神様、いつか、きっと

@ta11ke

プロローグ 数年後の、神様と再び会う前の、少しだけ前の話

――目が覚めた。


身体を起こし周囲を見回すと、どうやらここは、俺の部屋らしい。ベッドから眺める光景は、以前までの光景から、思い出の欠片だけを切り取られたようだった。

見覚えはある。だが、昨日までの部屋とは違う。俺が、神様と過ごしていた部屋ではない。

家具は残っている。食料も、衣類も全部残っている。でも、一つだけ残っていない。神様だけが、残っていない。

俺を愛していると言った少女はいない。俺に愛を求めた少女は、今はもう。


ふと、気付く。いつの間にか、熟睡するという行為が出来るようになったらしい。

目を閉じても、完全に意識を遮断することは出来なかった。誰に教わったわけでもない、以前までの環境が、自然にそれを許さない身体にした。目を閉じる代わりに、周囲に赤外線のような意識を張り巡らせる。よく、虫に起こされていた。虫を、殺し続けていた。


マヤがいない。ただそれだけで、幾つもの違和感を感じる。いつもの朝が、いつもと違う朝に感じる。

目を覚ました時に鼻を擽る朝食の香り。いくら鼻を利かせても、今日は嗅ぎとれない。代わりに、少しだけ部屋に染みついていたマヤの香り。香水にハチミツを足したような、甘い香り。まるでロウソクの火のように、今日から、少しずつ消えていく香り。


「……ああ、そうか」


今まで、何度も経験していた。

大切なものは、失ってから初めて気づくものだと。

そんな当たり前のことを、俺は、随分久々に感じていた。


最初の神様も、その次に現れた神様も。

性格こそ正反対だが、どこか似ていた。

俺の前に現れて、手を差し伸べてくれて、共に時を過ごして、俺の元を去って行って。

血で染められた俺の手を、優しく握ってくれた。愛していると、言ってくれた。


「……」


行こう。

今日。長い間追いかけていた神様と再会する。

アイリに、告白する。





――こういう日は、いつもと同じ空でも妙に意識してしまう。今日は晴れているからいい日だなぁ、とか。雨降っている、今日みたいな日に縁起が悪いなぁ、とか。少し変な形をしている雲一つに、何かを感じてしまう。そういうのって、あると思う。意識してしまった時点で、目の前の何かが特別になっているんだと。


何となく、時計塔を上る前に生徒会室に出向いてしまったのは、気の迷いなのか、あるいはそうでないのか。休日にも関わらず、生徒会室に一人の少女の姿が見えるのは、これまた彼女の方の気の迷いなのか、あるいはそうでないのか。


「――あ、先輩。偶然ですね」

「……何が偶然ですね、だよ」

「あはは……。でも、本当に偶然なんですよ。多分先輩は、真っ直ぐ時計台の頂上まで登らないんだろうな、って。きっと、ゴールを目の前にして、少し寄り道してしまう。そんな人だって、わかってますから」

「少しだけ、だ。悪いが茶なんて飲んでいる暇はない」

「ぶー。少しくらい、私の為に時間を割いてくれてもいいじゃないですか。大体先輩はいつもそうやって、私にだけはやたら厳しいですよね」

「厳しい先輩が好きとかほざいていたのは、どこのどいつだったかな」

「はいはい、私ですよ。悪かったですね、ベタベタに惚れてしまって」


頬を膨らませてみせるサキ。思ったより余裕があるのかと思ったが、やはり内心穏やかではないらしい。


「綺麗ですよね、ここから見える景色」


サキは、言いながらバルコニーへと足を運ぶ。何となく、俺も隣に立つ。

ここから眺める景色は、確かに綺麗だ。この国を見下ろせる一番高い場所。二人の神様が、俺に見せてくれた景色。どちらかに出会わなければ、決して見ることの出来なかった景色。

最初は、このバルコニーに立った時、怖くて堪らなかった。高所恐怖症とか、そういう話ではない。まるで処刑台に立たされているような、飛び降りて自殺しろと迫られているような。


「先輩。私、最初はこの景色、嫌いだったんですよ。ここから国全体を眺めていて、あまりに綺麗すぎて、逆に自分が見ていられなくなるっていうか。……そういうのって、ありません?」

「……いや、わかるよ」

「そう、ですか。きっと先輩なら、わかってくれると思ってました」


わかったから、何だというのだろうか。そんな疑問が頭を掠めたが、どこか満足気なサキの顔を見ると、どうにも無粋な気がして言葉にするのは躊躇われた。もっとも、それが無粋な行為であると教わったのも、サキからである。どこか皮肉な気もした。


「先輩は、さ」

「ん?」

「思ったりしないんですか?」

「何を。マヤに逃げられて後悔しているか、とかそういう話か?」

「それも気になりますけど……って、そうじゃなくてですね!……アイリさんの話ですよ」

「……ああ」

「アイリさんは、先輩のことなんてもう覚えていなくて。とっくに別の誰かと結ばれていて。今までの先輩は、ただアイリさんの幻影を追い続けていただけで。そんな風に、思ったりしないんですか?」

「……」

「……どうなんですか、答えて下さいよぅ」


やや上目遣い気味に俺の顔を覗くサキ。その仕草にやられたわけではないが、少しばかりは答えてやってもいい気もした。

そうやって、いつも誰かを傷付けていた。


「――ある。そういう不安は、時々頭を掠める。俺の独り相撲を遠くから見て嘲笑っているんじゃないか、なんて。……おかしいだろ、時々そういう気分になって吐いたりする。でも、そういうもんだろ、恋って。あいつがどう思っているのかなんて知らないけど、それでも行動を起こさずにはいられない。不安に駆られても、立ち止れない。夢を追い続けて、走り続けるしかないってな。お前も、わかるだろ?」

「……そこで私を例えに出すのは、少々残酷じゃないですか」

「悪い悪い。……でも、辛い事ばかりじゃなかった。故郷を飛び出して、色々な景色を見ることが出来たし、色々な体験をすることが出来た。まぁ中には、途中で持参していた物を全部落としたり、一週間虫の混じった木の実を食べ続けたり、変な体験も沢山あった。それもこれも、今となっては懐かしい思い出だ。あいつはさ、俺に、沢山の思い出をくれたんだよ。あいつにフラれなかったら絶対に手に入らなかった、思い出っていう宝物をさ。――それに、マヤに出会うきっかけにもなった。お前やミキと共に過ごす羽目になったのも、全部、あいつを追い続けたから。そうやって考えるとさ、なんか、不思議と気も晴れる。俺のやってきたことは間違いなんかじゃなかったんだ、って。堂々と胸を張って生きて行けるんだよ」


サキは、黙って俺の言葉に耳を傾けていた。

互いに、外の景色を見ながら。互いの目に映る景色は、似ている様で違う景色なのかも知れない。

俺とサキの関係は、いつだってそんな風に、少しだけズレていた。


「それで、ちゃんと覚悟は出来たんですか?」

「ああ。覚悟、出来たよ」

「……そう、ですか」

「……なんだよ」

「いーえ、べっつにー」

「……ありがとう、サキ」

「どうして、ありがとう、なんですか?」

「何となくって言ったら、ズルいって言うのか?」

「さぁ、どうでしょう。どうせなら、感謝の言葉と一緒にキスの一つでも欲しいですね」

「お前な……――!?」


不意打ち、のようで、違う。

確かなのは、俺とサキの唇が繋がっていたことだった。


「――ばいばい、先輩っ!精々思いっきりフラれてきて下さいね!私をフったことを後悔しやがれ!」


最後にそう言い残して、サキは駆け出す。

きっと、今日もあの場所に行くのだろう。お気に入りのあの場所で、体育座りで、顔を埋めて。うつむいて、涙を見せないようにして。


なぁ、サキ。

俺はお前に、少しでも何か返してやることは出来たのかな?


巡る日々で、俺はお前を沢山傷付けたし、お前から、沢山を得たりした。

サキという少女は、やっぱりどこか不幸な人間だった。神様に見放されたような、そういう部分が多々あった。だけど、それをサキに面と向かって言うことが、一番酷である行為であるのは明白だった。同情なんか、してはいけなかった。

茨の道の中でも、どうにかして光を見つけ出して、私は不幸なんかじゃないと叫んでいるような。そんな生き方をしているやつに、ほんの少しだけ、惚れたのかも知れない。





「――あーあ、タケトも大概残酷だよね」


ふと、背後から声が聞こえた。

サキと比べると少し低い、聞き慣れた声音。


「……いたのか」

「相変わらず、嘘つくの下手だよね。私達のパパを殺した元暗殺者なのに、私の気配くらい気付くでしょ」

「わざわざ反応に困る言葉を選ぶなよ、どうせ気にしてないくせに」

「あははっ、まぁその通りなんだけどね。……じゃ、なんでキスを受け入れたのさ。タケトなら簡単に避けれたはずでしょ?」

「……いいだろ、別に」

「ふーん?」


その反応が面白くなかったのか、適当な相槌で濁された気もする。

いつもそうだった。互いにどこか雑で、それでいて妙に鋭くて、それでも踏み込まないやっぱり雑な部分があって。要するに、居心地の良い関係だった。


「今、私のこと適当な奴だ、って思ったでしょ」

「思った」

「そうやってさっぱり言えるのがまた……。いいんだけどね、別に。多分、こういう関係がいいんだ。言いたいこと遠慮なく言えて、直ぐに謝って解決して。そういう雑に付き合える人を、私は、心のどこかで欲していたみたい」


俺も、そうかも知れないな。なんて言葉を飛び出したら、今より少しだけ雑な関係ではなくなるから。だから、喉元まで出かけた言葉は、そっと胸に流し込んだ。


「私は、他人と上手く付き合うのが苦手だからね」

「……他人と、じゃないだろ」

「あはっ、それもそうか。訂正しておく」


そんな物言いも、ミキらしいなと思った。俺よりも遥かに大人で、ほんの少しだけ子供で。その子供の部分で大きな過ちを犯してしまったことを、いつまでも悔やみ続けている目の前の少女。遥かに子供で、ほんの少しだけ大人なサキと比べると、対極のようで、同列な気もする。やはり双子なのだと実感させられる。


「サキ、許してくれるかな?」


だからこいつは、たった一度の過ちを、ここまで引きずる。取り返しのつかなくなるタイミングまで引きずってしまった。人と上手く付き合うのが、下手だから。


「知らんよ、そんなこと」

「……だよね」

「ただ、似たような話ならしてやれる」

「どんな話よ」

「俺の過去談だ。――昔さ、俺にも許せない人達がいた。憎くて、今にも殺してりたいと思った奴らだ。そいつらさ、ひょんな事故で死んだんだよ。あまりもあっけなく、別れを惜しむ暇もなく」

「いきなり生々しい話だね……もうちょいマシなやつなかったの?」

「まぁいいじゃないか。それでさ、最初は、ぶっちゃけ清々した。ざまぁみろ、ってな。……けどな、今では全く別の感情が芽生えてきてな。なんで、あの時腹を割って話さなかったのか、やら。もっと俺に出来ることは沢山あったよな、って。後悔ばかり浮かんできてさ。心の中で、あの人達のことを、いつの間にか許していた」

「何が言いたいのさ」

「つまりな、時間が解決してくれることもあるんだよ。今は衝突しても、数年後に酒の席で、あの頃そんなこともあったよな、って笑い合える仲ならいいじゃないか。そんなことを、思うから」

「……なにさ、くっさいセリフ吐いてくれちゃって」

「……いいだろ、別に」


嘘偽りを吐いたつもりも、変に誇張した例え話をしたつもりもない。ただ一つ訂正するならば、ひょんな事故で死んだ人達の部分。真実は、俺の手で殺した両親の話であること。それだけだった。


「タケトをそんなキモい悪い人間にさせたのも、アイリさんのお陰かな?」

「……かもな。あいつに出会わなければ、俺の手は今でも手で塗られたままだった」

「ふーん、そ。恋するだけで人はここまで変わるんだ、といういい例だね」

「馬鹿にしているのか?」

「まさか、その逆。……私も、もう少し頑張ってみようかな、恋」

「……前、少しだけ話を聞いたな」

「うん。歳は勿論名前も知らない。どこに住んでいるのかも知らない。でも、顔だけは覚えている。瞼を閉じれば、あの人が微笑んでくれる。あの日から、ずっと」

「そっか……頑張れよ」

「言われなくとも、やってやるよ。天国のパパが嫉妬するくらい、思いっきり人生楽しんでやる」

「ははっ……その言葉はちょっと胸に染みるけどな……」

「ねぇ、タケト。握手しようよ」

「なんだよ今更」

「いいからさ。私はタケトから色々もらったけど、私はタケトに何も返していないから」

「……充分返してもらったっての」

「何か言った?」

「いや、別に。……わかったよ」


そう言って、俺達は握手を交わす。実の親を殺したこの手を握ってくれることが嬉しくて、ほんの少しだけ涙が出そうになったりした。ミキに伝えたら、なにそれって笑われそうな話。決して口には出してやるまい。


「そういえば、昔デートしたよね。あの時も手を握ってもらったっけ、恋人繋ぎで」

「そんなこともあったな。デートごっこ、楽しかったぜ」

「ははっ、こちらこそ。……でもさ、これからのタケトは、あの人と手を繋ぐ予定なんでしょ?」

「ああ、そのためにここに来た」

「頑張れ、精々思いっきりフラれてきなよ!」



その言葉だけは、どこか似ていた。






――時計塔の階段の一歩一歩を、噛みしめるように登っていく。

頂上に辿り着き、扉を開く。


「……っ」


あまりの太陽の元気の良さに、思わず目を伏せる。

そして、目を開いた先に映るのは、屋上から見える外の景色。それに――


「――随分、久しぶりね」


「――ああ、久しぶりだ」


神様が、そこにいた。


一度は失って、世界中を探し回って、ようやく出会えた神様。


アイリが、そこにいた。


「……」


言いたい事が、沢山あったはずだ。

だけど、アイリを目にした途端、頭の中が空っぽになってしまった。


「随分、カッコよくなったね。なんていうか、大人っぽくなった。やっぱり生で見るのは少し違うみたい」

「……そりゃどうも。お前も、綺麗になったな」

「わお、ストレート。あの頃は昔のイモ臭い私の方が好きって言ってたのに」

「あの頃、ならそうだったな。でも今は、綺麗になったお前の方がいいと思うよ」

「そりゃどうも、マヤに化粧習った甲斐があるってもんよ」


そう言いながら、右手で風に揺れる髪を少し抑えるアイリ。

風に揺られる腰辺りまで伸びた長い髪も、そばかす一つない綺麗な顔も、筋肉なんて感じさせない細く華奢な身体も。昔のアイリとは、何もかも変わってしまった。良く言えば、女らしく。悪く言えば、別人のように。


「なぁ、アイリ――」

「ストップ。……ねぇ、タケト。言いたい事があるなら、同時に言わない?」

「……なんでだよ」

「多分……。いや、多分が当たっていたらちょっと複雑な気分だけど。私達、同じ事を考えていると思うから」

「……わかった。覚悟して聞けよ、神様」

「そっちこそ」


……なぁ、アイリ。


再び会って、色々なことを言おうと思っていた。何年も何年も、口にしたかった言葉が沢山ある。お前に向かって、叫びたかった言葉が、沢山あるんだよ。


でも、結局。


今の俺が伝えたい言葉は――



「俺は――」

「私は――」



「お前のことが――」

「貴方のことが――」







「「好き――」」


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