第1章 白い光を追って(5)

「何とかの村に大人しく行ってた方がよかったんじゃないの?」

「大鵥の村よ。あそこに行くのだけはイヤ。頼りないあなたと彷徨ってる方が全然まし。あ、あの辺なら雨が降っても濡れなさそうだし、焚火もできそうよ」

 縄文時代に来てまで、既に頼りないレッテルを貼られてしまった雪也はこの時点で、エナが何かを自分ですることはないと悟っていた。案の定、寝床を整えて、火を焚く作業は雪也がするはめになった。落ちている枝を適当に拾って、エナが持参していた火打石で火を点けると、なんとか暖を取れるような炎が現れた。

 実は雪也が背負っていたバックパックは、無傷で手元に残っていた。財布とスマホと充電パック、ハンカチタオル、飲みかけの紅茶が入ったペットボトル、そしてチョコレートバーとスナック菓子。スマホの電波は圏外で反応しないようなので、電源を切った。雪也は中身を確認して、エナに微笑んだ。狩りなどしなくても、明日の朝まで小腹を満たすことができるではないか。

「これ、食べなよ」

 どこのコンビニでも売ってる有名なチョコレートバーを差し出すと、エナは素直に受け取り、鼻に近付けて匂いをかいだ。やっぱり、この子は現代日本では普通のことを知らないのだ。

「美味しい! 食べたことない味だわ! どうやって作るの? ねぇ、これは何? 石版?」

 チョコレートバーを頬張りながら、エナは勝手にバックパックを漁り始め、スマホを眺めている。たぶん説明してもわかってもらえないだろう。そう思うと、雪也は急激に不安に陥った。むしろ自分が、百里の仲間たちに救助してほしいくらいだ。

「どうしたの? 気分でも悪い?」

「いや、元にいた俺の世界に帰れるのかなと思ってさ。俺はずっとずっと遠い世界から来たみたいなんだけど、どうやってここに来たのかよくわからない」

「来た道があるのなら、帰り道だってあるはずよ。心配しなくていいと思うわ。何なら、あたしの力で道を示すっていうのはどう?」

 無責任なのか本気で楽観的に考えているのか、エナはにっこり笑いながら言う。

 上下の犬歯がぽっかり空いていて違和感を覚えたが、そういえば、縄文時代には抜歯といって、歯を抜くというちょっと信じがたい風習があるのだった。そして、力で道を示すと言ったエナは巫女なのだ。村から村へ連れて行かれるところだったということは、生まれ育った村があるはずだが、そこへは帰らないのだろうか。

「小滝の村には戻らない。いずれ大鵥の村に取り込まれてしまうし、一度、巫女として差し出されたあたしが戻っても、また送り返されるだけよ」

 自分も菓子で腹を満たした雪也は、元の世界に帰るにしても状況を把握しなければならないと思い、エナが何者なのか聞き出すことにした。

 エナは小滝の村という小さな集落で生まれ、少女の頃に占いによって巫女に選ばれた。大切に育てられたお蔭で、病気にもならずに十九歳になる今まで生きてこられたが、既に両親はこの世にいない。そして、小滝の村は徐々に人口が減り、村長はこの辺りで一番大きな村の一部になることを決断したのだった。

「それが大鵥の村なんだけど、吸収される小さな村の巫女は大きな村に差し出されるっていう決まりがあって、二度と小滝の村には帰れないし、おまけに大鵥の村長の妻にならなきゃいけないのよ! そんなの嫌に決まってるじゃない」

「なるほどね。それであんなに抵抗してたのか。でも、村長はいい人かもしれないよ」

「キビタキがいい人だったら、喜んで大鵥の村に行ってたわ」

 キビタキというのが村長の名前らしい。エナが言うには、キビタキは人使いが荒く、集落が大きいことを盾にして、周りの動植物や水資源を独占したり、色んな村から女を連れてくる嫌な男だそうだ。しかし、統率力はあるようで、誰もキビタキを村長の座から下そうとは考えていない。

「あたし、なりたくて巫女になったんじゃないもの。人より痛みに耐えなきゃいけないし、いいことなんてないんだから。せめて好きな人と一緒になることくらい、許されたっていいでしょ。だから、大鵥の巫女にも、キビタキの妻にもならない」

 エナは雪也を真っ直ぐ見つめて、きっぱりと言った。

 小滝の村にも戻らないとなると、定住地を探さなければならない。雪也はエナに心当たりはあるのかと尋ねたが、川の上流に向かって歩くと集落があるはずだと曖昧なことを言うばかりだ。なんでも、子供の頃、父親と一緒にその集落の祭りに参加したことがあるという。

「今夜はもう休んだ方がいいね」

 眠たそうにしているエナを見て、雪也は言った。毛皮の羽織り物を着ているが、何か掛けるものが必要かもしれない。雪也は自分のコートを脱ぐと、エナにかけてやった。

「寒くないの?」

「火があるから大丈夫だよ。おやすみ」

 目を閉じると一気に疲れが襲ってきて、引きずり込まれるように眠りに落ちた。できれば、夢であってほしいと願いながら。

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