第1章 白い光を追って(4)

 映画の撮影なのだろうかと考えたが、どこにもカメラや監督らしき人物はない。雪也は目の前に現れた男女の姿が、ネットで見た縄文時代のファッションに似ていると思い至った。だとしたら、宮畑遺跡の竪穴住居は縄文時代に繋がっていたということになる。あり得ない。日本で唯一密かに完成していたタイムマシンが、竪穴住居だというのなら話は別だが。

 しかし、今はゆっくり考えている時間はなさそうだ。毛皮を羽織り、やたらと派手な装飾に身を包んだ女の、男たちから逃げたそうにして体をよじる姿は本心のように見えた。そして、丸腰の若い女に助けを求められて無視できるほど、雪也は冷酷な心を持ち合わせていない。男たちの前に躍り出ると、雪也は「離してやれよ」と言い放った。

「誰だ、お前は。見たことのない姿をしてるな。どこの村から来た。こっちは巫女を護送中なんだ。邪魔するな」

「けど、すっごく嫌がってるじゃないか」

 雪也は内心、そっちの方こそ見たことのないおかしな姿だよとつぶやくのを忘れなかった。

「嫌がる理由がわからない。痛い目に遭いたくなかったら消えろ」

 手の空いている一人の若い男が、すっと雪也に何かを向けた。

「嘘だろ……」

 今日二度目の言葉が漏れたのは、弓矢が雪也の胸元を狙っていたからだった。まずい、これは本気だ。別の男はなんと手に鋭利なナイフのような石を握りしめているではないか。原始的な武器だが、最悪の場合は致命傷を負わされてしまう。雪也は深呼吸をすると、一気に身を屈めて弓矢の男の足元にスライディングをした。不意打ちをくらった男は地面に尻餅をつき、雪也は間髪入れずにナイフ男の背後から回し蹴りをお見舞いしてやった。

 二人とも体勢を立て直そうとするが、雪也の拳を顔面に受けてまたもや地面に倒れた。女を両方から抱えていた男たちのうち一人は、状況が悪化したのを見ると、女の腕から離れて雪也に飛び掛かってきた。しかし、雪也に触れる前に呻き声を上げて地面に転がってしまう。雪也の手には、あのナイフ形の石が握られていた。

 武器を携行しているものの、この男たちは兵士というわけではなさそうだった。

「ば、化け物め!」

 最後まで女を掴んでいた男が、恐怖に身を震わせながら捨て台詞を吐いて逃げていくと、雪也は残りの男たちが追いかけてこないうちに、呆然と立ち尽くしている女の手をとって走り出した。彼女の手は、冷え切っていた。

「どこに逃げればいい? 俺、ちょっと状況が掴めてなくてさ、この辺のことも知らないし」

「余所者なの? 使えないわね。とりあえず、小川沿いに進んで。あと、あたし走るの嫌いよ」

 使えないとはひどい。助けたのにその言い方はないだろう。雪也はむっとしたが、ここでこの女を捨てて逃げるわけにはいかない。女は宣言した通り、数十メートル走ると立ち止まってしまった。

「走って。でないと、またあいつらに捕まるよ」

「あたしは巫女なのよ。そんなぞんざいに扱わないでくれる?」

「ええっ、でも……」

 雪也からすると女子中学生のような背丈の女は、随分と傲慢な態度で見上げてくる。その場を動こうとしない女に根負けした雪也は、そっと溜息をつくと、「女王様」を抱きかかえた。

「最初からそうしてよ」

 雪也は今、わけのわからない状況で、見ず知らずの、たぶん縄文時代の女の子をお姫様抱っこしながら全速力で走っている。自衛官の雪也は体力的には問題ないのだが、何か釈然としない。指示された通りに小川沿いを進むと、大きな川が現れた。

「舟があるでしょ。対岸へ運んで」

「はいはい、わかりましたよ」

 どうやって元の宮畑遺跡に戻ればいいのかわからない状態では、この女に従っていくしかないと雪也は半ば諦めた。川の流れは穏やかで、五分もすれば対岸についてしまった。一体ここはどこなのだろう。恐ろしく静寂で、現代的な建物や人が全く見当たらない。

「俺、赤城雪也って名前。宮畑遺跡っていうところにいたんだけどさ、ここはどこ? 君は巫女って言われてたけど、そうなの?」

「アカギユキヤ? 長い名前ね。呼びにくいわ」

「雪也でいいよ」

「ユキヤね。あたしは、エナ。小滝の村の巫女だったの。ここがどこかは、あたしもよくわからない。無理やり連れてこられたから。それより、ユキヤ、あなたこそどこの村から来たの?」

「村ではないんだけどな……。職場は茨城県だけど、出身は東京都。わかる?」

 エナは川を渡ってからは普通に歩いて、雪也を先導している。

「わからない。でも、ずっと遠いところでしょう? そんな服は見たことないし、顔つきもちょっと違うもの」

「あのさ、ここは日本のどこら辺? 最寄駅は?」

「何言ってるのかちっともわからないんだけど。それより、もうすぐ日が暮れるわ。お腹も空いてきたし。狩り、できるでしょ?」

 何だそれは。エナは雪也の言うことにはさほど関心がなく、無視して話を進めてしまう。おまけに食べ物の心配をし始めた。確かに、日が傾いていてすぐに夕闇に包まれてしまうだろうが、雪也に進退の決定権はないのだった。

 狩りができるかと聞かれて、躊躇なく、はいと答えられる現代日本人はいないだろう。いくら自衛官でも、陸上自衛隊のレンジャーでもなければ野生の動植物をとって食べることなどしない。けれども、エナは当然、雪也に狩りの心得があると思っているし、とどめにこんなことを言ったのだ。

「男の価値は狩りの上手さで決まるって、死んだ母さんに教えてもらったわ」

 言外の圧力に負けて、雪也は狩りをすることになった。と言っても、何の道具もない。さっきの男から奪ったナイフがあるだけだ。弓矢も拾っておけばよかった。

「悪いけど、やっぱり無理だよ」

 怒り出すかと思ったが、エナはあっさり雪也の敗北を受け入れてくれた。実は食糧よりも、一晩をどうやって明かすかの方が問題だ。雪の季節ではないにしろ、夜中から朝方までは冷え込む。

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