其の三

 下弦の月が夜空に輝く下で、4人の男たちは野道を歩いていた。関所を越えても街までは遠い。ジャノベアの市街地まではもうしばらくこの人気の無い殺風景なところを行かねばならぬ。先頭に立つのはひときわの巨躯を誇る人間の男。しかし集団を先導していると言うよりも、ひとり好き勝手に歩く彼に合わせて仲間が歩調を合わせているといった風情である。身長にひときわ差異のあるハーフリングの男は半ば駆け足気味で付いて行かねばならない状態だ。さりとて、それに文句を言う気配も無い。その光景が、およそ彼らの上下関係を示していた。


 ふと、男の足が止まった。続けて仲間たちも足を止める。無論、仲間と歩調を合わせるために待ったというわけではない。程なくして、道脇の林がガサガサと音を立て、その中から、この時代にはあまり見なくなった重装の者たちが次々と姿を現した。種族・男女問わずその数数十人、あっという間に4人を取り囲んだ。


「南に逃走中とは聞いていたから北の関所を張っていて正解だったぜ。なあ、『元』北の英雄様よ?」


 一団の長と思しき男が不敵に話しかける。問われたほうは黙して答えなかった。


「勇者アランに並ぶと謳われた冒険者で、その功績を讃え戦後は地元ヴァルハ州第一近衛師団に抜擢。しかし半年前、何を乱心したのか副団長以下団員を皆殺しにして逃走、今じゃお尋ね者ときたもんだ。」


 「元」北の英雄と呼ばれた男は未だ答えない。しかし、暗がりでよく見えぬ中にあって、そのこめかみには確かに青筋が浮いていた。男の語る彼の来歴、確かに言われて愉快なものでは無い。恐らく挑発の意味が大きいのだろう。


「何が気に食わなくてあんないい地位を蹴ったのかは知らないが、堕ちた英雄を討ったとあれば我々の株も上がる。さあ、我らが傭兵団『明けの明星』の成り上がりの為の礎となってもらおうか。」


 と、ひとしきり喋り終えると武装した男は腰に挿した剣を抜いた。それを合図にするかのように、周りを取り囲む者たちも武器を構える。


 魔王討伐より30年、平和なれど未だに混乱を引き摺るこの時代には、まだかような傭兵団が功名心を滾らせていた。男の言うことが真実ならば、眼前の男を討伐できればこの上なく名を売ることができるだろう。そんな期待に気が逸ったのか、男はすぐさま手にした剣を「堕ちた英雄」へ袈裟懸けに振り下ろした。




―――しかし、標的の肩口に触れた剣は、あっというまに二つに分かたれた。




 「折れた」という感覚は無い。剣の断面を見れば鋼で出来た刀身が飴のようになっている。そう、触れた先から剣が熔けたのだ。見れば対手の皮膚は暗がりでもはっきりわかるほどに真っ赤に変容していた。


「随分と俺のことに詳しいようだが、ならば俺が不死竜の血を浴び己の血液を溶岩と化したという伝説も知っている筈だが?よもやそれを誇大宣伝の与太話とでも思っていたのか?」


 男がようやく口を開いた。その語調には明らかに怒りが混じる。そしてパンチ一閃。その伝説を信じるのならば、マグマほどの熱量を持つ拳にはいかな鋼の装甲も意味を成すまい。鎧を穿ち、そして胴を貫き、己に向かってきた男に見るも見事な風穴を開けた。じゅうじゅうと、肉の焼ける臭いがあたりに漂う。無論、即死である。


「おいお前ら、俺を舐めた代償をこいつらに払わせてやれ。」


 男の言葉に、仲間の亜人種たちが不敵な笑みを浮かべ応えた。折々に得物を出し、取り囲む者たちに突きつける。一方の「明けの明星」のメンバーは、リーダーのあまりにも無残な死に様におののき。完全に意気消沈していた。これだけの士気の差があれば人数の差は意味を成すまい。後はもう、ただの虐殺であった。




「とんだところで無駄足を食いましたね。さ、先を急ぎましょう。」


 紅い血に塗れたレイピアを下したエルフの男が呼びかける。しかし、大男の肌は未だ赤いまま。明らかに怒りが収まっていないかの様相だった。



「クソがっ!舐めやがって雑魚どもの癖にっ!!」


 突然、大男が叫んだ。そして苛立ちのままに足元に広がる死体の海を踏みにじり、蹴り上げ、混ぜ返す。同じ仲間なれど、彼に付き従う亜人たちはこの光景を身を震わせながら眺めるだけであった。



「カスどもがっ!!俺はテメエらとは格が違うんだぞ!!俺は!俺は!!北の英雄ジークグランテ様なんだぞっ!!テメエらレベルがおいそれと舐めたクチを聞ける人間じゃねえんだ!!わかってんのかゴミどもがっ!!!」



 居並ぶ死体があっという間に焦げ臭い挽肉の山と化す。ただ駄々っ子のように鬱屈したうっぷんを叩きつけるジークグランテの前に、死者の尊厳などは存在しなかった。






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「どうです?なかなかのものでしょう?」

「ええ、はぁ…」


 俺が過去に転移して9日目、この日はルドルフが自身の宝物庫を案内してくれた。どうも氏は蒐集家らしく、旧世代の調度品はおろか南方大陸や東方大陸の工芸品、果てはワノクニのものまで並んでいた。武具としてではなくインテリアとしてカテゴリーされたサムライソードには何か憮然としないものを感じなくも無いが、基本的に学と教養に欠ける俺にとってはあまり面白みのあるものでもない。薄ら笑いで返すことしかできなかった。


「いやはや、未来から来た英傑様に所蔵のコレクションをお見せできるとは、私も果報者ですわい。」


 更に困ったことに、ルドルフは俺を未来から来た英雄様だと思っている。いや、未来から来たことは確かなのだが、かの勇者アランと同列の扱いは流石に歯がゆい。実際の俺は、ただのしがない没落貴族、ないし対極に位置する悪党だってのによォ。それでも何かしらの使命があってこの時代に送られたのだろうが、その使命の心当たりを思うと猶の事頭が痛い。



「ちょっとあなた!またマシューをこんなところに連れて来て!」



 と、ここでその頭痛の元がけたたましく宝物庫まで乗り込んで来た。


「こいつには買い物を言いつけてたっていうのに、こんなところでサボらせるなんて!」

「まあまあ、いいじゃないかビーナ。そんな用事は他の者に行かせれば。未来の英雄様に悪いじゃないか。」

「またそんな与太話を。コイツが本当に未来から来たのかもわからないっていうのに…まったく相も変わらずお人好しが過ぎるわよ。」

「ははは。だからこそしっかり者のお前と一緒で良かったと思っているよ。」


 やって来たのはルドルフの若い細君ビーナ。そして後の世において悲劇として語り継がれる事件を起こす筈の女である。となればその悲劇を食い止めることが使命なのかと思い至るのがまあ妥当だろう。この女が俺を邪険にするように、俺もまたこの女を訝しんでいる。


 しかし初老のルドルフにとってはようやく娶った若く美人の妻。なおかつ表向きは気立ても良く自分を支えるしっかり者とくれば、ルドルフの信用も厚かろう。そんな中で「あんたの嫁さん詐欺みたいなもんだぜ」と言っても信じてもらえないだろう。よしんば信じてもらえたとしても、かようなお人好しが傷心する姿を見るのも忍びない。しかも昔の知り合いと称するオバサンからも「ビーナはそんなことするタマじゃない」と釘を刺されたりもした。


(さて、どうしたもんかね…)


 夫婦の会話の間隙を突き、俺は宝物庫を後にする。そしてそのままビーナに言われた通りの買い物に向かった。それは、ここで悩むより外の空気を吸いながらのほうが妙案も浮かぶだろう、という目算でもあった。






 300年前のジャノベアの街並みは今のものとさほど変わりない。建物の作りが多少古めかしいくらいだろうか。良し悪しは兎も角、時代がゆるりとした停滞の中にあることがよくわかる。それはそれとしても今日は人通りが少ない。特に女子供の姿が少ないのが気にかかる。そう思いながら肉屋を目指し歩いていると、途中の酒屋で見た顔に会った。


「あ、神父…じゃなくって酒屋さん。お久しぶりです。」

「えっと、確かエルハイムさんのところの…ベルモンドさんでしたっけ?」


 店の前で掃除をしている白髪の青年に挨拶をする。ついぞ三日前、彼らの一段と一悶着あって顔見知りになった仲だ。まあ、本来は「仕事」上の旧知の仲なのだが、この時代では知り合いになったばかりだ。それだけに妙な気分を感じてならない。


「どうです?こんだけ人通りが少ないと商売上がったりなんじゃ?」

「ですね。ちゃんとお給金が出るか不安ってロゴスさんも言ってましたよ。」

「というか、何でこんなに人が出歩いてないんで?」


 世間話もそこそこに、気掛かりを尋ねる。


「そりゃそうですよ。昨晩このあたりで凄惨な殺人事件がありましたからね。犯人も捕まっていないし、外出を控える方も多いのかと。」


 そいつァ初耳だ。成程、ビーナが俺を名指しで買い腿に行かせた意味もわかるってモンだ。


「外出を控えるって、そんなに酷い殺しだったんかね?」

「最近売り出し中の『明けの明星』って傭兵団が殺されたらしいんですけど、そりゃひどい有様だったって。何でも現場見たらハンバーグが二度と食べられなくなるんじゃないかって話です。」

「うへぇ…」


 表の職業柄、変死体にも縁はあるがそんな俺でも辟易するような光景だなそりゃ。


「それでロゴスさんとティガルドさんは『仕事』にならないかあたりを入れに…いや!そうじゃなくて!配達に行っていまして!」

「へぇ…」


 まあこの時代からあの「仕事」をしていたことは大体予想の範疇である。にしても若い頃とは言え見た目も変わらぬあの神父様がうっかり口を滑らせて慌てる姿は見ていて面白い。俺は笑いを堪え、聞かぬふりをして買い物へと戻って行った。しかしそれほどの派手な殺しがあったにもかかわらず、犯人の情報が未だ掴めていないというのもぞっとする話だ。はてさて、今どこに潜伏しているのやら。






―――などという疑問は、買い物を終えて帰ってきてすぐに判明したのだが。



 調理場の近くを通ると、肉の焼ける臭いが漂う。先だって俺が買ってきた肉だ。随分と高い肉だけに、その香しさは折り紙付き。昼飯を終えた時間にもかかわらず食欲を刺激してしょうがない。


 そう、奇妙なことに昼飯などとうに終わった筈の午後三時に厨房に火が入っているのだ。エルハイム夫妻もきっちり正午に食事をとっている、遅い昼飯といった雰囲気でもない。そもそもいくら金持ちといえど祝祭日にしか買わないような高級な肉を、こんな平日の半端な時間に出す意味もわからない。恐る恐るメイド長にその疑問を伺った。


「何でも若奥様のお客人にお出しするらしいわよ。その方々の顔は見てないし、そもいつの間にお屋敷に上がられたのかは知らないけど。あ、そうそう、このお食事も若奥様が直々に持って行くそうだから、マシューも自分の仕事に戻りなさいな。」


 すこぶる怪しい。よもや間男の類ではなかろうか。「ジャノベア心中」にはそういった他の男の存在は無いが、あるいは歴史に隠された真実があるのかもしれない。これは是が非でも突き止めねばならぬ。俺は「誰もついてくるな」と釘を刺し食事を運ぶビーナの後をこっそりつけた。しかし客室にはしっかりと鍵。さてどうしたものか…




「ほら、持ってきてやったわよ。まったく、たかるならもう少し謙虚になれないモンなの?干し肉とパンで充分でしょうに、なんでこんないいご飯を…」

「そう言うなよビーナ。俺らも長い逃亡生活で碌なもん食ってねえんだ。たまの贅沢ぐらいさせろ。」

「ああウメエ!こんないいもん食ったのは久々どころか初めてかもしれねえな!」

「酒もだ!ああこの感覚、久々に酔ったって気分だ!」


 客室では冒険者然とした四人の男が出された料理に舌鼓を打っていた。いや、そんな上品なもんじゃねェか。粗野な外見そのままに、肉をかっ食らい酒を浴びるように飲む。折角の高級食材が台無しだ。勿体無ェ、と俺は怒りを覚えた。


 さて、俺が何処からこの光景を眺めているのかといえば、この部屋の天井裏。造りのしっかりした邸宅とはいえ古い建築様式、間に入り込むのはまあ頑張ればなんとかなるもんだ。しかし、この過去世界くんだりまで来てギリィやリュキアの真似事をする羽目になるたァ思ってもみなかった。身体能力が違うとはいえ、アイツらの苦労も偲ばれる。


「しかしジーク、アンタがヴァルハでやらかして逃走中とは聞いていたけど、まさかこんな大陸の中ほどにまで逃れてくるとはね。」

「やらかしなんかじゃねえよ、当然の結果だ。ヴァルハ州の第一近衛師団か何か知らねえが、この英雄ジークグランテ様に舐めた口を利くやつは万死に値する。昨晩ふっかけててきた傭兵団とかも同じだ。」

「やっぱり…死体の状況を聞いてアンタじゃないかとは思っていたけどさ。」


 ジークグランデと名乗る大男は葡萄酒を瓶ごとラッパ飲みしてふてぶてしく言った。その名は俺も聞いたことがある。勇者アランと同時代に並び称された冒険者。大陸の北に生まれ、その極寒の山麓に住む不死の竜を討ちその血を浴びたことでその血を滾る溶岩へ変えた。その特別な肉体を以て様々な伝説を残す「北の英雄」。輝世暦後は地元ヴァルハ州で第一近衛師団長として抱え入れられたことまでは伝承として残っている。気性の荒い性格だとは聞いていたが、今の話を聞く限りそんなレベルじゃねェ。完全に頭がおかしい。


 そしてビーナは、何故そんな頭のおかしい犯罪者を匿っているのか、それが気掛かりだった。



「それで、いつ出て行ってくれるんだい?昔のよしみで匿ってやったけど、厄介者なら先客がいるんだ。」

「おいおい。そんな言い方は無いだろう女王蜂クインビー?それこそ昔馴染の俺達にさ。」

「その名で呼ぶのはやめてくれよ、ガイガス。」


 ガイガスと呼ばれたドワーフの男が半笑いで答える。そういえばロゴスというオバサンも言っていたっけか。女王蜂クインビー、ビーナは昔その渾名でもってあまり声を大にしては言えぬ活動を行っていたと。口ぶりからしてこの一団も、その頃の知り合いなのだろう。


「あのエロガキが、今や上院議員様のご婦人とはな。世の中何が起こるかわからねえもんよ。」

「いいだろそんなこと、レドル。」

「ところでよ、あの頃のことを旦那様はご存知なのかい?」

「!?」


 エルフの男レドルの言葉にビーナの顔が強張った。このリアクションを見れば俺でも一発で察する。ルドルフは嫁の過去の事を知らないだろう。そして、その過去にどれだけのことをしでかしたのかは知らないが、とても言えるようなものでは無かったのだろう。となれば、この男たちが何を言わんとするかは一目瞭然であろう。


「齢は慣れちゃいるが随分仲がいいって、ハーフリングの仲間伝いに聞いてるぜ。だがいけねえなぁ、そんなおしどり夫婦の間に隠し事があるなんてよぉ。」

「パルタ…あんたの入れ知恵かい?」

「俺は情報を仕入れただけ。発案はレドルのほうさ。」


 パルタというハーフリングは、いや客室に居座る四人全員が、いやらしい視線をビーナに投げかけていた。最早何を言わんや、口で説明するまでも無く連中の目的が見て取れる。



―――旦那が知れば離縁確実な過去をばらされたくなければ俺たちを匿え。実にわかりやすい強請り集りの手口。



「…この私にたかる気かい?」


 ビーナも同様の事を思い、口に出す。瞬間、場の空気が変わった。男たちから下衆な笑みが消える。三人の亜人たちは何かに怯え、中央に鎮座する大男は明らかに不機嫌な、あるいは殺気にも似た視線でビーナを睨んだ。


「俺がたかってるってことは、お前は俺より金を持ってる、偉い立場だと言いたいのか?」

「…!!」

「まさか少し金持ちに嫁いだからって、調子に乗ってるわけじゃねえよなビーナ?あの頃色々世話になった、その恩返しがしてえんだよな?」


 いや、どう考えても強請りだろ。そんな当たり前の指摘すら許さないほどに、ジークグランデの恫喝は恐ろしかった。ビーナも、ついでに亜人たちもただ黙って頷く以外の選択肢がありえない威圧感。そして気付かされる彼の「自分が下に見られる」ことへの異常なまでの嫌悪感。あの恫喝には、ただの厚かましさ以上にそんな狂気が感じられた。


「ま、まあジークの兄貴もこう言ってるんだ。ほとぼりが冷めるまでここに住まわせてもらうぜ。」

「今みたいに三食ちゃーんと出してくれよ。」

「もし変な気を起こすようなら…わかってるよな?」


 ジークグランデの怒りが醸す空気に耐え兼ね、亜人たちはビーナに念押しをした。彼女は無言で客室から出て行く。俺も後を追うように天井裏を這い、入って行った隣の空室に降りた。入る際に外した天井板を戻しながら、俺は考える。


 俺の知る限り「ジャノベア心中」の登場人物にあのような者たちは登場しない。それどころか、愛を求めた夫と財を欲した妻の破滅を描く物語に出番があるような存在とも思えない。間男のようなものならばビーナの狂奔の契機にもなろうが、両者におよそ恋愛感情が無いことはニブチンの俺でもわかる。アレはただの厄介な脅迫者でしかない。もしかして、ただの敵役と思っていたビーナもまた被害者だったのか?連中の簒奪に追い詰められたが末の結末だったか?歴史の裏に誰も知らぬ真実が隠されていたのか?




 そんな考え事に頭を支配されていた俺は、まるで無警戒に部屋を出る。いつもの俺ならばあり得ない失態。いつも通り周囲の気配を敏感に感じ取っていれば―――未だ隣の客室の前で咽び泣くビーナの存在を警戒できた筈なのだ。



「!?…ま、マシューじゃないか!?何だい、隣の空き部屋でサボってたのかい!?何度も言うけど働かない宿六に食わせる飯は無いって言ってるだろ!」



 隣室から現れた俺に気付き、ビーナがいつも通り俺に説教をする。しかし、確かに彼女は泣いていた。気丈に振る舞うが、今も目に涙が溜まっている。「仕事」柄、人の涙には敏感なほうだ。これは確かに嘘泣きでも、邪心のある涙ではない。ただ純粋に哀しみと悔恨、そして己の不甲斐なさをを嘆く涙。およそ夫の財を狙う悪妻には流せぬものだった。


「そういう若奥様こそ、こんな所で何泣いてるんで?」

「なっ、泣いてる…?馬鹿!そんなわけないだろ!変なこと言ってないで仕事に戻り―――」

「そこのお客人たちに強請られでもしたんですかい?」


 ビーナは心臓を握られたかのようにはっとなった。そりゃそうだ、こんな直球ど真ん中の質問だ。驚かない筈が無い。まだ涙を湛えたままだが、キッとこちらを睨む。


「アンタの過去の人となりもロゴスってオバサンから聞いてるぜ。となると、奴さんらも無茶してたその頃のお知り合いって感じか。なあ、女王蜂クインビーさんよ。」

「…隣の部屋から出てきた地点でおかしいと思うべきだったわよ。どこまで聞いてたの?」

「まあ、一部始終と言っても過言じゃねェかな。」


 あくまで飄々と語る俺に、ビーナの殺気の籠った視線が刺さる。一線を退いたとはいえさすが輝世暦前の冒険者、これほどの眼光を放てる若奥様なんざ317年には存在しないだろうよ。


「…それで、どうする気だい?アンタも私を強請る気かい?」

「まあ、寝床と飯目当ての宿六ならそれもいいかもしれねェけどな。ここはひとつ、旦那様が信じてくれたような『未来の英雄様』として振る舞わせてもらおうかな。」

「は?」

「ここで立ち話も何だ。場所を変えようぜ。」


 と、ここで予想外の返答にビーナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔。俺はビーナの手を引き、人目につかない裏庭の林へと連れて行った。






「あの頃は本当に荒んでいたわ…若さと美貌にかこつけ、男を騙し、貢がせ、時には闇に葬る。貞淑なんてその時にとっくに捨てていたわ。それでも、あの暗黒の時代で生きていくならこの位が相応だと思っていた。時代のせいにするのも卑怯だけど。」


 林の中、ビーナは煙草に火をつけながら昔語りをしている。普段吸っている様子は無いが随分と手慣れた様子。おそらく結婚に際しやめていたのだろう。それでもつらい過去を話すには、煙草の力を借りねばならなかったようだ。


「でも時代は変わった。勇者アランが大地から魔物を追い払った。かつて理想だけの童貞坊主と罵った子が、ね。フフフ。そりゃもう恥ずかしかったわよ。死のうかとおもったくらい。でも、生きて穢れた自分を変えたい気持ちが勝った。一切の過去を捨て、口入屋に真っ当な使用人としての仕事を求めたわ。でもまあ今までの悪行が顔に出るのかしら、ろくすっぽ雇い主なんか現れなかった。物好きのお人好し、ルドルフ・エルハイムってお偉いさんが来るまではね。」


 ルドルフの名を口にしたビーナの表情が綻んだ。


「『君みたいな若くて美人な娘が職にあぶれるのは勿体無い』ってね。正直その言葉を聞いた時はただの好色ジジイかと思ってた。でも違う、本当にひとりの女の将来を憂いていたただのお人好し。ろくすっぽ家事仕事なんかやってなかった私に馬鹿みたいに親身になって雇ってくれた。これは私に限った話じゃなくて、一事が万事この調子。お人好しが過ぎて、いろんなことに首突っ込んで、危なっかしくて見ていられなくて、誰かしっかり者が付いていてあげなきゃと思ってたら…その、いつしか…」


 そう語るビーナの顔は、まるで初恋の熱に浮かされる少女のようだった。何時もの厳しい態度はどこへやら。いや、その厳しさも温和が過ぎるルドルフを支えようという一心から来たものだと気付かされる。今になって思えば、確かに似合いの夫婦といえる関係だ。俺に対する嫌疑の目もそれ故なのだろう。


「…でもダメね。今になって過去の亡霊に足を掬われるなんて。あの人を支えようと夫婦になったのに、逆にあの人の重荷になってしまった…」

「若奥様…」

「話はこれで終わり。不思議なものね、よりにもよってアンタみたいなのに全部話しちゃうなんてさ。私もアンタを『未来から来た英雄様』だと思っちゃってるのかな?」

「いや持ち上げてもらわなくても結構ですぜ。こういうことは抱え込むより誰でもいいから話した方が楽になるもんですから。」


 再び暗く沈んだビーナだが、一通り話し終え煙草を消すとひとまず見える顔に戻っていた。言うだけ言って少し気も晴れたのだろう。だが状況は何一つとして好転していない。これより先に立ち入るのはお節介だとわかりながらも、物語の悪妻と疑ってしまった引け目もあり、ついつい口を出してしまった。


「確かに、ルドルフの旦那はお人好しが過ぎまさァな。俺みてェなのもあっさり信用しちまうし。本当なら若奥様くらい疑うのが常識だろうに。」

「でしょ?まったくあの人は…」

「で、そんなレベルの底抜けのお人好しが、嫁さんの暗い過去を知ったぐらいで見放したりしますかね?」


 言ってしまった。暗に「バラされても問題ないのではないか?」と。


「で、でも!あの人がいいとしても市井に私の噂が広まればエルハイムの家名に傷が…」

「家名と嫁さん天秤にかけてどっち取る人間かは俺よりも若奥様のほうがよーくご存知なのでは?それなりに辛いことにはなるだろうが、連中をのさばらせておくのとどっちがマシかの判断はアンタに任せまさァ。まあ、外野の無責任な一言だ。忘れてもらっても構いませんぜ。」

「マシュー…」


 俺は踵を返しこの場を後にしようとした。瞬間、ビーナの声が聞こえる。


「ありがとね…アンタのおかげで肩の荷も下りたよ…」

「そう言ってもらえりゃ何よりです。」

「それはそうと、季節柄この林も随分と雑草が伸びて来てるねぇ。見た目も悪いからあとで手入れしときなよ、マシュー。」

「へ、へい…」


 本当に、しっかりした若奥さんだこと…






 中庭の掃除も終わり、日が沈む手前ぐらいの時間には今日の仕事を上がることができた。俺の足は街の酒場へと向かう。たったひとりの祝杯。誰にも言えぬことだが、歴史に残る悲劇を回避できたという偉業、それを成し遂げた自分を褒めてやりたいと思っていた。その足取りは非常に軽い。




―――しかし待てよ?この時代に送られた使命を成し遂げたのなら、俺は何時元の時代に帰れるんだ?



 勇者アランの伝承では、目的の「神の涙」を手に入れたあと程なくして再びまばゆい光に包まれ帰還したとある。それと同様であるならば俺はもう元の時代に帰れている筈だ。冷静になると同時に疑念が芽生える。まだ使命は終わっていないというのか?あるいは俺が思っていたものとはまったく別の使命があったのか?


 道に立ち止まり考え込む俺の周囲では、道行く人々が遠方を指差しざわついていた。


「おい、アレ火事じゃねえのか?」

「あの方向、エルハイムさんのお屋敷じゃ…?」


 人々が指さす方に振り向くと、確かに火の手が見える。夕焼け空の赤と混ざってわかり辛かったが、確かにあの方向には俺の世話になっている屋敷が。



 俺は駆けた。一心不乱に来た道を戻った。そこにはあの広い敷地を覆い隠すほどの大火。



 先んじて国家制定の魔導消防隊が駆けつけており、水や風、氷の魔法を以て火は次第に消えていったが、それでも間に合ったとはいえず屋敷も、宝物庫も、俺が剪定したばかりの中庭も、ほぼ真黒な炭と化していた。10日間ほどとはいえ滞在した家の無残な姿にショックを受けながらも、消防隊の制止を振り切りその中へと入っていく。最悪の事態が起きてないことを願いつつ。


 しかし、その願いは儚く消えた。焼け落ちた屋敷の一室、そこにあったのは首なしの主人の死体と、瓦礫に挟まれ息も絶え絶えな夫人の姿。



「若奥様!?」

「なんだい…マシューかい…アンタ、生きてたんだ…良かった…」

「い、一体なんでこんなことに!?」

「いやぁ…私としたことが、こんなことになるなんてね…アハハ…」


 力なくも気丈に振る舞うビーナだが、瓦礫に潰された下半身だけでなく、胸にも大きな傷がある。「仕事」柄はっきりわかる致命傷。よしんば瓦礫から助け出したとしても長くは無い。その残された命で、彼女は俺に事の顛末を話し始めた。






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 マシューが屋敷を出て行ってからさほど時間も経たぬ頃、客室には6つの人影があった。片や上座に鎮座するのはジークグランデ一行の4名、対し下座にはこの屋敷の持ち主たるエルハイム夫妻。来るはずが無いと高を括っていたビーナの夫、しかもこの州でも有数の権力者を目の前にして、ジークグランデ以外の三名は妙に縮こまっていた。


「い、いやあまさか上院議員殿がそちらからお見えになるとは。こちらからご挨拶に行こうとは思っていたのですが…」

「心にもないおべっかは要りませんよ。」


 レドルの言葉を強い口調で遮った。その毅然とした姿に、普段の温厚なルドルフの面影は無い。お人好しを周囲より心配される御仁ではあるが、旧名門貴族の血を継ぐ彼はそれだけの人間ではないのだ。一方のレドルは予想外の展開に、昨日までの横柄な様子は見られない。


「単刀直入に言います。貴方がたにはこの屋敷から出て行ってもらいたい。」


 前置きすらなく投げつけられる退去命令。三人の亜人は互いに顔を見合わせながらただたじろいでいた。


「旦那。そりゃ嫁の事をおもんばかっての発言だとは思うが、その愛する嫁は昔な―――」

「存じております。そしてすべて受け入れました。でなければ今私はこの場にいません。」

「あんたは良くても、他の人間に知られたら事だろう?名門エルハイム家の細君の正体があんなのだという流言が広まったら―――」

「家名に泥を被るのは覚悟の上です。その危険を差し引いて猶、妻のことを愛しておりますので。」


 ビーナはマシューに言われた通りすべてを夫に打ち明けていた。そして彼の予想通り、いや、予想以上に真摯な態度でルドルフは妻の立たされた苦境を打開すべく動いたのだ。恐喝のネタを悉く封じられ、ガイガスとパルタはただ歯噛みをするしかなかった。


「で、どうする気だ?やはり近衛師団に引き渡すつもりか?」

「それが一番の解決策なのでしょうが、必要以上に事を荒立てる気もありません。ただ、黙って出て行くというのなら見逃してあげましょう。支度金も幾分か包ませますが、どうです?」


 彼らは地元、そしてこの地で大量殺人を犯したお尋ね者である。一番恐れるべきことは官員への引き渡し、そして処刑であろう。レドルもそう覚悟し静かな怒りに震えるルドルフに尋ねたが、その返答は意外にも温情あるものだった。死の恐怖を目前にしたところで、見逃した上で金も幾分か持たせてくれるという好条件。これもルドルフの交渉術なのだが、ともかく彼らにこの条件を飲まない理由などは無かった。



―――ただひとり、「北の英雄」ジークグランデを除いて



 がしっ


 唐突に身を乗り出したジークの右手が、ルドルフの頭を掴んだ。大男の掌はすっぽりと初老の男の頭部を包み込む。このまま握り潰してしまいそうな光景に、ビーナも、連れの三人も慌てて引きはがしにかかる。しかしこの男の握力は大人数人ですらどうにかできるものでは無かった。


「あが…がが…」

「あ、あなたぁ!!ちょっとジーク、何してんのさ!?」

「あ、兄貴!一体どうしたんで!?」


「今このジジイ、『見逃してやる』って言ったよな?」



「普通『捕まらぬよう手配に尽力いたします』だろ?北の英雄様が相手なんだぞ?」


「何で俺がこんなジジイに上から目線でモノを言われなきゃならねえんだ、ああ!?」



 理不尽に過ぎる理由。しかし、不死竜の試練を成し遂げた自分以上に偉い人間は居ない、と自分勝手に思い込んでいる彼にはそれでも十分な理由であった。侮辱という思い込みが怒りを呼び、ジークグランデの皮膚を赤く染める。彼の血であるマグマが活性化してきた証拠だ。掌にもその熱は伝わり、1000度ほどはあろうかという熱量がルドルフの頭を苛む。


―――そして沸騰した血液と共に、ルドルフの頭が爆ぜた。


 ジークグランデは顔なしの死体を乱雑に後方に投げやった。まるで人形遊びに飽きた子供のように。



「ジィィィィクゥゥゥゥゥゥ!!!」


 愛する夫の突然の死にビーナの頭は一瞬真白になったが、すぐさまとめどない怒りが沸き上がった。客室に備え付けの果物ナイフを手に取り、目にも止まらぬ速さでジークグランデの心臓目掛け突き刺した。刺された本人はおろか、他の者にも感付かれないほどの速さで的確に急所を刺す。老いてなお冒険者の技量といったところか。


 しかし、そんなビーナの会心の一撃もジークグランデには届かなかった。心臓の位置を確実に捉えてこそいたが、彼の身体に流れるマグマの血液がナイフをバターのように溶かし、心臓まで届かせなかったのだ。


「おいおいビーナ、耄碌したか?俺にそんなちゃちな刃物が届くわけないって、あの頃から知ってたはずだろうに。」


 ビーナを嘲け笑うかのように、ジークグランデは貫手で彼女の身体を押し飛ばした。宙を舞いどさりと床に倒れたビーナの胸元には指三本ほどの穴が開いている。こちらは心臓を避けてはいたが、肺が傷つき内腑を焼かれた彼女の命は長くないだろう。ひゅう、ひゅう、と絶え絶えの呼吸音が室内に響く。


「で、どうするんですか兄貴!?上院議員殺しはさすがにマズいっすよ!!」

「知らねえよ。俺に舐めた口きく奴の地位なんざ。」


 事の重大さを理解しているのかしていないのか、屈辱を晴らせたジークグランデは実にスッキリした表情を見せる。しかし彼に付き合わされるほうはたまったものではない。ガイガスは慌てふためきジークグランデにに詰め寄る。パルタも放心状態で明後日のほうを眺めている中、レドルの頭に悪魔的な解決策が閃いた。


「そうだ兄貴。とりあえずこの屋敷全部燃やしちまいましょう。お願いできますか?」

「は?何言ってんだレドル!?」

「まあ俺はいいが、それで燃やしてどうするつもりだ?」

「そしてパルタにガイガスと俺で、逃げる途中にビーナの昔のことを街に流すんだ。」

「そ、そんなんで何になるんだ?」


「あいつの過去を聞きゃ、嫌が応でも財産目当ての結婚を連想することだろうさ。そうすりゃ噂話は勝手に尾ひれがついて、いつしか愛憎の末の心中ってことで話も片が付くようになる筈。そうなりゃ俺達に嫌疑を向ける奴なんかいなくなるだろ?」


「な、なるほど…流石は俺達のブレーンだ。」

「まあそのためにもまずこの場から逃げることが先決だ。兄貴、出来るだけ派手に燃やしてやってください。そのほうがいい隠れ蓑になる。」

「つ、ついでに金目のものも回収していこうぜ!旅はまだ長いんだ!」


 そしてジークグランデの燃える拳が館をあっという間に炎で包んだ。そして彼の仲間たちは、金品を奪い、館で目の合った人間を殺しながらまんまと脱出せしめたのだった。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 俺は知った。ジークグランデ一行の狂気と悪行、演劇「ジャノベア心中」がいかにしてできたのかという真実、そして俺の身勝手な外野の一言が引き起こしてしまった事態を。


「すみません若奥様。俺があんなこと言わなければ…」

「気に病むこたあないよマシュー…あの短気なジークのこと…遅かれ早かれこうなってただろうさ……むしろアイツに弄ばれる時間が短くなっただけ上等…後悔なんかしてないよ…」


 それは俺を宿六と疑っていた人物とは思えないほどの優しい慰めだった。それでも俺のあてどない後悔は消えることは無い。時を越えてまで、俺はなんてことをしでかしてしまったんだ。


「まあでも…あの人を無残に殺したあいつらが生きのさばってるってのは…気分のいいもんじゃないねぇ……そうだマシュー、あんたロゴスと仲良くなったんだろう?」

「え、ええ。」

「これを…あいつに届けちゃくれないかい…」


 そう言うと最期の力を振り絞り、頭に結わえた髪留めを手に取り俺に渡した。純金製で宝石をあつらえたそれは、いかにも高価そうだ。そういえばルドルフが毎年結婚記念日にいいアクセサリを買ってやっていたと言っていたっけか。そんな思い出の品を、何故あのオバサンに渡そうというのか皆目見当もつかない。しかし、彼女のこの後の一言で、すべてに合点がいった。




「これで…私の恨みを晴らすように…頼んでおくれ……」




 その一言に、脳天を叩き割られたような衝撃が走った。


「風の噂で聞いた…アイツが復讐代行を生業にしてるって……だから…こいつを売ればいい金になるだろ……どうか……頼んだよ………」


 そして、ビーナは息を引き取った。


 そうだ、俺がこの時代に呼ばれた使命、それがこれだったんだ。ヒロイックな妄想に酔って、後の悲劇を止めるなんていい気になっていたが、そんな勇者様みてェなカッコイ所業が俺に合うはずが無い。考えてもみりゃわかりきったことだ。神か悪魔か知らねェが俺みてェな悪党に使命を与えるっつったらそりゃそういう手合いに決まっているってことは。



「はは…ははははは…はははははははははっ!!!」



 俺は笑った。ただただ、乾いた笑いしか出てこなかった。



 遥か後方にある宝物庫の焼け跡には、奴らが金にならないだろうと捨て置いたサムライソード二振りが、墓標めいて突き立っていた。

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