殺人サイト
福王寺
序章
序
今はもう使われていない廃工場の食堂に、一人の男が正座したまま絶命していた。彼は割腹自殺のつもりなのか、自らの腹をナイフで突き刺しており、後頭部には拳銃で撃ち抜かれた痕があった。うずくまるような姿勢のため、どのような表情をしているのかはうかがい知ることは出来ない。
静かな夜だった。虫の鳴き声しか聴こえてこない。月明かりに照らされた遺体は、未だ流れる鮮血によりキラキラと光輝いていた。
そんな静寂に支配された食堂に、「彼ら」は現れた。レインコートを身にまとった「彼ら」は、一言も言葉を発することなく静かに遺体のそばに集まった。
「彼ら」の動きは淀みなかった。二人の男が座位の遺体を持ち、遺体収容用のバッグへ移した。残りの四人で床にこびりついた血痕を、酵素入りの洗剤を使って落としていく。まだ死後それほど経過していないとはいえ、染み一つなく元の状態に戻すためにはそれなりに長い時間磨きつづける必要があった。
遺体をバッグに入れる役だった男達は作業を終えると床以外の部分に飛び散った血痕の拭き取りに入った。廃墟の食堂のため比較的物が少ないが、テーブルや壁にぽつぽつと血の跡が付いている。男達はそんな染みを見つけ次第洗剤で磨き上げていった。
その作業は一時間弱ほどかかった。最後に床にめり込んでいる弾丸を引き抜きその周辺の床を磨き上げた。弾丸を洗浄道具を入れたバケツの中に放りこみ、死体バッグは三人がかりで持ち上げて部屋から引き上げた。
「彼ら」が去った後の食堂は、床に弾丸がめり込んだ跡が残った以外は以前と寸分たがわない光景であった。その床の跡もごく小さい。誰かがその部屋を訪れたとして、まさか殺人が行われたとは思わないだろう。
こうして殺人の痕跡は奇麗に消し去られた。
「遺体の搬出が完了しました」
「彼ら」の一人が廃墟の外に設営されたテントに向かい、スーツ姿の男にそう報告した。「彼ら」の一人は既に鮮血で汚れたレインコートを脱ぎ捨てており、カジュアルな服装でどこにでもいる青年のような様相をしていた。
「了解、ご苦労様」
報告を受けたスーツ姿の男は、やわらかな物腰でそう言って、「彼ら」の一人を労った。
「じゃあ引き続き処理よろしく」
その言葉に「彼ら」の一人は小さく礼をしてまた作業へと戻っていった。
「さて、じゃあ速報入れようか」
スーツ姿の男はそう言って後ろを振り返った。そこには折りたたみ式のパイプ机にノートパソコンを広げている男の姿がある。
「わかりました」
男は手慣れた手つきでタイプする。たった今行われた戦闘の概要と共に勝敗結果を記してゆく。
本日の対戦はかつては親友同士であった二人の対戦である。序盤はーーが優勢であったがーーは共闘であったーーと共にーーを追い詰め、最後は………。
殺害現場に一本のナイフが落ちていた。遺体のそばに無造作に捨てられたもので、「彼ら」が遺体を処理する際に一緒に回収されてしまった。
そのナイフは、刀身が細い折りたたみナイフである。イタリアのシチリア島が発祥とされるスティレットのレプリカである。数年前までは登山用品店のショーケースの中で静かに眠っていた。時折アウトドアを趣味とする客にせがまれてその姿を披露する以外、平穏とした日々を過ごしていた。
その頃は高橋圭介はごく普通のサラリーマンであったし、坂本祐司は様々な後戻りができない問題を一人で抱え込み、佐藤秋雄は健全な人殺しであった。そして、葛西高志は行方不明のままであった。
いくつかの「おかしな事象」はあったのかもしれないが、少なくとも高橋圭介を取り巻く環境という点からすれば代わり栄えのしない平穏な毎日であった。登山用品店のショーケースの中で眠るナイフのように。
しかし、そのナイフはショーケースの中から叩き起こされ、幾度か鮮血を浴びる事となり、その最後は郊外にある工場の溶接炉の中で静かに溶かされていった。
そして彼らにも相応の結末が待っていたのである。
葛西高志、を、覚えているか?
その言葉から全ては始まったのだ。
それがなければ高橋圭介はごく普通のサラリーマンであったし、坂本祐司は様々な後戻りができない問題を一人で抱え込み、佐藤秋雄は健全な人殺しであった。そして、葛西高志は行方不明のままであったのだ。
葛西高志が失踪したのは、もう四年も前の事である。
彼の失踪はあまりにも唐突過ぎた。誰にも告げず、何も遺さずにひっそりと姿を消した。
彼の捜索には警察と地元の青年団も加わり、大掛かりに行われた。
彼の親友である高橋圭介も、当時は寝る間も惜しんで捜索に加わった。何の手がかりも見つからないままに時間が過ぎ、次第に青年団や警察は捜索を切り上げていった。それでも高橋は同じく親友の坂本祐司と共に個人的に捜索を続けた。
しかしそれも時が経つにつれ頻度が少なくなり、坂本の東京への転勤をきっかけに彼らの個人的な捜索は行われなくなり、気がつけば彼の事が話題にも上がらなくなっていった。
高橋自身、彼の事を思い出す頻度が次第に少なくなり、四年経った今ではすっかりと記憶の奥底に追いやっていた。葛西の失踪は過去の出来事になり、思い出すこともなくなっていた。日々の仕事に追われる毎日である高橋にとって、それは無理もない話だった。
高橋にとって葛西の失踪は過去の出来事であった。しかしそれが急に現在の高橋の中で蘇ることになる。
彼が遺した手紙が見つかったのである。
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