第722話 『ヴァイオリン・ソナタ 3曲』『チェロ・ソナタ 1曲』 グリーグ
歳末お徳用パック。
それは、まあ、ジョークです。
しかし、まとめてしまったのには、実は、秘めた理由があるわけです。
ヴァイオリン・ソナタ
『第1番ヘ長調』…………1865年
『第2番ト長調』…………1867年
『第3番ハ短調』…………1887年
チェロ・ソナタ
『イ短調』…………………1883年
と、いうことに、なっております。
第3番と、チェロ・ソナタだけが、少し、作曲年代が飛んでおります。
ときに、『交響曲ハ短調』が、書かれたのは、1864年です。
そうして、『ピアノ協奏曲イ短調』は、1868年です。(のち、改訂)
なので、第1番と第2番は、この両作品の間に、挟まっております。
まあ、例えてみれば、交響曲と、ピアノ協奏曲が、おいしい皮で、ソナタふたつが、中身の、あんこの部分ですな。
そうして、かなり、間があいて、チェロ・ソナタと、第3番のソナタが書かれますが、しかし、ぐり先生の作品リストを見ると、このあと、1891年に、『弦楽四重奏曲ヘ長調』の一部が書かれますが、未完成になったほかは、ピアノ曲以外の、器楽作品、室内楽作品が見当たりません。
なぜか?
それは、本人しか、真相は、わからないでのでありましょう。
菅野浩和先生は、昭和59年の著書『グリーグ 生涯と作品』で、ぐり先生の、民族主義の進展に、その回答を見いだしていらっしゃいます。
室内楽の分野では、純音楽主義の立場に立たざるを得ない。民族主義的な音楽のありかたと、相容れなくなってきた。
さらに、体調の問題もあった、と。
もちろん、やましんごときの、ど・しろとに、それ以外の回答が、あるわけがございません。
ただ、たとえば、バルトーク先生は、独自の観点から、室内楽と、伝統的クラシック音楽の形式と、民族主義を両立させてゆきましたし、シベリウ先生は、交響曲において、同じように独自の回答を得たわけですが、このお二人は、時代がひとつ、あとになります。
それは、ぐり先生などの成果の上に、なされたものでありましょう。
実際のところ、たとえば、北欧の大物、ニルス・ガーデ先生(1817~1890 デンマーク。メンデルスゾーン先生の補佐役を務め、あの、ヴァイオリン協奏曲ホ短調、の初演の際は、指揮者をした。その後、帰国し、北欧地域の音楽のリーダーとして活躍。)は、音楽的には、メンデルスゾーン先生の影響からは、脱出出来なかったところから、ぐり先生は、大幅に、新しい時代を開いた訳ですから。
グリーグ先生(1843~1907)は、新しい形の開発よりも、自身の音楽の深化を、得意なピアノ作品を中心に、図ってゆく道を進んで、後進に課題を残したというところでしょうか。
しかし、ここでも、やましん自身の問題が、あるわけです。
つまり、ショパン先生のスケルツォ、バラードと同様に、この4曲、やましんは、いまだに、区別がなかなか、つかないのであります。
それは、ひとえに、やましんは、あほだから、なのですが。
作曲された時期が、かなり、飛んでいるにも関わらず。
もちろん、ヴァイオリンと、チェロの区別はつきますよ。
音楽的には、チェロソナタは、かなり、ピアノ協奏曲に似ているという特徴が、ありますが。
つまり、すべての作品のレベルが、しっかり、揃っているとも、いえるわけですね。
また、この、同質性が、ぐり先生の個性そのものでもあります。
それが、聞き手に安心感を与えるのです。
そこで、どれを、取っても、はずれはない、傑作なのであります。
・・・・・・・・・うつ 🌞 🌞 うつ ・・・・・・・・・
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