第365話 『アルプス交響曲』 リヒャルト・シュトラウス


 そもそも、なんでこれが『交響曲』なの?か


 そこについては、『交響曲読本』(音楽之友社1995年)の吉松隆さまの論考『独断ism交響曲全史』における『作曲家が交響曲だと言い張ったら、それが交響曲なのである。』ということで解決。


 ならば、なぜこれが『うつうつ』なのか?


 これは、やましんが、どう考えたって、これは『うきうきではない』と感じるからであります。それで、解決。


 例の、ウェルナー・ヘニヒ氏の変な楽しい著作『音楽ちょっといい話』(音楽之友社 昭和56年)によれば、あるひ、後期ロマン派の大作曲家のおひとり、ハンス・プフィッツナー氏(1869~1949)が『パレストリーナ』(『3幕の音楽的伝説』とかされておりますそうな。聞いたことない。)の総練習で、リヒャ・シュト先生に、いかに苦労して書いたかを開陳したんだそうな。リヒャ・シュト先生『そんなに大変なら、書かなきゃよろしいのもを。』(あれ、逆かな、ま、いか)とか、おっしゃたそうな。

そりゃあ、まあ、『くっぞお~~~~~。みてろ。チャンスが来たら・・・・』

と、ふつう、思いますな。


 で、『アルプス交響曲』をリヒャ・シュト先生が指揮したさい、感想を問われたところ、プフィッツナー先生『なかなか素晴らしい登山でしたけど、ちょっと、『ブルッフ』してしまいそうでしたなあ。』とか、おっしゃたそうな。


 これは、いささか解説が必要で、この曲聞いておりますと、おや、と思うところがあるのです。


 『こりゃあ、ブルッフ先生の『ヴァイオリン協奏曲第1番』の、もてぃーふを、ぱくってますな。』・・・ と。


 で、『ブルッフ』(Bruch)には、『墜落』という意味もあるのだそうですな。(破損、破壊・・その他、コワイ意味が多い・・・)


 ときに、この曲、聞いておりますと、ほかにも、たとえば、チャイコフスキー先生の『悲愴交響曲』、イタリア古典歌曲の代表『カロミオベン』、わが日本の『ウルトラセブン』など、さまざまな作品を想起させるモティーフが、続々登場する、すばらしい作品です。


 巨大な管弦楽の扱いのすごさは、言うに及びません。まさに、達人であります。


 これを、聞かずに、人生終わらせてはなりません。(多少、音楽鑑賞の事前修業が、必要ですが。)


 初演は、1915年10月28日。


 ウルトラセブンは、まだ登場しておりません。


 いつか、この曲の演奏で、そこんところで、ウルトラセブンが舞台を飛んで行ったりしたら、楽しいな。



 ********** うつ 🏔 ⛰ 🏔 やま **********




 



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