其の三

「本当によく出来た息子でした。貧乏診療所の小倅だてらに州の医学校を首席で卒業…鳶が鷹を生むってやつですかね…卒業後も家業を継いでよく働き、患者さん方からも評判で、本当に自慢の息子でした。それが、一昨日の夜暴漢に刺されて死んだなど、今でも実感が湧きません…何故あんな良い子がこんな目に…


そういえば息子は事件前に何やら私に黙って研究室を使っておりました。そして没後、息子を看取ったというハーフリングの方から渡された何かの調合図…もしかしたらこれが息子が殺された原因に関係しているのでしょうか?州衛士に掛け合ってもまるで聞き入れてもらえませんでした。


…ですので頼れるのは最早ここしかありません。お門違いなお願いかもしれませんが、息子の死の真相を突き止め、もしそれが何者かによる陰謀だとしたら…何卒この恨み、晴らしてくださいませぬか…」


 そう言い残すと、フランツ医院の院長は大金貨を二枚差し出し懺悔室を後にした。





「まさか、本当に『仕事』になっちまうとはな…」


 三人のWORKMANが集う深夜の教会霊安室、神父よりこの依頼を聞いた「看取ったハーフリングの方」ことギリィ・ジョーは呟いた。あの後州衛士に通報し、検死の席で顔を合わせたロディの父に調合図を渡す時に、その表情からこうなる気はしていた。そして嫌な予感に限ってよく当たるのは最早この稼業の宿命なのかもしれない。


「で、そちらの方でもやはり迷宮入りの様子ですか?頼み人は州衛士に掛け合ってもだんまりだと仰っていましたが。」

「馬鹿言っちゃいけねェよ。いくらうちの州衛士隊が盆暗揃いだっつっても、流石にこんな衝動殺人に目星が付けられねェほど腐っちゃいねェよ。」


 神父からの問いかけに、州衛士でもあるマシュー・ベルモンドは答える。


「被害者は死亡した夜に何者かと密会していた。そして一通り話し終えると相手の顔色が険しくなっていた。これはその場に居合わせた酒場のバーテンの証言だ。で、直後に犯行。普通に考えりゃ十中八九ソイツが犯人で間違いないだろうぜ。」

「そこまでわかってるならとっとと証拠洗ってとっ捕まえちまえばいいじゃないか。何躊躇ってんだよお前ら州衛士はよ?」

「相手が相手だから仕方ねェんだよ。ほら、件の新薬で有名になったラファール医院の若旦那…ジャニスって言ったっけか。今ソイツをしょっ引いたらどうなるかぐれェお前ェの脳味噌でもわかんだろ?」


 マシューはギリィに煽り返すように説明した。彼の言う通り州衛士隊もジャニスを容疑者として挙げており、はたしてその推測は正しい。しかし同時に流行り病の特効薬の開発者、つまりその薬を作れる唯一の人物なのだ(実際は違うが)。未だその病気が猛威を振るい薬も満遍なく行き渡っていない現状で彼を逮捕したら、どれほどの混乱になるかは想像に難くないだろう。そういう判断だから一時的に泳がせている、というのが州衛士隊の判断なのだ。


「ふむ…ところで薬と言えばギリィさん、貴方が彼の最期に手渡された調合図でしたか、あれは何か関係があるのですかね?」

「いや。言われた通り親父さんに渡す前に眺めてはみたが、やっぱ薬学の知識の無い奴が読んでみてもさっぱりだったわ。」

「ふむ…」


 深夜密会していた同期の桜、最近出回る新薬と謎の調合図、もしかしたらという連想こそ思い浮かぶが確証はない。最悪、被害者であるロディのほうに後ろめたい裏があるという線も考え得る。繋がりそうで繋がらぬ点と点を前に、WORKMANの男たちは頭を抱えていた。その時である。


ぎぃ…


ここ地下霊安室の石戸が開く音がした。男たちははたと構えるが、その心配は杞憂に終わった。考えてもみれば当然である。石戸には中から錠をしており、開けるならば鍵が必要、となればその鍵の在処を知る人物など限られているからだ。


「リュキア!いいのですか寝てなくても!?」

「………大丈夫。」


 WORKMAN最後の一人、リュキアが地下室へと降りてきた。口ではああ言ってはいるが顔色も赤く、足取りもどことなくおぼつかない。当然といえば当然の話だが、病気はまだ治っていないようだ。


「………聞くとは無しに聞いた。うちに来てたお医者さんが殺されて、その門で『仕事』が入った事。」

「いや、『仕事』熱心なのはいいけどよ、半病人に首突っ込まれても逆に足手まといにしかならねェよ。今回は大人しく寝てろ。」

「………情報ならある。死ぬ前に渡されたっていう調合図、あれ多分例の特効薬のと同じ。」


 あっさりと飛び出た重要な情報に、茶々を入れたマシューも目を丸くする。そう、リュキアはこの事件に大いに関係しており、本人の与り知らぬ所でキーマンとなっていたのだ。


「………そのジャニスって人から貰った薬をお医者さんにあげた。もっと安価で提供するために調べたいと言ってたから。」

「マジか…そりゃ…?」

「成程。となれば商売の邪魔になるからという理由で殺されたという線が濃厚になりますね。やはりラファール医院を張る方向で調査してみましょうか。ギリィさん、お願いできますか?」

「ああ、任せとけ。流石に病人には密偵は任せられねえからな。」


 ギリィは腕まくりをして自信満々に返事をした。リュキアのもたらした情報によりWORKMANの方針は一応固まることになった。しかし、彼らはまだ、真の動機たるジャニスの秘めたる恋心と狂乱には誰一人として気付いていなかった。





「お願いしますお医者様!どうか…どうか薬を売ってくださいまし!」

「馬鹿を申すな!そういう台詞はちゃんと一万ギャラッド用意してから言うのだな!」

「そんな…それでは娘は!娘はどうなるんですか!」

「そのまま寝かせておけばよかろう!死に至るほどの病でもあるまいに!」


 縋りつく夫婦の腕を振り払い、気の荒立った様子でジャニスは病院の中へと引き返して行った。実際この夫婦は金を持っていなかったし、ジャニスも多少傲慢なところのある男ではある。にしても、先程の口ぶりはあまりに横柄だった。


 病院に帰った彼は真っ先に研究室へと向かう。そこにいたのは薬師のニーギスと院長のジャックス。開口一番、荒い声で彼を呼びつける。


「おいニーギス!一昨日から頼んでいた新しい病原菌はまだなのか!?」

「へ、へえ…しかし流石に昨日今日でほいほいと出来る代物じゃねえことは先に申し上げてた筈で…」

「言い訳など聞きたくない!お前は父上に僕の右腕となるよう頼まれたのだろう?ならば僕の言う事は絶対だろう!無理でも早く作れ!早くしないと…」

「お、おいジャニス。どうしたというのだ?この間から人が変わったように…」


 父であるジャックスですらおっかなびっくりで話しかける。父に対しやや従順な息子がこうなってしまったのだ、無理もない。そしてジャニスはジャックスに対しても変わらぬ態度でまくしたてた。


「父上にも申した筈ですが!?一時でも早く新しい病気を流行らせその新薬を売らぬ限り、僕に未来は無いということを…!」

「いや…しかしだな…」

「僕はあの夜衝動的にロディを刺した。目撃者こそ居なかったものの状況証拠で州衛士が僕に辿り着くのは時間の問題、今こうして見逃されているのはあの熱病の新薬の開発者であるから、ただそれだけの事…熱病が根絶するか、他の医師が同じ薬を作れるようになったらお役御免とばかりに捕まるのは目に見えていると!」


 現にロディは同じ薬を作り、自分を侮蔑したからついかっとなって殺した、父にはそのような虚偽の告白をしていた。この期に及んで真に狂った理由は未だ胸の内である。そして息子の将来の為に病気をばら撒こうなどという親が、罪を償い出頭しろと命じる訳も無かった。


「病気を流行らせ同時にその特効薬を作り、それを僕の手柄とすることで将来を確かなものにする、そう提案されたのは父上、貴方ですよ!?なら今目の前にある危機から僕を守るために利用するのは当然でしょう!?新しい病気とその新薬が途切れることなく出来れば州衛士が僕を捕らえる隙も出来ない筈ですからね!」

「う…うむ、わかった…というわけだニーギス、頼むぞ…」

「へ、へえ…」

「ああそうだ、ついでだが次からは勢い余って感染した者が死ぬくらいの強力な病原菌で頼む。そのぐらいのほうが皆も僕のことをもっと有り難がるようになるだろうしな。」

「ええ…」


 数日前、親の提案に当初難色を示していたのはジャニスのほうであったが、今ここに至って立場は完全に逆転していた。妄想の嫉妬心と衝動的とはいえ殺人を犯してしまったというショックは、かくもジャニスの心を破壊していたのだ。焦点の合わぬ瞳で恐ろしいことを口走る青年に対し、ひとりは息子可愛さから、もう一人は主従の関係から、目の前の大人二人は何も言う事が出来ないでいた。



 そしてその保身に狂った様子は、床下に潜り込み一部始終を眺めていたハーフリングに如何なる感情を呼び起こしたのかは、想像に難くないところであろう。





「頼み人に再度確認を取ってきました。息子さんの遺した調合図通りの薬が流通すればジャニスは捕まる可能性もあるという事、そしてギリィさんが入手した彼らの内情。法の裁きに任せ依頼を取り消すか否かの判断…結果は…」


 薄暗い地下室で、僅かな蝋燭の明かりの下に金子を四等分しながら、神父は語る。


「ジャニス・ラファール、ジャックス・ラファール、そしてニーギス・ベー…これが今回の的となります。」


 フランツ医院の院長が下した判断は、「仕事」の決行だった。ロディの敵討ちの範疇を越えているが、自ら病厄をばら撒き、それを治して金を集めるという医者の、いや人の倫理から外れたマッチポンプ。そしてその下衆な陰謀の為に息子が死ぬこととなったとなれば、かような判断を下すのも已む無きことなのだろう。この依頼が、これまた人の倫理から外れた行為だとは十二分に承知していたとしても。


「なァるほど、まさか流行り病にそんなカラクリがあったとはなァ…」


 分けられた金子をひとつ拾いながら、マシューが何かを押し殺したような声で呟いた。彼もまた連中の身勝手な陰謀の為に、愛すべき人を病魔に冒されたひとりである。「仕事」に私情は禁物なれど、腰に下げたサムライソードを握る手に自然と熱が籠る。


「あのニーギスって男は、俺に殺らせてくれ。」


 ギリィが金子を取ると、右手の腕輪がからんと鳴った。連中の密談を一部始終見た彼であるが、その時よりあの同族の薬師、いや錬金術師に何か思い当たるところがあったようだ。


そして…


「どうしてもご自分ですると言うのですか?その本調子とは言い難い体で?」

「………あの男だけは、どうしても私の手で始末しなければいけない、そんな気がするの。」

「心配しているのは動機ではなく仕損じです。一人の失敗で皆の咎首が市中に晒されることになるかもしれない、それは覚えていますね?」

「………大丈夫。」


 金子を取ろうとしたリュキアに神父が声をかける。その恰好は既に修道服ではなく「仕事」で使う動きやすい黒革の装備。しかし未だ熱病は治まらず、平静を装ってはいるが顔色も悪いままだった。


 何故彼女がそこまでして「仕事」をしようとするのか?それはひとえに予感としかいいようが無かった。ジャニスというあの男は、何故だかはわからないが私が送ってやらねばならない、そんな漠然とした使命感。実際ジャニスが凶刃をロディに突きたてたのも、リュキアへの恋慕故のこと。色恋にはとんと興味の無い女なのでその真意に気付いたというわけではないのだが、WORKMANとしての習性なのだろう、己がこの事件の因果の中心にいることを予感していたのだ。ならばその決着を付けるのも己の「仕事」―――気だるげな体を押し外へと向かうリュキアを、神父は心配そうに眺めていた。





(この街での仕事も、そろそろ潮時かのう…)


 深夜の誰もいない街中を、大荷物を持ったニーギスが早足で駆ける。その荷物から連想される通り、彼は夜逃げをしていた。ギルドからここザカール州に出向し、良い稼ぎ口に取り入ることが出来たものの、まさか雇い主の息子があそこまで壊れるとは。このまま続けても益は無い、それどころかお縄頂戴まであるだろう。その将来を考え、今夜ラファール医院を抜け出してきたのだ。


(そういえばこの州には仲間がひとり向かって、以来音信不通だったかの…)


 何故だか不意に行方不明のギルドメンバーのことが頭に思い浮かんだ。と同時に、何者かが彼の肩を掴んだ。逃げる身だてらに連れ戻しに来たラファールの手の者かと焦りを見せたが、振り向いた先には昔なじみの顔があったため、ほっと一息をついた。


「よう。久しい顔を見かけたかと思えばやっぱりお前だったか、ニーギス。」

「ぎ、ギリィ坊ちゃん!?お懐かしい…して、どうしてここに?」


 ニーギスとギリィは顔なじみであった。恐らく彼の所属する錬金術ギルドというものは、以前の話で言及されていたギリィの父のものなのだろう。一秒でも早くこの州を出たいニーギスだったが、たまさかの再会につい足を止める。


「どうしたもこうしたも俺は今ここで商売してんだよ。そういうお前こそ何でザカールに?」

「へえ、まあ、マスターの命でちょいと出向してまして。まあ今帰るところですが…」

「親父の命?どんなだよ?」

「へえ、ちょいとそれはギリィ坊ちゃん相手でも喋るわけには…」

「ふぅ~ん、じゃあやっぱあのクソ親父が何企んでんのかは分からず仕舞いかぁ…」


 直後、妙に温和だったギリィの表情に突然影が差した。素人目にもわかる明確な殺気。ニーギスは己の判断ミスを悔いた。必死なところに知った顔が現れつい和気藹々と話しかけてしまったが、彼らギルドがギリィやその母にした所業を考えれば、こうも親し気に話しかけてくることなどはあり得ないのだ。


 ニーギスは踵を返し駆け出した。しかし悲しいかな大荷物を背負った初老男では追跡を振り切る脚力などあるはずもない。あっという間に追い付かれ、後ろ手に関節を取られ捕縛された。


「最近こそこそ動いてるみたいだからなぁあの親父。何碌でもねえ事企んでるのか聞ければいいと思ったが、言えねえんならいいや。手前もジャレッドの待ってるところに逝ってこい。」

「ジャレッド…!?ザカールの人買いギルドに機械人形オートマトンを納入しに行ったあのっ…!?まさかっ、坊ちゃん…あっしたちに復讐を…!?」


「復讐っつっても自分のじゃねえぞ、他人様の恨みだ。ああ、お前らも品方向性にしてりゃあ、こんな目に遭わずに済んだのにな…っと!!」


ぐさり


 ギリィはいつの間にか手にしていた長針を、ニーギスの延髄に突き刺した。なんだかんだ言いながらも個人的な恨みも込めているのだろうか、ぐりぐりと念入りに押し込む。そして気合を込めると、体内の針は流体となり髄を登り、脳に達すると花開きこれを裂いた。無論、即死である。


 針を引っこ抜くと、脳内で複雑に枝分かれしたとは思えないほどのまっすぐな形で取り出され、そのままギリィの右腕に装飾具として巻き付いた。いつも通りの見事な御手前、これでは州衛士も謎の変死体として迷宮入りさせざるを得なくなるだろう。しかし、完璧な「仕事」の出来とは裏腹に、ギリィの心には一抹の不安感が過ぎっていた。





「すいませーん!誰かいませんかー!?もしもーし!!」


 深夜、ラファール医院の戸を叩きながらけたたましく人を呼ぶ男が一人。この病院は山の手の一等地に立ているため、周囲に民家も無く近所迷惑と言う事にはならないのだが、やはり家人にとっては迷惑この上ない。従業員もあらかた帰ったとあって、院長がこれに応対した。


「なんだ騒々しい!いい加減にせんと州衛士を呼ぶぞ…って、あれ?」


 ジャックスは驚いた。州衛士を呼ぶと脅しをかけたのに、騒がしいその男こそ州衛士だったのだ。州衛士の男は、先程までの大声とは打って変わって、ひそひそ声でジャックスに話しかけた。


「どうも、夜分遅くすいません。手前州衛士のマシュー・ベルモンドと申す者です。」

「自己紹介はどうでもいい。こんな遅くに何の用だ?いくら州衛士といえどこのような常識外れを許すほど儂も温厚ではないぞ。」


 威圧的な態度でマシューに詰め寄るジャックスだが、心のうちは気が気でない。息子の暴走、半ばバレてしまった新薬の調合、不安の種は山ほどある。わざわざこんな時間に州衛士がひとりで来てるということも不気味であった。


「実はですね…お宅で買った例の新薬なんですが、ちょいと返金していただきたくてですね。」

「な、何故そんなことを?」


 州衛士隊がカンパしあって薬をいくつか購入したのはジャックスも知っている。それがここにきて返金というのだ。嫌な予感はいよいよもって高まる。


「いやあ、仕事柄まだ世間に出回ってない情報も入って来るんですよね我々には…フランツさんのところの病院で、同じ薬を七割引きで売り出すなんて情報がね…」

「なっ!?」


 マシューの口から飛び出した言葉は、まさに己の懸念に的中していた。フランツ医院のロディが同じ薬を作り、自分を愚弄したからかっとなって刺した―――息子ジャニスの言葉に合致する情報である。ここで下手に追求すれば藪蛇かもしれないが、ジャックスは後ろめたさを隠しあくまで強気に出る。


「何だと!?同じものが近々安く売られるから金を返せと言うのか?通るかそんなもの!」

「いやあ、差分の七千ギャラッド程度でいいんですよ。市民はともかく、我々州衛士にはいい顔しておいた方が後々何かと都合がいいんじゃないですかね?」


 この言葉で完全に確信した。この男は強請りに来ている。息子ジャニスがロディ殺しで逮捕されることも半ば確定しているのだろう。そして便宜を図ってほしければ言う事を聞け、と。しかしジャックスには、己の悪巧みを棚に上げて、そのような暴挙を許すことが出来なかった。


「お、お前たち州衛士がどこまで握っているのかは知らんが、儂はそのような脅迫には屈しはせんぞ!とっとと帰れ!!」

「ふうん、じゃあ仕方ねェ…」



瞬間、閃光



 何事なのか、マシューの手元から光が走る。同時に崩れ落ちるジャックスの上半身。その表情は何事が起きたのかわからぬままの、素っ頓狂な表情で固まっていた。すわ魔法かなにかとも思われたが、無論そんなはずもない。サムライソードの抜き身の剣閃が、月明りを受けて煌めいたのだ。唯の医者にこの神速の件を認識せよというのも無理な話だろう。


「差分は、手前ェの命代で勘弁してやらァ…」


 上下を分かたれたジャックスの死体を一瞥しながら、マシューはサムライソードに付いた血を白紙で拭い、ラファール医院を後にするのだった。






 その頃、ジャニスは外を出歩いていた。足取りもおぼつかず、焦点もまばらなまま夜の街を歩く。特に何処かあてがあるでもない深夜徘徊。ロディを刺したあの日からずっとこの有様が続いている。周辺住民もこの奇行については何かと噂にしていたが、相手が相手ということもあり、取り立ててあげつらうことも無かった。


 その日は何故か教会に足が向かっていた。壊れた精神だてらに、想いの未練が彼を突き動かしたのだろうか。それなりに人の目につく街を出て、人気の無い丘に続く小道に入る。道脇には樹木が立ち並び、風に吹かれざわざわと音を立てていた。


 途中、びゅう、と大きく風が吹いた。塵や砂も舞い上がり、さしものジャニスも目をつむり顔を防ぐ。そして再び目を開けて前を見ると、そこにはひとりの女性が立っていた。浅黒い肌と黒い長髪が月明りに映える。



―――リュキアだ



 瞬間ジャニスの虚ろな瞳に生気が戻った。半ば無意識の情念に突き動かされて出歩いたところに、実際に想い人が現れたのだ。しかも何時もの修道服ではなく、肌を多く露出した黒革の上下。本人としてはただ単に暗殺向きの動きやすい格好なのだが、見る人が見れば確かに扇情的な服装であっただろう。


「りゅ…リュキア…さん?その恰好は…」


 意識の追い付いていないジャニスが幽鬼のごとく手を伸ばす。しかしその手がリュキアに届く前に、既に必殺の黒糸が彼女の指先から放たれていた。黒糸はジャニスの首を絞め、再び意識を無に返さんとする。しかし、殺しきれない。熱病に冒された本調子でない体では男一人を絞め殺すのも難儀であった。それどころか気を抜けば意識そのものも飛びそうになる。


 するとリュキアは突然、黒糸を自分の右の二の腕に巻き付けた。的を絞めると同時に腕も締め付けられ、痛みが襲う。この痛みを以て意識を保とうという苦肉の策だ。そしてなんとか気を確かに持つと、道脇に大きく跳躍した。同時にジャニスとリュキアを繋ぐ黒糸もふわりと舞い上がり、道端の木の枝に引っかかる。


瞬間、再度裂帛の気合を込めてリュキアが糸を引き絞った。するとジャニスの体はずるずると引き摺られ、樹上で絞首刑の如く吊り下げられる。滑車の原理で非力な女なれど男一人の肉体を高々と掲げ上げられたのだ。さらに自らの体重でジャニスの首はどんどんと締まる。同時にリュキアの二の腕も、だが。


「………ごめんなさい。」


 そしてリュキアはそのまま引き絞った黒糸を指で弾く。ぴいんっ、と閑散とした夜の光景に弦楽器のような音が響いたかと思うと、樹上の男の息はそのまま絶えた。彼女が同時に口にした言葉にいかな意味があったのか、それは本人にもわからない。ただ漠然と、何故かその言葉を手にかけた男に送ってやらねばという気がしていた、それだけであった。





 ラファール医院の大旦那と若旦那の急死の報は、瞬く間に州へと広がった。まだ流行り病も治まりきっていないというのに、その特効薬を作れる人間がいなくなってしまったのだ、それはもう大騒ぎとなるだろう。しかし程なくして、例の薬はほうぼうの病院で売られるようになった。フランツ医院の院長のはからいで、息子の遺した調合図はザカールの医師ギルドに提出され、共有財産となったのだ。そのほうが息子も喜ぶとは院長の談である。ともかく、適正な値段で取引されるようになった特効薬のおかげで、最早件の流行り病は怖いものでは無くなり、一週間もすれば誰もがその脅威を忘れているという状態であった。リュキアも自分の金で薬を買い回復した。しかし―――





「なあ、前から言うがこれってそんなに臍を曲げることか?」


 ある朝のベルモンド家の食卓。病床に臥せっていたフィアラも当然のように元気を取り戻し、家事に精を出している。しかしその表情には何故か不満の色が浮かんでいた。


「そりゃそうですよ!もう少し待てば三千ギャラッドで買えるものをわざわざ一万も出して買うなんて!」


 そう、マシューは自身の「仕事」以前に薬を買いフィアラに与えていたのである。熱病によって弱った彼女を見て、いてもたってもいられなくなり、あの日の翌日には大枚をはたいたのだ。「仕事」の仔細を聞いた時はそれはもう悔やんだことだろう。


「大体、そんなお金があるんなら私なんかに使ってないで生活費に入れてくださいな!」

「フィラちゃん~、主様も本当に心配してたのよ~?そういう言い方は無いんじゃないの~?」

「そ、それはそれで感謝してますけど…でも…」

「いや、いいんだ。私も思慮が足らなかった。じゃあそろそろ私も出勤するから。」


 あまりの言い草に姉のフィアナも苦言を呈したが、主であるマシューはあまり気にしていない様子であった。むしろあっけらかんとした様子で家を出る。どうしたことかと使用人姉妹も顔を見合わせた。


 実際、マシューは嬉しかった。生意気盛りのフィアラが戻って来たことが。病床に臥せって震えている彼女というのもらしくなくて調子が狂う。それに、薬のことを感謝して下手に出られていてもそれはそれで何か違うと思ったことだろう。別段そっちの趣味があるというわけではないが、無遠慮に罵ってくるフィアナの姿に安心を覚えてしまうマシューであった。

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