第3話 拝啓ご両親、腹の括り方を教えてください

 研修やガイダンスというのは、何処でやっても似たような形になるのでしょう。飾り気の無い室内に机と椅子を並べ、プロジェクターで資料を映し出す。後は暗い中手元の資料に集中して視神経を酷使し、必死に聞き逃しの無いよう努力するのです。


 「以上の特性を持つことから再起性症候群の感染者に関しては、初動対応が重要となります。手順は資料5頁にある以下の通りで……」


 今、プロジェクターには中々にショッキングな画像が映し出されています。首を押さえて倒れ伏す人や、大きく肉がそげた前腕を庇う人。少し前には血しぶきが目に入って慌てる人や、食いちぎられた指を必死に拾おうとしている人の姿もありました。


 全て再起現象によって起き上がった死体に襲われた人のものです。


 今の研修は、再起性症候群によって甦った感染源への扱いに関するもの。資料が提示される度、周囲から呻き声や何かを堪えるような声が聞こえてきます。


 それもそうでしょう、平和で血を見る機会に乏しい日本で生まれた我々には、剰りにも生々しすぎるのです。提示されるあらゆる資料が、説明の悉くが、対処法の殆どが。


 部外秘、持ち出し禁止、複写禁止と判の押された研修資料が生々しさを助長してくれます。ああ、これは外部向けのおきれいな資料ではなく、本当の現場を映しているのだと否応なく教えてくれるのですから。


 人間は再起性症候群に感染すると死後人を喰らう死体として起き上がる、というのは今の世の中誰しもが知っていること。しかし、詳細に何かが起きるかというのは存外知られていないものです。感染した場合、実際に何が行われているのかも。


 再起性死体は、正しく映画のフィルムから這いだして来たゾンビのような挙動を見せます。その筋の人には堪らない、巨匠ロメロの作り出した怪物そのままの。噛まれた人間が死ねば、平均して死後40~55分ほどで再起します。この平均値は発生から30年間の膨大なデータからはじき出された物なので、かなり正確だとか。


 もしも囓られるだけで逃げ出せた人間は、感染者、あるいはキャリアとも呼ばれます。死体のことを再起死体や罹患者と呼ぶので、厳密には扱いが違うのですが、何とも紛らわしい話ではありますよね。


 ほんの少しの血液や体液が入り込むだけで、再起性症候群には感染してしまうそうで、過去のケースでは上から降ってきた一滴の血液が目に入っただけで感染してしまった人も居るほど強い感染力を持つのです。


 感染者は死体と同じく血液と体液に感染能力を持ち、感染後平均して10~12時間後に高熱を発して昏倒。二日から三日ほど昏睡と覚醒を繰り返した後に死亡し、再起現象が引き起こされます。


 現状における致死率はエイズや狂犬病と並んで100%。死に至るまでの時間が感染者の体力によって前後することはあれ、死を免れた者は誰一人居ません。何より恐ろしいのは、並べた二つの病には予防や対症療法※があるのに、これにはどうやっても抗えないことです。


 30年間、世界中の研究機関が延々と調べ続けているのに、未だこの現象が病ではなく症候群のままで――解明されたからと言って全て病と変名されるわけではありませんが――細菌性なのかウイルス性なのかすら分かっていないのですから、その凶悪性は疑うべくもありません。


 そんな物に感染したらどうするか?


 その答えはプロジェクターと資料にありました。


 「1993年条約の97年追加条項、97条項と呼ぶのが日本においては一般的ですかね。また同様の規定が国内法においては、再起性症候群罹患者に関する特別措置法に定められています」


 まるで精神病院にでもあるような拘束具のついた寝台と、その上に寝かされた拘束衣で包まれた男性。しかしそれは、患者が自傷を防いでいるのではありません。感染者が逃げたり暴れたりして、二次感染を増やさないようにするためのものでした。


 「まず大事なのは二次感染を防ぐこと。キャリアは必ず病院に搬送し、隔離措置を施されます。万が一再起しても素早く鎮圧できるよう、拘束具を着装してベッドに拘束具で固定。迅速にこの状態に持って行けるかで、小さな事故による二次感染を防ぐことができます」


 何かの映画で見たような光景でした。全身を覆う拘束衣と顔を隠す透明な硬質複合繊維製の覆面。人道的にどうなのか、という感想すら湧いてくるガチガチさです。


 とはいえ、ここまでしないと本当に危ないのでしょう。なにせ、いざ起き上がったらのなら、人間の身体をフライドチキンか何かのような気軽さで解体してしまえる存在になるのですから。


 感染者は直ぐに病院に運ばれて隔離措置が施されますが、この後に何が為されるのかは、もうドラマや映画でもよくある展開なので深く考える必要は無いのかもしれません。


 「希望を聞いて家族との面会は可能ですが、可能な限り迅速に安楽死措置に入ります。

長く苦しませても仕方有りませんからね」


 思わず呻き声が溢れました。周囲からは同期達が同じような声を大なり小なり上げています。


 そう、安楽死です。場面が変わったプロジェクターには、拘束衣の隙間から点滴針によって何かを注射されている男性の姿がありました。資料に目をやれば、筋弛緩剤により安楽死処置を受ける感染者(第12号 元WPS東京事務局執行官)という注釈がありました。


 助からないのなら、そして被害を拡大する可能性があるのならば、いっそ楽に殺してやった方が良い。それが国際社会と国の選択肢でした。未だ判例以外での積極的安楽死の法整備が進んでいない日本で唯一法的に認められ、現在も実行されているのが罹患者の安楽死です。


 「これらの処置全てに我々は付き添い、監督し、許可を出さねばなりません。その重みを理解してください。そして、同時に処置の監督や許可が正確に出せなかった場合、どのような被害を生み出すのかも想像してみてください」


 僕たちの仕事は、この全てに立ち会うこと。目を覆いたくなる有様に、関わることすら拒否感を覚える処置に。そして、大事な誰かがいたかも知れない人間を殺すことに。


 写真の向こうの執行官は眠ったまま安楽死させられていましたが、実際はどうなのでしょう。中には死にたくないと大声を上げて抵抗する人が多い……いや、殆どなのだと思います。誰だって死にたくは無いはず。もしかしたら治るかもしれないと何かに縋って大声を上げ、命にしがみついて然るべきです。


 僕らはそんな生にしがみつく手を蹴り飛ばし、自分たちの、ひいては後ろに居る人達の生を護らねばなりません。それが好いたにせよ好かぬにせよ、この仕事に就いた以上の義務なのですから。


 「初動対応の失敗ケースと事後対応に関しては、別の研修で詳しく扱います。では、実働面での手順についてですが、頁をめくってください」


 安楽死処置をするのは、正確には医者なのですが、命じるのはWPSであり手足となって働く執行官。つまりは自分たち。


 いつかその指示書に自分のサインを書く日が来るのでしょう。そう考えると胃の腑が縮み上がるような思いでした。


 他の国防や国際安全を担う仕事に就いている人達も、このような感覚を味わうのでしょうか。平時であれば狂気や犯罪として扱われることを生業として為す現実を直視し、何時の日か自分も関わらねばならないと意識した時の重責を。


 拘束衣の扱いから書類のフォーマットを示す画面を見ながら、酷く憂鬱な気分になってしまいました。本当に、基本的に命が重いこの国に生まれているのですから、覚悟を決めると言っても難しい物です。


 本当に僕ができる仕事なのでしょうか。


 二時間ほどのガイダンスは多数の呻きや精神的外圧を参加者の心に残しましたが、体面上はつつがなく終わりました。


 ただし、その日の食堂は新入局員が随分と少なかったものです。誰だってあんな物を見て、聞かされて、そしていずれやると認識してから食事なんぞ取れるはずも無いのですから…………。






 「あー、腹減った腹減った」


 異様な広さを誇る食堂があった。無数のテーブルが並ぶ無機質ながら清潔なそこは、WPS関西事務局の局員食堂だ。大企業の社員食堂と遜色の無い整った環境で外と比べるとかなり安い価格で食事ができる食堂は、平均よりもかなり高給取りのWPS職員にも人気の昼食スポットである。


 人間は何時死ぬか分からない事もあり、局内には常に人が多く、食事を摂る時間もまちまちだ。午後三時という些か半端な時間であっても、食堂内にはそこそこの利用者が見受けられる。遅い昼食を採る者、小休止にコーヒーを飲みに来た者、早番終わりに早めの夕食を採って家に帰ろうとする者など様々だ。


 その中で大盛りのトンカツと山盛りのサラダという、遅めの昼食にしても胃に負荷がきつそうなメニューをトレイに載せた長躯の女の姿があった。出先から戻ってきたばかりのか、彼女は肩から大仰な鞄を提げ、顔には疲労の色が色濃く残っている。


 「お、席取りご苦労」


 「取る必要何処にも無いと思いますがね」


 そして、死者を見送る仕事に就いていると言うよりも、見送られる側に居る方が似合う風情の男も食堂にいた。女より先に席に着いていた彼の前では、小ぶりな丼に盛られた饂飩が温かそうな湯気を立てている。何とも味気なさそうな素うどんは、本当にそれだけで足りるのかと不安になるものであった。


 「また素うどんかよ。お前、本当にそれで足りるのか?」


 「ええ、まぁ」


 「そんなだから背が伸びねぇんだ」


 軽口を叩き合いながら手を合わせ、執行官二人は食事を始めた。


 局員食堂といっても、そこまで馬鹿にしたものではない。福利厚生の一環で入っている業者が良いのか、トンカツの衣はサクサクと柔らかく、肉は分厚くて食感が心地よい。下品にならぬ程度に関西人好みの濃い口ソースを掛け、女は幸せそうに米と合わせて一口頬張った。


 「ああ、うまい。流石に夜勤から続けて残業してると腹にしみるなぁ」


 「急に来ましたからね、安楽死の執行監督」


 「まぁなぁ」


 そして、実に気軽な調子で会話を続けた。たった数時間前に人を死なせる許可を出して来たというには、剰りにも軽すぎる調子で。剰え食っているのは肉厚のトンカツだ。油と肉の味を堪能するには、普通の感性では間が開かなすぎる。むしろWPSの職員には、死に触れすぎて菜食主義者になる者すらいるというのに。


 その点を鑑みるに、どうやらこのメンター二人は中々良い性格をしていると言えた。


 「ついてないよな、帰り際に高速道路の事故とかよ。折角今日の当直は穏やかに過ごして、何もせず帰れると思ったのに」


 「間々あることですがね」


 この二人、夜勤シフト明けからの残業をしてきたようだ。それもかなり大きな事故の処理として。


 病院は生死と密接に絡み合う関係上、死体が何時出るか分からない場所である。病で亡くなる患者もいれば、手術の失敗も起こりえるし、救急搬送されて来て力尽きる者も居る。そういった事件に対応するため、救急病棟や入院病棟のある病院には、必ず当直の執行官が常駐している。


 この二人は当直として、救急救命の拠点ともなる市内の大きな病院に詰めていた。そこまでの規模となると常駐執行官の編成は複数斑で行われるし、交代もきちんと来るが、今日は飛び切り間の悪い日であったようだ。


 帰り際に外環状線で大きな事故が起き、死体が大量発生してしまったのだから。


 現代において人間が増えすぎた結果として、毎日何処かで誰かが死んでいる。大阪府だけでも年間7~8万人が死に、交通事故死亡者数も毎月20人前後は出ているのだ。人間の生き死にに関わる仕事は、未来永劫暇など訪れないという良い証明となる数字であり、WPSが抜本的解決を行えなければ平和は訪れないという裏付けでもあった。


 「単なる交通事故ならともかく、バスは勘弁して欲しいよなマジで。連鎖的に動くホトケが発生しやすい環境なんて洒落にならん」


 疲労や苛立ちごと噛み砕こうとする勢いでキャベツを咀嚼し、女はお茶を飲み干す。今日この二人が過酷な残業をした理由の主たる要因は、事故の内容に合ったのだ。


 高速道路で事故など日常茶飯のことだが、今回の事故は大きな事故だった。よそ見運転から玉突き事故に発展し、巻き込まれた車両の中にあった観光バスが横転。正面と背後には事故車がつまり、唯一の脱出口となった左側面は横転して簡単には出られない。


 これが以前であれば、火災でも一緒に起こらなければまだマシだったのだろう。楽ではなかろうが、座席をよじ登って脱出することも不可能ではないのだから。


 だが、乗客の一人が事故の衝撃で死亡していたことが何よりも良く無かった。今の世の中、死体は大人しくなどしてくれないのだから。


 事故の混乱の最中、救助が進んでいる間に死体は起き上がった。平均再起時間が来るまでに死体を見つけ、起き上がらぬよう措置しなければならないと気付けた者が居なかったからだ。


 幸いな事に死体は事故の衝撃で腰の骨を折って歩けなくなってはいたが、這うだけでも十分に人は襲える。最初の悲鳴が上がるまで、然程時間は掛からなかった。


 結果的に逃げ遅れて三人が足を噛まれた。死体そのものは逃げようとして椅子の上に這い上がっていた男性を襲った際、抵抗した彼に首を強く蹴られて骨が折れ無力化されたのだが、こうなると始末が悪い。


 現場の執行官から死体が動き、噛まれた者が出たと連絡が入った時の病院詰め所は、中々に見物であっただろう。帰り支度を整え、事故で死者が出ていないことを祈っていた女がこの世の終わりのような顔を見せていたから。


 それからは時間の勝負だ。早く帰りたいなら早くことを済ませねばならない。命令書を作り、上司に許可を取り付け、医者に指示を出し拘束衣でパッケージングされた荷物が届くまでに準備を済ませて執行体制に入らねばならない。


 普通ならば交代でやってきた人間に後を任せれば良いのだが、流石に担当時間内に起こった事件の対処はしなければならないのが組織人である。何よりコトがコトでもあるので、誰が担当だったかというのは大変重くのしかかってくるのだ。


 世の中基本的に誰に責任があるかで揉めるようにできていることもあり、誰がやり始めたかというのは組織内で非常に重要視されてしまう。ならば後々査問されるような問題に発展するより、時間は掛かっても仕事を片付けた方が賢い選択といえるのは間違いない。


 「お前が好きな映画みたく、その場でドタマに一発叩き込んで終いにできりゃ楽なんだがなぁ」


 諸々の手続きをして、朝8時に終わるはずであったシフトがご覧の有様だ。這々の体で帰り着き、今から報告書を提出して漸う帰宅と相成る。流石にブラック企業でもあるまいて、シフトの調整でインターバルを作ってはくれるだろうが、それでも辛い物は辛い。


 女が愚痴のように吐き捨てた台詞の如く、直裁で短絡な解決を望むのは、むしろ普通の流れであった。


 「そういう訳にもいかんでしょう。許可無しに感染者に何かしたら殺人ですよ」


 「後で殺すのに合法も非合法もあるものかよ。収容抵抗したことにしてぶっ放したかったな」


 あまりの物言いに男は眇に女を見やった。今は時間帯の問題で食堂が空いていて心配ないが、誰かに聞かれていたら査問もあり得る発言だ。執行官は半年に一回のメンタルテストが義務づけられており、業務従事にあたって相応しい精神性と常識を持っているかを問われる。


 「……壁に耳あり、ですよ」


 「へいへい、分かってら後輩。心配性だねお前も」


 これほど物騒で常識に欠けた発言を聞いて、上がいい顔をするはずがあるまい。この平和惚けした国では、人倫に背くことでも実行せねばならぬWPSと執行官は風当たりがかなり強いのだ。ただでさえ良く無い評判更を落としかねない人間は、容赦なく弾かれることだろう。


 行く末は激戦地の南米か北米、或いは阿弗利加大陸といった所だろうか。


 いや、人間の生息圏ならまだ良いだろう。隔離研究施設のあるグリーンランドなんぞに飛ばされようものなら、人類文明からの放逐に近しいのだから。


 「はーしかし、……まだこれから報告書か……帰宅は定時連中と同じになりそうだな」


 故にこそ、この生きるにあたって仕事さえ選べば良い環境の国に留まるには努力が必要なのだ。何よりも世界を脅かす死体への対応と対策が、水準的に高い環境で纏まった所は少ない。居座りたいなら、仕事をきっちりして、使える人間だと示し続けるしか無いのだった。


 「頑張ってください。私はこれ食べ終わったら帰りますから」


 「そこは手伝いますくらい言えねーのか。敬愛する先輩のため、部下として尽くせよ」


 饂飩を啜り終えた男は、女の言葉に鼻で嗤って応えた。責任者とは責任を取るために居る者だし、その責任に相応しいだけ他人より多く給料を貰っているのだ。ならば、誰にも文句を言う資格などあるまい。


 「じゃ、お疲れ様です」


 「覚えてろよテメェ……」


 どこか締まりの無い午後の空気が立ち込める食堂に、恨めしげな呻き声が小さく響いた…………。






 ここWPS関西事務局の施設はかなり大きく、色々な設備が入っています。食堂は言うまでも無く、食堂とはちょっと違った落ち着いた空気に浸るための喫茶室というのもあるのです。


 高級ホテルの純喫茶を彷彿とさせる内装の喫茶室は、食堂の賑やかさとは違ってしっとりとした静かで豊かな空気が満ちていました。業務でささくれ立った心を癒やしたり、デスクで捗らなくなった仕事の気分転換としてラップトップを持ち込んで仕事をしているような人がちらほらと居るばかりです。


 それもそうでしょう。今は午後六時過ぎ、デイタイム勤務の職員が仕事を終えて帰り始める頃ですから。きっと今頃、食堂は官舎に帰る前に腹を満たそうとする職員でごった返していることでしょう。


 ですが、僕は食堂と比べると些か値段設定がお高めなここに来ていました。


 理由は単純です。シンプルに昼間受けた複数の研修のせいで食欲が非常に失せていることと、コーヒーの香気でへたった精神を回復させたかったからです。とりあえず何か胃に入れておかないと身体に悪いのですが、本格的な食事は到底適わない精神状態だったので仕方がないでしょう。無理に食べて戻しても馬鹿らしいですし。


 それに食堂のコーヒーは業務用ドリッパーで作り置きした味気ない品ですが、ここのコーヒーはきちんとミルで挽いた豆を使い、サイフォンで煎れた本格的な品だとメンターである先輩が仰っていました。なら、心の傷は落ち着いた雰囲気のここでこそ癒やせる物と思い、人通りが少なめの一角に設けられた喫茶室へとやってきたのです。


 僕は入って直ぐにここが気に入りました。穏やかな木目と中間色の淡い壁紙が作り出す柔らかな印象の外観。薄明かりの照明がオフィスの蛍光灯で疲れた目に優しく、何よりも無駄なBGMが掛かっていないことが非常に好印象です。ジャズもクラシックも嫌いでは無いのですが、落ち着きたい時は無音である方が僕好みなんですよね。


 特に店員に席を案内されること無く、空いていて具合の良さそうな所を探していると声を掛けられました。


 見やると、そこには僕のメンターが居ました。儚げな先輩の方ではなく、女丈夫と称して何ら差し障りの無い立派な外見の班長が。


 うわっ、と咄嗟に顔を顰めなかった僕の精神力を誰か誉めてください。最初の面談の時に吐瀉物を吐きかけてしまったこともあり、ちょっとこの人と顔を合わせづらかったのです。だって、普通に社会人として以前に人間として拙いじゃないですか。あれ以後、謝罪はしても引け目のようなものを感じてしまって仕方がないのです。


 「お疲れ様です」


 「おう、お疲れ。もう上がりか? まぁ座れよ」


 されど上席から声をかけられて無視することもできず、言われるが儘に僕は彼女の対面に座りました。見れば、結構ここで時間を潰しているのか、灰皿には結構な量の吸い殻が残されています。


 「ほら、メニュー。奢ってやろう」


 「いえ、ですが……」


 「いいからいいから。頼め頼め。ブレンドがお勧めだぞ」


 ここで断るのも無礼に当たるのでしょうか。とりあえずお言葉に甘えてサンドイッチのセットをブレンドで頼むことに。班長がベルで店員を呼び、自分のコーヒーを追加で頼みながらオーダーしてくれました。


 反吐を吐きかけられたことなど全く気にしていないのか、班長は小食だなと呟いて新しい煙草を咥えました。そして、火を付ける前にいいか? と目で問うてきたので、どうぞと頷いておきます。


 「じゃ、遠慮無く……ふぅ。で、慣れたか新入り。昨日、後輩から追加資料を貰ったと思うが」


 「ああ、はい。少しは……慣れたと思います」


 「そいつは重畳」


 煙草をぷかりとやりながら笑う姿は、女性的な魅力と言うよりも男性的な魅力に溢れていました。余裕ありそうにソファー席の背もたれに片腕を預け、ゆったりと足を組んだ姿は、上等そうな喪服も相まって、組織のボスと言われても腑に落ちそうな威圧感。堂々たるその姿は、もう美人よりもイケメンと称した方がしっくりときます。


 本当に、なんでこんなキャラの濃い上司がメンターとしてアサインされたのでしょうか。同期の外川氏なんて、顔が地味すぎて廊下で出くわしても反応が数秒遅れると困るほど印象が薄い人をつけられていたというのに。


 「まぁ、精神的、肉体的な負荷の多い仕事だ。慣れていくしかないからな」


 「えーと……残業だったんでしょうか?」


 ここの勤務は三交代制ですが、執行官はシフト制です。メンター業務以外で班長達が何をしているかは分かりませんが、どこか疲れた顔色から察するに普通のデイタイム勤務ではなかったのでしょう。社交辞令として世間話を継続していると、何やら怪しげな会話に発展していきました。


 「まぁな。病院の常駐業務だ。仮眠は取れるし、待ってる間は暇な業務だから悪くはないんだが……死人が出るとな。今日、外環で事故あったの知ってるか?」


 「いえ、ずっと研修だったので」


 「事故とか火事があると駆り出されるんだよ。死人が出るような時は基本的にな。そりゃ私達が片付けにゃならん連中が現れるんだから、至極当然ではあるんだが……退勤間際に出てくるのは勘弁して欲しいもんだ」


 嗚呼、と声が溢れました。僕たちはガイダンスが終わったら基本的に帰れる学生の延長のような状態ですが、外で実働していると違うのでしょう。予定通りに全てが運ぶような仕事でもないのですし。死人がどれだけ出るか分からない事故ともなれば、尚更でしょう。


 「ま、執行官は拘束時間短い方だがな。洗浄部はきっついからな……お前も配属先は選べよ」


 「あ、はい。多分、このまま執行官で希望することになると思いますが……」


 「そうかい。上手く行けば出世も早い。気張れよ」


 ええ、そりゃもう頑張りますとも。出世して分家として本家の覚えをめでたくして欲しいがため、僕は両親からなりたくも無いゾンビ退治屋にさせられたんですから。本当を言えば、勢いに任せて書いた退職届を今すぐにでも出したいくらいですが、それもできないなら、せめて直接関わらないで良いように要職につけるよう出世したいものです。


 ……されど、対ゾンビ機関で肩書きのつく立場って、なんだか不安を掻き立てられるものがあるんですけどね。ええ、だって絶対死ぬやつじゃないですか、僕が苦手な映画でいえば。


 管理職とか絶望しかない気がします。それこそ画面外で建物ごと――或いは地域ごと?――ゾンビに飲まれて死ぬか、その消毒に巻き込まれて死ぬかのどれかじゃないですか。いやほんと、洒落になってない。


 「その為にゃ慣れて経験沢山積んで……ああ、経験で思い出した」


 「はい、何でしょうか」


 「金曜に実習あるから」


 「……え?」


 小さな疑問符を口にするだけに留まった僕を誰か誉めてもいいんですよ。思わず大声で叫びそうになりましたから。


 実習といえば、それはもう実習なのでしょう。実際に学習すると書いて実習。


 つまりはお守り付きで現場に出ると言うこと。


 ひいては、死体を実際に見ると言うこと。


 「実習はメンターが申請出してやりゃならなんから面倒なんだよな。まー安心しろ、最初から腐乱死体触るわけじゃねぇから。軽い軽い」


 何とも気軽に言ってくれる。僕は昼間に果たして死に触れる覚悟ができるかどうかを心配していたというのに。その覚悟が固まる固まらない以前の段階で、実戦に放り込むと我が上司は仰るのです。


 これが学校なら唐突に風邪でもひいていたことでしょう。だが残念ながら僕は大学生ではなく、国際公務員であり社会人。NOと囀る権利は与えられていても、実際に口にすることは許されておりません。


 たしかに必要なことなのでしょう。外科医が血を見るのが怖いと言ったり、害虫駆除業者がゴキブリが怖いと言ったりしていられないのと同じ。我々WPSの職員は、死体と死に忌避感なんて覚えていては、やっていられないのです。


 「ま、念のために昼飯は抜いとけ。私ら平気だったけど、別の同期だと戻したとか菜食主義者になったとか、色々話聞くからな」


 はぁ、と曖昧に応えられただけでも、割と自分は大したものなのではないかと思います。


 その後の記憶は曖昧で、ぼんやりしたコーヒーの味と煙草の香りだけが記憶にこびり付いていました。気がつけば官舎の部屋で一人寝床に腰掛け、新しい職の探し方などというガイドブックを手にしておりました。


 拝啓ご両親、あなた方も人生の中でさぞ色々な選択を強いられてきたことでしょう。


 どうか僕に腹の括り方とやらを教えてください…………

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