02 疑心探査のラビリンス

01 帝国歴1499年1月1日



 どことも知れない暗闇の中、アスウェルは立っていた。

 足元には薄ぼんやりと光を放つ足場。それは前後に続いている。


 アスウェルは、帝都を出て軌道列車に乗り込み、ウンディの町へ向かう途中で事故に巻き込まれた。

 結果はおそらく全員死亡。どう考えても列車内部の乗員は死んだはずだった。

 それなのに、何故かアスウェルは生きている。事故と=イコールで結びつけがたい結果だ。


 死んだはずの人間が生きていて、なぜこんな訳のわからない場所にいるのか。

 まったく事情が分からない。


 そんな風に混乱していれば、アスウェルの目の前にどこからともなく純白の鳥が舞い降りてきた。


「ピィ!」


 鳥は、一度眼前で羽ばたいてからこちらを促す様に先へ先へと飛んでいく。


 ここでこうしていてもしょうがない。

 数メートル先を飛んでいる鳥を視界に入れ、歩を進めていく。

 いつもならば、そんなワケの分からない状況で、突然現れた動物などの後をついて行く気にはなれないはずなのだが、仕方なかった。分かる事は限りなく少なく、自力で情報を得ようにもあまりにもアスウェルは無知。そうするしかなかったのだ。


 歩いていると、いつの間にか周囲の景色が白の柱が並ぶ通路へと変化していた。

 薄ぼんやりとしていた灯りは、白を白と認識できるほどある。


 目の前にある光景は神秘的で、神聖な空気の漂う場所だった。

 真白に近い白に染まる柱は、汚れも染みも一つもなく立ち並び、照らす灯りはどこかからとっている物でもなく、まるでその空間が暗闇という存在を忘れてしまっているかのようだ。


「……」


 思わず足を止める。

 美術品を愛でるような趣味は、アスウェルにはなかったし、理解できるとも思っていなかったが……。


 そんな景色の中に、人間と言う遺物が紛れ込んでいるのがひどく場違いな事のように思えてきてしまうほど、目の前の景色は人知を超えたものだった。


 音を立てる事すら、声を立てる事すら、その神聖さを冒涜する行為の様に思えてしまう。


 かといっていつまでもそうして無意味に立ち尽くしているわけにもいかない。無言のまま歩を進めて言ったアスウェルは、通路の終わりに辿り着き新たな景色を瞳に映した。


 そこは庭園だった。


 色とりどりの花が咲き乱れる下段、さらさらと涼やかに音をたてて水が流れゆく水路。存在していたのは、誰もが褒めたたえる様な美しい庭。


 頭上で空は青く、白い雲はゆっくりと風に身を任せるままにどこかへと移動していく。

 そよりと風が吹けば、その度に甘い匂いがアスウェルの元へと届いてきた。

 甘すぎず、かといって印象に残らないほど薄すぎもしない匂いが。


 ――アスウェル……


「誰だ」


 不意に聞こえて来た、どこか聞き覚えのある女の声に問いかける。

 鈴の様な声で、鳥が歌うような調子で言葉を紡ぐその声。けれど何故だか、記憶の中から該当する人物を拾い上げる事は出来ない。

 視線を庭園に巡らせるがそれらしい人影も見えなかった。


 見知らぬ場所で、こちらからは見えない誰かがどこかにいる。

 普段ならばその事実に警戒を抱くアスウェルであるが、どういうわけか今は護身用の銃をホルスターから抜こうとも、構えようとも思えなかった。


 かけられる声に、警戒心が反応するどころか薄れていくのを感じる。

 危険だとはどうしても思えなかった。


 ――アスウェル、奥へ……


 声に導かれるように、庭園の先……奥へと進んでいく。


 途中にあったガラス張りの温室が気になったが、白く曇っていて内部に何があるのか分からない。


 ――眠りを妨げないで、こっちへ……、銀の花園の奥へ……


 中に、誰かがいるらしい。

 けれど声の主は、ここにいるだろう誰かの物ではないらしかった。


 すぐ目の前にあるだろう真実を確かめたかったが、聞こえて来た声はそれを良しとしないだろうと判断し、我慢する。

 花畑をさらに進んで行くと、終わりが見えた。

 地面が唐突に区切られていて、その先は蒼穹の空、そして白い雲が見えるのみ。大地は存在しない。


 まるで、この花園は空中に浮かんででもいるかのような光景だ。


 ――ようこそ、アスウェル……


 そして、辿り着いた場所。

 大地と空の区切りの手前……ここまで続いてきた花畑の奥には、一つの球状の水槽が置いてあった。

 その中には、顔をベールで隠した赤い髪の白い服を着た女性が浮かんでいる。

 年はおそらく、二十代より少し前くらい。


 身動きをして、こちらへと視線を向ける様な仕草をする女。

 動けないわけではないらしい。


 ――未来からの来訪者さん。


 声は相変わらずアスウェルに聞こえる。

 だが女性の喉は動いてはおらず、だが音はどうやってかアスウェルの耳に聞こえていた。


「未来……?」


 掛けられた言葉の意味に、理解が及ばない。


 ――貴方はどんな役割をもって、何を成したいが為に過去へ戻って来たのでしょう。


「何を言っている……」


 ――世界を拒絶して、歩みを止めてまで、この過去いまに来た理由は?


「……」


 目の前で水槽に浸っている女が何を言っているのか、アスウェルにはまるで分からなかった。

 世迷言だと、狂人の戯言だと切って捨てる事は簡単にできただろう。

 だが、そうしなかった。

 それにしては状況が不可解過ぎたし、目の前の女の姿は、態度も含めて人間離れし過ぎていたからだ。


 だが、深く考える余裕も、問い返して真意を確かめる時間も、アスウェルには残されていなかった。


 ――そろそろ時間ですね。夢から覚める時間です。では、アスウェル……また。縁が合ったらお会いしましょうね


 この世の物とは思えぬ庭園の景色が薄らいでいくと思った瞬間、アスウェルの意識はどこかまだ向かうべき場所があるとでもいうように、何かへ引き寄せられていった。








 帝国歴1499年 1月1日

 風の町ウンディ


 眩しい。 

 初めに思ったのはそんな事だった。

 日の光が目を刺激する。


「ここは……」


 歩き切った先、アスウェルは町の中にいた。

 そこは見覚えのある街だった。

 一年前に数日だけ滞在した事のある場所でアスウェルの目的地、風の町……ウンディだ。

 

 その街で出会った少女の事を思い出す。

 確かあの少女も、檸檬色の髪をしていた……。


 そして、思い出すのはそれだけではない。

 忌々しい仇の顔も同時に記憶に思い浮かんでくる。


 アスウェルは約一年前、このウンディの町で数日だけとある屋敷に滞在していた。

 そしてレミィや、使用人、町の住人など、短い期間と言えど、それなりに片手の指では数えられない人数と出会った。


 だが、その時は分からなかったが、後にウンディで出会った者の中の一人が、仇だと判明したのだ。

 事実は後になって改めて調べた時に判明した事で、気づいた時には後の祭り。


 アスウェルが町を立ち去った後に、家族の仇の……禁忌の果実の構成員であった人物は死亡してしまい、復讐が叶わなかくなってしまったのだ。


 それで、せめて情報だけでも得てやろうと、そいつがいた屋敷へと軌道列車で向かっていたのが、元の時間の……つまり先程のアスウェルの行動だった。


 それが、どういうわけか列車事故にあって、臨んだ場所に来ているという現状。

 改めて考えても意味不明だ。

 

「……はぁ」


 こらえきれずにため息を吐いてしまう。


 アスウェルはある方向へ視線を送った。

 町の近くにある小高い丘には、いくつもの風車が並んでいる。


 あれらはウンディの町の名物で、風の町と呼ばれる所以だった。

 間違いない。ここはアスウェルの到着予定地だ。


 不可解な現状に翻弄され、荒れ狂うばかりの内心など知らずに、視線の先にある風車は風の強さを表す様にゆっくりとまわるばかりだ。呑気なものだ。


「お昼ご飯、どこで食べようか」

「最近はやりの店があるんだけど、言ってみる?」


 現状確認を終えて、少し落ち着けば周囲の喧騒が意識に入って来る。

 時刻は昼下がり、町は人で賑わっている。 

 通りを歩く人々。脇を通り過ぎる男女は、こちらに目もくれずそれぞれ好きなように会話をしながら歩いていた。


 そこにあるのは、一年前に見た時と全く変わらない、のどかで平和な光景。


「風調べの祭り、もうすぐだね」

「ああ、観光客がたくさん来るな。町の中も飾り付け作業でこれからが大変だ」


 雑踏に耳をすませてよく聞くのは祭りの話だ。

 だが聞こえて来た内容を、否定したくなる。

 

 そんなはずはないのだ。ありえない。

 ウンディの町中が、祭りの為の飾りつけで大変になる、などと言う事は。


 なぜなら話の中身である風調べの祭りは、アスウェルの知る限り、確か行われなくなったはずなのだから。

 一年前に最後の祭りが行われて、それきりになったはず……。


「見て見て、フー君凄いんだよ」

「わぁ、サヤちゃん凄い。魔法上手だね」


 それに……。


 おかしな事は他にもあった。


 気に留めたのは幼い子供二人の会話。

 露店で買ったのか知らないが、風車を手にした少女が魔法を使って風で回して少年に自慢している姿が見えた。少女は魔人なのだろう。そして少年は人。


 アスウェルの知る限りでは、一年前ならともかく最近はどこの町でも魔人の奴隷化が進んでいき、表で魔法を使っている光景などはありえないはずなのだ。

 なのに、目の前ではそんな光景は当たり前のように存在している。

 おかしかった。


「……」


 今ではあり得ない。

 けれど、一年前ならあり得る光景……。


 ふと、脳裏をよぎった可能性がある。

 通りがかった店のショーウィンドウを覗き込む。用があるのは飾られた商品ではなく、ガラスの反射だ。


「……まさか」


 そこに映りこんだものを見て、アスウェルは思わず呻いた。

 まさに、まさか……という気分だ。


 視線の先、商品に重なる様にうっすらと映りこんだものは……一年前、風の町に滞在していたころに着ていた服装に身を包んでいる自分の姿があった。


 愛用していた黒のコートの代わりに、とうに傷んで使えなくなったはずの、父の遺品である焦げ茶のコートを羽織った青年。一年分だけ若く見える19歳のアスウェル・フューザーの姿が。


 ついでの様に髪の毛の先を掴んでみれば、手を抜いて若干伸ばし気味にしていた髪の毛が、最近整えた様に短くなっている。


「一年前……だと言うのか」


 過去に来てしまったとでも、言うのか。


 見間違えようのない証拠を突きつけられてもなお、アスウェルは信じられない心地だった。


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