其の二

 時間は少し遡り朝八時、州衛士屯所。この日は珍しく遅刻者が無く、全員出勤で朝礼を迎えることとなる。しかし隊長のベアは眉間に皺を寄せ怪訝そうな表情を浮かべていた。街中は至って平和、遅刻欠勤も無いというのにどうしたことか、皆が不思議に思うところだ。


「えー、皆さんお早うございます。早速ですが大変なお知らせがあります…あの、全国指名手配のドラド・ズバルド、別名『流刑のドラド』がこのザカールに潜伏したとの報が入りました。」


 その名を聞き屯所はざわめきに包まれた。いつしか、自警機構として末端も末端な彼らにすら、ドラド・ズバルドの名は恐怖の存在として広く知られていたのだ。


「今更説明するまでもないでしょうが、島抜けの罪人でもあるこの蜥蜴獣人リザードマンは、このラグナント王国でこれまでに26件の男女かどわかし事件を起こしております。と、同時に捕縛に当たった全国の州衛士・近衛師団あわせて数十名を殺傷しながら逃亡を続ける凶悪犯…そんな男がここザカールで目撃された、との情報を上からいただきました。」


 改めて説明された彼の者の凶行に、州衛士たちは恐怖で身を震わす。既に同業者、そして自分たちとは比べ物にならない戦闘力を誇る近衛師団が二桁単位で返り討ちに遭っているのだ。しかも聞いた話によれば素手で。犯罪者の捕縛が州衛士の仕事とはいえ、できればお目にかかりたくはない存在。しかし、避けて通ることはできなかった。道義的な意味ではなく、世間体な意味ではあるが。


「そして、更に不吉なことに、マルミット商会の御子息様が今朝がたより行方不明との報をドーソン様より頂きましてですね…」


 若い男女を揃って攫う連続誘拐犯の襲来と、織物問屋の若旦那の行方不明。無関係と断ずるには楽観が過ぎるとしか言いようのない二つの事件。しかもマルミット商会といえば州衛士にも馴染みが深い店である。自身の礼服や妻、娘の御洒落着おしゃれぎを買う際にいろいろと世話になった者もこの中には少なくない。自分たちの不手際で、そんなお店の御子息に何かあったら大事おおごとだ。今後も変わらぬお付き合いを続けていくために、ベアも皆も必死にならざるを得なかったのだ。


「というわけで、今から二手に分かれて北と西の関所に検問を張ります!私とA班B班は北へ、C班D班は西に向かってください!いつもの市内の巡回はE班のみで行ってください!勿論何か見つけたら即連絡を!以上!」


 隊長の号令と同時に、州衛士たちは慌ただしく装備を整え検問の準備を始める。しかし相手はフルプレートの近衛師団員も素手で殴り殺すという剛力の持ち主、こんな革鎧でどうにかなるものかと、何人かは自身の命を慮り頭を抱えていた。


「しかし、若い男女を攫って何を企んでるんですかね、そのドラドって奴は…?」

「噂では食べるためじゃないかとか言われてますね。ほら、蜥蜴獣人リザードマンなわけですし…」


「いやあ、それは無いと思いますよ。流石に偏見が過ぎますって。」


 そしてドラドの人となりを知るマシューは、同僚の噂話に口を挟みながら、彼らとは別の意味で頭を抱えたくなっているのだった。







「なあんだ、ギリィさんもドラドさんとお知り合いでしたか。」

「まあ、ちょっと過去に色々とありまして…」

「噂に名高い駆け落ち請負人HELPMAN。名が知れているだけになりすましかもしれないとも思ってましたが、ギリィさんの言う通り本物と見て間違いなさそうですね。」

「ああ、『ホンモノ』ですよあいつは…」


 ギリィを加えた駆け落ち御一行は一路北の関所を目指していた。その間にも、トーリオは気さくに話しかけてくる。しでかしていることの重大さに比べ随分と緊張感の無い事だと呆れるところではあるが、そのくらいにHELPMANを信頼し、安心しているということなのだろう。しかし、ドラドの人となりを知るギリィからすれば気が気でなかった。




 ドラド・ズバルド。かつて裏社会でその名を知られた名うての暗殺者である。10年前、とあるミスにより捕縛されるもまだ利用価値を見出した時の権力者たちにより、死罪相応のところを減刑され遠島流刑に処されていたという。

 

 しかしその刑期の最中、臨死体験による幻覚に触れ、娑婆に戻ると「金を積めば赤子も殺す殺し屋」から「アガペを守る者・HELPMAN』へと転職。ダークエルフの童女と使用人の男の恋路を助ける中で、WORKMANと対峙、共闘することもあった。というよりは、黒幕の思惑もあるとはいえ、ドラドの荒唐無稽な言動に振り回されたと言った方が正しいか。それこそギリィもマシューも二度と会いたくないと思えるほどに。


 なるほどトーリオの心酔ぶりから見るに、あれから実績を重ね名声を高めていったのだろう。だからといって安心できるものでは無い。忌憚のない言い方をすれば、この男は「狂人」なのだから―――





「して潮招きよ、何故お前は我らに随行しているのだ?」


(テメエが何しでかすかわかんねえから見張ってんだよこのクソトカゲ!)


 妙な呼び名で問いかけるドラドに対し、ギリィは内心毒づくのであった。






 そうこうしているうちに、一行は北の関所までやって来た。特段何か名物があるでもないルクセン州へ向かう人々は少なく、駆け落ちなどという後ろめたいことを考えている者にとっては身を隠すに好都合であった。しかし州の境である関所は容易くはいかない。ただでさえ普段から番兵が目を光らせているというのに、この日は州衛士隊も検問を張っていたのだ。


「やっぱり父さんが根回ししていたか…」


 実家のすることはそこの子である自分が一番知っている。朝から行方をくらました自分を捕まえるため、お得意様である州衛士隊に働きかけるのは目に見えていた。それでも隊長のベアがいい恰好を見せようと張り切ったせいで予想よりも多かったようで、草むらから様子を見ていたトーリオは爪を噛んだ。


「トーリオさん、やっぱりやめましょうこんなこと。」

「今更何を言っているんだいエレナ!まさか僕の事が嫌いになったの!?」

「違う違う、そうじゃないわよ!私だってあなたと夫婦の中になりたい。でも、お義父さんに迷惑はかけられないし、何よりこんなところで無茶をしてあなたの身体や経歴に傷が付いたらと思うと…」

「そりゃ僕だって男で一つでここまで育ててくれた父さんに悪いとは思ってる。でも君と一緒になりたいという気持ちには代えられないんだ。それに大丈夫、こんな時の為にHELPMANさんに依頼をしたんだから。」


 そんなトーリオの言葉を受け、ドラドは悠然と立ち上がる。この困難な状況こそ駆け落ち請負人HELPMANの腕の見せ所だろう。さていかなる手段で自分たちをここから逃がしてくれるのか、呑気が過ぎる話ではあるがトーリオは胸を躍らせていた。




 そして、ドラドは愚直なまでに一直線で検問へと駆け―――



 ―――鉄槌の如き拳を州衛士目掛けて振り下ろした。




「…っ!あっぶねェ!!」

「うわあああ!!何だこの蜥蜴獣人リザードマン!?」

「まさかこいつが手配書にあったドラド・ズバルドか!?」


 瞬間、州衛士たちは蜂の巣を突かれたかのように慌てふためき出しす。「流刑のドラド」の存在を失念していたわけでは無い。しかし全国に指名手配されるような罪人が何の衒いも無く真正面からやって来て、突如当たれば即死は免れぬだろう鉄拳を繰り出して来たのだ、平静でいろというほうが無理であろう。そして、この事態に慌てたのは州衛士だけではない。


「何やってんですかドラドさん!?」


 プロの逃がし屋という言葉から、もっとテクニカルな所作を期待していたのだろうに、まさかの暴力。予想外にも程がある行動を前に、トーリオは身を隠すのも忘れてドラドにツッコんでしまっていた。


「何をするも何も、この関所を通るための邪魔者の排除だ。」

「は、排除?」

「うむ。この場で通行を邪魔するこ奴らを皆殺しにすれば、何の苦も無くここを通れる。道理ではあるまいか?」

「どんな道理ですか!」




―――州衛士たちが認識する連続男女誘拐及び官憲大量殺人犯「流刑のドラド」と、トーリオが認識するところの駆け落ち請負人「HELPMAN」。二者の間には乖離があるようで、実は密接に関係していた。


 幻覚の神よりアガペを守ることを至上の命題として与えられた(と思い込んでいる)ドラドにとって「愛し合いながらも結ばれぬ定めから逃れようとする」行為は何よりも尊ばれるべきものである。故に駆け落ちを後ろめたい行為などとは思いもしないし、邪魔する者への容赦も持ち合わせていないのだ。いや、やもすれば官憲の類は神の意志を妨げる邪悪の化身とすら思っているかもしれない。自身を棚に上げて。


 多くの不幸なカップルを人目の届かぬ地へと送り届けた、その実績は事実である。結果的に行方不明、ないし誘拐という扱いになってはいるが。しかしその手段は清々しいまでの正面突破であり、これを咎めた官憲は例外なくその剛腕によって返り討ちにされていった。かくして「HELPMAN」の名声と「流刑のドラド」の汚名は世間に轟き渡り、いつしか分かたれて語られるようになっていた、これが真相である。


 いやしかしだ、あるいは救われたはずのカップルの中もその虐殺現場を目の当たりにしてトラウマになっている者もいるのかもしれない。


 その点において、先程ドラドが初撃を放った相手がマシュー・ベルモンドだったのは不幸中の幸いだったかもしれない。猛牛の如く突っ込んでくる殺気の塊をいち早く察し、志摩神刀流しましんとうりゅう浮木ふぼくはこびを以って躱す。そうでなければ罪も無い州衛士ひとりの頭が熟れた柘榴のようになっていたことは想像に難くない。




「あんなパンチ、よく避けられたもんですねベルモンドさん。」

「いやぁ、偶然ですよ偶然!」

「誰かと思えば何時ぞやの羅刹らせつではないか。何をわざとらしく謙遜している。貴様の実力ならあのような大振りの拳を躱すことなどわけなかろう。」

「わー!わー!変な事言うなー!」

「羅刹って何ですかね…?」


 しかしてマシューにとっては不幸なことに、裏の仕事を隠して表の職業に従事しているという事情をドラドが知らなかった。尤も、知っていたところで口裏を合わせるなどという機微がこの狂人に存在するとも思えないのだが。




 すかさず狂人が二撃目のモーションに入る。左足を踏み込み横一線で集団を薙ぐ右の回し蹴り。州衛士隊はこの日普段は持ち歩かない盾を持ち出しこの検問に当たっていた。しかしコストの問題か、隊に支給される防具に鉄製のものはなくこの盾もまた樫の木でできたもの。街中の暴徒鎮圧にはこの程度でも問題は無いのだろうが相手はあのドラド・ズバルドである。彼の実力を知る者なら二・三人まとめて盾ごと胴をへし折る未来は容易に想像できることだろう。


(トーリオさんたちにこれ以上迷惑かけさせるわけにはいかねえ!)


 ここで死人が出れば、トーリオとエレナにも背負わなくてもいい罪を背負わせてしまうことになってしまう。自分の腕を評価してくれた客人への義理を果たさんがため、ギリィは近くにあった石をドラドに投げつけた。石と言っても掌に納まるような小さいものでは無い。バスケットボール大の、あるいは岩と呼んでも差し支えないサイズ。それを潮招きに喩えられた右の腕力で放つ。


「…ふんっ!」


 高速で飛来する物体に気付いたドラドは振り上げかけた右足を地に付け、裏拳を振り抜き迎撃した。粉々に砕ける岩。いや、粉々という喩えすら生ぬるい。最早砂状の粒と化して地表に降り注いだ。


「ひいいいいい!!!化物だあああああ!!!!」


 事ここに至りて、州衛士隊も件の指名手配犯が自分たちの想像をはるかに超える強者であったとようやく悟る。恐怖に慄き、隊列は大きく乱れ、中には逃げ出そうとする者さえいた。


「ちょっと!どこへ行くんですか皆さん!ここで阻止しないとマルミット商会さんへの面子が立たないでしょうが!」

「じゃあ隊長一人でやってくださいよ!こちとら面子なんかのために死ねません!」

「僕は嫁と5人の息子を食わせてかなきゃならない立場なんですよ!こんなとこで死ねますかって!」


 ドーソンへの覚えを良くしてもらおうという助平心を捨てきれぬベアと、命あっての物種と逃走を試みる隊員たちは口論を始める。


(つーかギリィ!なんでお前ェがここにいるんだよ!?)

(このクソトカゲが何かしてねえか見張ってただけだこのクソ役人!)

(共犯と間違われてお縄になったら痛ェ腹探られるだろうが!ちったァ考えて行動しろバカ!)

(しゃーねーだろこっちだって色々成り行きでこうなっちまったんだから!)


 偶然この場に居合わせることとなったWORKMAN二人は、この稼業独自のハンドサインを使い罵り合う。


「ちょっとアンタ!いい加減にしなさいよ!」

「エ、エレナ…」

「何か文句があるのか?どんな手を使ってでも結ばれたいというお前たちの言葉は偽りだったのか?」

「だからって、やり方ってモンがあるでしょうが!」


 気丈なエレナはドラドの奇行に耐え兼ね、ついに怒り出す。


「まあよい、我はただアガペの為に戦うだけだ。そこの羅刹に加え潮招きも邪魔をするか。WORKMAN、相手にとって不足なし。」

「だからその名前は出すなって!!」


 そしてドラドはマイペースに、そして空気を読むことなく立ち塞がる障害を粉砕せんと構えを取る。


 かくして関所前は混沌の坩堝るつぼと化していた。殺したい者、殺されたくない者、殺させたくない者、それぞれの思惑が罵声と共に複雑に交差する。そしてこの混乱の中、やがて更に話をややこしくせんとする要因が姿を現した。




「トーリオ!やっと見つけたぞ!」


 トーリオの父、ドーソン。いち早く伝令に発った州衛士からの報告を聞き、早馬を飛ばして駆け付けたのだ。実父、恋人の親、お得意様、この場に居る者すべてに何かしらかの関わりを持つ渦中の人物の登場。そしてそれに真っ先に反応したのはドラドであった。


(あの男が二人の言っていた最大の障害。ならばいち早く排除せねば。)


 踵を返し、強烈な殺気を纏いながら馬車へと突進する。彼にとってドーソンの存在は依頼人の父親ではなく、アガペを妨げる最大の障壁でしかない。故に殺す。狂った単純思考が他の誰よりも早く体を動かしていた。


「ぬんっ!」


 ドラドの剛拳が走った。文字通りに岩をも砕く拳、中年男性ひとりの命を奪うなど訳も無いであろう。彼の動きに気付いて目で追った者のすべからくが、次の瞬間にドーソンが殺された姿を想起した。




 しかし、その拳が振り下ろされることは無かった。


 二者の間に割って入ったエレナの鼻先三寸ほどで、ドラドの拳は止まっていたのだ。




 歴戦の暗殺者であるWORKMAN以上の反応を彼女が発揮したのは、狼獣人ワーウルフ特有の健脚と火事場のなんとやらの賜物だろうか。そして、およそ自制という言葉とは無縁のドラドを止めることができたのもエレナだからこそ。真のアガペを持つ者を守る自分が、その者を自らの手で殺めてしまっては本末転倒という理屈ぐらいは解する理性がドラドにもあった。


「何故邪魔をする?この者を殺せばお前たちの結婚を妨げる存在は無くなるのだぞ?」

「あんたねぇ…反対してるお義父さんがいなくなったから晴れて結婚、なんて世の中そんな単純に済むわけないじゃないの!バカじゃないの!?」


 エレナは呆れと怒りの混じった声で啖呵を切る。岩をも砕く強力の狂人、下手をすればその拳の餌食になっていたのかもしれないというのに随分と度胸が据わっていることだ。彼女を前に周囲の男衆、そしてドラドもたじたじであった。


「いやしかしだ、彼の言っていることもあながち的外れではあるまい?」


 そんな狼獣人の女傑に横から口を挟む者がいた。ドーソン・マルミットである。突然の襲撃に腰を抜かし尻もちをついたままではあるが、落ち着きを取り戻したようで顔だけはいつもの毅然とした表情に戻っている。


「私が死ねば万事丸く収まる、そんな筈も無いのは確かだ。しかし、君にとって私は息子との結婚を拒む邪魔者であることもまた確かだ。少なくとも、こうやって身を挺して庇う義理は君には無い筈だが?」


 ドーソンにはエレナが自らの命を省みず盾になった理由がわからなかった。言われてみれば尤もな話、恋人の父親とは言え生まれてくるであろう子供を愚弄した人間にそこまでできるだろうか。エレナはしゃがみ込み、地べたに座るドーソンの目を見て答えた。


「そんな悲しい事言わないでください。あの人を…トーリオを育ててくれた人間を敬愛こそすれ、憎むことなんてできるわけないじゃないですか。」


 その表情は先程と打って変わって、優しさと悲しみに満ちていた。


「あの人はいつもあなたの事を嬉しそうに話していました。いつも尊敬してる、ここまで育ててくれてありがとう、って。そんな方があの人の、そして私の目の前で死んでしまったら、悲しくなるに決まっているじゃないですか…そう思ったら、自然と足足が動いちゃたんですよ。」


「でも、そもそもこうなってしまったのも私たちが駆け落ちなんてしようとしたから…全部私が悪いんです、ごめんなさい。こんな大事おおごとになってしまった以上―――」

「―――待ちたまえ。謝るのは私のほうだ。」


 瞳を潤ませ詫びるエレナを遮り、ドーソンが逆に頭を下げた。すでにその目からは滝のように涙が流れ落ちる。


「私は何と愚かだったのだろう…孫の姿などという前時代的な体面ばかりを気にして、この娘の人柄をまるで見ようとしていなかった。どうやら私は服屋の仕事に凝り固まり過ぎて、見てくればかり気にする悪い癖がついていたようだ。」


「その意味でも、貴方に礼が言いたい。そして、このような娘が伴侶となれば、マルミット商会は次の代も安泰だろう。」


 彼の言葉が意図することを、ドラド以外のこの場にいる全員が察していた。


「父さん!?それじゃあ…」

「ああそうだ、結婚を認めよう。いや、そうではないか。」


「息子のこと、何卒よろしく頼みますよ。」

「お義父さん…!」


 遅ればせながら駆け付けたトーリオを加え、父と息子、妻と夫がそれぞれ抱き合いながら婚約を祝す。しかして、結果的に振り回されることとなった周囲の人間たちは、素直に祝福も出来ぬままぽかんと口を開けていた。


「これは一体、どうしたことでしょうか…?」

「いいんじゃないですか隊長。なんだかんだで八方無事に納まったみたいですし。」


 トーリオを保護しマルミット商会に媚を売ろうと目論んでいたベアは、まさかの和解に釈然としない表情をしていた。さりとて同様に憮然とした顔で立ち尽くす指名手配犯を捕縛する勇気もない。マシューがなだめるのも聞かず、感情のやり場に困っている様子であった。


「むう…これではHELPMANの仕事を成したことにならぬ。どうしたものか、なあ潮招きよ。」

「いやいや、お前さんはいい仕事したよ。なんだかんだでテメエが無茶苦茶なお陰で、トーリオさんの結婚が決まったんだから。」

「なるほど、そういう考え方もあるか。」

「むしろお前はもっとそういう考え方しろよ…死体の山築いて逃がすだけがアガペとやらを守る手段じゃねえだろうに。」

「うむ、つまり我は今回も真実のアガペを守れたということだな!神よ、またひとつ魂の救済への道が拓かれたことを感謝します!」


 一方ドラドは、ギリィの話を聞いているんだか聞いていないのだかわからぬが、ともかくひとりごちていた。そして満足そうな顔を浮かべ、州衛士たちの目の前で堂々と道の真ん中を歩き去っていくのだった。






「早ェえもんであれからもう三日か。例の若旦那はどうなったか聞いてるか、ギリィ?」

「ああ、ようやく式の日取りが決まったそうだ。で、今日は祝言だとよ。」


 とある昼下がり、市中の見回りの最中ギリィの店に立ち寄ったマシューは、トーリオたちの近況を尋ねた。色々振り回され心労を負ったが、結果的に丸く納まった今となってはいい思い出。苦労したぶん心から彼らの婚約を祝する気分であった。


 聞く話によれば式は盛大なものにするという。ウエディングドレスも織物問屋のつてを活かしいっとういい腕の職人に作らせると聞いた。こりゃうちのメイドたちの耳に入ったらまたやかましくなるな、とマシューは苦笑いする。






 しかし、式は行われなかった。代わりに凄惨な事件の報が彼らの耳に飛び込んで来た。




 祝言の最中、白昼にも関わらず押し込み強盗がマルミット邸を襲撃したのだ。しかも残虐なことに、その場に居合わせていたものは末端の使用人に至るまで悉く殺された。無論トーリオも、ドーソンもである。


 しかして不思議なことにエレナの死体だけは見つからなかった。このことを聞いた口さがない市民の中には、彼女が強盗団の一員であり婚約を装って侵入の手引きをしていた、などという風評を流す者もいる。そんな噂を耳にするたびに、ギリィはどうしようもない苛立ちを感じていた。


 トーリオとの仲睦まじい姿、命の危険を顧みず義父の命を救った姿、それを目の当たりにしてきたギリィにはそれが演技だったとは考えられない。そんなエレナの人柄も知らずに勝手な噂を流す連中に怒りを感じる。


 しかし本当に許せないのは、万に一つを疑ってしまう自分。疑念を忘れるべく槌を振るっても拭い去れぬもやっとした感情。彼は今、兎にも角にも真実が知りたかった。







―――そして、渦中のエレナが境界の懺悔室に姿を現したのは、強盗事件から五日後の事であった。



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