第15話 過去の自分に


 前向きになったけれど、時折後ろを振り返ってしまう。

 後ろを振り返れば傷だらけの自分が泣いている。

 それを見ると、私は何も言えなくなる。

 もう泣かなくていいんだよと、声もうまくかけれない。

 それを見ると、ああ、まだ私は本当に立ち直れてはいないんだと、自覚する。



「……」

 夢の中で泣いている自分を見た、声をうまくかけれなかった。

 泣いている自分に、うまく言葉が出なかった。

 きっとあれは、以前の私だ。

 泣くことしか出来ず、ただ生きる苦痛に耐えていた自分があそこに

いたのだ。

 順調な回復に見えて、過去の自分はまだ立ち直れていないのを表しているように見えた。

 いや、自分自身が根っこではまだ何かをずるずると引きずっているように見えた。

「そう簡単に回復してくれないか……」

「朝から頭が騒がしいな」

「あじゃぱ?!」

 朝からの彼の声に、私はベッドから奇声をあげてずり落ちた。

「貴様の奇声はわりとバリエーションあるのだな」

「……いたた、朝からびっくりさせないでください……」

 ベッドから落ちるのは地味に痛かった。

 リアクション芸人なつもりは毛頭にないが、我ながらリアクションが激しくなったと自分の行動を振り返る余裕ができた。

「初めて合ったときの無反応な様が嘘のようだな」

「あ……」

 彼に言われて思い出す、出会った当初の自分は本当に反応が薄かったと。

 あの時は、日々生きるのが辛くて、毎日逃避し続けていた。

 終わりたい、辛いと嘆き続けて、薬を服用する毎日。

 毎日終わりたくて、時には母が泣いて帰ってきてくれと言うのを必死に拒否して生き続けただけの日々。

 楽しみは何一つなくて、何一つ楽しめなくて、ただ業務のように生きていたり、行動したりする毎日だった。


 終わる恐怖よりも、生きる苦痛がなにより勝った日々だった。


 今は少しずつ楽しめるようになってきた。

 時には落ち込み、何で自分がとなることがない訳ではない。

 その時は彼が傍にいるから、慰めてもらえた。

「私は貴様にいったはずだ、価値がないなど思わせないとな」

「……はい」

 彼の言うとおりだ、あの時の自分は価値がなくてちっぽけでダメな存在だから消えた方が楽だと責めて責めて責め続けていた。

「当時の貴様は、本当に自己否定が強くて苦労した覚えがあるぞ」

「う……」

 その通りだ。

 自分を否定し続けることしかできなかった、肯定なんて出来なかった、現実を直視するのが辛すぎて薬をむさぼっては救急車でよく運ばれた。

 幻聴も酷かった、楽になるという声や、なんでお前が、という責める声に自分が圧迫されて壊れる寸前だった。

「どこが壊れる寸前だ、ぼろぼろに壊れていたではないか」

「あう……」

 彼に否定される、彼からみたらそうだったんだろう。

「いや、たとえるなら崖の端に掴まって必死に落ちるのをこらえているようなものだったな。誰か悪意で手を踏めば奈落へ真っ逆様、そんな状態だったのだ」

 彼は真面目な表情で語った。

 例えは、酷く当てはまるように見えた。

 もしも、彼が悪意で『手』を『足』で踏んでいたら、私は本当に自分の命をたっていたかもしれない、でも彼はしなかったのだ。

 彼は『手』をつかんで無理矢理『引っ張りあげて』私を『崖』にたたせた。

 自分から無意識に『落ちよう』とする私を『引っ張って』は『崖の端』から、『崖』から引き離したのだ。

 今思えば、彼には本当に迷惑をかけたと思う。

「貴様が言う『迷惑』も今思えば懐かしいものだ、まぁ、その『迷惑』今もたまにあるがな」

 彼は意地悪な笑顔を浮かべてこちらを見た。

「だが、それを苦労とは思わん、貴様が苦しんできたことは、貴様の過去を『見て』理解はしているからな」

 今度は真面目な顔をする。

 最初の頃、私が何故こうなったのかを彼は『読みとった』のを覚えている。

 私は無反応だったが、今思い出せば、自分のみっともないときの事を見られたという事実に何ともない気分になる。

「あの時はああしなければ解らなかったからな。仕方あるまい」

 慰めているのか、いないのかよくわからない言葉に、うー、とうなるしかない。

「夢で過去の自分が泣いていたというのは、それは仕方ないだろう、いまとて貴様は沈み、自己否定し、自分を責めるところがある」

「う……」

「貴様の病気や体はかなりぶっこわれていたのだ、作るのと壊すのどっちが楽かくらい解るだろう、壊れた時間で治すのができたら奇跡だ奇跡」

 その『奇跡』を彼はやっている気がする。

「私が来るまでの間は停滞していたようなものだったからな、カオルが医師という立場ながらなんとか必死に保たせてたのはほめるべきところだ」

 カオル先生には本当に迷惑をかけた。

 正直先生の第六感はどれだけ鋭いのか本当に驚かされる。

「彼奴の第六感は未だにわからん、思考回路がまともな時とそうでない時の差が激しいからな、精神科医は変人とかが多いのか……」

 彼の台詞に、何となく納得してしまう自分がいる。

 精神科医は、私みたいな人やそれ以外の精神的に重荷を抱えた人と話ややりとりしないとダメだから、メンタル的に強いか、それをスルー出来るタフさとか何かないとダメなのかなと感じてしまう。

「彼奴はタフすぎるが、抱えているものもあるからな」

 彼は先生の何かを知っている、けど聞く気にはなれない。

「それが正解だ」

 彼は私の頭を撫でる。

「――さてと、そろそろ寝間着もやめて着替えるといい、朝食はもうできている」

 彼がそういうので、私は着替えることにした。

 そうだ、いつまでも寝間着だとダメだと、服をタンスから引っ張り出し着替える。



 いつもの、彼の作ってくれた朝食。

 味が濃いものが相変わらず苦手な私にとっていつも優しい味付けをしてくれる。

「――そういえば貴様」

「はい?」

「作った菓子Dr.には、やったと聞いたぞ」

 飲んでいた水を吹き出しそうになり、慌ててこらえて飲み干す。

「だ、誰から……」

「Dr.から、彼奴から暴露した直後、彼奴を殴る寸前までいったぞ」

 頭を抱える。


 ああ、あげるべきじゃなかったかなぁ。

 でもあんな量食べきれないし、料理上手なダークさんにあげるのも気が引けたし……

 本当どうしたらよかったんだ……もう……


「次作るときは私に寄越せ、いいな」

「……へ? で、でも」

「貴様が作ったものだ、それだけで十分価値がある」

「は……はぁ」

 生返事で返す。


 私料理そこまで得意じゃないし、作るお菓子も凝ったものじゃないし……どうしよう……


 とか悩んでいると、彼は呆れた表情でこちらを見る。

「食べてからだ、そんなに気になるなら暇をみて私が教えてやる」

「え……!?」

 彼の言葉に申し訳ない気分だ。

 本当に、料理は得意じゃない、今はリハビリがてら作ってるのが正解だ、彼みたいに包丁さばきとかあれこれできる訳じゃない。

「簡単な菓子づくりなら問題ないだろう」

「あうう……」

 思考を読みとられるとこうやって、逃げ道ふさがれるから若干困りものでもある。

 思考を読まれるのに慣れている自分には、もうツッコミを入れる気持ちもわかないが。


 慣れというものは恐ろしいな、とつくづく思う。


 残りのスープを平らげながらそう思った。

 スープを飲み干し、朝食を終えるといつものように片づけが始まる。

 手袋の上にゴム手袋吐くのも最初は、えっといったが、もう見慣れてしまってツッコむ気にもならない。

 彼の手ではゴム手袋を突き破るし、片づけも面倒だろうから。

「いや、手を変形させるのもできるのだが、少々面倒でな」

「できたんだ!?」

 初めての言葉に思わずツッコんでしまった、これでは前言撤回だ。

「多少変化は簡単なのだが、大きく変化させるのが面倒でな、手袋をつけてる方が楽だしな」

「え、え――」

「安心しろ、貴様に何かしてるときは苦労はするが変形している。……まぁ、その……なんだ、途中で気が抜けて戻ってしまうがな……」

 最初は意地悪そうだったが、途中から照れたような、恥ずかしそうな表情で言う。

 何というか、反則以外なんでもない。

 頑張っていなかったらお皿を落としている位の衝撃だ。


 この人、色々と反則すぎる、本当に。


 彼の台詞に、こちらも顔が真っ赤になる。

 何かしているときというのの意味も解ったし、気が抜けて戻ってしまうの本当の意味も解ってしまった。

 わかりにくいというか、あえて誤解するように言うのがなんとも言えない。

 あまりに大事にされすぎてて、若干不安になるレベルだ。


 それだけの価値が自分にあるんだろうか?


 不安が顔を出す。

 役にたっている自覚はない、役にたててる自覚はない。

「貴様はいつでも根っこでは自己否定に走るな」

 最後の皿を片づけて彼が言う。

「貴様は役にたっている、が役にたっているたっていないで自分を決めつけるな。組織活動していないから役にたっていないというならそれこそ馬鹿な話だ」

 彼は鼻で笑いながら私を小脇に抱えてソファーに移動する。

 私をソファーに座らせてから、空いている隣に座る。

「誰かの役にたっている、役にたちたい、それにばかり自分の存在意義を課程すると面倒なことになるばかりだ」

 彼の言葉は、時折ナイフのように心に刺さるから、痛いことがある。

「お前はそれに存在意義を求めすぎだ、気質か、それとも社会にでてそうなってしまったかは解らんが」

 彼の言葉に納得してしまう。

 私は、そういう気質が若干あったと思う、認められるというのに、酷く固執していた。

 他と違うということから、阻害感を外では感じやすかった、だから必死に認めてもらうのに固執していた。

 社会に、会社勤めをしてからはさらにそれが酷くなった。


 認めてもらわないと、頑張らないと。


 そんな言葉が、考えが、心を支配していた。

 今もずっと、残っている。

「貴様は鬱になって1人になった途端、誰にも必要とされていないという疎外感を強く感じたのだろうな」

 思考を読むから、彼は何とも言えない表情でこちらの原因を提示した。

「承認欲求が強い貴様には耐えられない状態だったのだろう、それでは鬱も悪化する、私は『もしも』を提示するのは嫌いだが、あえて提示するなら、もしも貴様が私と出会う前に病状や症状を軽くしたかったならば家族の元に戻るのが正解だっただろう、あの母親と――そして貴様を受け入れている家族だ、帰っているのが正解だった」

「……うん、先生にも言われた、無理に1人でいないでって言われても、それができなかった。家に帰ったらもうでてこれない怖さがあって」

「それも仕方あるまい、貴様はそれだけ傷ついたのだ、家という安息の場所にいれば外に出るのがずっと怖くなる可能性も否定できない」

 そう、それが私には怖かった。

 外にでれなくなって、母がいなくなった後を考えるのが怖かった。

 1人だけの世界になるのが怖かったのだ。

 家族がいなくなって1人になった後を考えるのが恐ろしかった、だから戻れなかった、怖くて辛いけど、それをおそれて戻るのを拒否したのだ。

 彼が頭を撫でる。

「安心しろ、そうなっていても私は貴様と出会っている。なら容赦なく連れ出していただろう」

 最後にニヤリと邪悪に笑う。

「お前は泣いている自分をどうすることもできなかった、と夢の中を振り返っているが、それは過去の自分だけじゃない今も含んでいるから何もいえなかったのではないか」

 がつんと殴られたような気がした。

 ぼろぼろと涙がこぼれる。

 そうだ、ずっと自分は引きずっている、認められない恐怖を、1人だけになる恐怖を引きずっている。

「それはすぐさま消えるものではない、孤独に戦えるヒーローなんかは頭のどっかが狂っているものだ。多くが群をなして安定を図る」

「ダークさんは……?」

「認められないのに打ち勝つのはかなり精神を使う、正直二度とやりたいとは思わんな。まぁ、こちらの世界はあっさり認めざる得ない状況になってくれたから楽だったが」 

 最初は真面目に、でも最後は邪悪に笑って私の目元を撫でる。

 涙がこぼれるが、まだ視界ははっきりしている。

「貴様には今後も私がいる、組織としての貢献など気にするな、お前はいるだけでいい、恋人だから見返りは必要とかいうルールがあったとしても知るかそんなものは!」

 邪悪に笑い飛ばす。

 その笑顔に救われる。


 ああ、私、この人が恋人で、よかった。


 心からそう思えるのだ。



 未だに泣き続ける自分はいる。

 不安もたくさんある。

 でも、一言だけ言える


「彼がいるから、1人で泣かなくてもいいんだよ」


 と、その一言だけ、言える。

 それだけで、泣き続ける私も、そして自分も救われるのだ。




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