日曜の授業 4
朗読が終り、授業は『森を植えた男』の舞台となる土地の話しとなった。
このお話に出てくる地名は実在のものだ、美和子先生はあらかじめ用意しておいた風景の写真を
その写真には山を
里山を囲むように森が広がっており、それは村の周りばかりでは無く、山の頂上まで深い緑で覆い尽くされていた。
写真の風景を見る限りでは、森はあまりにも広大で、一人の男の作業では不可能に思える。
この写真をひとめ見れば、保護者の方々も『この話しは、架空のお話し』という風に考えるだろう。このまま議論を進めていけば、フィクションとして結論が出るはずだった。
しかし授業は教科書の範囲を超えて進み始めた。
美和子先生は、あらたな写真を取り出した。そこには老人の姿が映っている。
この老人が『物語の主人公』なら関連がある資料だと言えるだろう。
お話しはフランスが舞台なので、白人か黒人ならなんの問題もないが、写真の人物はどう見ても東洋人である。
全く関係のなさそうな人物の写真がいきなり出てきたので、保護者の方々からざわめきが起こった。
授業の流れが理解できずに、不安そうな表情を浮かべている。
美和子先生は少し間を置き、もったいつけるように、この謎の東洋人の説明を始めだした。
「この写真の人物は、『台湾の花咲か爺さん』と呼ばれている方です。
台湾の方で、たった一人で山に桜の花を植え続けました」
そして更にもう一枚、写真を取り出してみんなに見せた。それは満開の桜の写真だった。
写真は、のどかな
美和子先生は更なる情報を保護者の方々へあたえる。
「桜の数は3200本を越えるそうです」
すると「おおー」という感心とも驚きとも言えない声が保護者の方々から上がった。
さて、桜という植物は少し不器用な面がある。
なにが不器用かと言えば、それは繁殖力の低さである。
桜の代表と言えばソメイヨシノだが、あの品種は実がならず、種を付けず、自己では繁殖できない。
どうやって増えて行くのかと言えば、人がわざわざ挿し木で苗木を作り出して、それらを植えているのである。
山桜などの品種では種を付けて自力で増えて行くが、お世辞にも繁殖力が高いとは言えず、自然の中で見かける事は
桜だけが勝手に山を覆い尽くすように増えて行く事は考えにくい。
しかし先ほどの写真では、山の大半をピンク色だけが占領をしている。
つまりこの風景から導き出される結論は、これらは全て植えられたものだと言う事だ。
大勢の人間が仕事として行うならいざ知らず、山の
教室の後ろを振り返って見ると、桜の写真を見たせいか、保護者の方々の興奮がさめやらない。日本人は桜に弱いものだ、心を動かされる何かがある。
少々混乱をきたしている中、一人の生徒が挙手をした。
美和子先生は迷わずに、その生徒を指名する。
「3200本というと、どのくらいの広さなのでしょうか?」
子供として
ここでは具体的な例をあげると分りやすいだろう。上野公園の桜の数はおよそ800本だ。
なぜ、私がこういった桜の知識に深いかと言えば……
美和子先生は
「たしかに本数だけでは分りにくいですよね。
先生も面積だとどうなるか、よく分りません。
こういった事は、建築業界にいた
と、かなりの無茶振りをして来た。
私が控え目に挙手をすると、名前を指名され、発言を
「東京の桜の名所といえば上野公園ですが、上野公園の桜の数は800本。
近隣の上野動物園の桜も合わせても1200本ほどだそうです。
ちなみに上野公園の総面積は約53万
台湾の状況はよく分りませんが、仮に上野公園と同じ密度だと、東京ドームおよそ29個分になるでしょう」
私は完璧に近い答えを返す。
「なんて広さだ」「すごい」、再び
ちなみにこの答えは
つまりは、あの生徒から偶然出てきたように見せかけた質問は、私が答える
さて、『台湾の花咲か爺さん』についての解説が一通り終り、授業はようやく本題に戻る。
そもそもこの話になった原因は『このお話は本当にあった話なのでしょうか?』という点だった。
美和子先生はふたたび『森を植えた男』の舞台となるウェルコン地方の写真を指さしながら、
「この写真に出てくる森は一人で植樹が可能だとおもいますか?」
生徒と保護者の方々に質問をする。
「可能だと思います」
教室からは、一斉に肯定する返事が返ってきた。
おそらくウェルコン地方の最初の写真だけしか見せなかったら、返ってくる返事は否定的なものだっただろう。
しかし『台湾の花咲か爺さん』という世にも
肯定的な教室の雰囲気の中、美和子先生は更に畳みかける。
「このお話しがフィクションかノンフィクションか調べるため、先生は更に本を読みました」
そう言った後、一冊の本を取り出してきた。
取り出した本の表題には『森を植えた男を読む』とある。
著者を見ると、日本で非常に有名なアニメ監督の名前が記してあり、帯には『森を植えた男の真実を語る』と、力強い文字で記されている。
「この話しはどうやら実話らしいのです。この本にはそう書いてありました」
「おおー」
どうやら一連の美和子先生の発言は、この本に感化されてしまった部分があるらしい。
様々な証拠をあげていき、この教室では『森を植えた男』はもう現実の話しとして
しかし、私は知っている。このお話は虚構であるという事を。
授業参観に、このお話が使われる事を知り、本の題名だけは聞いたことのある私は、何の気なしにvvikiペディキュアでこの作品の概要を調べてしまった。
そこには比較的、大きな文字で『フィクション』と書いてあった。
ちなみに、この作品は海外で短編アニメーションになっているのだが、そのアニメの監督も十数年もの長い間、実話として認識していたようだ。
『森を植えた男を読む』の著者も、本を書いたかなり後になってから、この話しを虚構と知り
このときは「ああこの話しは実話ではなく、フィクションなのだな」と、
教室内を見渡すと、この話しを事実だと誤認して
後ろをみると、保護者の方々も何人かは巻き添えをくらって感動してしまい、なんとも言えない雰囲気が漂っている。
これはかなり気まずい状況だ。なんとかして、このねじ曲げられた真実を修正したいが、「東京ドームおよそ29個分」という発言で、
これがもし裁判なら、この間違った結論は
ほかの保護者の方から「これはフィクションなのですよ」と真実を語る証言が飛び出してくれないかと願うばかりだ。
ヤキモキした気持ちの中、授業は進んでいく。様々な議題があがるのだが、どれもこの話しを現実のお話として扱っている。
そしてチャイムが鳴り、無慈悲にも授業は終了する。
勇気をもってフィクションだとを
手短にホームルームを開くと、この日の短い授業は終了となり、生徒達は御両親たちと帰って行った。
帰りの廊下からも、「良いお話だった」「感動しました」といった賞賛するような雑談が聞こえてくる。
いまさら保護者の方々に「この話しは虚実です」と暴露する訳にはいかない。私は他の保護者の方々と目が合わないように、やや伏し目がちで帰る事しかできなかった。
しかしインターネットとは恐ろしい。
欲しい知識だけではなく、要らぬ知識まで舞い込んでくる。
もし知識に対しての拒否権が使えるとするならば、この件に限っては是非とも行使したいものだ。
今日に限っては、黙秘権ならさんざん行使してしまったが……
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