第十三話 マシュー、腐女子の餌にされる

其の一

「近年のこの街の発展は目ざましいものがある。経済・商業・文化…あらゆる分野においてラグナント13州でも五指に食い込むようになったほどだ。それに伴い、他州からの注目も集まってきているのだが、果たして今このザカールは胸を張って万民に自慢できるような街なのだろうか!?上辺は綺麗でも少し腰を下ろして見回せば、公序良俗に反した猥褻な店や物がそこかしこに点在することがわかるだろう…


ザカールはこれで良いのか!?いや良くは無い!!それら猥褻物を取り除き、子々孫々誰に見せても恥ずかしくないザカールを作り上げることこそ私の、そしてこの激動の時代に生きる市民皆さまの使命なのではないでしょうか!!」



 早朝の街中に御大層な演説が鳴り響く。弁舌を振るうのは齢の割に随分と筋骨隆々な大男。その迫力を前に、寝ぼけ眼で仕事に向かう者は思わず目を覚まし、風俗店から朝帰りする者は思わず己を恥じ縮こまる。


 男の名はジオール・レンボルト。ザカール州議会議員であり、このところの発展を受け発言を強めている「ザカールを清くする会」の中心人物でもある。彼の出自は輝世暦前にモンスターを相手取り武勇で鳴らしたレンボルト領の領主。その傾向は現在にも脈々と受け継がれているようで、自身は齢60にして体格・武芸に優れ、また彼の孫シャーティーも州の第五近衛師団に席を置いている、そんな質実剛健を地で行く一族なのだ。





 さて、そんな権力者が躍起になっているとなると、我らが州衛士隊も黙っているわけにはいかない。


「皆さん、書店巡りお疲れさまでした。上場の成果のようですね。」


 何やらの仕事を終え、州衛士隊隊長のベアが部下たちにねぎらいの言葉をかける。傍らには木箱に入った大量の書物、さらによく見ると文章よりも絵の割合が多い本-――絵草子、わかりやすく言い換えれば漫画であった。


 この大ラグナント王国にもそういったものは存在する。とはいえ読者方がよく目にするようなコマ割りと吹き出しで構成されたようなしっかりしたものではなく、絵本に毛の生えたようなものでしかないが。描かれる主な題材は勇者アランの冒険譚のような昔話で、基本子供の読み物だが、ごく稀に大人が隠れて読むような部類の物も存在する。



そう、つまり春画-――エロ漫画である。



 今回州衛士たちは街中の書店を回り、そういった本を見つけては回収していったのだ。木箱の中はその成果に溢れていた。


「これでレンボルト議員からの覚えも良く…いや、ザカールも少しは健全になったことでしょう!ではベルモンドさん、この中身を再度改めて、しかる後に廃棄のほうお願いしますね。」

「ええ!?私一人でですか?これ一人で全部チェックしてたら終業時間が…」

「四の五の言わずにとっととやりなさい。残業代ぐらいは出してあげますから。」

「…はい。」


 不服といえば不服だが残業代が出るならマシだ、マシューは渋々ながら仕事を引き受けた。





(しかしまあなんというか、点数稼ぎにも程があるよなぁ…)


 証拠品保管庫でひとり作業しながら、マシューは心の中で毒づいた。実際レンボルトを喜ばせたいのなら色町のほうを取り締まるのが一番の筈だ。しかしあそこと州衛士は、ミクロな意味でもマクロな意味でも、事の良し悪しはともかく持ちつ持たれつの関係にある。その関係を崩す勇気などベアには無かろう。権力者にいい顔をしたいという欲と、さりとて思い切った取り締まりには踏み込めないという事情が、今回の回収騒動の裏に存在するのだ。書店はとばっちりもいいところだったろうと思い、マシューは同情した。


(にしてもコレ、けっこう凄いな…)


 しかし中身を改めていくにつれて、一歩退いた目線でいたはずのマシューはどんどんとのめり込んでいった。恰好はつけていても女性には縁遠い20男である、絵とはいえ隠すべき部位を曝け出しながら妖艶なポーズを取る美しい女性に魅了されたとしても、誰が責められようか。


(二・三冊ちょろまかしてもバレないだろ…)


 押収された春画をひとつ懐に仕舞い込むマシュー。確認作業はいつの間にか自分にとって具合の良い春画を物色する作業に変わっていた。あるいは手伝う仲間がいればこのような出来心は生まれなかっただろう。幸か不幸か、誰もいない部屋でひとりというシュチュエーションの妙が彼のタブー破りを後押ししていたのだ。


 しかし、木箱の奥の奥にあったひとつの本を手にしたとき、彼の浮かれ気分はすっかりと吹き飛び、神妙な面持ちとなっていた。





 その夜、丘の上の教会の霊安室に、いつものWORKMAN4人が集まっていた。招集をかけたのはマシュー・ベルモンド。元締めである神父ではなく、実働メンバーからの招集願い、こういう時はまず身バレについてのことだろう。それだけに集まった4人の表情は重い。


「で、今度は何をやらかしたんだクソ役人。とっととゲロってスッキリしちまえ。」

「みんな、まずはこれを見てくれ。」


 急かすギリィに応えるように、マシューは懐から一冊の本を取り出し、台の上に置いた。先程の奥にあった絵草子。表紙には憂いを帯びた瞳で見つめ合う半裸の美男子ふたり。これだけでも呼ばれた3人に、身バレとはまた違った危機感を与えるに充分であった。


「おい、これってまさか…」

「とりあえず中を読み進めてくれ。俺の言いたいこともわかるから…」


 あくまで中を見ることを要求するマシュー。その謎の威圧感に、ギリィが本を手に取り恐る恐るページを開くと―――



―――1ページ目には、ベッドの上でまぐわう全裸の美男子が描かれていた。



ぱたん


「ふっざけんじゃねえよ!!これ読めって何の嫌がらせだ!?何でこんな湿っぽい部屋でこんなモン読まなきゃならねえんだよ!?」

「………最低。」

「いやぁ…私も人生長いですけど、さすがにそちら側の趣味のほうは取得していませんね。」


 そっ閉じ。そして避難轟々。当然といえば当然の結果である。美男子同士の交合を描いた絵草子、それもまた一部の女性の需要としてラグナントに存在しているのだ。閑話休題。ともかく、このブーイングの中にあってもマシューは折れなかった。


「だから!ちゃんと中読めって言ってんじゃねえか!1ページ目じゃなくてその先もよォ!マジで大変なんだから!!」

「………この本自体が大概に大変。」

「何が悲しゅうてホモの絵草子をまじまじと読まにゃならんのだ!?」

「まあいいでしょう。ベルモンドさんがそこまで言うなら読んでみますよ。」


 神父が場を収め、再び書を開く。そして言われた通り、ストーリーまでしっかり確認しながら読み進めて行った。



―――主人公は聖職者の男。色とは無縁な職業だてらに男女問わず見る者すべてがその美しさに見惚れるほどの美男子ではあるが、彼には二つ秘密があった。


ひとつは同性を愛してしまったということ。幼馴染の州衛士の青年に想いを寄せ、やがて本懐を遂げる。本来ならば同性愛どころか姦淫そのものが許されぬ立場でありながら。


そしてもうひとつの秘密は、彼は聖職者の仮面の裏で暗殺者として闇の世界で名を轟かせているということ。数多の人を殺し、恋仲の州衛士はその犯行に強い怒りを燃やす。その正体が己が恋人とも知らぬまま。


かくして背徳の代償か、巡る因果は彼と州衛士を運命の渦の中へと引き込んでいくのだった―――



 そんな奇縁溢れる男の人生が圧倒的な筆力で描かれ、あるいは男同士のベッドシーンさえなければのめり込んで読みふけってしまいそうになるほどの出来であった。しかしマシューは別に面白い本を紹介するために皆に招集をかけたわけではない。それは今読んでいる3人にも薄々気が付くところであった。


「これはもしかして…私がモデルになっているのでは?」


 ひとしきり読み終えた神父が口を開く。そうである、同性愛嗜好を除けば「裏で暗殺業を営む聖職者」という設定は、まさに神父のそれと一致しているのだ。改めて見返せば、ご丁寧に白髪・糸目・眼鏡という外見の符号まで同じである。


「………そう言われると、この州衛士もアンタに似てる。」

「だろ?胸糞悪いことにな。」


 マシューは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。ここまでくるとただの偶然とは思い難い。何かしらこっちの尻尾を掴んでいると考えて相違ないだろう。組み合わせ的に、マシューのサボり中の会話が漏れ聞こえたりしたのだろうか。しかし、だとするとまた別の疑問が思い浮かぶ。


「だとすれば、一体何が目的なのでしょう…?」


 普通ならこの手の裏稼業を知った者が取る行動は二つ、通報か強請りだろう。しかしこの作者は、公僕に訴え出るでもない、金を要求するでもない、ただ女性向け絵草子のモチーフに仕立てているだけなのだ。まるで意図がつかめない。まあ、ある意味においてこの上なく嫌がらせにはなっているのだが。


「ああ、この有様だから俺も危機感は持っちゃいねェんだが、これはこれで不気味でな。もしかして誰か他に心当たりが無ェかってことで招集かけたんだが、お前らどうだ?」

「あるわけねえだろそんなもん。」

「………右に同じ。」


 ギリィとリュキアが首を横に振る。


「やっぱりか…しゃあねェ、明日にでも表仕事のツテを伝って作者を追ってみらァ。それでもみんなもごま塩程度には気を付けといてくれや。」

「そうですね。油断は禁物ですからね。」


 神父とマシューがそう相槌を打ち、その夜の会合はお開きとなった。そして帰った先で、マシューが自分用に取っておいた春画の存在がメイド姉妹にばれ、一悶着があったりもしたのだが、それはまた別の話。





 翌日、昨晩の生傷も癒えぬマシューはとあるボロ屋の前にいた。州衛士仲間から例の本を押収した書店を聞き、その書店から作者の居場所を聞きだした。出版社を介さぬ自費出版だったため、余計な回り道がひとつ減ったのは多少のラッキーだろうか。とにかく、作者が住むという下町のボロ長屋までやって来たのだ。


「ごめんくださーい、州衛士ですが、アンジュさんはお見えですかねー?」

「はーい、すみませちょっとお待ちをー。」


 こともなげに返事が返って来た。声はくぐもってるが、警戒は感じられない。しばらくすると、どたどたとせわしの無い音とともに、お目当ての人間がマシューの前に姿を現した。


「どうもお役人さん、確かに私がアンジュですが、何か?」


 玄関に出てきたのは女性だった。名前からそうだとは思っていても、あのようなエネルギッシュな作品を女性が描いたと思うとにわかには信じられなかったマシューは少し驚いた。


 そんな彼女に対するマシューの第一印象は「勿体無い」だった。ボサついたまま後ろ手適当に束ねた髪、飾り気の無い瓶底のような厚い眼鏡、着たきりなのかヨレヨレの部屋着。着飾れば化けそうな雰囲気はあるのだが、この恰好ではそれも望むべくもない。まあ大きなお世話ではあるし、そもそも一日部屋に籠って絵を描く仕事ならこれでも良いのだろう。


 と、容姿のことはどうでもいい。今はどうしても確かめねばならないことがあるのだ。しかも場合によってはこの目の前の女性を消さねばならない。そんなプレッシャーによって起きる動悸をぐっと抑え、マシューはあくまで表の顔のままアンジュに話しかけた。


「昨日ね、街中の本屋で猥褻絵草子の一斉摘発があったってのは知ってるかな?」

「いや、全然。基本部屋に籠りっきりなんで世情に疎くて…」

「ああそうなの。いやまあそういうことがあってね、で、当然お姉さんの描いた絵草子も回収されました、と。エッチなの描いてるよね?いや、私には理解できない部類のエッチだけど。」

「ええ、まあ…もしかしてそれで逮捕しに?」

「いや別に逮捕なんて大仰な事じゃないよ。ただ、ご時世柄できれば自重してくださいねー、ってのを作家さん各位に言って回ってるのよ。ほら、レンボルト議員が五月蠅いじゃない?」

「はぁ…」


 回収された絵草子の作者に注意勧告して回る、などという仕事は本当は存在しない。マシューの口から出まかせではあるのだが、実に自然に接触が出来たと心の中で自画自賛する。しかし、そんなマシューの手ごたえとは真逆に、アンジュは眉をハの字にしかめ彼を見つめている。言っていることが理解できてないという「てい」ではなさそうなのだが。


「それにしても、お姉ちゃんが描いたアレ、どう見ても丘の上の教会の神父様だよね?そういうのはちょっと…」

「あっ!お役人さんどこかで見たことあるなーってさっきから悩んでたんですけど、よく教会のほうで神父さんとサボってらっしゃる州衛士さんですよね!?」

「あ、ああ…いやまあサボってるというかそこはなんというか…」


 マシューはもう少し踏み込んで探りを入れようとしたが、アンジュのリアクションは予想以上に真に迫っていそうなものだった。やはりサボりのときの会話を聞いている、「仕事」に関わる話をしているところを目撃している、その可能性がどんどんと高まっていく。


「私、その様子を見てピンっと来たんですよね――」


 アンジュは意味深な笑みを浮かべながら呟く。マシューの中で疑惑が確信へと近づいた。ならばどうするか?この場で消すか?万が一の為のサムライソードは背中に隠してあるが、まさかその出番が来ようとは。しかし真昼間の長屋という人の目に晒されることも多かろうロケーション、そんな中で誰に気付かれることなく暗殺することはさしもの彼でも難しかろう。できるのか―――そんなことを思いながらマシューが固唾をのむと、アンジュはゆっくりと口を開いた。




「――これ、そういう設定だったらすごい『萌えス』だなって!!」




「…お姉ちゃん、ちょっと幾つか質問いいかな?」

「何です?」

「とりあえず、『萌えス』って何?」


 アンジュの口から飛び出したのは、マシュー達の裏の顔についての追及ではなく、よくわからない新造語。緊張に囚われていたマシューは呆気にとられ頭も満足に回らない状態となった。数十秒の沈黙の後、ようやく言葉を紡ぎ質問する。



「いやー、ちょっと説明しづらいですねそれは。かわいいというか、素敵というか、食が進むというか…とにかくそんな意味ですよ!」


 マシューの気苦労などどこ吹く風で、アンジュはマイペースに「萌えス」の説明をしている。その様子は、どういうわけか明らかに先程よりもテンションが上がっていた。頭がパンクし呆然と立ち尽くすマシューとは好対照だ。


「で、何の設定が『萌えス』なの?」

「あの絵草子の設定まんまですよ!つまりお役人さんと神父さんが幼馴染で恋人で、しかも片方が殺し屋でもう片方がそれと知らずに追う立場…もしそんなんだったら最高だなって。」


 異次元の発想。同じ人類と話している気がしない。マシューは最早理解を放棄していた。どういう生き方をしたら自分たち二人が茶を飲む姿を見てそこまでの物語を思いつくのか不思議でたまらなかった。


 しかし同時に安堵した。彼女の描いた絵草子は勝手な妄想であり、真実とは無縁なものだったからだ。あるいはアンジュが、神父を見て殺し屋という設定が思い浮かぶ「勘」をもっと別の形で使える人間だったらマズいことになっていたのかもしれない。ともかく、心配は杞憂であり、よって彼女をこの場で始末する必要も無くなった。その安心感に包まれることで、マシューの頭も次第に再起動を始める。


「説明されてもまだよくわかんないけどね、ホントそういうのはやめるようにね?」

「え?」

「私は別に男に興味ないし、あそこの神父さんもきっとそう。そんな人間捕まえて、同性愛の絵草子モデルにしたら、された人間はたまったもんじゃないよ?現に私今たまったもんじゃないから。」

「そ、そういうもんなんですか?」

「そういうものなんです!以後気を付けるように!」


 最後にそれらしく釘を刺し、マシューは長屋を去って行った。一安心したはずなのに、一日働いたそれに比肩する疲れが、どっと彼にのしかかる。終業までまた4・5時間はあるというのにこの有様だ、どこかでサボるしかないとマシューは思った。しかしあのような話を聞いた直後だ、何時ものように丘の上の教会に行く気はなれなかった。


(仕方ねェ…河原で寝よ…)


 そんなわけで、マシューの足は力なく川べりのほうへと向かっていくのだった。



―――そしてこの時の彼はまだ知らない。このアンジュという娘が、次の「仕事」において重要なファクターとなることを。

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