第9話 拝啓ご両親、慣れることがいいことばかりでないと悟りました

 拝啓ご両親、久しく合わない内に盛夏を迎えてしまいましたが、如何お過ごしでしょうか。この酷暑に体調など崩すこともなく、ご壮健であれば何よりです。今年のお盆は帰れそうもありませんが、一族の殆どが盆も正月もない仕事なんで誤差ですよね、ええ。


 「あー……やーな季節だな」


 「ですね」


 朝出勤してみれば、相変わらず早くからやってきてる班長と先輩がデスクで新聞を捲りながら、BX――局内購買部のことです――で買ってきたらしいアイスを囓っていました。この人達、新入局員だから早めに顔出してる僕より平然と早く居たりして、なんだか困るんですよね。ほら、小心なんで、上司より後に来たって煽られないか不安になっちゃって。一回も煽られたことないですけど、今後もないとは言い切れませんから。


 「おはようございます。夏は確かに辛いですよね」


 「おう、ビギナーか、今日も早いな」


 「おはようございます。ほんと、多くて嫌になりますよね」


 挨拶してから席に着き、季節の悩みを共有する。うんうん、上司との円滑なコミュニケーションは大事ですよね。こういった細かな雑談から相互理解が産まれ……。


 「「腐乱死体」」


 「汗がとまらな……はい?」


 何か爽やかな朝と、新しくて結構オシャレなオフィスに似合わない単語が聞こえた気がします。いえ、確かにそういう単語が頻出する職業ではあるのですが、何か意識していた話題に大きな食い違いがあるような……。


 「この時期になるとすーぐ痛みだしやがるからなー」


 「ドライアイスの納入業者が大忙しですよね」


 「現着が少し遅れたら、事故現場とか悲惨な匂いがするし……」


 「特にモツがやばいですよね。足が速すぎてもう」


 おかしいな、僕は「この中に喪服でネクタイとかやってられませんよねー」と苦笑いするつもりだったのに。どうしてこんな、嫌な実感の籠もる話題になっているのでしょうか。


 この程度の話題で具合を悪くするほど初心ではなくなってしまいましたが、爽やかな朝一番に聞かされたいかと言えば別問題です。勘弁してもらえないですかね。


 「去年のアレやばかったよな、覚えてっか? ほら、淀川の……」


 「あー、浅瀬に半分浸かって液状化してたアレですか?」


 「そー、あれ」


 ああああ、聞きたくない聞きたくない……でも、現場に居る限り、そんな悲惨な現場に出会う可能性なんて幾らでもあるでしょうから、聞いておいて損が無いっていうのが辛い。最初に最悪のケースを想定しておけば、後々現場に落ち着いた気分で望めるのは、この四ヶ月ばかりで学びましたし……。


 「歩く度にズルッと皮とか肉がが剥けてなー」


 「掃除が大変でしたよね。土壌ごと汚染されてるだろうからって、スコップまで持ちだして」


 「何度でも言うけど、土木課の仕事だろうがよ、アレは」


 それにしても酷い話です。水死体は酷いとは話に聞いていましたが、その酷いのが動き始めると更に悲惨なことになるようで、今後の幸運を祈らざるを得ません。勿論、そんな現場に回されないで済みますように、という祈りです。


 「あ、そうだ、今日は局内待機だぞビギナー」


 「初ですかね」


 内心で思い当たる限りの神仏にぺこぺこやっていると、不意に班長がそんなことを言い出しました。シフトは仕事柄どうしても流動的にならざるを得ないので、朝方唐突にこうやって言い渡されることはザラなので慣れましたが。


 「局内待機、ですか」


 「そ。即応対機、とも言うな」


 ぎしりと椅子を軋ませながら、班長は大きくのけぞりながら仰いました。何やら言葉尻からして、今までの研修として行ってきた待機とは違うように思います。


 今のところ、僕が経験しているのは院内待機です。WPSが活動拠点を置いている病院に屯して、院内での死者や緊急搬送に備えるのが主な役割で、活動は院内で完結します。他に担当していた事と言えば、既にアサインされた任地に向かう能動的な仕事なので、待機というのはそこまでやったことが無かったのです。


 「即応対機は、お呼びがあったら何処にでも面出す待機だ。通報を受けて準備してから向かう派遣でもなければ、大病院で完結する院内待機とも違う」


 「忙しい時と、そうでない時の落差が大きいから結構きついですよ」


 「はぁ……」


 準備をするために立ち上がり、装備を受領したりしながら班長と先輩がしてくれた説明を噛み砕けば、今までが病院の当直医のような仕事であるのに対し、今回の待機は交番のおまわりさんのようなものだそうです。


 まぁ、説明されてみれば分かる通りのことなのですが、大阪府の人口は九百万人に少し足りない程度の大規模で、年間での死人は八万と少し。一日で平均すると二百人から死んでいる訳です。幸いにも此処は平和な国なので、殆どの人間は病院で亡くなりますし、孤独死からの再起事案を防ぐために強制措置入院や、WPS主導のホスピスに末期患者を移す措置が一般化したことで、死人を見逃すことは少なくなりました。


 しかしながら、人間とは何時どんな理由で死んでしまうか分からないものでして、当然ながらまだまだ余裕そうに見えても、何かの弾みでぽっくり逝ってしまうことは日常茶飯です。


 そして、大阪には病院――20床以上の入院施設を伴う医療施設という区分――が大体五百ちょいあり、入院者数はなんと平均で三十万人にも昇ります。当然、それら全ての病院に当直執行官を貼り付けようと思えば、スターリングラード攻防戦におけるソ連並みの人海戦術が必要になる訳で……。


 「つまり、当直の手が及ばない病院で出た死人や……」


 「所轄全域で突発的に出た死人の対処に向けた待機ってこった」


 「あれ、じゃあ以前院内待機した時に駆り出されてた一色さん達は……」


 「彼奴らは院内即応対機。即応対機の一個上」


 「人手が足りないんですよ、何処もね」


 執行実包を手際よく弾倉に詰めていくお二人の目は、ここではない遠くを眺めているほど死んでいました。


 まぁ、ですよね。一班二名編成の三交代でも、全部の病院に貼り付けることはできませんし、待機しているなら近場の人間を駆り出すのは当たり前の話な訳でして。病院には最低一個斑貼り付けていれば、戦時中でもあるまいし執行自体はどうとでもなるのですから、手が空いた人員が呼ばれるのは至極当然の流れです。


 そうやって各事務局と出張所でシフトのネットワークを構築し、この広い日本で大勢でる死者をカバーしているのでしょう。何処で事件があっても45分以内に対処しなければいけないのですから、その辺は往年のピザ屋よりシビアですね。


 「まー、話に聞けば、今は大分マシらしいがな」


 「02年条項で病院に患者を集められるようになる前は、今以上の過密シフトで営業職以上に東奔西走がデフォだったらしいですから」


 WPSの研究所を兼ねた病院など、執行官の詰め所がある病院は府内で全12箇所――住所や電話番号の暗記テストまでやらされました――に過ぎませんが、これで何とかコトが回っているのは、先輩が仰った02年条項のおかげでしょう。


 所謂、国際衛生維持局疾病研究病院などWPSの息が掛かった病院が、姥捨て山呼ばわりされるようになった原因でもあります。この条項で加わった条文の一つに、末期状態であったり死期が近くとも予測が困難な患者の病院間移動を簡単にする内容が含まれておりまして、今の日本では“そういった病院”に末期患者が詰め込まれるようになりました。


 これに伴ってターミナルケアやホスピス医療が活発化し、ここ10年以内での条件付き安楽死の合法化が見込まれるほど、人の死に方に世の中は敏感になりました。世の中にはもう、合法的に安楽死できる国の方が多くなりつつあるくらいですから、何処の国でも“安全に”死んで貰うことに関心が高まっているのです。


 そのため、今では家で落ち着いた最期を、なんて昭和初期のロマンあるお話は無くなってしまいましたけどね。


 つまり、即応対機シフトとは、可能な限り安全な死を提供できるような状況から漏れるケースのカバー要員。うーん、しかしこれ……。


 「因みに、一番アレな案件を押しつけられるシフトでもあるから、腹括っとけよ」


 「警察から連絡来ると、軽く血の気が退きますよね」


 「連中、面倒毎しか突っ込んでこないからなー」


 ほらきた、知ってました、分かってましたよ……あー、いやだなー……。


 「おっ……」


 「早速来ましたね」


 丁度シリンダーに弾丸を篭め、予備のスピードローダーの用意が終わった時、デスクの電話が甲高い音を立てました。幾つかの着信音に仕分けられている電話が奏でる一際高い音は、HQからの着信を示す物……。


 要は仕事です。


 普通の会社と違って、無秩序に執行官が電話を取っては困りますから、僕らが外部の電話対応をすることは基本ありません。まずはコールセンターで電話は処理され、そこから内容によって振り分けられるのですが、司令部に回された挙げ句、執行官がアサインされるような仕事は限られる訳でして……。


 「おら、さっさと取れビギナー」


 「五千円案件ですかね」


 嗚呼、ほんと、僕は良く無い星の下に産まれてしまったのでしょうか…………。












 さて皆さん、電車はお好きでしょうか。僕は女の子でしたので――ええ、この際頑なに主張させていただきますとも――別に興味はありませんでしたが、好きな人には堪らないジャンルなのでしょうね。


 それはさておき、ご存じでしょうか。電車の人身事故死亡率って、八割近いんですよね。


 ここは府内に数あるハブ駅の一つ。ラッシュアワーが終わりつつある、爽やかな朝の空気の中、騒然としたホームには一両のオレンジ色に塗られた電車が停まっていました。


 「はーい、どいてどいてー、国際公衆衛生維持局ですよー」


 「通してくださーい、執行官でーす。あまり進路妨害すると公務執行妨害でしょっぴきますよー」


 そりゃあんな鉄の塊に轢かれるんですから、逆に何をどうしたら死なないで済むのかというお話でしょう。現実逃避気味にそんなことを考えながら、僕たちは人混みをかき分けていました。


 人混みの向こうから、慣れてきた臭いが――慣れてしまった、というべきでしょうか――漂ってきて鼻腔を不快に擽りました。


 「あー……もう痛み始めてんな」


 「この時期、足が速すぎてきついですよね」


 「破損が激しいと特にな」


 まだ新鮮な血と臓物の臭いです。


 目の前の連中が何の人混みか? 当然、駅での人身事故を遠巻きに眺めようとする野次馬共です。


 嗚呼、鬱陶しい、衝動的にそこいらで構えられるスマホを叩き落としたくなるのは、現場で働く人間なら絶対一度はあると思うんですよ。実際、我々を事件現場に近づけないという行為そのものが有形力の行使として認められ、公務執行妨害が適用されたケースもあるので、本当に野次馬行為は止めて貰いたいものです。


 脅しのような言葉に人の波がのろのろと割れていき、何とか前に進むことが出来ました。駅のホーム、前の方では駅員さんがテープを貼ったりして野次馬を遠ざけてくれてはいたのですが、遠巻きにでも事件に関与したいと考える阿呆が多いのか近づくのは大変でした。


 「ああ……お疲れ様です」


 「はい、どーも、こういうもんです」


 草臥れたようにゴム手袋と簡易のマスク、そして手に火バサミを持った中年の駅員さんが現場を指揮していました。手帳を掲げる班長を見て、やっと来たと安堵したように表情が緩むのが分かります。そりゃあ、誰だってマグロを拾いたくはないでしょうし。


 「あの、これ一応ホームに飛び散った分を拾っておいたんですが……」


 「あー、すみません、ありがとうございます。結構いきましたか?」


 「殆どは縁にへばり付いてた程度ですけど、指が何本か……」


 駅員さんが持つビニール袋を班長が受け取ると、ぬちょっと嫌な音が中から響きました。肉片が袋の中で蠢く音……ですが、あまり沢山は飛散しなかったようです。


 「協力感謝します。本当はこれ、私達以外触っちゃ拙いんですが……」


 「流石にホームに指転がしとく訳にもいきませんでしょうし、無かったことということで」


 「はぁ、ありがとうございます」


 そのまた昔、人身事故で飛散した死体を拾うのは駅員の仕事だったと聞きます。我々の存在を最も歓迎してくれているのは彼等だと言われるのは、今までの仕事の悲惨さを思い返せばむべなるかなと思えますが。


 「それで、死体の一部を浴びたりしたような利用客は」


 「幸いにも居りませんでした。何分、この場所ですから。念のため、カメラでも確認させました。」


 今僕らが居るのは、ホームの最後端。電車の進入側であり、停まったときに通り過ぎてしまうから普通なら誰も居ない場所です。ここに飛び込んだのは、自殺した人が気を遣ったのか、はたまた減速し始めても最も速度が保たれているだろう場所だと思ったからなのか。聞くに聞けないので分かりませんが、僕らとしては面倒事が少なくて済むので有り難い限りです。


 死体からこぼれ落ちた血は、確かな感染力を持ちます。なので飛沫を浴びた人は感染者になっている危険性があるので確保しなければならないんですよね。とはいえ、死にたての血は殆どクリーンなので、死んでから時間の経った血に何処かで触ったりしないかぎりはあんまり心配は要らないんですけれども。


 「じゃあ、これから我々が大きいのを拾って除染しますんで」


 「はい、よろしくお願いします」


 駅員さんは頭を下げると、この耐え難い臭いから逃げるようにテープの方へと踵を返しました。野次馬を散らすという大義名分があるのでしょうが、この臭いから少しでも離れていたいのでしょう。


 ええ、分かります、分かりますよその気持ち。きついですよね、これ。


 「おーし、まず確認なー」


 「……あー、酷いですねこれ」


 班長が現場確認用のデジカメを取り出す中、先輩がホームから少し身を乗り出して現場を覗き込んで声を上げました。


 「どらどら……おわ、トマト祭りだな」


 「ある意味楽ですけどね……絶対に起き上がらないし」


 続いてファインダーを覗きながら見た班長の感想がこれ。え、どうなってるの? どうなってるんです?


 「ほら、何やってんですかビギナー、見ておきなさいって」


 「そうだぞ、こういうのも経験だ経験」


 「うわー……行きたくない」


 自然と口から拒絶の言葉が溢れてしまいましたが、腰が退けていてもホームへと足を向かわせます。だって、どうせ逃げようがありませんし、それなら腹を括って自分で行った方が方がまだ気楽でしたよ。


 「うっわ」


 まぁ、どれだけ腹を括ったってきつい物はきついのですが。


 ホームの下、線路の上は控えめに形容して地獄でした。深い赤や黒に桃色が複雑に入り乱れる臓物が悪趣味な絨毯を作っています。妙に引き延ばされているのは、数メートル先に見える電車の後端部に胴体の一部が引っかかっているからでしょうか。


 「こ、これは……」


 「やっこさん、タイミング完璧だったみたいだな」


 「間違いなく即死ですね」


 ホームと線路の間にある退避スペースには、人体の小さなパーツがバラバラに飛び散っていました。しかし大きな部品は何一つ無く、大雑把にかつて身体の何処であったかが“何となく”想像できる程度に過ぎません。例えば、あの黒っぽい糸が沢山絡んだ何かは“頭の一部”だったんだろうなぁ、と分かる程度でしょうか。


 恐らく電車がホームに飛び込んでくると同時にダイブし、回転する車輪や通り過ぎる車体にミキサーの如くズタボロにされて中身をぶちまけたのでしょう。初撃で木っ端微塵になって、そこから攪拌されたとも考えられますが。


 かなり酷い光景ですが、ここまで原型がないと慣れてきた感覚的にはマシにも思えてきました。だって、これ普通に人間の死体に見えませんし。同じ大きさの生き物ブチ込んだら、大なり小なりこうなるのでは? という有様なので、凄惨ではありますが気味悪さは然程でも……。


 ああ、駄目だ、普通ならコレでも吐き気を催すべきだというのを忘れていました。いや、どんどんと感覚が普通から乖離する仕事だと認識していても、それを実感するのは中々厳しい物がありますね。自分が普通でなくなってしまったというか、まともからどんどん遠ざかっていくというか……。


 何時の日か、これを眉一つ潜めず見てしまうようになる日が来るのでしょうか。隣に立つお二人のように「うーわ、めんど」以外の感情を抱かなくなる日が。


 そんな日が来てしまったら、その時僕は“僕”のままで居られるのでしょうか。


 「これ、どっちですかね」


 「さー……HQからは飛び降りがあったとしか聞いてないが、こうなると野郎か女かなんて大して問題ないよな」


 「そりゃ挽肉になりゃ雄か雌かなんて気にならんのと同じでしょう。」


 まぁ、ここまで色々ぶん投げて、人に聞かれたら顰蹙を買いまくるような発言をするようにはならないでしょうが。しかし、内心がどうかは、これから先も変わらないと断言できないのですから。


 今のように痛ましいと感じることも無く、淡々と面倒臭い死に方しやがって、と毒でも吐きながら仕事をするようになる。そんな将来を想像すると、恐ろしいと共に何か薄ら寒い物を感じずに居られないのです。


 自分の中で死が、命が軽くなってしまうような気が……。


 「おーし、降りるぞビギナー。ざっぱにデカイのは拾って、後は除染斑に任そう」


 「ここまで派手にぶちまけられてると、私達の装備じゃどうにもなりませんしね」


 「あっ、はい」


 班長の指示を受けて、拾える物は拾っていきます。バイオハザードマークが書かれた専用の袋に放り込み、厚手のそれを後で熱を用いて厳封すれば処理場まで安全に運べるという寸法ですね。こうなるとかき集めてボディバックに放り込むわけにも行かないので、まるでゴミ拾いでもするように袋詰めするしかないんですよ。


 後はWPS管轄下の適当な火葬場で荼毘に伏し、お骨だけで遺族にお返しする流れになります。こうなると感染の危険性もありますし、押しつけられても困るでしょうからね。


 「これ上着ですかね」


 「の、一部だろうな……ポケットあされるか?」


 「嫌ですよ」


 肉や骨の混合物、バラバラになった布地を纏わせた何処か、少し摘んだだけのつもりがぞろりと持ち上がる細長い何か。フラッシュライトの明かりを頼りに電車の下を照らしながら探す作業は、精神をゴリゴリ削っていきます。完全に挽きつぶされている部分は、薬品で“焼いて”から水で流すしかないでしょう。少しなら僕らの装備で出来ますが、これだけ広範囲になると専門部署の仕事です。


 「だろうな。ビギナー?」


 「勘弁してください……」


 「しかたねぇなぁ……」


 せめて遺留品は無いかと、何とか被服だったのかと思える残骸を班長が心底嫌そうに探ってくれました。ごめんなさい、まだアレにゴム手袋ごしでも指突っ込む勇気ないです。だって、布なのかこびり付いた肉なのかの区別すら付かないんですから……。


 しかし、世界がこうなってから死体の扱いがデリケートになり、人身事故で電車を停めねばならない時間が延びてしまいました。僕らの死体回収に大体あと20分くらいはかかるでしょうし、除染斑の除染作業も一時間程度はかかるでしょう。


 そこから駅員さんに色々確認して貰って、上からゴーサイン出して稼働するとなると……二時間くらい?


 二時間電車が遅れれば、代替輸送があったとしても問題が発生するのは分かります。経済的にも、日常的にも色々と。僕でも大学時代に二時間電車が遅れたら、悪態の一つも吐いたでしょう。


 しかし、この仕事に就いて命の扱いに対する軽重を考え始めた今、野次馬の誰かが言った言葉は胸へと嫌に突き刺さりました……。


 「死ぬなら迷惑かからねぇ所で勝手に死ねよ」


 ……ええ、仰る通りなのでしょう。当て付けのようにこんな所で、こんな死に方をする必要は無かった筈です。しかしながら、その死に対して出てくる感想がこれというのは、あまりにも寂しくは無いでしょうか。


 例えそれが、執行官になる前の僕が同じ事を思っていたとしても。


 本当に僕は、どうなってしまうのでしょうか。僕は、僕のままでいられるのでしょうか。


 自殺者の身分は、数分後に駅の多目的トイレに取り残されていたハンドバックと、よれた文字の遺書を駅員さんが見つけて明らかになりました…………。












 「何へこんでんだビギナー」


 若い身空の娘さんが――遺書の内容は、やはり自殺のものでした――自ら線路に身を投げたことに思いを馳せていると、運転席の班長が声をかけてきました。


 「後部座席のお嬢さんの事なら、あんま深く考えんなよ」


 「入れ込んだ所で、私達には何もできません。むしろ、してはいけませんから」


 後部のバイオハザードマークが書かれたボックスの中に収められた静かな同乗者。大きな袋たった一つ分に収まるほど小さくなってしまった彼女の事を深く考えすぎない方が良いとは分かっています。所詮自分は彼女が動き出さないよう派遣されただけで、今も二次感染を防ぐために運んでいるに過ぎないのですから。


 関係性でいえば、さっきそこですれ違った他人よりも希薄なもの。そんな相手を気にした所で、仕方ないと言えば仕方がないのでしょう。


 「人間、関係ない奴の死なんてどうでもいいもんだ」


 班長が咥え煙草のまま仰ったとおりなのでしょう。僕のこの感慨も、所詮執行官として立ち会ってしまい、遺書にも目を通してしまったが故のもの。僕が利用客としてあの場に立っていたなら、漏れ聞こえた感想そのままの思いを抱いたのでしょう。


 薄っぺらい同情であることは、重々理解しています。だとしても……辛かったのです。


 「ま、早いこと慣れろ。仕事とメンタルを切り離す事に」


 甘い香りの煙が車内に漂いました。ふと見やれば、班長の手にあるのは何時だったか先輩とバーに行った時と同じ煙草。茶色い巻紙の珍しい煙草からは、御菓子のような優しい匂いがしました。


 「班長は……悩んだりしましたか?」


 「私か? いんや、考えた事も無かった」


 一度もですか、と驚きを声音から隠すこともできぬまま問えば、班長は煙と共に肯定の言葉を吐き出しました。


 「向いてるんだろうな、この仕事に。あんまり難しく考えると自滅するぞ」


 「年間二人、ですからね」


 「二人……?」


 「局内で首を括る局員の数、ですよ」


 暇そうに窓に肘をつき、お昼が近づいて勢いを増した初夏の太陽を眺めながら先輩が仰りました。暑い太陽とは真逆に、色素の薄い童顔は酷く冷え切っているように見えます。


 「メンタルが保たない人が居るんですが、そういうのは大抵」


 「お前みたく、死体に入れ込みすぎる奴ばっかりだ。私達に処理される側になりたくなきゃ止めとけ」


 はぁ、と気の抜けた返事しかできませんでした。浮き世離れしたというか、普通とは違う所を感じることが間々あるお二人でしたが、ここまでとは。


 この二人は、入れ込まなかったり、気にしないようにしているのではないのでしょう。


 きっと、人の生き死にに興味が無いのです。


 なぜだか、そんな感想が不意に浮かんできてしまいました……。


 本当に何となく、直感的に。証拠も証明もできませんが、何故だがそれは僕の頭に嫌な説得力と共に染み込んできます。


 「さて、そろそろメシか」


 「何食います?」


 「あー……ミートソース食べたくない?」


 「うぷっ……」


 うん、多分間違いじゃないんでしょうね、なんでさっきの仕事をこなして、そのチョイスが脳味噌から捻り出されてくるんですか。あり得ないでしょ。僕は口に溜まった酸っぱい感覚を飲み下しながら、早くデスクワークに付きたいと心から祈るのでした…………。

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