第十九話 カーヤ、本を預かる

其の一

 輝世暦317年三月。冬の寒さも峠を越え、ようやく春の気配をそこかしこに感じるようになる時節。同時に、去年末に起きたワノクニ行使暗殺事件より三か月が経過した頃でもあった。



「腹減った…」



 そんなある日の事、部屋の中央で大の字に倒れ、ぐぅ~、っと大きな腹の音を鳴らしながら、カーヤ・ヴェステンブルフトはひとり呟いていた。


 今年に入り「仕事」の依頼はまるっと無い。裏に後ろ暗い陰謀を抱えた悪党とはいえ、他国の行使を仕置にかけるなどという大それた「仕事」の後である、悪目立ちせぬようできれば暫くは活動を控えたいという都合上それはむしろ好都合であった。そうでなくとも他人様の不幸で成り立つ稼業だ、世の中的には繁盛していないほうがむしろ良好とも言えよう。


 しかしかような「仕事」とて、日々の糧を得るための仕事であることには変わりない。表稼業での稼ぎが期待できぬのならば猶更だ。公僕であるマシュー、国教に仕える神職の神父とリュキア、そして新進気鋭と期待されるアクセサリ職人であるギリィ、彼らの場合裏稼業抜きでも食うに困らぬ生活を送れるだろう。


 だが彼女、カーヤ・ヴェステンブルフトだけには、そのような安定した収入のあては無い。山から下りた寄る辺も無い魔族の少女が、何でも屋などという安定性のない稼業ひとつで生活するのも土台無茶な話ではあったのだ。尤も、そのような自営業ぐらいしか就ける仕事も無かったのだが。




「ネルボー食堂の裏手で、生ゴミでも漁ろうかのぉ…」




 思わず弱気の発言が口をついて漏れ出る。元は母と共に深山に隠れ住み草木を食む生活を送って来た少女、その気になればこのザカール市中で無料で腹を膨らます手に苦労はしまい。しかし、そんな様を他人に見られれば事だ、実行に移す気は更々無い。それでも、その禁じ手が頭に思い浮かぶまでに、今のカーヤは追い詰められていたのだ。




どんどんっ どんどんっ


「おーい!ここは何でも屋なんだろ!?開けてくれ!頼む!!」




 突然、そんな極限状態のカーヤの耳に、壊れそうなほどに戸を叩く音と、何やら切羽詰まったような男の声が飛び込んできた。仕事の依頼だろうか、にしては慌てすぎて何やら怪しい。厄介事に首を突っ込むのは本意ではないのだが、しかし今はそのようなえり好みをできる状態ではない。気だるい体を起こし、玄関に向かう。そして戸を開けると、恐らくここまで全力で駆けてきたのだろう、汗だくの青年がなだれ込むように屋内に入って来た。


 印象的な赤髪は中途半端に伸び、長らく整えられていないような乱れ方をしている。加えて無精髭に体臭。息を切らし焦る様子と合わせると、なにやら逃亡者めいた背景が想像される、そんな男であった。


「あんたが何でも屋か!って、女の子!?こんな小さな!?」

「何じゃ開口一番失礼な。何ぞ不満でもあるのか?見てくれは幼い女子でも下手な大人よりも働きぶりが良いと近所でも評判なんじゃぞ?」

「い、いや!不満というより不都合なんだが、しかし他に当ても時間も無いし…ええいままよ!あんたに頼もう!!」


 ひとときの躊躇の後、腹を括った青年は腰に下げた鞄を漁り、一冊の本を取り出した。紙質は古く、表装も随分と長い間埃をかぶっていたように煤けており、何とか見える文字も現代では使わない類のものが並ぶ。長い間書庫に眠っていた蔵出しの古書、といった雰囲気である。青年はこの本をカーヤに差し出し、こう言った。


「この本を預かってほしい!私が戻るまで、誰にも見せたり知らせたりしないように、あくまで内密に保管しておいてくれ!」

「な、なんじゃ。えらく血相変えてやって来た割には随分とあっさりした頼み事じゃのう。何をそんなに必死になるような―――」


 青年の態度とは裏腹な依頼内容の簡単さにいささか拍子抜けしたカーヤは、自然な流れでその本の中を検めるためページを開こうとした。その時、




ばぁんっ!




「言い忘れていたが、中を見るのは一番の禁止事項だ!それはあなたの為でもあり、この国の為でもあるんだから!」

「な、何か話が明後日の方向に飛んでいるようだが…ま、まあ、わかった。」


 青年はがぶりよるようにカーヤの手を抑え、本を閉じさせ、そして言った。よもや世界平和に関わる事案という突拍子も無いスケールアップをにわかに信じることはできなかったが、青年の必死の形相を目の前にしては、信じる信じないはともかく従わざるを得ない。若干引き気味ながら、カーヤは首を縦に振った。


「急ぎなので詳しいことはまた後日に!くれぐれもお願いしますね!それでは!!」


 そして青年は麻袋をカーヤの膝元に置き、再び駆け足で何処かへと去って行った。突然の嵐のような事態に半ば放心していたカーヤもはっと気を取り直し、早速麻袋の中を確かめる。中には数週間分の生活費にはなるであろう銅貨の山。事の真偽は置いておいても本を預かるだけでこの額はまさに儲けものだ。カーヤは早速、久方ぶりの食事に外へと繰り出すのだった。





 同刻、州衛士屯所。昼食の休憩シフトが始まり、所内には緩慢とした空気が満ちる。マシュー・ベルモンドはその空気の中で微睡んでいた。


「ふわぁぁぁぁ~、そろそろ先に出た方々が戻って来る頃ですな。ボッシュさんはどちらで飯にされますか?」

「いやぁ、私は妻が持たせた弁当がありますんで、ここに残りますよ。」

「愛妻弁当っすか~、いいもんですなぁ。」


 気の入っていない声でマシューは同僚と昼食の話をする。この男がかようなだらけきった態度なのはいつものことだが、珍しいことに話しかけられた同僚もまた、彼と大差ない気の抜けた空気を纏っていた。ワノクニ行使暗殺の捜査は早々に打ち切り、年明けから大きな事件も事故も無し、とここ三か月気の逸る様な仕事はまるで無い。加えてこの初春の陽気である。いくら警察職といえど、こうあっては緊張を保ったまま職務に挑めという方が難しいことだろう。


「そういえば聞きましたか?王都のほうでは11人もの女性が行方不明だとか。」

「はぇ~、物騒なもんですなぁ。いやはや、こっちは平和で何よりですよ。」


 などと対岸の火事に思いを馳せていると、ばしんっ、とマシューの頭を叩く音が所内に響く。すわ何事かと背後を見ると、そこには丸めた紙束を持ったベア隊長が立っていた。


「まったく、皆さん気が緩み過ぎですよ。言うに事欠いて王都の事件をそんな他人事みたいに。やる気の無さもここまでくると怒る通り越して呆れるだけですよ、まったく。」

「たっ、隊長!?いや、確かに私も不謹慎だったかもしれませんけど、話を振ったのはボッシュさんですよ!何で私だけ叩かれにゃならんのですか!?」

「それは失敬。ついいつもの癖で。まあそういうわけですから、皆さんもいくら暇だからと言って、ベルモンドさんのレベルまで堕ちないように気を引き締めて職務に当たって下さいね。」


 紙束を解き書類に戻しながら、マシューを引き合いにベアは皆に釘を刺した。いつもの事と言えばいつもの事なのだが、どうも今日は当たりが強く感じられ、マシューも思わず不貞腐れた顔を見せる。それでもベアは意に介さず、マシューに絡んできた。


「ホラ、呼び鈴が鳴ってますよ。親愛なる市民からの通報、心を入れ替えてちゃんと聞いて来てくださいな、ベルモンドさん!」

「はぁ!?何で私が!?今から休憩に入るところですよ!それにどうせ道に迷ったとか、落し物がどうしたとか、大した要件じゃないでしょうし。」

「大した要件じゃないならささっと終わらせて休憩に入ればいいじゃないですか。では頼みましたよ。」

「うぐっ…!はぁい…」


 見事に揚げ足を取られたマシューは渋々受付入口へと向かう。そこには呼び鈴を鳴らしたであろうエルフの青年が待っていた。たっぷりとしたローブを纏う姿は輝世暦前の魔導冒険者を想起させるが、今の世で魔法使いや冒険者などという酔狂に身を投じる若者もいまい。恐らく旅人か何かだろうとマシューは思った。


「おや、そんな恰好してるってことは、旅の途中か何かで?」

「ええ、まあ、そんなところです…」


 素っ気の無い質問だというのに、エルフの青年は妙にきょどって答える。マシューは微妙に怪しさを感じつつも、質問を続けた。


「今日はどうされました?」

「ええ、ちょっと落し物の届出が無いかと思い訪ねたんですが。」

「へえ。で、何落としたんです?」

「あっ、ほ、本です!このくらいの大きさで、表紙からして古代語で書いてある、物々しい感じの古書!」


 しかし、マシューの警戒をよそに、その要件は実に拍子抜け、それでいて期待通りのものであった。やはりただの落し物であったか、適当に話を聞いてさっさと昼休憩に入ろう。そう打算しながら、マシューは目の前の仕事を事務的に処理しようとする。


「いやあ、古書どころか本の落し物の届出は昨日今日とこっちに来てませんねぇ、残念ながら。何か心当たりが手に入り次第ご連絡できればと思いますが、どちらのお宿に泊まられてます?」

「いやっ!いいですいいですそこまでしていただかなくても!見つかればラッキー程度で尋ねただけですので!それじゃあ、失礼しました!」


 そう言い残すと、エルフの青年はそそくさげに帰って行った。面倒な事後処理に時間を取られなかったのは幸運ではあったが、マシューの心にしこりは残る。


 見た感じ100歳にも満たないであろう若いエルフが、古代語表記レベルの古書を何に使うというのだろうか。そんな年期の入ったいかにも大切そうな本だというのに、随分とあっさり引き下がりすぎではないのか。あるいは、あまり州衛士に勘ぐられたくない後ろ暗いことでもあるのか。


 マシューは胸騒ぎを覚えた。勤務態度からもわかる通り彼の表仕事での勘、つまり警察職としての仕事勘は皆無に等しい。となればやはり裏の「仕事」の関係か―――そんな嫌な予感を胸に、彼は昼休憩に入るのだった。






 かくして時計は2時を回った。余程の事情を除いて往々にして昼飯時は終わる時刻。マシューもとっくに昼休憩を終え午後の見回りに就いていたが、カーヤは未だ店でもある自宅に戻っていなかった。久々の手銭に浮かれ、この時間まで食い歩きをしていたのだ。無論、その間に来客が来ていたことなど知る由もない。



「カーヤちゃーん!今週締切がピンチだから手伝ってほしいのよー!」



 下町に居を構える男色絵草子作家、アンジュである。以前彼女に仕事の手伝いを頼んで以来、よほど上手く行ったのかしばしばアシスタントの依頼に来るのだ。反面、カーヤとしては、半裸の男同士が絡み合う絵を眺める趣味はないため、できれば勘弁願いたいと思っているのだが。


「あれ、いないの?それとも居留守かな~?」


 アンジュも自分が疎まれていることは承知している。しかしそれでも人手が要るときは要るのだからしょうがない、印刷所のためファンのため、自分の都合が第一だ。ややしつこいほどにカーヤの家の門前で粘る。


 もしやと思い戸に手をかけると、鍵のかかっている様子はない。カーヤもかけ忘れて出て行ったのだろう。しめしめと思い、アンジュはそっと戸を開き中に闖入する。あとは居留守を使い隠れているであろう家主を見つけ出し、連れ出すだけだ。足音を立てぬよう、忍び足で部屋に上がり込んだ。


(さて、隠れられそうなところは押入れか床下ぐらいだけど…)


 実際に留守とは知らぬアンジュは、部屋を見回し推察する。ワンルーム程度のボロ屋である。家財道具も少ないとなれば、小さな娘とて隠れる場所も限られる。さてまずは押入れかとそちらに足を差し向ける途中、ふと部屋の中央にこさえたテーブルの上に意味深な古書が置かれていることに気付く。この本を持ち込んだ青年は「誰の目にも触れることなく預かっててくれ」と頼んだものの、家の鍵をかけ忘れるほどに浮かれていたカーヤがそのような注意を覚えている筈も無かった。


 見慣れぬ文字が並び、埃と黒ずみを帯びた表紙からは逆に長い年月を経た荘厳さを漂わせる。卑しくも本媒体を生業とする作家であるアンジュも、その本にただならぬ興味を示した。一体何が書いてあるのだろうか、何かの引力に惹かれるかのようにアンジュはその古書に手を伸ばていく――――





「ふう、食った食った。これほど腹を満たしたのは何時ぶりかのう。」


 食い歩きの末、久方ぶりの満腹感に満たされたカーヤは家路を歩いていた。既に手渡された依頼料の半分を使ってしまったが悔いはないし、そういうことで後先を考えられるような娘でもない。実に幸せそうな顔で街外れの一本道を行く。


 と、我が家が目に入るあたりで、その幸せそうな顔が崩れた。遠目から見てもどうも玄関が開いている。


「もしや空き巣じゃろうか。とはいっても盗られて困る様なものも家には無いし、無駄足ご苦労なことじゃのう。」


「はて、しかし何かを忘れておるような…」




「…古書じゃ!!」




 カーヤはようやく思い出し、そして事の重大さに気付いた。あの青年の口ぶりからして何者かにあの本を狙われているという推察もできる。預かって早々に奪われたとあっては信用問題だ。一気に家まで駆けだした。


 そして、必死の形相のカーヤの目に飛び込んできたのは、その古書を手に取り開く女の姿。見知った顔ではあるができれば会いたくない絵草子作家、アンジュである―――




―――そして次の瞬間、開かれたページから光の柱が立ち上り


広がる光はアンジュを巻き込み、そしてその姿を飲み込み、消し去った。




 やはて光は収束し消え、そして跡には床にどさっと落っこちた古書が残されるのみだった。カーヤが、勝手に人の家に上がり込んだアンジュに文句を言おうとした瞬間の出来事である。何かを言おうと開いた少女の口はそのまま開けっ放しになり、ただ目の前で起きた超常現象に恐れおののき目を丸くするしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る