田植え

 桜の花がすっかりと散り、若葉であふれるこの季節。

 我が校では田舎ならではの独特の行事がある。


 校門から河原沿いに歩くことおよそ10分あまり、小さな長細い三角形の田んぼへと辿たどり着いた。田んぼはすでに耕されていて水が張ってある。

 生徒達は体操着、私はジャージを着ているが、ズボンは太もものあたりまでたくし上げている。靴は脱いでおり裸足となっている。これからみんなで田植えをする予定だ。


 田植えといえば普通は機械でやるものだが、どうしても機械が入っていけないような小さな田んぼも存在する。そういった田んぼは手で植えるしかないのだが、これはかなり面倒な作業となる。

 そこで地元の農協の人は、こういった扱えきれない場所を教材として提供して、教育に役立てようという事になったようだ。

 毎日のように口にする米の育成に関わることで、食べ物の大切さが分るかもしれない。



「ではまず男の子から行きますね」

 そう言って美和子みわこ先生は生徒たちに一握りほどの苗の束を渡す。


「田植えを開始します、それでは横に一列にならんで開始して下さい」


 男子は一列に並んだあと、田んぼの中へと入っていく。


 今の時期、川の水には入る事はできない。

 どのくらい寒いのか、すこし気になり水温を調べて見ると15度~17度という具体的な数字が出てきた。

 冬の海の水温が15度~20度らしいので、これだと冷たすぎて5分も居られないだろう。


 さぞや田んぼも冷たいのかと覚悟して足を突っ込むと、陽だまりにある田んぼの水は恐ろしいほどぬるかった。素足からは泥のヌメリとした感触が伝わってくる。

 田んぼに入ると子供達はてっきりはしゃいで遊び回るかと思ったが、仕事をするという責任感があるのか、みな真剣に田植えに集中をした。


 渡された苗をひとつひとつ植え込んでいく、となりの男の子はなんどか足が引っこ抜けなくて転びそうになっていたが、手を貸し助け合って作業を進める。

 作業中の手で顔を拭ってしまい、顔に泥を付けてしまう子もいたが、これはハプニングとは呼べないだろうささやかな出来事だ。

 そして特に問題も起こることなく田植えをが進んでいった。


 およそ15分ほどだろうか、狭い田んぼの半分ほどを植え終り、女子へと仕事を受け継いだ。

 植えた苗の列を改めて見ると、真っ直ぐになるように気をつけていたにもかかわらず、ガタガタと右や左へ蛇行していた。


 女子の田植えを眺めていると、やはり度々たびたび足をとられてよろけている。

 規則正しく植えていくには、まずおぼつかない足裁きをどうにかしないといけないだろう。

 だがこの短い授業の時間ではそれを覚えることは難しい。



 のどかな春の日差しの中、土手に植えられている菜の花などを眺めていたら、あっというまに女子の作業がおわり、田植えが終了となった。


 お世辞にも苗の列は整っているとは言い難いが、まあ不格好でもさして問題はないだろう。

 広めの間隔で植えられた苗は日の光を多く受けスクスクと成長しそうに思える。

 何事も無ければ、秋には収穫できるだろう。



 しかし、あれだけしか作業をやっていないのに、私の腰に疲労が来ていた。

 やはりあの体勢はつらいものがある。

 今でこそ機械で植える事ができるが、昔はすべて人の手で植えていたのだから、農家の方のすごさを改めて思い知る。


 程よい労働を終え、この田植えの作業は終了となった。


 美和子先生は

「では、二列にならんで下さい」

 と、いって生徒達をとりまとめると、帰路へ付くかと思いきや、別の方向へ向かって歩き出した。


 200メートルも歩かないうちに、目的の場所へと到着した。

 そこもまだ苗が植えていない小さな田んぼがあった。


「つぎはこの田んぼですよ」

 美和子先生は新たな苗を配る。


「はーい」

 子供達はまだまだ元気だ。


 ……このような感じで、そのあと二枚ほど、最初から数えると合計四枚ほどの田植えをさせられた。

 最後のほうは余計な力がぬけて、みんなかなり良い感じで泥の中を歩けるようになっていた。


 子供達は食べ物を作る大変さを、嫌と言うほど実感できただろう。




 この授業を終えて、しばらくすると文部科学省の再教育課から、『農作業の労働代金のお支払い』とのメールが届く。


 中身を見ると、農業研修生として時給550円で賃金が計算されていた。

 あれだけの重労働だったにもかかわらずだ……

 

 この日は食べ物の大切さだけではなく、農業の厳しさを実感できた一日でもあった。

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