Re:ApolloProgram -月の裏側から見た世界-

五味はじめ

第1話

    ▽


『――御乗車の皆様へ、お報せ致します。間もなく、地下都市は第七都市イーストへ到着します。御降車の方は、御準備を』


 赤土の荒野に伸びた一本の線路。


 その路上を――巨大な機械馬が歩く。鈍い金色の骨格に刺さった無数のパイプから煙を吐き出し、33の車両を牽引していた。


 馬車鉄道。その貸し切り車両――スイートルームで、キルケが一番に声を上げる。


「やっと着いたぁーっ!」


 キルケは、羽搏く黒翼に合わせてソファの上を飛び跳ねる。白いワンピースの袖や裾から褐色の肌が覗き、濡羽色の長髪も宙を舞う。


 しかし、対面のソファに坐ったエッタは顔を顰めた。


「キルケ煩い」


「えー、パパひどぉい」


 透かさずキルケも桃色の唇を尖らせた。


「何が〝ヒドイ〟だ。お前は、もうちょっと落ち着きを持て。ココは遊園地じゃねえぞ」


「ああ、パパそーいうTPO的なの気にするよね。でも、そーいう〝落ち着き〟ってダーちゃんで間に合ってるじゃん」


 ね? と、キルケがエッタの左隣に目を向ける。


「……――え? は、はい……っ。……え? あ、あのー……呼びましたか?」


 車窓から外をジッと眺めていたダフネは、慌てた様子で振り返る。華奢な肩口を金髪が撫で、水色の瞳が二人を交互に見遣った。


「ほら、パパこーいうの好きでしょ?」


「……え? え? ……?」とダフネは両手を膝の上に置き、姿勢良く小首を傾げる。


「メッチャ好き」


「ふぇ……っ? ……え、えぇ……」


 白い頬を紅潮させるダフネにエッタがニヤけている右隣で、トネリコが溜息を吐いた。


「全く、お主もてーぺーおーとやらを弁えているようには見えんな」


「美しきを愛でるに時と場所は関係ない」


「……わしも、早まったかのぅ」


「何を〝選択を間違った〟みたいな顔してんだよ。その躰じゃ、オレを頼る以外ねえだろ」


「うぐぅ……」


 トネリコは、自分の小さな躰を見下ろした。


 短い手足。細い指先。少し日に焼けた腹を触れば、未発達な筋肉が柔らかな胃下垂を作り上げている。


「――って、何故お主も触っておるッ!」


「いやァ、可愛いなあって」


「諦めなよトネちゃん。パパって見た目通りロリコンだから」


「誰が〝チビ〟だ。年相応って言え」


「えぇー……。パパ、100歳超えてるよね……?」


「1世紀数えたら、また1から数えるんだよ。――よいしょっと」


「こらぁッ! お主! 何を膝の上に乗せておるんじゃ! お主が100歳だろうが1歳だろうが、わしの方が年上じゃぞ!」


「それがまたイイんだよなァ」


「何が良いんじゃ戯けッ!」


「……どーしたのー? ダーちゃん」


 今度はエッタとトネリコの攻防をジッと見ていたダフネに、キルケが声を掛ける。


「……――え? あ……っ。あ、いや……。何でもない、です……」


 朱の差した顔を隠す様子で俯いたダフネを見、キルケは一拍の後に口の端を上げた。


「そうねぇ、ダーちゃんはパパと同じくらいの身長だもんねぇ?」


「……っ」


「残念だねぇ? パパ小っちゃいし、キルがギリギリだもんねぇ。――ほらほらっ、トネちゃん退いて退いて!」


 ソファから降りたキルケは、トネリコを退けて自分がエッタの膝上に収まった。


「んふぅー」


 キルケが挑発的な視線を投げる。ダフネは頬を膨らませ、目尻に涙を滲ませた。


「おいこら、あんまダフネを虐めんな」


「だってパパは今までもキールのパパだし、これからもキールのパパなんだから。悪い虫が付いたら困るもん」


「ほほぅ。誰が〝悪い虫〟なのか、詳しく聞かせて貰おうかのぅ。よもや、可愛い可愛いダフネのことじゃあるまいなぁ?」


「……トネちゃん目がマジ過ぎて怖い」


「……ハァ。ッたく、勝手にやってろ」


 キルケを膝から下ろし、エッタはダフネの手を引いて対面のソファに移動した。


「……え? あ、あの……っ」


「少し横になりたいから、膝枕してくれ」


「あ……。は、はい……っ」


 スカートの上から触れるダフネの太腿は、それでも柔らかく――エッタは心地良い倦怠感に包まれた。


「おやすみなさい」


「ああ」


 睡魔とは無縁の躰。それでも目を閉じれば、記憶の一つや二つは瞼に浮かぶ。この思い出を夢と呼ぶのなら、エッタは初めて夢を見た。

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