其の二

「てなわけで、今日も大変だったぜ。」


 昼下がりのある日、教会の応接室にてマシュー・ベルモンドが気だるそうに言った。時期は夏の盛り、暑さに加え何やら厄介事に巻き込まれているこの客人の気を落ち着かせようと、神父はわざわざ冷やした茶を持ち部屋に入る。差し出された茶を、マシューは無遠慮に一気飲みし、かぁーっと喉を鳴らした。


「なるほど。煙草騒動は州衛士隊のほうでも尾を引いているのですか。それはご苦労様です。」


 久々に生きた心地といった雰囲気のマシューを慮り、神父は優しく労う。実際のところ、アグナート病院のフィエル女史によるレポートに端を発する騒動は日に日に加速していた。以前よりその煙の臭いを快く思っていなかった者は、健康を盾にここぞとばかりに喫煙者を責め立てた。はじめは言われるがままだった喫煙者たちだが、ドワーフの舞台役者ザッカルスの発言を担ぎ嫌煙家へと反撃に打って出、その対立は泥沼と化していた。事の発端となったふたりの亜人も、この争いを止めるどころか煽るような発言が続いているのも困ったところだろう。


「となれば、一刻も早い事態の収拾が望ましいですね。」

「いや、そんなこたァねえぜ?むしろもう暫く続いてくれてもいいぐれェだ。」


 しかしマシューは意外にもこの騒動を有難がっているようだった。警察機構の人間がこの手の騒動を肯定するのもどうかとは思うが、ともかく、心配していた神父も予想外の返答に驚いている。


「煙草を吸う吸わないで同僚がアホな喧嘩に注力しているおかげで、俺がどれだけサボろうがお目こぼし状態ってことよ。隊長も仲裁にかまけて俺に嫌味の一つかける暇も無ェときた。こうやってここでのんびりできるのも煙草騒動様々ってわけよ。」

「少しでも貴方に同情した私が馬鹿でした…」


 椅子の上でふんぞり返り高笑いするマシューを眺めながら、神父はわざわざ冷茶を用意したことを後悔していた。


「しかしベルモンドさんの事情は別にしても、この騒動、どこまで行くのでしょうね?よもや我々が手を出すような事態に発展しなければ良いのですが。」

「さすがにそれは無ェと思いたいぜ。たかだか煙草で『仕事』沙汰なんざアホ臭ェしな。」


 実際のところ、この騒動に絡んで懺悔室を訪れる市民もいるにはいる。しかしその恨み言はといえば「隣で煙草の煙を吸わされた」だの「愛蔵の一本を勝手に捨てられた」だの、とてもではないが「仕事」に値する依頼ではなかった。まあ、それはそれである意味平和な事だと神父は思っているのだが。






 しかし尽きせぬ恨みまでは発展しないにしても、煙草を巡る市民同士の小競り合いは尽きる事が無い。今もまた、街の中では諍いが繰り広げられていた。


「うわっ冷てえ!!なにしやがんだこのババア!?」

「うるさいねえ!天下の往来で煙草なんか吹かしてんじゃないよ!アタシらが煙吸って死んだらどう責任取るつもりだい!?」


 市場のほうでは、歩き煙草をしていた男性がいきなり水を浴びせかけられるという事件が起きた。


「熱っ!なんてことするんだ!」

「うるせえ!あんまりしつこいともっと酷え目に遭わせるぞ!」


 中央通りでは、喫煙をしつこく注意された男が逆上、火のついた部分を肌に投げつけるという事件が起きた。


 互いの否定はエキサイトし、それに伴ない報復行為もまたどんどん過激になって行く。しかもタチの悪いことに、そういう小競り合いを止めるべき州衛士も人によっては一方に肩入れし、因果関係を無視して他方を悪しきと決めつける有様だ。こと今のザカールは、輝世暦前の混沌の時代に戻ったかのような様相を呈していた。




 その中でも特に苛烈であったのは、夕べに起きた刃傷事件だ。川沿いの通りにて、突如発狂した中年男が刃物を振り回して大暴れ。幸い怪我人も出ず、駆け付けた州衛士2人によってあえなく取り押さえられた。しかし事なきを得たと思われた矢先、男は死んでいたのだ。


 特に州衛士の拘束に乱暴なものがあったわけでもない。外傷による死とは考え難い状況。程なくして情報も集まり、この刃物男の正体が下町に住まう工夫のカルベだと判明した。そしてこのカルベという男、近所でも有名な愛煙家でもあった。


「となると、煙草の吸い過ぎで老い先長くないと悟り、絶望して狂ってしまったと考えるのが妥当ですかなぁ。まあ愛煙家の悲しい末路と言ったところですか。」


 州衛士の一人がこう推理を立てた。


「いや違いますよ。周囲から煙草を禁止するよう口煩く注意され、それが元で気を病んで狂ってしまったと私は推察しますね。つまり彼は嫌煙家の嫌がらせの犠牲者かと。」


 すかさずもう一人の州衛士が異論を申し立てる。


 この二人は午前は内勤組、ついぞ正午休みには二つの組に分かれて口論になっていた連中である。いくら勤務スケジュール通りだとはいえ、そんな二人に連れ立って外回りを任せた隊長ベアは判断をミスったと言わざるを得ない。案の定、お互いの立場から勝手な推理を披露し、これまた案の定真正面からぶつかり合った。


「何ですかその回りくどい推理は。この男が愛煙家である以上私の推理のほうが自然でしょう?」

「そちらこそ何を仰います。勝手に自分の寿命を決めて絶望なんて、馬鹿のやる事じゃないですか?」

「自分を省みられるぶん、貴方よりはその馬鹿のほうが賢いのでは?」

「ほーう言いますね。流石、趣味悪く人をなじる手は嫌煙家のお家芸だ。」

「何だと!?」

「やんのか!?」



「あーもう!何してるんですかお二人とも!!」



 丘の上から戻ってきたマシューが目撃したのは、街中で取っ組み合う同僚の姿だった。野次馬達がもっとやれと煽る中、その通りに喧嘩を続ける警察機構の人間。あまり市民にお見せしていい姿でないのはマシューにすらわかる。人込みを掻き分け、二人を止めようとした。


 しかし、実際に彼が喧嘩に間に割って入ることは無かった。野次馬の中に「何か」を見つけたマシューは、それを追って雑踏からそっと抜け出る。州衛士の醜態は、また別の同僚が騒ぎを聞きつけやって来るまで続くのだった。






「いいのかよクソ役人。お仲間を止めなくても。」

「州衛士の本懐は事件解決だ。なら身内の醜い喧嘩止めに行くより有意義な情報を得ることを選んだほうが建設的ってもんだァな。」

「おぬしにそう言われるとは、州衛士隊も落ちたものじゃのう。」


 川沿い通りの書店の裏手、滅多に人が寄り付かないところにマシューとギリィ、そしてカーヤが集まっていた。マシューが野次馬の中に見つけたのはその「仕事」仲間。しかも喧嘩の見物というよりは、怪訝な顔で麻袋に包まれた死体を眺めていた。その表情から何かあると思ったマシューは、目配せをして二人をここまで呼んだというわけだ。


「でだ、お前ら何か知ってるなら教えろ。」

「情報料…と言いたいところじゃが、知った顔が死んどるとなると不謹慎じゃからのう。」


 裏の「仕事」ならともかく、今のところは表の顔の州衛士と何でも屋。普段なら情報を金で売るのもやぶさかではないカーヤだが、今回は事情が事情だ。条件反射で差し出してしまった平手を仕舞い、先の刃物男カルベについて話し出した。


「あのカルベという男、確かにうちの近所でも指折りの愛煙家じゃったんだがの、今回の騒動を切欠に家族のために禁煙をしようとしていたのじゃよ。」

「へえ。」

「しかし止めたくても依存してしまうのが煙草、とはよく聞く話。案の定独力ではにっちもさっちもいかなくなり、専門家に足しげく相談に行き、薬も貰っておったそうな。」

「ふうん。だがそれだけで特にお前らが訝しむようなことは無さそうだが。」


「話は最後まで聞けよ。その相談に当たった専門家ってのが問題なんだよ。」

「ギリィ?おい、まさか…」



「ああ、お察しの通りアグナート病院のフィエル女史だ。」



 その人物は、まさに渦中の人であった。煙草を根絶したいと願う医者の治療を受けた、煙草をやめたいと望む男が、街中で白刃を振り回す。何やらきな臭いものが漂う構図である。治療ミスにしても発狂にまで至るのは度が過ぎる。しかし、仮に故意としても何が狙いなのかもわからない、というのもまた事実であった。仲間からもたらされた情報に、マシューは頭を捻る。


「まあ儂らから伝えられる情報はこれだけじゃ。使えるネタかはわからんが事件解決に役立ててくれい。」

「何だお前ら、随分殊勝なことじゃねェか。俺に恩売ってどうしてェってんだ?」

「テメエもたまには手柄を上げねえと首も危ねえんだろ。裏の『仕事』のためにも役人続けてもらわないとコッチも困るしな。」

「大きなお世話だ。」


「それに、ただでさえ馬鹿げた対立だというに、知った顔が死んだとなればいち早く終わりにしてほしいと思うのも人情じゃ。裏の『仕事』にまで発展する前に、解決してやってくれんかの…」


 そう言い残すと、カーヤたちは帰って行った。昼間は怠けるためにもこの騒動が続けばいいのになどと吞気なことを言ってたマシューだが、まさかその日の夕べに収束を頼まれることになるとは思ってもみなかっただろう。しかもその情報の大本はまさに二大勢力の片側の大本営。よしんば解決に乗り出すにしてもどうなるものか。マシューは、頭を抱えながらひとり屯所へと戻って行くのだった。






「なるほど。夕方の凶刃騒ぎの犯人にそんな事情が…」


 屯所に戻ったマシューは、隊長に先程入手した情報の事を話した。思えば裏の「仕事」の仲間から得た情報を表で利用するなどということはこれまでになかったのではないだろうか。何やら妙な気分がマシューの背をくすぐる。一方で、普段役立たずの隊員からの重要な情報を耳に入れ、ベア隊長は何やら神妙な顔で考え込み、やがて口を開いた。


「今のところ、このことは私とあなたの秘密、ということで。」


 ベアの判断は実に消極的。しかしマシューのおよそ予想通りでもあった。


「まだその治療と発狂騒ぎにはっきりとした因果関係がみられる訳でもありませんし、下手に公表すれば名誉棄損にもなりかねません。それに…」

「それに?」

「ただでさえ愛煙家と嫌煙家に深い溝が出来ている現状。片方を疑い、他方に肩入れするような真似は更なる混乱を呼ぶだけです。」

「本音で言えば?」

「これ以上隊員同士のいざこざが続くと私の心労が…って何言わせるんです。」


 ベアはノリツッコミよろしくマシューの額を叩いた。半ば黙殺という日和見主義の彼らしい判断。しかし騒乱を避けるためという理由は間違ってはいない。マシューとしても、下手にやる気を出されて独りで捜査を任されるのも勘弁願いたいところだったろう。とにかく、他言無用ということで話はまとまった。




しかし、これより三日後のこと、真相に到達する者が奇しくも二人現れるのだった。






 アグナート病院、夜八時。一時間ほど前に本日の検診が終わりあとは今日の後始末をして施錠するのみという時間。職員も患者もほぼ帰り清閑とした館内に荒々しい靴音が鳴る。足音は未だ灯りのついた部屋の手前で止まると、ばたんっ、と荒々しく戸を開けた。


「フィエル女史!これは一体なんですか!?」


 けたたましく乗り込んできたのは当病院の院長アグナート。何かの詰まった麻袋を片手に、室内のフィエルとターミルに物申しにやって来たのだ。温和で知られる彼のこと、これ程の怒り顔を見た者はそうそういまい。


「どうされましたか院長殿?」


 何か不味い事でもあったのか黙して挨拶を返さないフィエルに代わり、ターミルが返事をした。しかし、そのいけしゃあしゃあとした態度はいっそうアグナートの神経を逆撫でする。彼自身このままでは会話にならぬと思ったのか、深呼吸をして気を落ち着けてから追及を始めた。


「…本日は医学ギルドでの会合がありそちらに出席しておりましたが、その帰りにとある患者さんに会いましてね。」

「ほう。」

「そしたら患者さん、青ざめた顔でこのようなことを言ったんですよ。『お金は借金してこさえました。これで煙草をやめる薬を譲ってください。』とね…」


 まるで麻薬への依存で身持ちを崩したかのような台詞である。ぞっとしない話だ。しかしこんな恐ろしい話を聞いても、どういうわけかフィエルもターミルも表情を崩さない。


「それは奇妙な話ですなあ。」

「ええ、私も奇妙と思いましたよ。禁煙治療は貴方がたに一任して私の管轄外、それにしてもおかしなことを言われる。気になって帰ってきてから調剤の倉庫を探しましたよ。そしたら、これが出てきたのです。」


 アグナートは麻袋を机の上に広げた。見れば袋には歯車を模した紋が描かれている。この病院が懇意にしている調剤師にこの紋を使う者はいない。明らかに別所から持ち込まれたものだ。そして袋の中には、何かの根を煎じ擂った粉末が。アグナートは神妙な面持ちで二人に問うた。



「これは、マンドラゴラの粉末ですよね?」



 マンドラゴラ。この大陸に古くから群生する魔法植物。収穫の際叫び声のようなものを上げ、それを聞いた者は死に至るという。現在は栽培すら禁じられるこの奇種の主な用途は魔導の媒介となる魔法薬、そして過剰な鎮静作用と依存性を持った薬物。つまり、先程の患者の話をまるで薬物で身持ちを崩したかのようだと喩えたが、実のところ麻薬そのものだったということだ。


「職員からも証言はとっています。この袋を持ち込んだのはターミル殿だと。そして禁煙を希望される患者さんにこちらを渡しているということも。一体何を考えているんですか!?」

「ええ、確かに私が持ち込みました。しかしこれはうちのギルドで培養した謹製のもの、収穫の際に死人を出すようなことは決してありませんのでご安心ください。」

「私が言いたいのはそちらのリスクではない!煙草をやめたいという人を薬漬けにしてどうするつもりなのですか!?」


 温厚な彼がここまで語を荒立てるのは恐らく生まれて初めてだろう。煙草をやめたいと頼りに来た患者に依存性の高い薬物を偽って渡し、禁断症状と借金の地獄に堕とす。三日前に路上で暴れたカルベもその被害者であり、下手すれば全く無関係な市民にも無用な被害が出ていたかもしれない。それを思えば、いくら温厚でも平常な精神の持ち主なら許せぬ怒りを抱いて当然のことだ。



 しかし、まさにこの事態を引き起こした二人の亜人には、その平常な精神は存在しなかった。



「患者から煙草への依存を消すために、より強い依存性のある薬物を投与し上書きする。れっきとした禁煙治療です。」


 ようやくフィエルが弁明のために口を開いた。その瞳に光は無く、ただ何かの狂気じみたものが宿る。その眼光はアグナートの肝を冷やしめた。しかし彼もここで退くわけにはいかない。


「そのような理屈では本末転倒じゃないですか!」

「マンドラゴラはこの地に自生する植物です。暗黒の地から侵入してきた下賎の野草よりは、こちらのほうがずっと清らかじゃないですか。」

「な、何を言って…」

「そもそも、そのような邪草に一度でも身を冒された者は、この精霊に祝福されし地で生きていく資格など無いのですから。」


 この時アグナートは悟った。彼女の煙草撲滅に対する感情は熱意ではなく狂信だったのだと。多少己の信仰に従順すぎるきらいがあるのは承知していたが、それでも医者である以上患者とその健康を第一に考えての行動だと信じていた。だからこそ、彼女の提案に惜しみなく協力してきた。


 しかしそうではなかった。狂気の領域まで至った自然信仰の末、外来種とそれを珍重する者への憎悪、それがフィエルの全てだったのだ。アグナートは、そんな彼女の本質を見抜けなかった己を恥じた。そして、その責を贖うべく行動に出る。


「院長、どちらへ?」

「決まっている、州衛士の屯所だ。このことを洗いざらい話してくる。我々の罪が問われるどころかこの病院の存続すら危うくなるかもしれないが、それでも―――」


 己の身と地位を投げうってでもこの暴走を止める、それがアグナートの決意であった。しかしその決意は、白刃によって血の色に塗り潰された。踵を返し外に出ようとした彼の脇腹に、フィエルがナイフを突きたてていたのだ。


「―――いくら院長と言えども、私の宿願の邪魔はさせません。」


 アグナートは生まれてこのかた煙草を吸ったことがない。つまりフィエルが忌むべき愛煙家ではない。にもかかわらず、彼女はその命を奪った。フィエルは遂に、目的のために手段を択ばぬ域にまで達していた。




「どうするつもりですか、フィエル女史?」

「さあ?でもこういう裏事は貴方がたの得意技なんでしょ?後始末はお願いするわ。」


 室内に横たわる院長の死体を前に、部屋の主二人は至極冷静に会話を続ける。狂信の末に殺人も厭わなくなったフィエルはもちろん、ターミルも何故だか人の生死にも慣れたものといった感じであった。そんなターミルであっても、フィエルの狂信には内心ついていけぬと思っている。しかしだからといって足抜けする気など毛頭無かった。



 何故なら、彼女のような世を乱してでも己の欲望を成さんとする者こそ、彼の所属するギルド「曇一家クラウドファミリー」の最も求める顧客なのだから。






 夜はさらに更け十時。既に多くの住民が寝静まった下町の裏通り。そんな何もないところに州衛士の男が立っていた。足元には三つほど煙草の吸殻が転がっており、なにやら人を待っているといった佇まいだが、このような場所に何者が来るというのか。


 しかし数分後、確かに何者かがやって来た。その待ち人は姿を見られては不味いのか、やや低めの背にローブを被り完全に身を隠している。こそこそとおっかなびっくり気味に州衛士に近付くと、ようやくそのローブを抜いて顔を見せた。


「何用かは知らねえが、こんな時間にこんな辺鄙な場所に呼びつけるとは、公僕の横暴が過ぎるんじゃねえか?」


 強面のドワーフが鋭い目つきで話しかけると、州衛士の男は物怖じもせず嬉しそうに彼の手を取り答えた。


「下働きに秘密の言伝を頼んでみたのですが、まさか本当に来て下さるなんて!お会いできて光栄です、我らが喫煙者の希望ザッカルス殿。私、ザカール州衛士隊のダンエルと申します。」


 州衛士隊一番の愛煙家ダンエルは、憧れのヒーローに会ったかのような目の輝きを見せる。舞台俳優にしてアグナート病院の煙草廃絶運動から真向対立の姿勢を見せる男、ザッカルス。なるほど彼が嬉しがるのも当然か。しかしそんなダンエルの態度も半ば無視して、ザッカルスはおもむろに煙草に火をつけた。


「いやー、やっぱり煙草を吸うさまが画になりますなぁー。」

「おべんちゃらはいいからとっとと本題に入ってくれよ。明日も早いのにこんな辺鄙なところに呼びつけたんだ、ろくでもない話だったら承知しねえぞ。」

「あ、申し訳ございません。何分他人の耳に入っては不味い情報を持って来ましたもので。」

「情報?」

「ええ。州衛士隊のほうで入手した極秘情報。いくらザッカルス殿相手とはいえ、バラしたことが誰かに知れたら情報漏洩で私がお縄になってしまいますもので。」


 極秘情報の漏洩、その言葉にザッカルスは一転して息を飲んだ。最近はめっきり他人の注目を集める身、夜とはいえ衆目から顔を隠すこの服装で来たのは完全に正解だったようだ。思わぬ事態に急に真顔になったザッカルスに、ダンエルは何かの薬袋を見せる。


「これは?」

「とりあえずひとつ舐めてみてください。あ、あまり多く取らない方がいいですよ。」


 ザッカルスはその言葉に従い、指先に唾を付け袋の中の散剤を僅かに指に塗し、そして下の上に乗せた。瞬間、気が遠のき全身から力が抜けるような感覚。思わず足が揺らめき転びそうになる彼を、ダンエルは素早く支えた。


「こ、これは…」

「ええ、お察しの通りの麻薬。恐らくご禁制のマンドラゴラです。」

「何でそんなもんを!?」

「アグナート病院に禁煙治療に通ってるって町人を締め上げて持って来ました。」


 マンドラゴラとアグナート病院の禁煙治療―――本来ならあまりにかけ離れた二つのワードがザッカルスを混乱させる。しかし程なくして一つの可能性が見えてくる。あまりにも素っ頓狂で本来なら妄言としか思えないその答えに、さしものアグナート病院を目の敵にする愛煙家も背筋にうすら寒いものを感じた。



「おい、まさかとは思うが…」

「お察しの通りです。奴らは煙草の廃絶を喧伝し、それに乗せられて禁煙しようって奴に麻薬を売りつけてボロ儲けしてるってことですよ!」



 不倶戴天の怨敵の、あまりにも非道な実態。悪役専門の役者ザッカルスも嫌悪を催す。と同時に、いくつかの疑問も湧き上がった。


「いったいどうやってこんなカラクリに気付いた?」

「本来は隊長と一部の隊員のみに知らされた極秘情報でした。公表すれば無駄な混乱を引き起こすということで機密とされたのですが、私は黙ってられませんでした。」


 実はダンエルはあの日、マシューがベアに報告をしているところを目撃していた。物陰に隠れ、聞き耳を立て、カーヤに端を発するカルベの実情を知ることとなった。そして仲間にも知らせること無く、内密にこの件の調査を行っていたのだ。


「それで、何で仲間じゃなく俺に知らせた?」

「隊員にも嫌煙家は山と居ますから。あのエルフにいいように洗脳された連中に知られれば折角の真実もどうなることか。そこいくとザッカルス殿はあの女狐と真っ向から構え、新聞社にも顔が売れている。この事実は、貴方から公表してもらったほうが効果的なんです。」


 情報漏洩という州衛士としての仕事のルールに背いてでも、アグナート病院とフィエルを潰す。そんなダンエルの確固たる意志をザッカルスは感じた。そしてそれに応えようという気もむくむくと芽生え始める。しかしそれは倫理にもとる相手への怒りというだけではない。仇敵を叩き潰す快感、英雄願望、そういったごく個人的な快感も少なからず彼の胸の内にあった。


「これを公表すりゃ、悪役専門の俺が一躍ヒーローか。そいつぁ面白い。」

「でしょう?早速明日にでも新聞社に駆け込みましょう。」

「いや、流石に数日間は公演で忙しい。だが近日中には必ずするさ。」

「お願いしますね。あの女狐の慌てる顔が見ものですわい。」


「しかし州衛士さんもいいことを教えてくれたもんだ。今度お礼に飯でも奢ってやるよ。港通りのほうのいい店があるんだ。」

「へえ、是非ご一緒させていただきます。」


 ダンエルは揉み手をしながら返事をした。実際、彼もまた純粋な正義感のみで動いたわけではない。煙草を吸いづらい世間にしたフィエルへの憎しみ、そしてあわよくば有力者に取り入ろうという助平心も多分に存在していた。


しかし動機はどうであれ悪事を白日の下に晒すことには変わりは無い。この騒動も数日のうちに愛煙家の勝利を以て収束するだろう、そのような希望を抱きながら二人は吸っていた煙草を捨て、真っ暗な裏通りを後にするのだった。






 その裏通りの暗闇に、ひとつの光が見える。屑星のよう儚い光、しかしてそれは確かに煌々と燃える火の種だ。そしてこの種が、ダンエルたちが描いた未来を大きく変える因果を紡ぐことになるとは、この時誰も予想し得なかっただろう。




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