第5章 ふたつ星の誕生(5)
なんて理不尽な世界なんだ、と雪也は憤った。巫女は、少女時代に精霊によって選ばれ、人よりも苦痛を強いられる生活を送り、好ましい結果が出せなければ容赦なくこの世から葬られてしまう、そんな自由意思とは無縁の存在でしかない。
「それに、巫女が殺されたら、勇士も一緒に葬り去られるんだからね……」
「でも……カケルが君を殺すなんてあり得ない。無理だよ。あいつは君を、愛してるんだから。大鵥の連中が何と言おうと、俺たちの村長はこんなバカげた対決の結果を信じやしないよ」
どのみち、雪也に残された道はエナを連れて、沢霧の村に帰還することだった。そもそも、雪也が現代に戻れる方法はわからないままだ。エナを一人にしたらどこに逃げるかわからないし、力を失った巫女というレッテルを貼られたエナを受け入れてくれる新しい村があるとは思えない。
共に沢霧の村に帰ることを拒むエナに、雪也は一日の猶予を与えることにした。
雪也がどこかに行ってしまうと、エナは再び横になり布を頭から引き被った。どうして精霊はあんな残酷な言葉を言ったのだろう。あれは精霊ではなく悪霊だったのかもしれない。しかし、それがエナの口を通して外に現れたことには違いないのだ。
力のない巫女の行く末が哀れなものであることは、子供の頃からよく聞かされてきた。だから、そうならないように、しっかりと祈りなさいと諭された。
逃げたかった。巫女に選ばれた時からずっと。
そうだ。今夜、一人で逃げよう。雪也が眠りに就いたらそっとここを抜け出して、森に身を潜めて、北へ北へ――。
当てのない旅だが、エナに残された道はそれしかなかった。雪也の言うように、カケルがエナを許すことはないだろう。彼が自分を愛していることは十分に知っている。求婚もされたし、抱すくめられもした。カケルのことは嫌いではない。けれども、今まで自分と精霊だけのものだった自分の肉体を、カケルに曝け出し、与えてしまうことに恐怖を感じた。
しかし、もっと恐ろしいと思うのは雪也の存在だった。
異世界からやってきたというあの青年はよくわからない。腕っぷしにかけては一流なのは認めていいが、なんだか頼りない。勇士にしては柔和すぎる顔だちだし、自分たちのようにあんまり彫が深くない。信頼はしていたけれど、カケルのように巫女との絆を一向に求めてこなかった。そして、結果として村を出ていってしまったのだ。
(それで終わってたら、こんなに苦しい想いをしなくて済んだのに、どうして戻ってきちゃったのよ……)
一度姿を消した雪也を連れてきたのはミウだった。あの犬は紛れもなく、巫女と勇士を繋ぐ存在だったのだろう。
エナは改めてミウを失ってしまったことを嘆いた。そして、エナはもう一つの恐怖が降ってきたことを自覚した。
(ダメよ、ユキヤとは一緒にいられない)
今、エナは何もかもを捨てて逃げる心づもりでいたが、何もかもを捨てることができないのではないかという恐怖が形を持って現れ、その捨てることができない対象が異世界から来た頼り気のない優しい勇士なのだと気付いてしまった。
本当はもっと前から、もしかしたら二人が初めて出会った日から、エナの心は奪われていたのかもしれない。だが、精霊の御告げが、雪也に惹かれることを許してはくれなかった。
雪也が自分のいるべき世界に戻る道をエナに尋ねた時、精霊はエナに残酷な行く末を見せたのだ。
それは、雪也とエナが結ばれ、子が生まれ、そしてエナは出産直後に死ぬという運命だった。
この運命を見てしまってから、エナは雪也が勇士としていつ自分に絆を求めてくるのか、内心びくびくしていた。求婚してこない勇士などあり得ないのだが、そうなったらそうなったで、最も避けたい結果がエナを待っていることになる。だからエナは、孤高の存在を強いられる小滝の巫女だったことを言い訳に、カケルの求婚も雪也との繋がりも拒否することにした。
(でも、あたし、ユキヤのことがどうしようもなく忘れられなかった……)
考えまいとすればするほど、逆効果だということはすぐに気付いた。ほとんど義務として常に側に控えてくれている雪也が、ちょっとでもいなくなると不安に思い、他愛もない村人の噂や笑い話をしてくれる時にはとても心が満たされていた。それなのに、心が惹かれるほど、あの破滅的な終わりに近付いてしまうなんて!
自己の死、すなわち雪也との永遠の別れを避けるためには、一切の拒絶が必要だった。だから、今夜、沢霧の村へ戻ろうと言う雪也を置いて逃げなければならない。さっきまではそう考えていた。だが、エナは雪也から離れてしまうことができない自分と向き合わざるを得なかった。
夕暮れの訪れが始まると、そこかしこの家から食事の良い匂いと一日の終わりの団欒の声が漏れ伝わってくる。
「ただいま、エナ」
多少の心配をしつつ、雪也がキビタキの家から食べ物をもらって戻ると、エナは大人しく壁際に座っている。ドングリもちや鶏肉の串焼きを分け与え、黙々と食べた。
「もう一度聞くけど、一緒に沢霧の村に戻ろう?」
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