに愛され、ウォルトダズニーの目に留まり、いろんなアニメや映画のモデルになっているんだよ! 次々に作られるグッズの売れ行きも上々。それだけ僕らは今の世間を騒がせていると思わないかい!? ちょっとは反論してくれよ兄さん。ついに頭までボケてしまったのかい?」

「おい。ボケるだなんて――」

「何を言っているのですか! こちらだってチプリの『崖の上のポニュ』のモチーフとなった作品だってあるんですよ! あなた方の作品だけ脚光を浴びているのではない! いいですか、ヴィルヘルム。このボケ兄があなたを止めないということは、それだけ私の作品を認めているということです!」

「いやだから、そうじゃなくて――」

「ええい、うるさいヤーコプ! だからあなたは結婚できずに、生涯独身だったんですよ!」


 プチーン――、と真っ白な空間に何かが切れた後が響き渡る。


 そんなことに気付かないアンデルセンとヴィルヘルムは、テーブルを挟み未だに言い合いをしている。


 そんな中、ブチブチッ生々しい音を立て、ヤーコプはゆらりと立ち上がる。その背景はどす黒いものが蠢き、吸い込まれようなほどに渦を巻いている。


 そして――、

 ヤーコプの手が、空を切った。



 バアァァァ―――――ン!!



 テーブルに向かって振り下ろされた拳。

 アンデルセンとヴィルヘルムは、びっくぅと体を縮こませると、それはもうゆっくりと、ヤーコプの方に首を動かした。


 なんにもない真っ白なその空間に、『――ィィィン』と余韻の音が響き渡る。


 ヤーコプは「チィッ」と舌打ちをすると、力強くその美しく艶やかな前髪をかき上げた。


「おい、いい加減にしろよ。僕は好きこのんで独り身の道を選んだんだ。アンデルセンにどうこう言われる筋合いはない」


 更にヤーコプは、自分が座っていた椅子に思い切り足を乗せ、それはまぁ態度は悪く鬼のような形相でアンデルセンを睨んでいる。


「――いいだろう。そこまで言うなら、どっちが本当に優れた童話作家か勝負してやる」


 ヤーコプの申し出に、ビクビクしていたヴィルヘルムは「ゴホン」と咳ばらいをすると、冷や汗を流しながらヤーコプの方へ歩いていき、『僕はこっち側だ』と言わんばかりに隣に並び、胸を張る。


「まぁアンデルセンが僕らに敵うなんてありえないけどね」


 そんな二人の言葉は、アンデルセンの作家としてのプライドをえぐり、その熱い魂に火をつけた。


「いいでしょう。グリム兄弟。申し訳ありませんが、こちらも負ける気がしませんからね」


 怒りを堪え、方頬を引きつり苦笑いをしながら腕を組むアンデルセン。



 こうして――些細な言い合いからアンデルセンとグリム兄弟の間に大きな亀裂が入った。

 それは、今でも世界を駆け巡る有名童話作家同士のプライドを掛けた戦い。


 この戦いは、後世に継がれていく書物に深く記された、ひとつのおおきな時代の波となる。

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