其の二

「そうか、昨日もティナの奪還はならなかった。」

「ええ、それでも一番惜しいところまでいったのもまた事実よ。連中があの蜥蜴男の注意をもう少し引いていてくれれば事は成るでしょうね。血かけて仕損じ無しを謳う連中のこと、今日にでもリベンジを挑むんじゃないかしら?」

「その時こそこの手にあの娘を取り戻す時、か。ガズム三兄弟に声をかけたのも無駄になりそうなのは残念ではあるが。」

「私たちの前途は黄金色よ。ガズムたちにも幾分か分け前を包んでやれば角も立たないわ。さあ、行きましょうか。」


 そう話し終えると、ダークエルフの男女は大邸宅を出て行った。まだ朝早く霞のかかる街、出歩く者は少ない中をそそくさげに歩く。まるで誰かにその怪しい行動を見られないように。






 それから時は過ぎ、太陽は真南を過ぎる。穏やかな春の昼下がり、北へと続く緑の小道。しかしその一帯を占めるのは若い草木の香りではない。この場に似つかわしくない生理的嫌悪がついてまわる悪臭、血の臭いに満ちていた。


 道脇に立つリザードマンのドラド・ズバルドが己の拳を引き上げると、そこには赤黒い粘性のある血液がべっとりとまとわりついていた。その足元には顔面を潰された三つの死体。その恰好はいかにも表沙汰の職に就いているとは思えない黒装束、手には種々の武具を握っていた様子のある、肌の黒いダークエルフの男と思しき惨殺体だった。


「もう出て来てもいいぞ。」


 ドラドがその低い声で呼びかけると、反対側の道脇に隠れていた男女の組が姿を現す。20才前後の人間の青年レックと、ダークエルフの少女ティナ。ぴったりと無警戒に付き添う姿は、やはり誘拐犯と人時事という間柄には見えなかった。


「すみませんドラドさん。また、こんなことになってしまって…」


 レックは謝意を述べるが、目の前に並ぶ惨殺体を前にしては流石に眉をしかめ目を背けた。同時に、このようなものを子供に見せる訳にもいかないと、すぐさま掌でティナの目を覆う。


「しかし、こんな虐殺を続けていてもいいんですかね?」

「どうした、仏心か?」

「いえ、こいつらはこのような目に遭うのも妥当の悪党だとは思っていますし、情が湧いたわけではないです。ただ、自分は何もせず、行きずりで出会った貴方に任せきりというのも…いや、僕に何かができる力は無いんですけど、汚れ役を押し付けているようで。」

「気にするな。お前達を逃がし本懐を遂げさせる。それが我の天啓であり使命だ。」


 死体から目を逸らしながらも申し訳なさげにするレックに対し、ドラドは淡々と答えながら三つの死体を担ぐ。彼の巨躯をもってすれば、成人男性三人分の遺体を材木のように小脇に抱えることも訳は無い。


「では何時も通り、この死体を遠くに捨ててくる。お前たちは今再びここでじっと待っていろ。」



「ほお、なるほどねェ。巷で噂の身元不明の死体の数々、アンタの仕業だったか。」



 突然、後方からの声にドラドが振り返った。いや、正確には声がするよりも早く振り返ったか。同様にティナもひどく青ざめた顔で怖がりながらレックの体の後ろに身を隠す。歴戦の暗殺者と、多感な時期の少女だからこそ、声の主の放つ異様な雰囲気を音よりも早く察知したのだろう―――つまりは殺気を。


 一方、ワンテンポ遅れて反応したレックは、声の主の姿を見てひどく狼狽した。


「しゅ、州衛士!?何でこんなところに!?」

「いやァ、誘拐の上に殺人たァ恐れ入った。それじゃ、これがどういうことか言い訳含めて聞きたいこといっぱいあるから、まずは屯所まで来てくれるかな?」


 自分たちを狙う一団が州衛士を頼りにするはずが無い、レックはそう高を括っていた。事実ティナの母イザベラは州衛士に駆け込むことなく、一足飛びにWORKMANに頼みをしていた。だのに普通なら見回りでも訪れないようなこの場所「に訳知り顔の州衛士がいる。いや、惨殺死体を小脇に抱えている姿を見られたのだ、事の仔細を知る知らない以前の問題だ。レックは唾を飲み身じろいだ。


 しかし、ドラドとティナが懸念していたことは、レックのそれとはまったく異なる事だった。


「というわけだ、大人しくお縄についてもらおうか。よもや公僕に逆らおうって気じゃねェよな?」

「これは異なことを言う。お前のように殺気と血の臭いを漂わす公僕など居るものか。」


 ふたつの殺気がぶつかり合い、緊張感がさらに高まる。


「だと言うなら、俺のことを何処の何方様だとお思いで?」

「大方、こいつらの同類だろう。」


 ドラドは抱えていた死体を軽く足元に投げ捨てた。同時に右腕も自由になる。そのもの凶器のような拳を握り、対手の州衛士を睨む。対し半ば正体を見破られた州衛士だが、悪びれずに独特の訛りで話し続けた。


「まあ同類ではあるが別口だァな。どちらかといえば、昨日アンタが追っ払った修道女とハーフリングの身内だ。お前さんにはどっちだろうと変わりのない話かもしれねェだろうがな。」

「成程。あの雌豹と潮招きの仲間か。」

「は?」


 微妙にわかる様なわからない喩えに州衛士は小首をかしげた。


「…まあともかくだ。俺としちゃァそっちの色男とお嬢さんの事情はどうでもいいんだが、アンタに凹まされて看板に傷がついたままってのも商売上よろしくねェんでな。ちょいとばかりリベンジさせてもらおうかい。」

「我との戦いのみが望みか、さながら修羅を食う鬼・羅刹だな。レック、ティナを連れて安全な場所まで離れていろ。さっきよりももっと遠くにな。」

「ええっ!?つまりそれは…」

「この男の狙いは我だ。そして恐らく本気を出さねば勝てぬ相手。下手に近付きすぎればお前たちも巻き添えで死にかねん。そうなれば我の本懐は成らん。」


 ドラドは更に気勢を込めて構えをとった。先程屠った三人の黒装束を相手取ったときよりも真剣であることは、レックの素人目でもはっきりわかる。両者の気迫に当てられ気を失いそうなティナの手を引きながら、道端よりもさらに遠く、二人の姿が見えるか見えないかぐらいの位置まで下がっていった。


 決闘とは無関係の者が離れたことを確認すると、州衛士は腰に下げた刀剣を抜きこちらも構える。しかし鞘から引き抜かれたその剣は、州衛士の支給品のブロードソードとは程遠いものだった。日の光を受け煌めく薄手の白刃。ともすれば容易く折れそうなほどのか細い剣であったが、その内に秘められた斬れ味を察しドラドはそれを油断なく見据えた。



 ―――かくて日がまだ落ちぬうちより、流刑帰りの殺し屋ドラド・ズバルドの拳と、WORKMANマシュー・ベルモンドのサムライソードがぶつかり合うのだった。






「ドラドさん…」


 遠く遠く、相対する二人の暗殺者が豆粒ほどにしか見えぬ距離なれど、レックとティナはその決闘を見守っていた。やりすぎな面はあるとはいえ、今日まで自分たちを守ってくれた男が自ら死を覚悟するほどの戦いだ、気にならぬはずも無い。目を細め、固唾を飲み、その一挙手一投足を目に焼き付ける。


「ふう、やっとあの蜥蜴も退いてくれたか。」


 前方へ集中していたところに降りかかる後方からの呼び声。驚かない筈も無い。逃亡者という身の上ならば猶更だ。レックはティナを庇いながら、隠し持っていたナイフを取り出しおっかなびっくりに振り返った。


「わわっ!そんな物騒なもの向けるな!このような可憐な美少女相手に大人げない!!」


 振り返った先にいたのは狐耳の少女。およそ黒装束の集団や先程の州衛士と同類には見えぬ、実にか弱そうな幼女であった。しかし見た目で判断して痛い目を見るのも御免である。レックはその姿を見てもなお威嚇を続ける。


「お前も奴らの仲間か!?」

「その奴らというのが誰を指すのかは知らんが、とりあえずは今しがたあのリザードマンと殺りあっている男の連れ添いのようなものじゃ。名はカーヤ・ヴェステンヴルフト。以後よろしく頼む。」


 その素性を聞いたレックは、当然のようにナイフをカーヤの鼻先まで突きつけた。当たり前といえば当たり前の話だ。しかし数多の命のやり取りを目の当たりにした今のカーヤにとって、やけくそ気味の素人刃などさほど恐怖を感じるものでは無かった。なおも不敵に話を続ける。


「儂はただ真実が知りたいだけじゃ。おぬしらの身に何があってかかる状況に陥ったのか。」

「どういうことだ!?殺しに来たんじゃないのか!?」

「初めはそういう頼みを受けておったよ。そこの童の母より直接にな。それで昨日向かってみたら、話に聞いておらぬあのリザードマンのせいであの有様じゃ。」


 昨日と言うと、あのダークエルフの修道女とハーフリングの男のことか。あの時もまた小屋の窓から外を覗き見ていたので知っている。これにこの幼女と州衛士を足してチームということか。随分と関連性の無い混成一個師団だと思い、リッドは困惑した。


「挙句陽動に利用されたようだとなればいい面の皮じゃて。儂らとてプライドがある。信用の足らぬ依頼に義理立てする必要も無い。事件の裏に隠された真実いかんでは逆に協力してやることもやぶさかではないぞ。」


 終いにはまさかの提案までもが飛び出した。もちろん罠かもしれないという懸念はある。しかし追跡する側の罠ならばむしろ真実は知っていようもの。ここまで体を張ってまで追及に来るとなれば、やはり無為の裏事師だと考えるのが自然だろう。


 迷うリッドの腕を、後ろに隠れたティナが引っ張る。そして何かを訴えるような瞳。同年ほどの少女を信用し(実際には数百の年の差があるが)、協力を仰ごうと訴えている。カーヤの幼い姿は、なんだかんだで他人の警戒を解き信用させる効果もあるのだ。この訴えを感じ取り、リッドはナイフを降ろした。


「しかし一つだけ解せないことがある。ただ話を聞きたいだけなら、何故あの州衛士の男を差し向けてドラドさんと戦わせた?話し合いだというならそのようなことは―――」

「昨日の様子を見て察したが、あのリザードマンが他人の話に聞く耳を持つと思うか?儂がぬしらに正面から話しかけようものなら1秒も経たぬうちに絶命じゃろうて。だから相応の相手をぶつけて気を引いてもらう必要があったんじゃよ。」


 リッドとティナが揃って、ぽん、と手を叩く。話を聞かぬ男だという心当たりは山とあったのだろう。納得してもらえたようで安心するカーヤ。しかし同時に妙な胸騒ぎに襲われ、遠くの決闘をふと眺めた。


(本当に、話が終わるまでの時間稼ぎなんじゃろうな、マシュー?)






 一方、百数メートルほど離れた小道では正に凄腕の殺し屋同士の死闘が始まっていた。ハンマーのような剛腕、攻城弩砲バリスタの如き蹴り、一撃でも当たれば容易に人間の命を奪いかねない打撃術が矢継ぎ早に繰り出される。


 しかしマシューはこれを全て紙一重で躱していた。身のこなし、運動神経という点ではリュキアやギリィとは比べるべくもない男ではあるが、こと一対一での回避能力はその技巧によって仲間を上回る。志摩神刀流・浮木ふぼくの運び。脱力によって相手の攻撃を躱し、疲れたところに致命傷を与える当流派の肝ともいえる歩方だ。


 またマシューはこの脱力の中にあっても、相手への殺気を途切らせることはなかった。ドラドの、リッドたちに対する執着を思えば、自分に向かう殺気が薄れれば即彼らの側に注意が向くだろう。そうすれば話を聞くため接触しているカーヤが感付かれ、瞬時に肉塊に帰すだろう。今回の作戦はそのぐらいの危険な綱渡りだったのだ。


(こっちもギリギリなんだ。早いとこ事情を聞いて来てくれよ、カーヤ…)


 殺気を向けながら脱力し、一発でも喰らえば自分が肉塊になりかねない攻撃を躱し続ける。それは一体どれほどの集中力を要するのだろうか。一時も早くこの緊張から逃れたいと思い、仲間に思いを託すマシュー。しかし、彼の胸に去来する感情は、はたしてそれだけだったのであろうか。



 ひゅんっ



 連撃の間を縫い白刃が煌めく。逃げるだけでは怪しまれるとマシューの放った一閃が、ドラドの脇腹を捉えた。確かな手ごたえ。しかし次の瞬間には全く意に介さないドラドの一撃が再び襲い来る。これもなんとか躱せたものの、マシューはそのノーダメージっぷりを訝しんだ。間合いを取り傷口を見ると思いの外浅い。リザードマン特有の頑強な鱗と、その下に眠る筋肉の鎧は、かの斬れ味を誇るサムライソードすらも阻んだのだ。


「我は一撃でも当てればお前を殺せるが、お前は何回斬れば我を殺せるかな、羅刹よ?」

「さァて、どうだかね。」


 ―――強敵だ。それも己の人生の中で、浪岡父子に匹敵するほどの。少なくともタフネスという点で見れば比肩しうる者は存在しない。その戦いの中で、マシューの胸は確かに高鳴った。己の得た技術をいかんなく振るえる相手の存在を喜んでいる自分がいる。アドレナリンの大量放出で喉が渇く。ドラドが彼を羅刹と呼ぶのもあながち的外れというわけではなかったのだ。


 今マシューの胸中には、早く終わってほしいという心と、永劫に続いてほしいという心の相反する二つの感情が蠢いていた。






「そもそもあの女、イザベラがお嬢様の母親ということが間違いなんだ。」

「なんと!?」


 そんなマシューの気持ちを知らぬまま、カーヤはリッドの口から話される真実に耳を傾けていた。まずもって言い渡されたこれまでの認識を覆す一言に驚嘆の声が上がる。


「お嬢様の本当の生まれはルクセン州のゴルーバン山中にある、小さなダークエルフの隠れ里。そこの族長の娘さんこそがお嬢様さ。」

「ゴルーバン山といえば、金鉱山があるやなしやで有名じゃったかの。」

「そう。その集落は実際に金鉱を掘り当てながらも、たまに多少の金細工を街に売りながら慎ましく生活していたそうだ。そりゃエルフ狩りの時期には荒れたらしいけど、それでも数年前にはほぼ元通りの生活ができるように復興していた。奴らが来るまでは。」


 リッドの話を横で聞くティナの薄幸そうな顔が一層曇った。彼女からしたら聞きたくない、思い出したくないところなのだろう。


「ダークエルフの盗賊・黒風団。『同族殺し』の異名を持つ連中に、お嬢様の村も襲われた。村の者は皆殺し、金細工も根こそぎ強奪…お嬢様も両親を目の前で殺され、言葉を失ったんだ。」

「なんということを…しかし何故そこな娘だけ生かされだのじゃ?」

「奴らは金細工のみならず、金鉱も欲した。しかしその村では内外の者による悪用を防ぐためにその鉱山の場所を記した地図を巧妙に隠していたんだ。」

「ということは、娘がその地図の在処を知っていると?」

「知っているなんてもんじゃない、お嬢様そのものが地図なんだ。一族の長の子は生まれた時より背中に特殊な彫り物を施される。そして11歳の誕生日を迎えた夜にだけ、その彫りこまれた宝の地図が姿を現すという寸法さ。」


 想像を絶するスケールに、カーヤは唾を飲んだ。


「つまり、儂らに頼みに来たギラディスの家の者はその黒風団の隠れ蓑であって、地図が手に入るまでこのティナを養女として迎え入れた、と?」

「世間的には、な。実際は娘なんてもんじゃない。ただの監禁さ。自分たちは村から奪った金品を売って豪遊する間も、お嬢様は部屋にひとり閉じ込められていた。」


 ギリィの言っていた「どこからともなく金細工を取り出しては売り歩いていた」という彼らの謎の収入にも得心がいった。と同時に、カーヤの心に許し難い怒りの感情が湧く。


「さすがに奴らも長きにわたる監禁を手間と思ったのか、口入屋に世話係という名目で求人広告を出した。それにまんまと乗せられたのが僕ということさ。お嬢様を見張る日々の中、筆談でこの真実を聞いた僕は、脱走を計画した。そして奴らに追われる身となった。顛末としてはこんなところさ。」

「成程なぁ。しかしおぬしもこんな斜め上の話よく信じたものじゃのう。童女の戯言とは思わんかったのか?」

「戯言だなんてそんな!恋人の言うことの真偽ぐらい目を見ればわかるさ!!」


 ん?と間の抜けた声が喉を突いて出た。聞き流すにはあまりに異質なフレーズが、カーヤの耳に入ってきたからだ。


「おぬし、今なんと?」

「恋人だよ恋人。僕たち、愛し合ってるんだ!」


 リッドは臆面もなく答えた。見た目20代半ばの好青年、それが今年11歳になる少女と恋人同士だと言ってのけた。見ればティナも目に慕情を湛え彼を見つめているので一方的な感情では無いようだ。五民平等、寿命差のある種族同士での年の差カップルも珍しくない時代だとはいえ、これは毛色が少し違うのではないか。ギリィが推測していたロリコン疑惑もあながち間違いではなかったということか。少し眩暈を覚えるカーヤをよそに、リッドは話を続ける。


「しかし素人考えで盗賊などというアウトローを相手に逃げを打つのは無理があった。屋敷から脱出できたはいいが一日も経たぬうちに捕捉されて殺される一歩手前。そんな時さ、ドラドさん助けられたのは。」

「お、おう?奴はどういう意図で助けたのじゃ?」

「圧倒的な力で追手を叩きのめして一言『お前達には真実の愛がある。それを守り通すのが我が与えられし天啓だ』と。いまいち僕も理解しかねるけど、お陰で今日まで生きてこられたことには感謝の言葉も無いよ。」


 権力者に使われた生粋の殺し屋が「真実の愛を護る」ときたか。カーヤの頭の中に疑問符が並ぶ。しかしあの男の意図はともかくとして、ひとつ確実にわかったことがある。今回の依頼は受理するに値しないということだ。頼み人は嘘つきかつ悪党となれば頼まれる義理などない。きっかりとこの件からは手を引けばいい。そうと決まればマシューを呼び止めるだけだ。



 しかしカーヤが決闘場に目を向けた時、強烈な圧力に襲われた。一流の殺し屋たる両者の殺気が極限まで高まり、そのぶつかり合いが放つ威圧感に完全に当てられた。とてもではないが口を挟める空気ではない。がくがくと震えるティナを安心させるべくそっと抱きしめるリッドの手も僅かに震えていた。






 マシューとドラド、二人の死闘はまさに佳境を迎えようとしていた。マシューの足はそろそろ筋肉疲労から震えを起こし、浮木の運びのキレも鈍ってきている。一方のドラドも全身に数十、数百の真新しい傷が刻み込まれ、致命打にこそならないが確実にその命を削られていた。しかし両者、肉体はここまでボロボロではあるが集中力はむしろ高まり、爛々とした瞳で互いを睨みあっていた。事ここに至りて、足止めをするだの真実の愛を護るだのの感情が彼らに存在していただろうか。


(次の一撃がおそらく最後…)

(使うしかない…あの奥義…)


 互いに決着を付けるべく最後の構えをとる。ドラドは傷口からの憤血も意に介さぬ剛力を溜めた構え。対するマシューは対照的に、全身の力を極限まで抜いた脱力でサムライソードを上段に構える。志摩神刀流秘奥義・牛頭割りの体制だ。ドラドの固い鱗と筋肉を一撃で両断せしめるには最早これしかない。



 一瞬とも、永遠とも思える沈黙。


 草むらに紛れる飛蝗の跳躍。


 それを合図にするようにドラドが仕掛けた。


 眼前に迫る巨大な右拳。それを待ちかねたかのようにマシューはサムライソードを振り下ろした。飛燕の如き速度で振り下ろされた死神の鎌は、ドラドの拳を割り、腕を裂き、そのまま胸を一直線に切りつけた。今までとは違う確かな手ごたえ。



「…がぁああああっ!!!!」



 しかしドラドもこれで終わりではない。斬られながらも、今度は左拳を用意していた。真っ二つに切られ力添えを無くした右腕をぶらぶらさせ血液を撒き散らしながら放たれた左拳は、確かにマシューのボディを捕らえていた。


 マシューの軽い体は数メートルの高さを舞う。そのまま落下し背中をしたたかに打ち据える。しかしその一撃はドラドの目指した手ごたえとは異なっっていた。本来ならあの程度の貧相な肉体、熟した果実のようにぐしゃりと爆ぜる筈であるというのに、対手の五体はほぼ健在であった。マシュー自身の脱力の妙と、逆に軽い体が左拳の拳圧を受けて浮き、直撃を免れたのだが、そのような原因を思考する力すらもうドラドには残っていない。どさり、と前のめりにその巨体を地面に預けた。


 一方マシューも、暴風に晒される柳の枝の理屈で一命をとりとめたが、暴風も強まれば柳の幹を傷付けるもの、やはり無事では済まなかった。草むらの上に大の字で倒れ、ピクリとも動かなくなっていた。






「あの阿呆…誰がそこまでやれと…」


 その決着の瞬間は、遠く離れたカーヤたちの目にもはっきりと映っていた。その壮絶な相打ち劇にリッドは言葉を失い、ティナは泣き出してしまう。ただひとり、カーヤだけは苛立ちにも似た言葉を吐露していた。




「へえ、本当にあの邪魔者を始末してくれたのか。」

「だから言ったでしょ?大銀貨一枚でもおつりがくるって。」



 その時である。彼らの激闘を嘲笑うかのような声が聞こえたのは。振り返ればそこにはダークエルフの男女。放心から一転、怒りに染まったリッドの顔を見て、カーヤも彼らが何者であるかを察した。


「ギラディス…!イザベラ…!」

「おいおい、娘の世話係が雇い主を呼び捨てかよ。こいつは教育上宜しくないなぁ!」


 同時にギラディスの膝がリッドの鳩尾に突き刺さる。もんどり打って倒れる彼にティナが心配そうに駆け寄るが、瞬間、偽の養父と目が合い恐怖で金縛りになった。この様子を見るだけで、彼女があの屋敷でどのような扱いを受けていたかがわかることだろう。


「まったく。地図の分際で男たぶらかして逃げ出すとはな。」

「あんまり言ってやんなよ。でないと地図に欲情したコイツが可愛そうじゃないか。」


 イザベラが倒れるリッドの頭を踏みにじりながら嗤う。あまりに胸糞の悪い光景がカーヤの目の前で繰り広げられた。なんだかんだで優しい彼女にとっては見るに忍びない状況だ。


 と同時に己の過失を悔いた。こいつらはリッドたちを付けて歩いた自分の更に後ろをずっとついて来たのだ。その存在に気付いてさえいればこのようなことにはならなかったのに。それどころか、マシューの暴走もあって状況は最悪になったと言えよう。


「さて、今日は待ちに待った誕生日だ。ギリギリで間に合うなんて、日頃の行いの賜物かな。なんてな。」


 己の悪行を棚に上げて高笑いするギラディスは、ティナの腕を取り強引に引っ張った。下手をすれば肩を脱臼しそうな乱雑さだ。そして、リッドは愛する人がこのようにされて黙っていられる人間ではなかった。地に臥したままギラディスの足を掴み、止める。


「お?まだやんのか?頼みの蜥蜴野郎もいねえのに。」

「ど、ドラドさんは関係ない…僕が…お嬢様を……」

「ふーん」


 そこから先のギラディスの行動は実に淡々としていた。足元に落ちていたリッドのナイフを拾い、そのまま足元に縋る男の背中に突きたてる。しかも始終無感情に、まるで服に付いた虫をはたくかのように。考えてもみれば同族殺しの異名を持つ盗賊団の首領だ。人間を殺すことに何のためらいがあろうか。


 リッドの背中から血が滲み、やがて足を掴む握力も失せる。その恋人のショッキングな光景に、ティナは泣き叫びたかったのだがやはり声は出なかった。ただ嗚咽のみを繰り返す少女の気など知らぬとばかりに、ギラディスたちは彼女の手を引き強引に連れて帰ろうとする。



「まっ…待ていこの腐れ外道ども!!」



 その行く手を阻もうと、カーヤが立ち塞がった。怒り、悲しみ、悔恨、いろんな感情が混じった瞳で悪鬼たちを睨みつけるが、悲しいかな見た目ただの幼女である彼女が凄んだところで相手には何の威嚇にもならなかった。


「おや?お嬢ちゃんもひょっとしてWORKMANってやつかい?ホントいい仕事してくれたわね~。今度飴でも奢ってあげるわよ。」

「ふざけるなぁっ!!」


 イザベラの煽りに完全にキレたカーヤは、右手に電光を走らせ殴りかかろうとした。彼女の電撃など絶命はおろかジョークグッズにも満たぬ威力しか持たぬことはカーヤ本人もよくわかっていたが、それでも一発かましてやらねば気が済まなかった。


 しかし、そんな彼女の純な願いも叶うことは無かった。イザベラはミドルキック一閃、か襲い来るカーヤの頭を冷静に蹴り抜いた。脳が揺れ、怒りと共に意識が飛散する。そのまま膝をつき、前のめりに倒れるカーヤ。そんな姿を一瞥すると、黒風団はひきつけを起こす少女を乱雑に引きずりながら、小道を通り街へと帰って行った。



 そこに残されたのは、めいめいに倒れ動けぬ4人の姿。マシュー、ドラド、リッド、カーヤ。辺りには夕暮れ時の寒風が吹きすさいでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る