儚き 鮮血の運命

仲仁へび(旧:離久)

01 始原世界の幸福兎

序章 穏やかな目覚め



 夢から現実へ。掴みどころも捉えどころもなかった意識が、時間をかけてゆっくりとはっきりしてくる。

 数秒。

 瞼を開けて、起床。

 身を起こせば、体の上半身にかかっていた布団が剥がれ落ち、その分だけの温もりが離れる。寝台を見れば、それなりに自分が上質なベッドで眠っていたことが分かった。


「……」


 寝起きの頭でも記憶を手繰るのは、そう難しい事ではない。


 確か自分は、屋敷に住んでいる貴族の護衛をする為に世話になっていて、その建物内の部屋の一つを使わせてもらっているのだった。

 各地を歩き回る身だったが、その為の度の資金が底をつきそうだった為、お貴族様の護衛などという普段やらない仕事を買って出たのだ。


「…………。…………」


 そんな状況にため息が出そうになったが、労働力の無駄なので、表情をしかめるだけに留めておく。

 貴族は嫌いなのだ。……が、我慢すべきだろう。


 現状の確認を終えて一つ息をつく。

 眠気はまだ晴れない。


 そんなタイミングを見計らったかのように、耳に届くのはどこからか聞こえてくる軽い足音だ。

 足音は徐々に近づいてきて、次第に大きくなる。


 おそらくあと数秒もしない内に、この部屋のドアは叩かれる。そして、室内の空気は訪問者であるたった一人の少女によって騒がしくなってまうだろう。覚醒待ちの頭にはきついかもしれない。


 足音が聞こえれば数秒後には煩くなる……そんな大して遠くもない未来の予測が、ここ一週間の間で身に付いてしまったが、限定的すぎるしもう少し実のある予知能力が欲しかった。


 やがて響いていた足音は部屋の前で止み、代わりに扉がノックされる。

 音を立てた主の、逸るような内心を表現したかのように間隔の短いノックだ。


「……」


 それに対してとる行動はない、無反応だ。扉に声はかける事もせず、許可も出さない。

 何も言わないのは、何かを言おうと言うまいと同じ事だからだ。


 …。

 ……。


 ふと窓の方へと視線を向ければ、朝日が窓から差し込んでいる。

 光は空気中に漂う微細なチリに当たり、小さな光の粒を作って室内をゆるやかに舞い踊っていた。


 ガラスの向こうから咲き込んでくる太陽光。その眩しさに目を細め、寝起きの頭を働かせて、この部屋で寝泊まりするようになった日数を数える。


 今日で一週間。

 それだけの期間が過ぎた。


 資金は貯まったし、もともと予定していた滞在期間も経過した。

 明日の朝、ここを出ればもう、この場所とは何の関係もない人間となるだろう。

 連れのいない一人旅だ。

 誰かかが訪れて、一日の朝を迎える……そんな騒がしい起床の時間は、きっとこれで最後になる。


 これからこの部屋にやってくる人物は、その事実にどんな顔をするだろうか。


 そんな風に感傷に浸っているが長続きせず、次の瞬間、返事も待たずにノック音を立てていた主が勢いよく室内に入って来た。

 

 跳ねる様に、全身から生命力を滲ませるように駆けこんできて、部屋の中央で発声。


「朝ですっ、おはようございますアスウェルさん!」


 かけられるのは、朝一番に駆ける声は他の物とは別物、などとそう思っていそうな溌剌とした声だ。


 にこにこと笑顔を浮かべるその声の主を見る。


 上から順に。

 頭のてっぺんには、ウサギ耳の様なリボンを付けたヘアバンドがある。そしてその下にあるのは、金髪と表現するには不足する……色素の薄い檸檬色の髪。視線を下げれば幼さの残るあどけない顔があって、子供っぽい印象を見る者に与えていた。


 そんな容姿をした、推定年齢14歳の使用人の少女は元気よく声をかけた後、こちらの反応を待ち続けいる。頭頂部についているのは兎耳ではなく犬耳が妥当なのではないかと思う瞬間だ。


「おはようございますっ」


 もう聞いた。

 二回目の挨拶を放った少女が、身に着けているのは使用人服。

 滞在している屋敷で雇われている使用人だった。


 少女は部屋主の許可を取らず入室した事などまったく意識にない様子で、未だベッドの上にいるこちらまで近づいた。

 その手には昼食のトレイと、腕にはパンの入ったバスケット。


「アスウェルさんっ、起きてくださいご飯ですよっ」


 無視して目を閉じるが、再び眠るのは難しそうだった。

 身を横たえようとするのを少女が邪魔をしてくる。

 ベッドに寝かせまいと、服を引っ張られた。


「駄目ですっ、ご飯の時間です」


 興奮した様子で喋る少女は、今みたいに毎朝自分に朝食を運んでくるのが日課であり仕事だ。

 たった一週間だというのに、こちらによくなついていて、他の使用人の誰よりも先にこちらの世話を焼きたがる少女。

 もっとも、許可も取らずに部屋に入って来るのを見れば、ちゃんとその役目をこなせているのか疑問を抱きたくなるが。


 閉じた瞼の向こう側で、せわしなく動いている生き物の気配を感じる。

 慣れた物で、見なくてもどんな行動をしているか想像できた。


 二度寝の抵抗をするこちらをいったん開放した少女は、手にしていたトレイとバスケットを部屋にあるテーブルへ置いたようだ。そして音がして、また足音が近づいてくる


「眠らないでくださいっ。二度寝しちゃ駄目ですっ。朝ごはん冷めたら美味しくなくなっちゃいますよ」


 ぽすぽすと布団と叩かれて声の主からの抗議。


 仕方なしに、瞼を開く。


 だがいつまでもその場所から動こうとしないのを見てか、少女がこちらの腕を取って強く引っ張る。ベッドから引き抜こうとするその様は何となく、畑の野菜を引き抜こうとして足を滑らせるドジを踏む様な、どんくさい田舎娘に見えた。


 飯くらい自分の好きな時間に食わせろ。と、こちらはそう言いたい。昨日は仕事やら、個人的な事情やらで忙しかったというのに。


「せっかく今日は私が作ったのに……」


 ぐいぐい引っ張って来る動作がやけにしつこいと思えば、どうやらそんな理由だったらしい。


 頬を膨らませて分かりやすくお怒りの感情を表明する少女を見て、言う事を聞いてやりたくなるが我慢した。

 ここは、もう少し意地の悪い扱いをしてやった方が、少女の記憶に残るだろうか。と、そう考えたから。


「眠い。寝させろ」

「そんな事言っちゃやです。たーべーてーくーだーさーいー……ひゃわっ」


 こちらの抗いがたい眠気をどうにかしようと腕を揺さぶって来る少女を、逆に引っ張って捕獲、ベッドの上に再び転がった。


「アスウェルさんー」


 動こうとする少女を抑え込もうとする男性の絵。

 はたからみたら、とんでもない絵面になりそうだが、断じてこちらにやましい気持ちはない。

 眼の前にいるのは女ではなく子供子供した人間。

 そこらで駆けまわっている悪ガキと一緒だ。

 

「おきてー」

「寝る」


 子供だからか、体温が高い。

 昔よく妹と一緒にベッドで眠っていた事を思い出して、こうしていると安心できた。


「私は便利な抱き枕さんじゃないですよっ」

「煩い。黙ってろ」

「アスウェルさんは寝坊助さんですね」


 最後なんだから、我が儘の一つくらい黙って聞け。

 明日からはお前の顔を見る事が出来なくなるんだから。

 

 たった一週間過ごしただけのはずなのに……。


 妙な名残惜しさを抱えたまま、アスウェルは再び眠りの世界へと誘われていった。

 腕の中で、つられて寝息を立てるようになった使用人の少女の存在を感じながら。


 最初の頃にはうっとおしいと感じていただけなのに、いつから離れがたいと思うようになっていたのだろうか。

 共にいられないと分かっていてなお、それでもそうでなければいい……と未練を残す。そんな願いは、ここまで生きて来た自分の事を省みれば考えられない事だった。


 レミィ……。


 もうすでに亡くなっているかもしれない自分の妹と同じくらいに、大切に思っているかもしれない少女。その名前を、心の中で呼んでみる。

 色のない日々に彩をそえてくれた人間。身寄りのない、記憶のない少女。屋敷の主人に拾われて、働く使用人。


 自分のやっている事を諦めれば、少女とはずっと共にいられるかもしれないがそんな事はできもしない事だと分かっている。

 

 自分は復讐者だ。

 今でこそ穏やかな時間を過ごしてはいるが、本来の自分は血塗られた道を血まみれになって歩くような人間であり、その道は決して誰かと交わる物ではない。交わる事を望んではいけないものだ。


 だから……。


 今日でお別れだ。


 アスウェルが選ぶのは別離だ。

 きっと、自分がいなくて少女は寂しい思いをするだろうが、危険な目に遭う事もなくこれからも使用人として生きていけるだろう。それでいいはず。


 幸せに……。


 けれど、その時の自分は知らなかった。

 いや、そんな事が起きるとは思いもよらなかったと言った方が正しい。


 アスウェルがその時見えていた景色は平和で、幸福そのものと言えるもの。


 穏やかな、春の日の温もりのような……最上で最高でもないものの、そんな誰もが過ごせる当たり前で幸せな日々。


 そんな日々の裏に、身の毛もよだつような深い闇が潜んで、逃れようのない網を張ってるなどとは微塵も思わなかった。


 明日の幸福は儚いものだ。


 当たり前に今日と同じ明日が来る保障など、どこにもないというのに。


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