第651話 『展覧会の絵』(ピアノ版) ムソルグスキー
なんで、突然、この曲が、『うつうつ』に現れるの?
たしかに、これは、管弦楽に編曲されたバージョンが人気ですし、『うつうつ』ではない、ですよね。
それが、もう、だいぶん、前に出た、ニコラス・エコノムさまの演奏によるCDを久し振りに聴いて、感嘆したから、なのであります。
ムソルグスキー先生の書いた、オリジナルのピアノ版は、それなりに名高いですが、やましんは、どうも、ピアノの作品としては、すっきりと聞けない、なにか、引っ掛かるものが、勝手にございまして、あまり、愛聴、しているわけでは、ございません。
しかし、この演奏は、なにか、この作品は、豪快で、『ウキウキ』に捉えるのではない、もっと、ギリシャ悲劇みたいな、劇的なものなんだなあ、と、改めて思わせていただきました。
基本的には、こいつは(失礼します)、『悲劇』的な、『悲しさ』『悲惨さ』をベースにしてるんだろうなあ。
そんなの、もとから、わかってるじゃん、と、おっしゃる方は、ま、それとして。
見方、聞き方は、様々でありますから、まあ、色々あってよいのですが、ムソルグスキー先生は、社会的には、あまり、一時期、注目された時期はあるものの、あまり、成功できなかったらしいですし、最後は、お酒に負けたところもあるらしく、必ずしも、栄光の人生ではなかったようです。
『うつうつ』的視点から、聴いてみるのも、良いかなあ。
と、思ったわけです。
最後は、たしかに、盛り上がるのではありますが、どこか、なにか、空疎な、と言いますか、空しさが隙間にいっぱい、あるような、感じがいたしますのです。
ピアノという、楽器の、思わぬ弱点でもありますが、ラヴェル先生が、管弦楽にしてやろ、と、思ったのが、そうした、あほの、やましんのような考えではないとは、思いますが、たしかに、管弦楽では、隙間が空かない。
もしかしたら、ムソルグスキー先生の、本来のイメージとは、違うのかもしれないな。
とは、自分勝手な想像です。
・・・・・・・・・うつ 🧙♀️ うつ・・・・・・・・・・・・・・・・・
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