春の遠足 3

 山頂に着き、昼食のお弁当を取ろうという時だった。

 そこに障害が現れる。


 山頂から少し離れた見晴らしの良い場所に、展望台を兼ねた東屋あずまやがあり。

 そこに一人の女性がたたずんでいた。


 その女性はこちらの小学生の遠足の列を見ると動き出す。

 はじめはうるさくなるので、立ち去るかと思ったのだが、こちらへ一直線に向かって来た。



 格好をみればグレーのスーツを着ており、この風景には似つかわしくない、

 不審者にも思えたが近寄ると見慣れた顔で、それは桐原きりはらさんだった。


 よくよく見ると、この山の中でかかとが少し高くなっているような革靴を履いていて、膝や肘の辺りは転んだのか土が付いていた。


 本来ならば、体の一つでも心配したセリフを言わなければならなかったかもしれないが、


「ここで何をしているんですか?」


 思わず、そう聞いてしまった、聞かずにはいられなかった。



「抜き打ち調査です」

 彼女は涼しげに言い放った。


「なんの抜き打ち調査でしょうか?」


「『遠足におけるお菓子の限度額が守られているのか』という調査ですね、ついでに各自の弁当の栄養価なども調査する予定です」


「はぁ、ご苦労さまです」


 ……あえて、何も言うまい。



「あの、ひとりずつこれから調べるのでしょうか?」

 美和子先生が心配そうに聞いてきた。


 桐原さんがそれに答える。

「はい、ひとりひとり、実態調査をする予定です」

 そう言うと、鞄から書類をだしてきた。続けて彼女は説明する

「あそこの東屋で、待ってますので、生徒にお弁当とお菓子を持たせ、一列にならばせてください」


 こうして検閲が始まる。



 先生方は指示どおりに生徒達を一列に並ばせる。

 食事を目の前にして食べられない子供達は不満たらたらであった。


 桐原さんはそんな事を気にせず、調査を始めた。だが列が進むスピードがやたらと遅い、どうやらひとりずつ内容を丁寧に記入しているらしい。

 これはさすがに時間が掛かりすぎるだろう。これに見かねて私が横から口を挟む。


「この場は写真を撮ることで済ませませんか?

 手早く済ませることも出来ますし、後で確認もできます」


「そうですね、そうしましょう」


 ようやっと列が進み始め、私の番になった時だ。桐原さんが怪訝けげんな表情を浮かべた。


「おやつは400円までですよね?」


「そうですね」


「あなたはそれしか買っていないのですか」


「ええ、飴だけですね。およそ150円くらいでしょうか」


「ふつう予算をもらえれば、その予算一杯に消化しませんか?」


「いや、必要最低限でかまわないんじゃないでしょうか」


「そうですか…… 私には理解に苦しみますが」


 なにやら公務員と民間の間で意見の温度差のようなモノが感じられたが、検閲は無事に通る事が出来た。



 一通り、写真を撮りおわると、いよいよ食事となった。

 私はいつも給食を取っているメンバーと共にお弁当を食す。

 空気のせいか、程よい疲労のせいかは分らないが、ご飯がとても美味しく感じた。


 ほどなくすると食事を取り終わり、休み時間へと入る。

 食事の直後ないのだが、おやつを食べ始めたり、そこら辺を歩き回って探検したりと、おのおのが時間を潰す。


 のどかに時間が過ぎていくと思いきや、急に雲が立ちこめてきて雨が降り出した。

 みんな東屋へと逃げ込み、雨を凌ぐ。狭い屋根の下に5年生の全員がギッチリと密集した。


 しばらく様子を見るが、雨はやみそうにはない、そればかりではなく、すこし霧まで出てきた。

 美和子先生は楠田先生と話している。


「楠田先生、雨の方のプログラムに切り替えますか?」


「ええ、そうしましょう、連絡を取りますね」


 そういって何処かに電話を掛けている。


 山での雨というのは、最悪の部類に入る。

 土の道は水分を含むと、極めて滑りやすくなる。

 平地でさえぬかるみは転びやすいというのに、山道はデコボコの斜面というのだから手に負えない。




 30分ほどだろうか、空の様子をうかがっていたが、雨脚は衰えなかった。

 美和子先生が生徒達に言う。

「みなさん、雨具を出して下さい。もう少し待ってダメなら雨ですが出発をします」



 すると桐原さんがその意見に反対をした。

「ところで、あの山道は小学生にはいささか危険すぎるのではありませんか? 雨ならばなおさらです」


 たしかに山道は雨で滑りやすくなるのだが、それほどまでに危険な箇所はあっただろうか?

 一つだけ思い当たる場所がある。私は確認する。

「桐原さん、もしかしたら鎖場を登ってきました?」


「そうですが」


「その格好で登られたんですか……」


「それがなにか?」


 それを聞きつけた子供達が騒ぎ出す。


「すげーあの岩登ってきたんだ」「ありえない!」「登山家だ登山家」

 感心とも冷やかしともつかない声を掛けられる。


「なんでしょう? 貴方たちも登ったのでは?」


 桐原さんはいまいち状況が分らないらしい。私が説明をする。


「あの道の他に、迂回路と申しましょうか、なだらかな安全な道が他にあるんですよ。

 我々はそちらを通ってやって来ました」


「そうですか、それならば問題ないです……」

 なにやら間違った事に気がついた桐原さんは、耳まで真っ赤になっていた。



 この後、結局雨はやまずに強行軍を行う事となる。

 この場所まで来るのには、およそ2時間あまり掛かった、この様子では帰りには3時間以上掛かってしまうだろう。


 桐原さんは、雨具として折りたたみ傘をもっていたが、山の中では役に立たないので、私が予備にもっていた簡易的なカッパを貸すことにした。

 あまり山を舐めないでいただきたいものだ。この場所にはそれ相応の準備というものが必要である。


 我々はぬかるんだ道をゆっくりと歩く、来た道とは違う方向に向かう。おそらくさらに安全なルートを通るのだろう。

 山頂を出発して15分ほどだろうか、急に開けた場所に出てきた。

 地面はアスファルトで舗装されており、ほんの少し先にバスが止まっている。


 美和子先生は

「さあ、みなさん、バスにのって帰りましょう」

 と、生徒達を誘導する


「やったー」「帰りは楽だー」「行きもこれでよかった」「15分でこられたね」

 そんな事を言いながら、笑顔でバスへと乗り込んでいく。


 一方私はなんと言おうか、達成感といおうか、価値観といおうか、何かが半減した気分になった。

 この場所は比較的、気軽に来られる場所のようである……

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