第十六話 ギリィ、触手鎧と戦う

其の一

 街外れにあるギリィ・ジョーのアクセサリ屋、昼過ぎの今ここにいるのは店主と若い女性ただ一人。元々人の出入りの多い店でもないのでおかしな光景ということはない筈なのだが、その女性がどうにも奇妙であった。


 まず容姿だが、こういう店に一人で入るには幼すぎる。服装もおよそ御洒落品に手を出せるような財産があるとは思えぬ古着。そして何より、店先に並んだ商品を見ていない。ただ店主に向かって、仕事の斡旋を訴えるだけであった。


「のうギリィとやら、何か金になる話は無いものかのう?」

「……」

「無論、裏の『仕事』に限ったことでも無いんじゃよ?駄賃を貰えるなら今のおぬしの作業を手伝ってやらんでもない。」

「……」


 その客ではない少女、同業者のカーヤ・ヴェステンブルフトは尻尾を振りながら店主にしつこく話しかける。ついぞ最近同僚になったばかりで面識も薄いギリィはただその言葉を聞き流しながら、槌を振るい髪飾りを作っていた。


「のう、ギリィや。おーい?」

「あのなぁ、仕事が欲しいのはわかったが、こっちの仕事の邪魔するんじゃねえよ。」


 しかしカーヤのあまりのしつこさに、ギリィもとうとう手を止め口を開いた。集中を要する細かな細工の途中でこう騒がれては確かにたまったものでは無いのだろう。


 カーヤがここまで仕事と報酬にこだわる理由もわからなくもない。前の「仕事」で前貸しの借金をこさえ、それでもこの街で生きていくために始めた何でも屋。実年齢はともかく、幼い娘がひとりで生活を送るには過酷な条件だ。早いところ借金を返し生活を軌道に乗せたいと焦る気持ちは理解できる。前に着ていた黒装束も質草に入れたのだろう。


 だからといってこちらの作業を邪魔してもいいということにはならない。加えて発言に思うところもあったのか、ギリィは厳しい語調で釘を刺した。


「あとな、あまり裏の『仕事』とか大っぴらに言うモンじゃねえぞ?誰かに話を聞かれたら事だろうが。」

「ん?この店には儂とおぬしの二人しかおらぬようだが?」

「うるせえ大きなお世話だ…ってそういう意味じゃなくてな、通りすがりに話を聞かれて、それが巡り巡って足がつく可能性だって0じゃねえって事だ。」

「ふうむ、そんな偶然のような可能性にも一々注意を払わねばならぬものなのか。」

「そういうもんなんだよ、この『仕事』はな…とにかくだ、俺からはお前の利益になりそうな話はひとつも無えよ。たかるならクソ役人か神父様のところにでも行ってこい。」


 ギリィは遠い目をして答えるが、それでもカーヤは未だ納得しきっていないような表情を浮かべている。結局話を聞き入れすごすごと帰って行ったが、不満たらたらと言った様子だった。


 話には聞いていたが随分と危機感の薄い娘だ、とギリィは作業に戻りながら思った。しかし覚悟を決めていたとはいえなし崩し的にこのような殺伐とした稼業に就いた人間に掟の多くを求めるのもまた酷な話。あのような精神的にも未熟な少女ともなれば猶更だろう。


 思い返せば自分自身、この世界に足を突っ込んだまさに初めの頃は似たようなものだったではないか。スタンドプレーを暴力で制されることも少なくなかったと記憶している。それが今ではすっかり慣れたものなのだ。あるいは神父も、慣れ過ぎたWORKMANたちに初心を思い出させ、今ひとたび警戒を引き締めるべく彼女を新人として雇い入れたのでは?などとギリィが考えていると、再び店の戸が勢いよく開き、客人が現れた。



「よおギリィ、表仕事の景気はどうよ?俺ァいつも通りさっぱりだ。だからよォ、何かこう銭になりそうな、『仕事』になりそうな情報とか耳にしてねェかい?…ってどうしたんだよ?」

「……いや、さっきまでいた新人と同じ説教をお前にもう一度しなきゃならねえと思うと、何か色々とやるせなくてな。」



 入るなり思い切り無警戒な発言を大声で叫ぶこの道5年目の同僚を前に、ギリィはただ顔を覆い呆れるしかなかった。





 昼の14時、この日ギリィは早くに店を閉めた。所詮自営業、気分で閉店を早めるのも咎められることでも無い。それだけ同僚の相手に疲れたということなのだろう。マシューもあの後事の仔細を話したらそそくさげに帰って行った。今店の中には店主ひとり、やっとアクセサリの細工に集中できるというものだ。


 しかし、彼の平穏はさほど長くは続かなかった。不意にとん、とん、と戸を叩く音が響く。戸の前には「準備中」の立て札を下げているにもかかわらず、だ。こういう場合でも気にせず入ってこようとするのは縁深い知り合いの人間、そしてこの街にそういった知り合いがいるとすれば先程追い払った連中かそのご同類だろう。初めは居留守を決め込み無視もしていたが、槌の音が中から聞こえる以上それで誤魔化すには無理がある。それをわかっているのか客人も戸を叩くのをやめない。となればギリィには最早応対するよりほかは無かった。


「うるせえぞ!今集中して作業してるんだから邪魔するんじゃねえってさっきも言っただろうがっ!!」


 乱暴に錠を開け、苛立ちのまま叫ぶ。しかし前に立っていたのはマシューでもカーヤでもなかった。自分と身の丈の近い小さな女性、さりとて子供の体形では無い、同族ハーフリングの娘。見も知らぬ女性を思い違いで怒鳴りつけてしまい、ギリィは慌てふためいた。


「あっ、いや…違うんですよ!?タチの悪い知り合いかと勘違いして、その…あのっ!?」

「ギリィお兄ちゃん!?やっぱりギリィお兄ちゃんだ!」


「あれ?まさか……」


 幸いなことに、その娘は怒鳴られたことを気にしたりはしなかった。それどころか、ギリィにとっても昔の知り合いだったようである。再会を喜ぶ娘の顔を見て、彼の記憶がじわりと掘り返されていた。


「リリィ!リリィ・モルドじゃねえか!何だってこんなところに!?」

「まあ、ちょっとお父さんの事情でね…それよりお兄ちゃんがここでお店開いてるって街の噂聞いたから寄ってみたんだけど、邪魔だったかな?」

「そんなこたぁ無えよ!おう上がれ上がれ!つもる話もあるだろうしな、ゆっくりしていけって!」


 ギリィは、そのリリィと呼ばれた娘を店の中に迎え入れた。散らかった部屋を雑に片し、茶とテーブルを用意する。完全に細工の作業は止まってしまったが、旧知の仲とのたまさかの再会なのだ。WORKMANの同僚の無駄話と違い、快く手を止めるのだった。




「そうかぁ…懐かしいなぁ。かれこれ何年ぶりだろうな。」

「お兄ちゃんが村を出てからだから…8年ぶりってとこかな?もっとも、私たちもあれからすぐに村を出たんだけど。」

「まあ、それが賢明な判断だわな。」


 モルド家はかつてジョー家の隣家であった。グランギス州の小さなハーフリングの集落、そこで家族ぐるみの付き合いがあり、子供も名が似ているということもあってか半ば兄妹も同然として育てられた。まあ、その付き合いもジョー家の家長ジューロ・ジョーの豹変と共に終わりを告げたのだが。二人は楽しかった思い出に混じる苦痛の記録に口ごもった。


「…そ、それで、村を出てからは何してたんだ?俺はこうやってアクセサリ屋をやって生計を立ててきたけど、お前らは?」

「うん、まあ…グランギスの州都に引っ越して、そこでお父さん農業関係の商社に雇ってもらえたよ。でも勤続10年目を目の前にして、つい先日に首を切られて…」

「なんか、聞いて悪かったな…」

「ううん、いいよ。それでお仕事を探してここザカールまで来たってのが、今いる理由。おかげでお兄ちゃんとも再会できたんだもの、悪いことばかりでもないよ!」


 悪気はないとはいえ、尚の事心苦しい思い出を話させてしまったことにギリィは後悔するが、対しリリィは力なく笑っていた。再会が喜ばしいことは確かなのだろうが、日々の糧の見通しの立たぬ現状はやはり辛かろう。大陸北西のグランギスから南東のザカールまでは随分と距離があるが、今現在王国で一番景気がいい街に藁をもすがる思いでやって来たのだろうと思うと、ギリィも同情を覚えてしまう。


「そうか、じゃあ俺に力になれることがあるなら何だって言ってくれ。あまり顔を出してないけど、商業ギルドに人手が欲しいところが無いか掛け合ってみるし…」

「大丈夫だってお兄ちゃん。多分お仕事ぐらいすぐ見つかると思うから。じゃあ私もそろそろ帰るね。あまり帰りが遅いとお父さんも心配するし。」

「お、おう。じゃあな、気を付けて帰れよ。」


 時計を見ればもう17時前、日の短くなった今時ではもう空の色が赤くなってきていた。確かに地の利の無い娘一人が独り歩きで帰るには限界の頃合いである。ギリィは席を立ち、戸を開け、そして妹同然の娘が帰る様子をその姿が見えなくなるまで見送った。





「なんじゃいギリィ。儂には仕事の紹介もせんと、あのような小娘には仕事を探してやると約束するとは一体どういう了見じゃ!?」


「いやァ、お兄ちゃんときたか。恋多き色男は辛ェなァ、ギリィよォ。」



 リリィを見送り店に戻ろうとすると、背後から聞き慣れた鬱陶しい声が聞こえた。背後を振り返るとそこには予想通り、小柄な州衛士の男と狐のクオータービーストの少女の姿。それぞれにやけ面と怒りの面持ちで、ギリィを迎えていた。


(…こいつら、裏手で聞き耳立ててやがったな!?)


 ギリィのその予想は当たっていた。一度は店を追い出されたカーヤとマシューであったが、向かった先の教会でも神父も留守ということで話し相手も無く、しょうがなくもう一度戻っていたところ、二人仲良くリリィが訪問するところを目撃していた。そして好奇心の赴くままに、店の裏手に潜り込みその会話の一部始終を聞いていたのだ。


「む?マシューよ。『恋多き色男』とはどういう意味じゃ?」

「ああそうかお前ェは知らなかったか。実は西のポルガにもWORKMANのギルドがあってな、秋口ぐらいにそこから派遣された猫耳のねーちゃんとねんごろになってたのよコイツ。」

「むう、それは二股というやつではないか。いかんぞギリィ、女性に対する不義理は。」


「違げえよ馬鹿!!別にニースとも変な関係にはなってねえし、リリィだってそういうアレじゃねえからな!!」


 ムキになって怒鳴り返すギリィを見て、マシューは更にけたけたと笑っていた。こうなってしまうともうからかいの対象でしかない。実にタチの悪い奴に変なところを見られたとギリィは心底後悔した。


「でだ、色男…」

「その呼び方やめろよ!」



「…さっきの姉ちゃん、手前ェと同じ村の出ってことだがよ、親父の一派とは無関係なんだろうな?」



 瞬間、マシューの表情から嘲りの色が消え、神妙な面持ちでギリィに問いかけた。最近、ギリィの父ジューロに組みする錬金術師が次々とやって来ては、WORKMANの依頼沙汰に発展する悲劇を引き起こしているのだ。その警戒は正しい。しかし、さっきまでへらへらしていた男があまりにも瞬時に「仕事」の表情に切り替わったのだ。二重人格もかくやという切り替えっぷりに、ギリィも驚き以上にマシュー・ベルモンドという男に対する気味の悪さを覚えた。


「な、なんだよ急に。まあ、そっちに関しては問題ないと思うぜ。あの娘のお父さん…ゼア・モルドさんは親父の錬金術復興にいの一番に反対してたくらいだしな。それが原因で村も出たって話だし。」

「それならいいんだけどな…」


 ギリィはそう答えたが、マシューの表情はすぐれぬままだった。嫌な予感に限ってよく当たるこの稼業の事、マシューの抱く不安が自分の楽観を越えてくるのではないか、そんな不安がギリィの心によぎり始めていた。そしてカーヤは、目の前でびろうな表情を浮かべる男二人を不思議そうに見つめるだけであった。





 その夜の事である。


 繁華街より外れた中流層向けの住宅街に一軒佇む、ひときわ大きな屋敷。周囲の邸宅と比べて浮いているこの豪勢な家は、ザカール一の畜産会社タッコーニの元社長イヴァン・タッコーニが退陣後に住まう隠居屋敷である。何故そのような大人物がこのような中途半端な土地で余生を送っているのかはともかくにして、金持ち隠居老人のひとり暮らしでございと立て札をぶら下げているようなもの、泥棒に狙いをつけられてもしょうがないところはあるだろう。


そして今まさに、泥棒がこの家に潜り込もうとしていた。


 総勢5名ほどのハーフリングの窃盗団。種族特有の身軽さと器用さを発揮し、フックロープのようなものを用いて高くそびえる塀を乗り越え、庭へと降り立つ。すぐさま植木へと姿を隠し、周囲を確認する。


 邸宅の豪華さに比べ、庭は随分と荒れている。手入れをされた様子もなく、雑草が生い茂り、今隠れている庭木も随分と枝が伸びお世辞にも綺麗とは言い難い。また館そのものも、夜の今ではわかりにくいが、掃除されていないかのようにところどころに汚れが目立っていた。


(噂は本当だったみたいだな…)

(となればやはり、守衛も居ないんだろう…)


 窃盗団は小声で打ち合わせた。「隠居後のイヴァンは人間嫌いをこじらせ、館に使用人一人も入れずに独居している」という、街でまことしやかにささやかれる噂もこの様子を見れば信じられよう。いたたまれぬ事情がありそうではあるが、今はそこを気にかける場合ではない。むしろ盗みに入るには好機、庭の小道の真ん中を堂々と駆け抜け玄関前へと進む。


 やはり玄関前にも人の気配は感じられない。守衛代わりなのだろうか、門前に一個の大きな鎧人形が立っているだけであった。身の丈2メートルを超える巨体、装甲の黒光りする輝き、右手に供えられた鉈めいた巨大な剣…夜の闇の中で見れば確かに不気味で威圧的ではあろう。しかし所詮は人形、実際に襲ってくるわけでもない見掛け倒しにすぎない。番兵、番犬の類のほうが余程厄介だ。窃盗団はまるで気にかけることなく、その真横で玄関を開錠しようと細工に精を出していた。



はぁ…はぁ…はぁ…



 その時である。窃盗団の耳に呼吸音が聞こえた。初めは空耳か何かと気にもかけなかったが、その吐息のような音はどんどんと大きくなり、やがて5人全員にはっきりと聞こえるようになっていく。



はぁ…んっ…!くふぅ……!あっあっあっ……!



 ハーフリングの泥棒達は、やがてそれが女の喘ぎ声のようなものだと気が付いた。よく耳を澄ませば、ぴちゃぴちゃ、という艶めかしい水音も聞こえる。


(イヴァンが女を連れ込んでいるのだろうか?)

(いや老いてなおそのような精力があるようには見えない。)

(そもそも音は間近くから聞こえるのだ。)

(じゃあ何の音だ?)


 ハーフリングたちは小声でそれが何の音なのかを話し合う。しかし考えれば考えるほど謎は深まるばかり。何やら気味の悪くなってきた彼らは、さっさと盗るもの取って帰ろうと気を急かした。その瞬間である。


ぐしゃり


 鍵開けを受け持っていたハーフリングの頭が、横一文字に割れた。脳漿を吹きだしながら、作業する手もそのまま止まる。無論、それ以上動くことは無い。


 突然の仲間の死に思考が止まる。そして次の瞬間には、漠然とした不安が形となって襲ってきた恐怖に心が支配された。身を震わしながら見回すと、仲間の頭を割ったものが何やら鈍器と見紛うほどの厚手の刃であることにようやく気が付く。視線を追い、その刃が伸びる先に目をやると、そこには真横にあった黒光りする鎧人形の姿が。



んくふぅ…!はぁ…はぁ…はぁ…



 彼らは気が付いた。番兵代わりと思っていた鎧人形が突如動き出し仲間の命を奪ったことに。先程から聞こえた喘ぎ声もその内側から聞こえてきたということに。


「うわああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 恐怖の箍たがが外れ、沈黙を良しとする泥棒であるにも関わらず彼らは大声で叫び声を上げた。そして踵を返し、一目散に逃げようとする。しかし、鎧人形はその脱走を許さなかった。鈍重そうな見た目に見合わぬ脚力で彼らを追跡する。


ひ…あああっ!


 鉈のような大剣を横に振るえば、間合いから逃げられなかった男の体が上下に分かたれた。


んっ…はぁああああああ!!


 跳躍からの唐竹割りで、逃げる男の体が左右に分かたれた。ついでに着地点でひとり、男がその重量の下敷きになって死んだ。


ひぃ…くふうっ…!んあああああああああ!!!!


 なんとか登ってきた塀まで逃げおおせた最後のひとりも、フックロープを用いよじ登ろうとする最中に、ハタキで駆除される蝿めいて壁に叩きつけられ、人型の血痕を残して絶命。





 楽な仕事と食って掛かった泥棒達は、その代償を恐怖に彩られた死で支払うことになった。雑草生い茂る庭に鼻を付く血の臭いが充満する。鎧人形は、絶頂後の余韻のような吐息を漏らしながらただその最中に立ち尽くしていた。


 そしてその惨劇の一部始終を目撃していた者がいた。館の最上階、薄明りのついた部屋からその様子を眺める男が三人。老いた男は下卑た顔で満足そうに笑い、若い男もほくそ笑む。ただひとり、中年めいた男だけが、何かを堪えたかのように奥歯を噛み締めていた。

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