第658話 『ピアノ協奏曲第4番』 ラフマニノフ
ラフマニノフ先生(1873~1943)の『ピアノ協奏曲』は、4曲ありますが、もっぱらよく聞かれるのは、第2番と第3番です。
どちらも、映画でものすごく、有名になったという、共通点があります。
そこに比べると、第1番と第4番は、割を食った感じで、いまひとつ一般受けしていないようです。
確かに、超有名な旋律はない、かな。
とはいえ、これも、第2楽章が、なかなかの『じゅわじゅわ』音楽です。
ふと、怒りが込み上げる場面が、ありますが、すぐに、元に戻ってしまいます。
なんとなあく、場末の酒場のピアノみたいな雰囲気があるのです。
あ、すみません! 怒らないでください。
いい意味で、言っております。
この、すこし、すれた様な、疲れたような雰囲気は、なかなか良いです。
しかも、これは、演奏が、恐ろしく難しそうだ。
カウンターに座り込んで、誰かに、ぼそぼそ話しかけているけれど、誰も、聞いてくれてはいないし、それをもって、こいつ何とかしてやれというような、諜報員が、いるわけでもなし。
ぶつぶつ言いながら、結局、あらあ、おわっちゃったよお。
という感じで、あまり長くもならず、あっさりと、一杯飲んで、引き上げてゆくのです。
第3楽章は、(第1楽章もそうです。)こりゃまあ、ラフマ先生の音楽以外の、何者でもないよね。
と、思います。
どこもかしこも、ラフマニノフ印ばかりです。
でも、この偉大なるアメリカで、この世の栄光を歌いあげようではないか、というような、凱旋歌という感じではなく、もっと、質素で、控えめな感じ。
第3番に比べると、いっそう、そういう感じがします。
でも、4曲中、最も、シリアスで、これこそ、20世紀のピアノ協奏曲だろ。
という、気がいたします。
どこか、バルトーク先生あたりに、近づいた感じです。
あえて言えば、これが、ラフマ先生のエッセンスなんじゃあないか、と。
つまり、ピアニスト、ラフマニノフ先生ではなく、作曲家、ラフマニノフ先生の真骨頂なのです。
ときに、今聞いておりますのは、ラフマニノフ先生ご自身が、1941年に録音した自作自演。
そりゃあ、これ以上の演奏はないと言わねばならない、きわめつけの録音。
指揮は、オーマンディ先生で、オケはもちろん、フィラデルフィア菅であります。(お金持ち楽団で、有名だったんですが・・・)
ラフマ先生、あまり、アメリカのことを、よく言ってなかったらしくも聞きますが、(『金、金、ばかりだ』。とか。まあ、なんだか、今のアメリカ見ていても、そんな感じはしますけど・・・アメリカのオケは、ばっちり、番付されます。)
とはいえ、ラフマ先生は、ビバリーヒルズで亡くなった際、膨大な遺産を残していたそうですから、お金がなかったバルトーク先生あたりとは、かなり違っていたようですし、もともと、ロシアでは大地主だったらしいですし。(亡くなる数日前に、アメリカ国籍を取得したとのことなので、最終的にはアメリカ人だった。)
アメリカに渡らなければならなくなったとき、ラフマ先生は、ピアニストとして、労働しなければ、ならなくなったというわけです。
あまりに、演奏家として人気だったため、作曲する時間が取れなくて、ご本人は、本意ではなかったらしいです。(ソヴィエトでの著作権は、大方、凍結されたみたいです。)
ただ、それが、出来てしまったのは、すごい事であります。
自作だけでなく、様々な作曲家の作品を、簡単に演奏してしまえる技術があり、あまりに、素晴らしかったので、そこがアメリカでは受けたようです。
でも、ピアノ協奏曲で言えば、アメリカに渡ってから書いたのは、この第4番のみだったとのことで、しかも、作曲家としては、良い評価を得られなかったようです。
愚痴も、言いたくなるというわけです。
プロコフィエフ先生は、アメリカには得るものがない、と、ソヴィエトに帰ってしまいましたが、それはそれで、権力側からの圧力にさらされたようでありまして、さて、どっちも、大変だったことは事実なような。
なにごとも、プロというものは、大変なものですなあ。(他人事みたいに言わないでください。あなたも、35年、サラリマンしたんでしょ。)
楽に食えるものなら、アマチュアが一番自由でしょうけれど、そうは行かないのが、この世の中。
プロ(お仕事)と、趣味の両立は、なかなか、難しいと言えます。
以下、愚痴ですので、😸印の間は、飛ばしてお読みくださいませ。
お読みになると、げんなりしますから。
😸
もっとも、ぼくは、上司のお供のゴルフなどは、御免だったので、お休みの日は、音楽活動が忙しいとか言って、丁寧に、拒否しましたが(休日のゴルフは、仕事じゃないもの。そう言えば、営業には必要だ、と、たばこを吸うように強制されたこともありましたが、これも、たばこを嗜まれる方には失礼ですが、これも、丁寧に、拒否。でも、拒否しておいて、よかったです。本当にそう思います。あ、お酒は、50歳代後半までは、しっかり、お付き合いしておりました。後半は、身体を壊したので、抗うつ剤とお酒は、天敵なため、拒否。一度、ものすごく、苦しくなったことがあり、それ以来、自粛いたしました。音楽やめるよう迫られたことも、何度かあります。こらこら、今時、やけになって、どうするの?読者さまに、失礼です。)、評判はよくなかったみたいな・・・・・・・もちろん、そのせいばかりではないですが、昇進はできませんでした。
音楽のどこが悪い?
ゴルフが趣味なのと、どこが、違うんですか?
まったまった、ラフマ先生なんかと比べちゃ、むしろ、自分がかわいそうです。
なんて、失礼いたしました! (ラフマ先生も、一時かなり、うつだったことは、有名なお話し。天才も、うつになることが、あるのです。)
😸
********** うつ 🎹🎹🎹 うつ **********
参考 『偉大なるピアニストたち (ヤマハミュージックメディア 2014年)』
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