其の三

「ほな、金額上乗せしたったらやる気になってくれるんか、兄ちゃん?」


 石室に響く聞きなれない声。さりとてWORKMANのうち一人には嫌というほどに聞きなれた声。しかしここで聞こえることはあり得ぬ声。ギリィ・ジョーは右腕のブレスレットを長針に変え身構えた。


「どういう…ことだよ…?何でアンタがここに…?」


 その言葉に応えるように、積み上げて置かれた空の棺の影に隠れていた声の主が、薄明りの中に姿を現した。そしてそれは、まさにギリィの想像通りの人物だった。


クオータービーストのニース・チェシャ


 流しのネイルアーティストが何の用があってこんな部屋にいるのか?隠れて何をしていたのか?しかも、手練れの殺し屋が四人もいるこの部屋で気取られることなく今の今まで隠れていたということだ、よもややかましいだけだと思っていたこの女がそれ程の手練れだとでもいうのか?


 疑問は山のように思い浮かぶが、今すべきことはひとつ。WORKMANは秘中の秘の裏稼業、知った者は親兄弟であろうと消さねばならぬが必定。長針を握るギリィの手にも力がこもる。しかし踏み込めない。見知った顔だから躊躇しているわけではない、この女の持つ底知れなさを警戒しているのだ。


 他の連中はと言えば、マシューは今晩得物のサムライソードを持ち合わせていないせいか、そそくさげに逃げようとしていた。


 警戒する年齢二桁の男たちとは対照的に、年齢三桁の二人は実に落ち着いたものだった。そして旧知の仲に話しかけるかの如く、神父が声をかけた。


「これはこれは、ニースさんじゃないですか?全然気付きませんでしたよ。相変わらず気配を消すのが上手いお方だ。」

「お久しぶりです神父はん。いやぁ、ちょいと『虎』の大将にいくつか頼まれ事されましてね。あ、リュッキーも久しぶりやなぁ!」

「………」


 リュキアは黙して反応しない。彼女にとって明らかに苦手なノリだろう、仕方がない。いや、問題はそこではない。どういうわけか神父もリュキアもニースと面識があったのだ、しかもかなり前からのようである。そんな様子を前に目を白黒させる青年二人を察し、神父が説明を始めた。


「おや、そういえばベルモンドさんとギリィさんとは初顔合わせでしたね。」

「いや、知らない顔では無いっちゃあ無いんだが…」


「ご紹介しましょう。こちらニース・チェシャさん、別名『紅爪のニース』。西のポルガ州に居を構える『虎』のWORKMANギルドのメンバーです。」


 簡潔かつ要点を絞った紹介。しかし男たちの疑問は未だに尽きず怪訝な顔をやめていない。


「おや?どうかしましたか?まだ何か疑問でも?」

「いや、むしろまだ何一つとして解決してねェって感じなんだが…」

「先ずここ以外にもWORKMANがいたって事が初耳だよ…」


 以前隣の州の少女がわざわざ歩いて依頼に来たこともあるくらいだ。となればこの手の稼業は自分たちだけと思うのも自然な話である。そこにきて別のギルドもあるとなれば寝耳に水だ。


「WORKMANが所在する州は三つ。王都ラグナント、ポルガ、そしてここザカール。それぞれを創設メンバーになぞらえて『焔』『虎』『屍』と呼ばれる者が取り仕切っているのですよ。私は『屍』ということです。」

「俺もこの稼業始めてはや5年になるが、ンなこと教えてもくれなかったじゃねェか神父様よォ?」

「ひとりのヘマによる被害が及ぶ範囲を考えると、あまり横の繋がりは持たない方がいいという方針ですからね。それでもおいおい説明しようとは思っていましたよ?」


 神父はしれっと言い放った。確かにひとりがしくじれば一蓮托生で仲間全員縛り首の稼業である。知った仲間が増えれば地獄の道連れもただいたずらに増えるだけ、そう考えれば極力繋がりを作らないことも納得できる。しかしそのせいで、無用の心配と奇縁が生まれたことを思うと、ギリィは少し煮え切らない気分だった。


「何だよ。こっち側だってんなら初めからそう言ってくれりゃいいのによ…」

「そら結果論やでギリィはん。お互い初見の人間にそないなこと言える訳無いやろ?まあギリィはんが同業っちゅうのには、うちも驚きを隠せへんけどな。」


 このお陰で散々気を揉んだギリィがふてくされるように言った。と同時に、彼が漠然と感じていたニースの底知れなさにも得心がいった。なるほど自分たちを相手に気配を消しきるほどの手練れなのだ、妙な予感も当然である。そう思うと今度は逆に気が緩み笑みがこぼれる。体面を見ると、どうやらニースも同じ予感をしていたようで、はにかんだ表情を見せていた。


「おっと、いちゃついてる所悪ィがよ、とりあえずだ姉ちゃん、さっき言ってた金額上乗せってのはどういうことか説明してくれ。」


 金に執着したのか、それとも目の前で微笑み合う男女が癇に障ったのかはわからないが、嫌に強張った表情でマシューが話を切り込んだ。夜も長いとはいえ時間は有限ではない、ダラダラしている余裕はないと考えれば悪い判断ではないのだが。


「これは失敬。いやそれがやね、『虎』から言われた頼み事のひとつなんですわ。」


 そう言ってニースは腰に下げていた袋と紙束を、備え付けの簡素な台の上に置いた。袋のほうはそのたわみ方から小銭が入っていることは容易に判別できた。もう一方の紙束の紐を解くと、それぞれ人相の悪い獣人の似顔絵が描かれた紙が4枚。


「これァ…まさかと思うが件の獣人盗賊団?」

「せやで。奴さんら大陸の西のほうでも手口で荒らし回りよってん。で、この度うちの州を中心にこうやって手配書も行き届いたさかいに、東の端のここまで逃げてきたんやろなぁ。」

「同じ手口、というと?」

「初めの犯行数回は貧民に盗んだ金ばら撒いて義賊面、その風評を以て今後の盗みをやり易うするっちゅう手や。悪評のほうが先立つころには隣の州へサイナラ、こんなんをかれこれ6・7年近く繰り返してんねやで。」


 6・7年という月日の長さはザカールのWORKMANを驚かせるに十分だった。マシューの中で、あるいは表仕事で捕らえれば想像以上の手柄になるのでは?という助平心が再び頭をもたげる。しかしそれは、続くニースの言葉によって立ち消えた。


「しかしや、州衛士からはまんまと逃げおおせ民衆の記憶から消えたとしても、恨みだけは消えへん。今しがた聞いたマダムの話のような悲劇はこっちでもようけ起きよった。こいつら絡みで依頼が入るようになったんは3年ほど前から、塵も積もればなんとやら、こちらにあるのがその頼み料しめて287万ギャラッドでござい、と!」


 ニースが台に置いた袋を叩くと、じゃらりと小銭が擦れる音がした。恐らく換金せず、渡された頼み料をそのまま保管していたのだろう。そしてそんな小銭だけで300万近くの金額に達していることを考えれば、余程多くの者が奴らの為に泣かされてきたのだろう。金額以上にその恨みの重さがWORKMANたちにのしかかり、表情に真剣味が増す。


「まあ、お恥ずかしながらうちらのほうで殺りそこねたからこっちまで流れて来よったわけで…せやから『屍』のギルドに協力してもらってコイツらの始末をしてこいってのが『虎』からの命令だったんですわ。つーわけで、うちもこの『仕事』に混ぜてもらいますさかい、あんじょう宜しゅうに!」


 あくまでも明るい口調のニースだったが、その声の奥深くには外道に対する怒りが感じられる。今は聞くまいが、向こうのほうでも色々な不幸があったのだろう。


「………それで、顔は手配書でわかったけど今どこにいるかはわからないの?」

「心配おまへんがなリュッキー!そこんとこはうちのほうで調べ済みやで!何のために表仕事で行商しとると思ってんねや?マダムの情報網舐めんなや!?」


 なるほど聞き出していたのはそっちの情報だったのか、とギリィは感心した。


「建築会社に通う職員の奥さんが、こいつらにそっくりの日雇い労働者を港湾埋め立て工事の現場で見た言うとったわ。うちもこの目で確かめた。間違いないわ。」

「成程日雇いの労働者か…その手合いだと滞在許可証の確認もいちいち面倒ってんで甘くならァな。完全に盲点だったぜ。」


 ここまでくれば完全に追い詰めたも同然。的は4つ、WORKMANも4人、あとはいつも通り一人一殺すれば「仕事」は完遂である。石室に気合いと熱が籠る。と、ここでその熱を制するかのように、落ち着いた声で神父が話し始めた。


「やる気のところに冷水をかけるようで申し訳ありませんが、相手は『虎』のギルドの追求から3年逃げおおせた強者ですよ?いつも通りの手が通じるなどとは思わないほうが良いでしょう。舐めてかかればまた取り逃がす、あるいは返り討ちに会う羽目になるやもしれません。どうぞ皆さんお気をつけて…」


 そう言うと神父は、袋に入った金を台にあけ、今回の頼み料を足した。計290万ギャラッド。その山のように積み上がった小銭を5つに分け、それぞれを小袋に仕舞う。WORKMANたちはそれぞれその袋を手に取り懐に入れ、そのまま「仕事」へと向かった。


「上等だ。この『仕事』ばっちり決めて、手前らのギルドとの格の違いってもんを見せてやらぁ!」

「ほう、大きく出なすったなぁ。ほな、お手並み拝見と行きましょか?!」


 部屋を出際にギリィとニースがこつんと拳を重ねた。その表情は今まで見せた事が無いほどのやる気に満ち、二人の事情をよく知らぬ神父の頭に疑問符を浮かべるのだった。





 市街中央より程離れた夜の色街。この辺りは深夜にあってむしろ活気付く。無数の街燈が煌々と光り、酒に酔ったお大尽の赤ら顔や厚化粧に包まれた商売女の顔を照らす。そのような歓楽街を、そこに似つかわしくない顔で走り抜ける馬の獣人が二人。あるいはここがザカールでは無くポルガだったのならば大騒ぎになっていたかもしれない。


 そう、彼らは件の獣人盗賊団の構成員。


「しかし、いくら近道だからってこの雑踏を通るのはしんどいっすね…」

「弱音吐いてんじゃねえ。親分との待ち合わせに遅れたら今よりもっとしんどい目に遭うんだぞ?」


 今夜もどこぞに盗みに行くようで、召集をかけられたようである。一番混雑している区域を抜け、やや人の減った道に出る。これでもっと速く走れると安堵する馬獣人だったが、およそ50メートル先程に見えたものを察知し、逆に足を止めた。


「州衛士だ…注意しろ…」


 灯りも減り多少見通しの悪くなった道だが、兄貴分と思しき馬獣人は夜目が効くようで、随分と先にいる男の恰好を確認していた。マントを羽織っているがその革鎧はまさに州衛士のもの。弟分の足も止め、怪しまれぬようにゆっくりと歩を進めた。


 手配書の出回った西部の州ならともかく、ついぞ数日前に来たばかりのこの東の果てザカールにまで面が割れていると考えるのはやや考えすぎとも言える。しかしこの慎重さこそが、西部の州衛士やWORKMANから逃げ延びた秘訣なのだ。しかし、次第に姿がはっきりと見えだした州衛士の言動は、その警戒を緩めるものだった。


「なあ、いいだろ?一晩だけ!先っちょだけでいいから!」

「………無理。うちはそういうお店じゃない。一昨日来やがれクソ役人。」

「そんな釣れないこと言うなよぉ~。給料入ったらまた高いお酒開けてあげるからさぁ~。」


 遠目ではその黒さ故気付かなかったが、州衛士の隣にはダークエルフの女がいた。その服装は見るからに水商売の女、州衛士はその女に対して床を要求しているようだ。しかもその情けなく懇願する姿ときたらおよそ警察機構の人間とは思えない。市民が見れば幻滅間違いないだろう。


(何だ、見回りの州衛士ではなかったのか…)

(仕事帰りに商売女に絡んでるだけみたいっすね…)


 やや気が緩んだ馬獣人二人はわずかに早足になり、道を突っ切ろうとした。


「………もうやだ。離れて。」

「うぉっと!?」


 あまりにしつこい州衛士をダークエルフの商売女が突き飛ばした。二人の間にスペースが空く。あまり広い小道でもないので、馬獣人たちは道脇によけるでもなく、その間をそのまま突っ切ろうとさらに足早に駆け出した。


しゅりん


さくり


 二人の間を通り抜けようとした次の瞬間、馬獣人は二人仲良く膝をつき、そのままうつ伏せに突っ伏した。道行く人にもそれを目撃したものはいたがここは飲み屋街、飲み過ぎて道端に倒れる者など茶飯事であり、誰も気に留めることは無かった。


―――故に、数分後心ある青年が駆け寄るまで、二人が死亡したことを知る者はいない。


 無論あの男女とのすれ違いざまに、州衛士の男にマントで隠したサムライソードで脇腹を斬られたことも、ダークエルフの商売女に目に見えぬほど細い黒糸で絞殺されたことも、もちろん知る者はいなかった。





 同刻、川沿いの道。一人の狼獣人ワーウルフがまさにその狼らしい健脚を鳴らしていた。込み入った近道を選んだ馬獣人とは逆に、遠回りでも足を生かせる道を選んだ彼は、まさに港湾地域にアジトを構える獣人盗賊団のボスの元へと急いでいた。


 誰もいない道。あるのはただ月明りのみ。頬を撫でる夜風。そんなシュチュエーションの妙が、疾走する彼の心を無駄に沸き立たせる。あるいは今夜は盗みをせずにこのまま走っていたい、そんな高揚感が心を支配していた。


 しかし、そんな彼の気持ちの良い疾走は程なくして終わりを遂げた。港湾へ向かう橋の入口にロープが張っていたのだ。このまま走れば足を取られ転んであわや大怪我、という寸でのところで足を止める。


「何だいこりゃ?ガキの悪戯にしちゃタチが悪いな…ん?」


 楽しいひと時の邪魔をしたロープを引きちぎり、憎々しく見つめるワーウルフの男。しかし、ここで足を止めたことで川に何やらおかしなものが浮いていることに気が付いた。


「何だ?パイプ?」


 水面から、金色の筒状のものが飛び出していた。夜の闇の中、月明りが反射して異常なまでに目立っている。工事に使う配管パイプか何かが橋から落ちて川底に刺さったのだろうか。しかし金色とは珍しい。ワーウルフの男は、あるいは金になるものかもしれないと川べりに降りて拾いに行こうとした。


 パイプは随分と川岸に近い。これなら道具を使わずとも拾えそうだ。膝を下ろし、手をパイプまで伸ばす。



 瞬間、水面が爆ぜ、パイプと「何か」が宙へ舞った。



 ワーウルフの男が驚く間もなく、その「何か」は彼の背中を強襲した。左手に金のパイプを持つ「何か」は、丁度バックマウントからのチョークスリーパーのように右腕でワーウルフの首を極める。声帯を圧迫し、叫び声を上げることもままならない。その状態のまま「何か」は掌でパイプをくるくる回すと、まるで手品のようにパイプは一本の金の長針へと姿を変えた。



 WORKMANギリィ・ジョーの得物、意志ある金属



 彼は的がここを通りがかることを知っていた。そして隠れる場所の無いこの周囲で、それを待ち構えるべく水中へ身を隠す。そしれ、普段は腕輪として迷彩するこの金属を筒状に変化させ、古風なイメージの忍者の水遁の術のようにそれを水面から出して息を確保していたのだ。加えて橋のロープで足を止め、闇夜に映える金色で目を引く、ワーウルフの男は完全にギリィの術中に嵌り、今こうして無様にも組み伏せられたのだ。


 必死にもがき首締めから逃れようとするワーウルフ。しかし格闘技経験者ならわかるであろう、この状態で入ったチョークスリーパーは体格関係なしに逃れることは困難だと言う事を。無論、このまま悠長に窒息死を狙うわけが無い。ギリィは左手の長針を狼の左こめかみに振り下ろした。


 頸椎の関節を狙う何時もの技とは違い、固い頭蓋骨ごと通す荒業。しかし殺る気に満ちた彼の裂帛の気合を込めた一撃は、頭骨を貫き脳にまで刺さった。そこからは、意志ある金属に念を込め、脳をかき乱す。すると的の首を絞める右腕から、呼吸と血液循環の感触が消えた。問題なく仕留めた、そのことを確認するとギリィは体を起こし、まだびしょ濡れのまま走って帰路につくのだった。





 港湾開発地域。このあたりのザカールの経済成長を受け、湾を埋め立て港を広げようという活動が活発となっている。州内で人手は足りず、周辺各州からも労働者が集まる一大行事。獣人盗賊団はこの流れに乗じてこのザカールへ侵入したのだ。


 昼間はそんな労働者たちでいっぱいのこの工事現場も、この深夜にあっては流石に人っ子一人見受けられない。だからこそ、彼らの集合場所にもってこいなのだ。しかし今夜になってとたんにメンバーの集まりが悪い。団長と思しき獅子の獣人は腕組みしながらひとりこの地で待ち続けていた。


「生憎やけど、お仲間なら多分来いひんで?」


 埋め立ての泥土の上に立つ団長に、声が飛んできた。しかし聞きなれた仲間たちの声ではない。昔懐かしい訛りの女の声。


「…ポルガから俺たちを追ってきたのか?州のエージェントか?」

「半分正解、半分外れやね。」


 女の声がどんどんと近づく。と同時にその声の主の姿も月明りの中次第に見え始めた。明らかに人間の耳ではない、同じく獣人の血を引いているであろう女の姿。


―――ニース・チェシャ


 リュキアやギリィのように「仕事」着は持ち合わせていないようで、ほぼ普段着のままの姿。唯一変わったところがあるとすれば、右手の小指の爪が異常に長くなっていることぐらいであろうか。


「あの獣人盗賊団の団長が獅子の獣人とはなぁ…かの獣王レイザークロウの眷属やないか。そんなんがこんな泥棒仕事に手を染めてるなんて知ったら『虎』の大将もガッカリやで?」

「今の世に種の貴賤も仕事の貴賤も無い。誰であろうがこのような道に堕ちる可能性を持っている。だろう?クオータービーストの娘?」


 ニースは鼻を掻いて笑った。確かに自分もこのような「仕事」に堕ちた者だ。そしてそのことは奴も察している。自分を殺しに来た暗殺者だと認識している。改めて気合を入れ直し正面を睨む。決して近くない二者の間合いに夜風が吹いた。


 瞬間、団長が仕掛けた。獅子ならではの瞬発力で一気に間を詰める。その手にはナイフ、とはいえこの巨躯に見合うナイフである、ちょっとした鉈ほどの大きさだ。危険極まりない凶器である。


 しかしニース、この攻撃を右手で払い左手でキャッチ、そのままぐるりと回転し腕を捻る。予期せぬ関節の痛みに思わずナイフを落とす団長。さらに腕を取ったまま背後へと回り込み、関節を極めた状態で後ろから組み伏せた。小さな女性が大男を制す、まさに護身術の理想形のような動作であった。


 無論、このままでは命を取れるわけではない。団長が力任せに拘束を振りほどく前に決着を付けねばならない。ニースは右の小指をぴんと立てた。そしてその長い爪を背後より振り下ろす。


狙いは、右耳


 大きく開かれた獅子の右耳に、ニースの爪がすっぽりと入った。そしてそれはそのまま鼓膜を破りさらに奥に侵入する。三半規管、そして脳、それら重要な機関を、ニースの長い爪は文字通りに串刺しにしたのだ。


 先程まで振りほどこうと力んでいた獅子の腕から次第に力みが抜けていくのを左手に感じる。上手く即死せしめた、そんな充足感がニースの全身を駆け巡る。身震いを抑え右手を耳から引き抜くと、先程まで白かった彼女の爪がどろりとした粘性のある血で深紅に染まっていた。これが彼女の異名「紅爪」の由来なのだろう。そしてニースは深呼吸を一つ二つつくと、この泥土の荒地を後にするのだった。


(おとん…おかん…兄貴…仇はとったで………)





 義賊と言えど所詮は盗賊、姿を現さねば話題になることは無い。変死した4人の獣人のニュースは多少新聞紙面を賑わせたものの、彼らがその獣人盗賊団であるということは知られぬままだった。ザカールを数日席捲した義賊騒動も、3日もせぬうちに人々の心から忘れ去られるであろう。


 そして、ザカールの女性の間で注目の的となっていたネイルアーティストも、この日をもって店じまいとなった。州境の検問で、WORKMAN一団が彼女を見送る。


「短い間でしたけど、えらいご迷惑おかけしてすんませんでした。」

「ああ、本当に迷惑だったぜ。」

「ギリィはん…そないハッキリ言わんでも…」

「ま、迷惑かけさせられるのはこのクソ役人で慣れてるからよ。また暇があったらこっちに来いよ。」


 ニースの頬がほのかに紅に染まった。対するギリィのほうも耳を赤くしている。冗談でも何でもない惚気ムードに、マシューとリュキアは苦い顔をした。神父だけが平常通り、アルカイックな表情を浮かべている。


「ああ、せや神父はん。も一個『虎』からの頼まれ事があったんや。」

「はて?何でしょう?」

「いや、頼まれ事言うてもただの言伝みたいなもんやけどな…


『錬金術ギルドに気を付けろ』


…ってな。」


 その言葉を聞いて、ギリィの浮かれ気分は一瞬にして消え去った。わっとニースの肩を掴み、詰め寄る。人買いギルドに自動人形オートマトンを納入しに来たジャレッド、病原菌と新薬をばら撒き荒稼ぎを提案したニーギス…近日中に「仕事」にかけた同族のことで漠然と感じていた嫌な予感がかわりに吹き上がる。


「おいニース!錬金術ギルドってまさか!?」

「ああ、ご想像の通り。ギリィはんのお父さんを頭目とする『ジューロ・アルケミーギルド』まさにそいつらや…」


 聞きたくも無い父の名が、ニースの口から飛び出した。


「今回のもう一つの頼まれ事が、ジューロ・ジョーの息子ギリィ・ジョーの監視…いやホンマ、ギリィはんがこっち側で良かったわ…さもなくば愛した男を手にかける羽目になっとった…」

「親父は!?親父は一体何を企んでやがるんだ!?おい!!」

「痛い痛い!そっ、そこまでは知らんがな!ただ、各州に仲間を送り込んで、そいつらのせいで結構な数の不幸になった人間が出とるらしい、こっちが掴んどるんもそんな漠然とした情報だけや…まあ兎に角気ぃ付けや…」


 結局それ以上の情報を得られぬまま、ニースは後ろ髪引かれる思いでポルガ州へと帰って行った。嫌な予感は結実し、さらに大きな不安となってギリィの前に立ち塞がる。そんな彼の豹変するさまを見て、新たなる波乱を予感せずにはいられないWORKMANたちであった。





「…各州への進行度はどのくらいになっている?」

「はい、10州においてほぼ80%を達成。州議会高官や各地の有力企業にも我らの名と力は根付いた模様…」

「王国全土には3州ほど足りぬようだが…?」

「ええ…ラグナント、ポルガ、ザカールにおいて差し向けたメンバーが音信不通…」

「まさか、話に聞くWORKMANとやらか…?」

「人の恨みを金で晴らすなどという酔狂な集団…」

「人の欲と不幸を糧とする我らとは相容れぬ存在…」


「まあ良い、そのような羽虫は放っておけ。その程度の連中に俺は止められん。世界は再び混迷の時代に戻る。俺の望んだ、な。」


「さあ、今こそ旗揚げの時だ!俺達『ジューロ・アルケミーギルド』は本日より名を変え、輝ける世に暗雲をもたらす者、即ち『曇一家クラウド・ファミリー』とするもの也!さあ者ども、乾杯だ!!」

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