其の二

男は逃亡の日々を送っていた。


 はるか遠くの彼の地から、隠れ逃れて南へ東へ。流れ着いた大陸東南端の港街。追手が迫る中、見知らぬ街で身を隠すことほど心許ないことも無い。人の目を逃れ、気が付けば路地裏。右も左もわからない、薄暗く生臭く、野良の犬猫が目を光らせる、そんな不安をかき立てるロケーション。それでも奴等に捕まるよりはマシと留まる。


 いや捕まったとて大丈夫だ、「アレ」は道行く人に聞いた便利屋に預けた。自分が捕まっても「アレ」の行方まではわからず、故に悪用されることはない。そう言い聞かせながら、男は不安を噛み殺そうと自らを鼓舞する。



タタタタタッ



 しかしそんな男の努力を嘲笑うかのような足音が路地裏に響く。こちらに向かって確実に近づいてくる。見れば背後は壁。兎に角奥へ奥へ隠れようとする心理と、土地勘の無さが最悪な形で裏目に出た。あるいは意を決して横に撒かれた生ゴミの山に身を隠しやり過ごすか?などと考えあぐねているうちに、ついに足音の主は眼前まで迫り、一気に跳びかかって来た。




「見つけたぞ貴様!さあ大人しくせい!」




 けたたましい怒号と共に追手が姿を現し、男の腰回りを目掛けて矢のように飛んできた。完全に虚をつかれた状態で渾身のタックルを受け、男は体勢を崩しそのままゴミ溜めにもろとも倒れ込む。生ゴミがクッションになり怪我はなかったものの、男は追手に押し倒され逃げるどころか身動きが取れなくなっている。



―――そう、十歳女児程度と成人男性という体格差があったとしても、身構えていなければこういう結果もあり得るのだ。



「貴様!なんちゅうもんを掴ませてくれたんじゃ!おかげで儂はなぁ!!」

「えっ、子供?ていうかさっきの何でも屋?あいつらじゃなくて?え?え?」


 馬乗り状態で男に文句を言うのは何でも屋、カーヤ・ヴェステンブルフト。腰に下げた鞄から件の本を取り出しながら威嚇する。一方下になった男は、まるで当てが外れたかのように素っ頓狂な顔をしていた。予想していた追手と違った驚き、そしてそれに対する一種の安堵、そして何故昼前に見知ったばかりの何でも屋が自分を追跡したのか、どのように居場所を突き止めたのかという謎、それらの感情と情報が押し寄せ処理しきれていないといった風情だ。


「なっ、何であんたがここに!?というかどうやって…?」

「馬鹿者!この辺りの野良の犬猫はみな儂の顔見知りじゃ!故にこの街の裏路地に逃げ込んでこの儂から逃げられると思うなよ!?」


 とりあえず疑問のひとつをぶつけてはみたが、要領の得られる答えでは無かった。実際に動物と話せることが彼女の魔族としての能力なのだが、初見の人間には見た目年齢相応の虚言妄想の類にしか聞こえない。男はこの謎をひとまず保留にし、続けて問う。


「…それよりも、あの本がどうかしたってのか?!」

「それこそ儂が聞きたい話じゃ!知り合いがこの本を開きよったら、突然光が広がって飲み込まれてしもうた!一体何がどうなって…」

「だからそれは私も言ったじゃないか、絶対に中は開くなって!それに誰にも見つからないように隠してくれって言ったのに、知り合いがホイホイ手に取れる様な所に置いていたってのか!?」

「うっ…!た、確かにそれは儂も不用心ではあったが、まさかこんな物騒なものとは知らず…」


 男の指摘は尤もであった。カーヤは預かりものの危険性を知らなかったとはいえ、あれだけ念を押されていたにもかかわらず机の上に放置、挙句他人に勝手に本を開かれて大惨事だ。非がいずれにあるかは明白だろう。今だってここにほいほいと持ち出している。言われて本人も自覚したようで、カーヤはその小さな体をどけ男を開放した。


「で、どうにかならぬのか?この中に吸い込まれた知り合いはもう助からんのか?」

「わからない。どうにかできるのなら私が既にやっている。それどころか、あと二人この中に吸い込まれてしまったら、この大ラグナント王国が助からないことに…」




「ほう、それはいいことを聞いた。ようやく目当てのものが見つかった上に、我らの宿願も近づくとは。」




 すっかりしおらしくなって男に問いかけるカーヤ、今の事態を知り一転深刻な顔になる男。そんな二人の会話に、背後から割って入る声ひとつ。ぎょっとなって二人が振り返るとそこには、ローブ姿の男。目深なフードの被り顔は口元あたりまでしか伺えないが、はみ出た耳の長さを見るにエルフ種だろう。


「ヒューズ、何故私の居場所が分かった?」

「たまたまさ、たまたま。三人別れて各々でお前を探していたら偶然俺が見つけただけだ。しかも『本』まで手元にあるとは、偶然にしてもツキすぎているな。」


 男は震えるような声で、そのヒューズというエルフに話しかけた。その様子を見てカーヤは察する。まるで何かから逃げるように慌てていたこの男、それを追っていたのが目の前のローブ姿のエルフなのだと。二者と、そして自分が手に持った本の間にいかな因縁があるのかはわからぬが、ここら一帯に漂うただならぬ緊張感を感じ取り、カーヤも体を強張らせた。


「というわけだ、小娘。その本を渡してもらおうか。」

「レディ相手に随分と高圧的な交渉を持ちかけるものじゃのう。もし下手に出ていれば直に渡してやらんでもなかったのだが、その態度を見るにおぬしに義があるようには思えん。それでは到底渡す気にはなれんな。」

「演技するのも手間だからな。それにクオータビーストの小娘一匹、力づくで奪い取るくらいわけない。」


 ヒューズは、まるで悪びれる様子を見せることなく、本を持つカーヤを脅しつけた。この態度で、この追手のほうが「悪党」であることは経験の浅いカーヤにも十分察せる。ならばどうあってもこの本を渡すわけにはいかない。いっそう強く本を抱く手を強めた。それに対しヒューズは、ローブから右手を出し何やらぶつくさと唱えている。



「ライトニングビート!」



 一転、大声とともにヒューズの右手から稲光が、カーヤに向けて走った。本能的な反射でカーヤはこれを躱す。稲光はそのまま彼女の背後にあったゴミ溜めに直撃、まだ汁気を含んでいた生ゴミを一瞬にして黒墨に変えた。


―――これは魔法だ。しかも自分が使う悪戯程度の電撃とは訳の違う、殺傷力を持った攻撃魔法。


 魔法がご禁制のこの世の中でこれほどの攻撃魔法を使うとなれば、その使い手のイリーガルさも見えてくる。いよいよもってこの本を渡すわけにはいかない。しかしここは袋小路、逃げ出すにしても目の前の敵をどうにかせねばそれも叶うまい。固唾を飲むカーヤ、対しヒューズは同じ電撃魔法を繰り出すべく再び詠唱を開始した。



「ええい誰でもよい、この男の口を塞げ!うまくいったら干し魚の一尾や二尾ご馳走してやるわい!!」



 カーヤは上空仰ぎながら叫んだ。誰に宛てたともいえぬ救援要請。しかしこの奥まった路地裏に人が来るとは考え難い。苦し紛れか、ヒューズも傍らの男もそう思っていた。




 瞬間、塀の上から一匹の丸々とした猫が、ヒューズの顔面を目掛けて跳びかかった。もちろん、ヒューズはこの突然のアタックに詠唱どころではない。それどころか、フードに爪を立てしがみつく猫のせいで視界もおぼつかない。カーヤはこれ好機と、男の手を取り、猫と格闘するヒューズを横切り、逃げていく。


「やはりお前であったかゴロ!やはり一番頼りになるのはボス猫のおぬしであるなぁ!褒美、楽しみにしていてくれよ!!」


 すれ違いざまに謝辞を述べるカーヤ。そしてゴロと呼ばれた太った野良猫は、彼女たちが十分距離を取ったことを確認すると、すぐさまフードから手を放し、素早い動きて塀の向こうを飛び越えて行った。まさかの邪魔に怒り心頭のヒューズだったが、一時の怒りに流されず目的のために猫に構わず再び後を追う。逃亡者はなんとか視界の範囲内だ



「あ、あんた…本当に動物と話が出来たんだな。」

「何じゃ信じておらんかったのか!まあよい、とにかく今は逃げの一手じゃ!」

「しかし、このまま真っ直ぐ行くと大通りに出る!人目につくのはマズいんじゃ…」


「逆じゃ逆!人目についたらマズいのはご禁制の魔法をぶっぱなすあやつのほうじゃ。人目につかぬ路地裏ならともかく、この人込みでごったがえす中で放ったら一発でお縄じゃろうて。そこまでの覚悟はあるようには見えなんだ。ならば逃げるにはこの道のほうが安全じゃろう。」


 逃げを打ちながらカーヤが男に説明する。逃げるとなれば人目を避けることばかり考えていた男からしたら目から鱗の理屈であった。事実、後を追うヒューズの気配もいつしか消えていた。魔法も使えず追い付けもしないとあって、ひとまず追跡を諦めたのだろう。


 にしてもこんな年端もゆかぬ娘が随分と手慣れたものだと、逆に不気味さも感じていた。事実、カーヤのこの判断力も、WORKMANの小間使いという常識の埒外の経験で磨かれたものである。半年に満たぬ勤続時間だが、しくじれば仲間ごと処刑台送りという極限のプレッシャーの中で得たその経験値は確かなものだった。


「にしても一体どこに向かっているんだ?まさか州衛士屯所に助けを求めに?」

「それができれば既におぬしもそうしておろうが。それが出来ぬ事情もあるのじゃろう。大体木っ端の公僕に何が出来ようか。なあに、お主を匿うにも、本に吸われた者を助けるにも、頼りになる当てがあるんじゃ。黙ってついてこい。」


 カーヤは男の手を引きながら、やがて本通りから小道に抜け、街外れの丘を上って行った。






「―――成程、この本の中にアンジュ女史が吸い込まれたというわけですね。」

「うむ、にわかには信じがたい話じゃがのう。この目で見た事実じゃ。」


 丘の上の教会、応接室。カーヤたちはその足で丘を登りここに辿り着いた。男を連れ汗だくで現れた身内に、外で掃除をしていたリュキアもたいそう面食らったが、何やら神父に用事があるということで中へと通し、今しがたやっと息も整い経緯を説明しているところであった。神父は手渡された件の本を目利きするようにまじまじと調べる。


「そうですね。これが本物の『ボルガンの魔導書』であるのなら、その話信じざるを得ないでしょうね。」

「え!?何故その名をご存知で!?」


 訳知り顔した神父の発言に、男が反応して驚いた。


「貴方の反応を信じるならこれは確かに本物のようですね。加えてその赤い髪、となればこの魔導書の封印者たるファーグリズ家の方とお見受けしますが?」

「ええ、確かに私はロイド・ファーグリズ、当代頭首の嫡男ですが…何故そこまでご存知で?」

「なあに、多少古事に関する知識には自信がありまして。」

「そう、ですか…」


「…のうおぬしら、二人で分かった顔しとらんと儂にも説明してくれんか?」


 若々しい見た目からは想像できぬ年の功のインテリ知識をひけらかす神父と、何かの事情があるのかそれを怪訝な顔で見つめる男・ロイド。ひとり何も知らぬカーヤは疎外感を感じ口を挟む。


「ああ、これは失礼しました。ではロイドさん、私の口から彼女に説明しても宜しいですか?」

「ええ、どうぞ…」


「では僭越ながら。さて、先程私が口にした通し、この本は『ボルガンの魔導書』と呼ばれる物。輝世暦前の混迷の時代、赤の一族の麒麟児ボルガン・デオールが生み出した超攻撃魔法の力が秘められた魔導書です。」

「赤の一族?」

「魔導に長け、赤髪が特徴の一族だそうで。魔法がご禁制のこの時代ではあまり知る者も少ないようですが。」

「その割には、随分とお詳しいようですね神父様…」

「まあ、遠い昔に知り合いがいましたから。」


 つらつらと話す神父に、ロイドはいっそう懐疑の目を向ける。彼自身の事情を置いておくにしても、不相応なほどに詳しいその姿は確かに怪しみを感じる。尤も、300年前に国教会の天才児と呼ばれた男だと説明してもいっそう怪しまれるだけではあるが。


「して、その超攻撃魔法とアンジュが吸い込まれたことにどう関係があるんじゃ?」

「ボルガンの魔導書の仕組、それは『十三人の処女を贄として捧げることで破壊の力を生み出す』というもの。過去に一度発動した際には、街がひとつふたつ軽く消し飛んだと言われています。」


 説明を聞いたカーヤは戦慄し、ごくりと唾をのんだ。


「魔物との戦いに明け暮れたかの時代においても過剰すぎる破壊力。しかしその力に魅入られ狂騒したボルガンは再び魔導書を発動せんと目論み、そして同族の手によって打倒されました。そしてその書を二度と表に出さぬよう保管、封印したのがファーグリズ家、つまりロイドさんのご先祖様です。」

「そのような物騒なものが何故再び日の目を見たのじゃ?」

「さあ。それはご本人の口から説明していただかないと。」


 二人の視線がロイドへ向く。しかし彼はうつむき目を逸らすだけだった。とはいえ、後ろめたいというよりも警戒心が立っている様子。まあ、自分たちの一族や魔導書についてつまびらかに知っている男を前に、何者かと思うのもしょうがない話ではあるが。


「のう、ロイドと言ったか?魔導書と共に追われている身であるおぬしが、物知り顔の神父を怪訝に思うのもわかる。しかし、それでも話してはもらえぬか?無論こっちも知り合いを救いたいのが一番だが、お主自身の困窮もどうにかしてやりたいと思うておるんじゃ。そのためには少しでも情報が欲しい。嫌かもしれんがこの通りじゃ!頼む!」


 長い沈黙の後、突然カーヤは頭を下げた。怪訝そうなロイドの視線にも臆することなく、まっすぐに見つめながら。その目は実に綺麗であった。恐らく彼女の言葉に裏は無いだろう。思えば魔族という闇の種なれど、一匹の老犬のために涙を流せるほどのお人好しだ。そしてその視線は、頑なに警戒するロイドの心も動かした。


「…そうですね。あなたには迷惑をかけてしまった上に一度助けられている。それにここまで巻き込んでしまった以上、何も知らないで済ますのも気分が悪いことでしょうし。」


 そしてロイドは一息ついた後、己にかかった事態を語り始めた。


「ファーグリズ家は代々禁忌の魔導書を封ずる一族、幼き日よりそう言われてきましたが、この平和の時代では特にその使命が意味を持つことなく、ラグナント州で父母と妹に囲まれ穏やかに過ごしていました。家も裕福で義務教育の後には中央王都大学にも入れてもらえました。しかし、その大学生活の中で、『あいつら』に会ったのです…」

「『あいつら』とは?」

「王都大学魔法研究会。もちろん今のご時世じゃ非公式の裏サークルってやつですよ。私の髪を見てその出自に気付いたのか、言葉巧みに勧誘してきました。尤も、私も一族の因果かそういったものに興味があったのは事実で、彼らのおだてにまんまと引っかかり、親に隠れて彼らと行動を共にしてきましたけどね。」


 ロイドは自嘲した。しかしすぐさま深刻な表情を浮かべ、悲劇の核心を話し出す。


「そんなある日、あいつらが『ボルガンの魔導書が見たい』と言い出したのです。こういうサークルなのだから興味があるのも当然、それに気の知れた仲間の頼みとあらば断われるはずもなく、特に何の疑問も呵責も持たぬまま秘密裏に家の倉庫の奥深く、魔導書の安置された隠し部屋へと案内しましたよ。それが、あいつらの当初からの目論見だったとも知らずに…」

「目論見…?」

「私以外のサークルメンバーは皆エルフ種。魔法研究会の裏の顔は、エルフ狩りに端を発する報復行為に手を染めんとする過激派集団だったのです。私をおだてて誘ったのも、その破壊兵器たりうる魔導書の奪取が目的…まんまとボルガンの魔導書を奪った彼らは私を突き飛ばし、父母を殺し、妹を最初の贄にし、家に火をつけて何処かへと消えていきました。」

「そんな、ひどい…」

「遠方のこの州でも風の噂で聞いたこともあるでしょう、王都の行方不明事件。あれこそ彼らが贄を集め回っているということなんです。私は己の責任を取るために、なんとかあいつらから魔導書を奪いましたが、その時には既に妹含め10人もの女性が贄にされていた後でした。」


「なんと…アンジュ以外にも10人もの女子がこの中に閉じ込められているというのか。しかもおぬしの妹までもが…」

「なるほど。人の命が詰まっているとなれば燃やして捨てるなどもできませんからね。こんな物騒なものを持って逃げ回っていたのは、この本の解呪を出来る者を探す意味もあった、とお見受けしますが?」

「ええ、しかしこの魔法衰退の今にこのような高度な解呪をできる人間など居る筈も無く、流れ流れて東の果て…最早頼れる人間など…」



「では、私が試してみましょうか。」



 八方塞がりの絶望に打ちひしがれうなだれるロイド。それを心配し眉を下げるカーヤ。しかしそんな二人とは対照的に、神父は事も無げに言ってのけた。


「ええ!?今なんと!?」

「おぬし、いまいち得体の知れん男とは思うておったが、そんなことまでできるのか!?」

「まあ、かつては無駄に本を読み勉学に勤しんだ時期もありましたから相応の知識はありますよ。流石に伝説の魔導士の遺産と呼ばれるレベルのものの解呪は教科書通りには行かないでしょうが、なあに、逆にやりがいもあるというものです。」


 神父は高揚感を隠しきれないような笑顔を見せた。まるで未知への挑戦を楽しむかのような顔。しかし軽率さは無い。人の涙のために暗躍するWORKMANの長として、ただ目の前で困っている人たちの役に立ちたいという純な使命感がそこにはあった。その奥底に秘めた思いをちゃんとロイドも感じ取り、謝意を述べる。


「ありがとうございます!そして、どうか…どうかよろしくお願いします!」

「良かったのうロイド。ところで、おぬしを追っている者はあのヒューズとかいう者だけか?」

「いえ、サークルだけあって三人、ファイアムとブリーズという奴がいます。」

「一人ではない、のか…」


 カーヤに嫌な予感が過ぎる。まるでWORKMANの必須スキルであるかのように、それは程なく現実のものとなった―――






 カーヤたちが応接室で話している頃、教会に再び珍奇な来客が現れた。もう暖かくなる時期だというのに全身を包むようなローブ姿の三人組。それはまるで、旧時代の魔術師のようないでたちであった。


「ヒューズ、この教会で間違いないんだろうな?」

「ああ、手は出せなかったが足取りは追えた。ここの小道を横に逸れずまっすぐ進んだんだ。教会に身を隠したと思って相違ないだろうよ。」

「まあ人目からは離れた位置の建物だ。多少暴れても公僕もそうそう気付かんだろうし手荒に聞けばいいさ。」


 ローブ男のひとりが指をわしゃわしゃと動かしながら舌なめずりをする。人目から離れたせいか怪しさや悪徳を隠そうともしない態度。外で掃除をするダークエルフのシスターも、その怪しさに気付き声をかける。


「………ちょっと待って。あなたたち、礼拝客?」

「ちっ、同族か。だが邪魔するのなら容赦はせん。アイスバレット!」


 ローブの男が突然叫び、注意をしてきたシスターに対し氷の魔法を見舞う。矢もかくやの速さで飛ぶ氷の弾丸、常人ならばこの不意の攻撃に反応など出来ず、刺し貫かれて絶命は免れまい。


 しかしこのシスターは常人では無かった。動きづらそうな修道服であるにもかかわらずバク宙で後ずさり、弾丸を躱し身構える。面を食らったのはローブ男の集団だ。


「な、なんだこの修道女は!?」

「た、只者じゃねえ…」


 彼らを睨みつけるリュキアの冷たい眼光は、相手に死の恐怖を想起させるのに十分であった。先程までの威勢の良さはどこへ行ったのか、一斉に身じろぎ狼狽える。


(………ご禁制の魔法による攻撃。ということは裏の人間?)


 一方のリュキアは彼らの攻撃から自分たちと同じ側の者だと推測、本来なら日の上がっているうちから使うべきでない裏道具の使用も考慮しより鋭い目で連中を見据えた。


「こ、ここは俺が引き受ける!!お前たちは早く中に入ってロイドと魔導書を!!」

「お、おう!!頼んだぞブリーズ」


 恐怖の中、氷魔法の男ブリーズが気勢を上げ、仲間と己を鼓舞した。それに気を取り戻した男二人は教会の中へと侵入すべく駆け出す。無論、そのような行為を許すリュキアでは無かったのだが。


「ここから先は行かせん!アイスバルカン!」


 ブリーズの氷魔法がリュキアの歩を阻んだ。必死の形相から放たれた雹の礫がリュキアに降りかかる。一粒たりて彼女の身を傷つけることは無かったものの、さすがにこれでは前に出ることもできない。完全に足止めを食らう形となり、侵入者を許す羽目になってしまった。






「ここにいたかロイド!それに魔導書も!」


 神父が魔導書の解呪を勝手出たまさにその時、突然、応接室の戸が乱暴に開かれた。そこには先程カーヤたちを襲った雷魔法の男、ヒューズが立ちはだかる。先程までの、ひとまずの安堵の空気が一転した。


「さっきのガキに、この教会の神父だな。悪いことは言わん、さっさとそこの男と本を引き渡せ。さもなくば痛い目に遭うぞ。子供や神職だからと手加減する気は無いからな。」


 ヒューズは掌に電撃を蓄え、カーヤたちを脅す。その稲光は先だっての攻撃魔法の比ではない。常人なら確実に消し炭を化すであろうことは容易に想像できる。助けてくれそうな小動物も期待できないとあり、カーヤもロイドも絶体絶命の危機を感じていた。


 その一方で神父だけは実にあっけらかんとしていたが。


「おやおや、神の御前である教会でこのような狼藉ですか。正教会も黙ってませんねこれは。」

「さっきも言っただろう、神職だから容赦するなどとは考えるなと。俺たちの敵はこの国の権力そのもの。むしろガリア教会は敵なのでな。」


「―――ほう、ではその容赦のないところ、存分に見せていただきましょうか。」


 瞬間、張りつめた室内の空気が弛緩した。だからといって安心が出来る空気でもない。むしろ不安を煽る、冷たい何かがぬるりと絡みつくような不気味な気配。アルカイックスマイルをまるで崩さない神父から発せられるその空気は、対手のヒューズだけでなくカーヤとロイドの肝も冷やしせしめた。


(何だこの男…!本当に人間か!?)


 先程までの威勢はどこへやら、完全に空気に飲まれたヒューズの心は恐怖に塗り潰されていた。喉が渇き膀胱が緩みそうになる。しかし、彼は最後の勇気を振り絞り、遠くの仲間に叫んだ。


「最終手段だファイアム!!やれ!!」


「おうさ!」


 遠くから聞こえる返事、そして直後に爆音。そして漂う焦げ臭い香りを帯びた黒煙。それが伸びてくる先は教会の聖堂。一人残した仲間が、そこに魔法で火を放ったのだ。自分の教会の火事に、不動だった神父の心に動揺が走る。


 瞬間、その隙を突きヒューズの電撃魔法が神父を襲った。その衝撃にさしもの神父も本を投げ出し身じろぐ。本来なら骨も残らぬほどに焼け焦げてなければおかしいのだが、渾身のその魔法を食らった男に外傷は見られない。解せぬ光景ではあるが、今は魔導書の確保が先とヒューズは本をキャッチし、そのまま踵を返し逃げ出した。


「待てヒューズ!」

「あっ、ロイド…大丈夫か神父よ!?」

「ええ、私は大丈夫です。それよりもロイドさんの心配を。」

「う、うむ!」


 ロイドは反射的にヒューズを追い、弾丸の如く駆ける。神父を心配し出遅れたカーヤもこれを追う。追い、追われるが逆転した三人は、燃え盛る聖堂のほうへと走る。


「ヒューズ!どうだ首尾のほうは!?」

「ああ、大丈夫だ。ボルガンの魔導書はこの通り―――」


「させるかぁー!!」


 この火の手の原因たる炎魔法の使い手ファイアムに、目的の魔導書を手に入れたことを報告するヒューズ。と、その間隙を突き、ロイドは彼に突撃し押し倒した。すぐ間近くには延焼した椅子が転がっているにもかかわらず、危険を恐れず必死の覚悟で魔導書を奪い返そうともみ合う。


「くっ!邪魔だロイド!これは俺たちの宿願のためにどうしても必要なものだ!!」

「違う!私の先祖が代々封じてきた禁忌のものだ!返せ!!」


 競り合いの末、ロイドの決死さが勝ったのか、ヒューズはその手から魔導書を手放した。そして魔導書は床を滑り、燃え盛る炎の中へ吸い込まれそうになる。妹、カーヤの知人、そして他に9人の女の命を封じた本を守るべく、ロイドは跳ね飛び、その手で書を掴み寸でのところで延焼を止めた。彼の顔にわずかに安堵の光が差す。



「フレイムランス!」


 しかしその安堵はすぐさま痛々しい色に変わった。腹ばい状態で本を掴むロイドの背中を、昆虫採集の虫ピンの如く、炎の鎗が刺し貫き床に釘付けた。傷口はすぐに焦げ血は吹き上がらないが、口からは大量の血が吐き出される。明らかな致命傷だ。


「すまないファイアム、助かった。」

「何、気にするな。それよりすぐに外のブリーズと合流し逃げよう。」


 目下で吐血し倒れる男をまるで気にかけぬまま、ヒューズはただ書を拾い仲間と脱出の算段を立てる。そしてその光景は、今しがた追い付いたカーヤの目に飛び込み、彼女の感情を大いに逆なでするのだった。



「貴様らァ!!なんということを!!!」



 感情のまま拳を握り、目の前の男に跳びかかる。非力な女児の身体では目の前の成人男性を殴ったとて物の数には入るまい。しかし、そのようなことはわかりつつも、劇場に流されるカーヤはそうせずにはいられなかった。一人の男の人生を絶望に染めた悪漢どもに、せめて一太刀浴びせたかったのだ。


 だが、その激情はおよそ最悪な形に結実した。


 向かってくる女児の姿を見たヒューズが、魔導書を開き真白なページを目の前に差し出した。瞬間、広がる光。丁度、カーヤが昼過ぎに目撃したものとまるで同じ光。燃え盛る炎の中でもはっきりとしたその閃光は、あっという間にカーヤの小さな体を包み、消し去った。後には先程まで何も書かれていなかったページに何かしらの文が刻まれた魔導書があるだけであった。


「これであと一人。一時はどうなるかと思ったが逆に僥倖だったな。」


 カーヤは12人目の処女の贄にされてしまったのだ。ローブの男たちはしめしめとした表情で外に出る。聖堂の炎上は外で殿しんがりの相手をしていたリュキアにも少なからぬ動揺を与えており、結果、ブリーズは仲間とまんまと合流、そのまま小道を下り逃げていくのだった。






「―――大丈夫、とはいかないようですね、ロイドさん。」

「し…神父様…あなたこそご無事で…」

「ははは、私は少し人より頑丈なようで。」


 燃え盛る炎の中、瀕死の男が神の僕に抱きかかえられていた。神父が体勢を立て直し追った先の聖堂には既にローブの男たちも、カーヤの姿もなく、ただ背中に大穴を開けたロイドが横たわるのみであった。


「魔導書も…カーヤさんも…あいつらに…!」

「あまり喋らない方がいいですよ。傷に障ります。」

「……私は、悔しい!」


 涙が一筋、ロイドの頬を伝った。


「今になって気付いた…ボルガンの魔導書をどうにかすることは…ファーグリズ家嫡男としての使命だと…自分でそう思っていた…でも違うんだ…ただ憎かった…鼻をあかしてやりたかった…!!両親を殺し、妹を奪い、そして今度は親身になってくれた少女までも…何もかも奪っていったあいつらが…ただ憎い……!!」


 今わの際にロイドが気付いたのは、憎悪であった。使命だの平和のためだのと自分では言っていたが、つまるところはそのどす黒い感情に目を背けたかっただけだった。そんな自分の矮小さへの恥か、それともその黒い願望を果たせなかった悔恨からか、更なる涙が目に溢れる。そしてその涙は、偶然か宿命か、神父の裏の顔に同調するものだった。


「―――その恨み、未練としてこの世に残したくなくば、手は一つあります。」

「…神父…様?」

「ラグナントにも同様にギルドがあるのですから、名前だけは聞いたことはあるでしょう?人の恨みを金で晴らす『WORKMAN』の存在を。私もまた実は、この地において同様の所業を生業とする者です。」

「!?………ならば、お頼み申します…私のこの恨み……どうか…どうか…」

「頼まれました。では、また地獄でお会いしましょう。」






 火の手を嗅ぎつけた市民の通報で、火消しと州衛士が教会に押し寄せてきたのは、その頼みからすぐのことであった。


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