第660話 『コラールファンタジー《いまこそおいでください異邦人の救い主よ》』 ニコラウス・ブルーンス

 ブルーンス先生(1665~1697)は、大バッハさまにもかなり影響を与えたドイツのオルガニストで、作曲家さま。


 しかし、ご覧のように、若くして亡くなってしまった天才です。


 で、この作品は、オルガンの作品であります。


 大バッハ先生の、カンタータの第61番と第62番は、同じ題名のカンタータで、もともとは、ルター先生作の、コラールから来ているもののようですが、ブルーンス先生のお師匠様のブクステフーデ先生(1637~1707)にも同じ題名のオルガン曲があります。


 実のところ、この、オルガン作品の分野と申しますものは、やましんが最も苦手とする分野であります。


 まず、幼稚園や小学校の音楽の授業は、まだ、オルガンが主体だったこと。


 これは、あの足で踏みながら、プープーとなる、あのミシンのような、リードオルガンです。(むかしのミシンは、足踏みでした。)


 私の後ろにも、すでに電気仕掛けですが、そうしたオルガンがございます。


 長らく、ふたも開けていません。


 こいつは、しかし、巨大なパイプオルガンとは、別の生き物のようなものです。


 ところが、このパイプオルガンの録音と申しますものは、貧乏人の小さなお家の、小さなオーディオ装置には、手に余る存在です。


 とてもではないですが、良い音、は、無理、というよりも、なんだか、かなり、無常な音になります。


 つまり、ヒステリックで、聞いているのがつらくなるような音なのです。


 そこで、必然的に、か、怠け心からなのか、オルガン曲は、避けてきたというわけです。


 基本的に、オルガン曲には、癒しを求めたいところでありますから。


 とはいえ、大バッハ先生にしろ、バロック時代までの音楽には、このパイプオルガンというものは、なくてはならないものです。


 もちろん、古典派、ロマン派、現代においても、重要な楽器ではありますが。


 とにかく、両手の鍵盤、さらに、足で踏む鍵盤もあり、いっぱい、操作する取っ手があり、まあ、いったい、どういう頭の中で、演奏が可能なものか、不可思議きわまりない楽器なのです。


 それ自体が、まさに、神秘的であります。


 こいつが、大きな教会の中で響くのは、やはり、壮観です。


 燃えてしまった、ノートル・ダムでもオルガンが鳴っていましたが、まあ、あれは、異世界でしょう。


 それにしても、これは、良い雰囲気の音楽で、なんだか、じっと、聞いてしまうものです。


 とても、癒し度のある作品。(個人差あります。)


 あまり、日本では、ポピュラーな作曲家様ではないですが、機会が来たら、ぜひどうぞ。




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