第334話 『弦楽セレナーデハ長調作品48』 チャイコフスキー

 まあ、こんな超有名曲を、まだ、ほっておいたの?


 と、おっしゃる向きもあるかもしれません。


 実は、やましん、この曲、少し苦手としております。


 理由は、わかりません。

 

 と、申しますか、まずは、ありません。


 おそらく、あまり、幸せな出会いをしていなかったのでしょう。


 最初に聞いたとき、機嫌が悪かったとか、その程度かもしれませんが。


 実際のところ、一般的には、チャイコ先生の作品中でも、高い人気を誇ります。


 それは、よくわかっておりますが、この曲には、なぜか、やましんに拒否反応を起こさせる、なにかがあるのです。


 冒頭部分。


 たいへんに、名高い開始部分です。


 ここで、ぐあ〰️〰️‼️♥️と来る方は、多いと思われます。


 終結部分にも再利用されます。


 しかし、演奏する側は、なかなか、最初から、厳しい選択を迫られるはずではないかなあ、と、勝手に思ったりいたします。


 大見得切るか、あっさりと仕上げるか?


 いずれにせよ、まずは、やましん、ここが、苦手です。


 なんだか、切迫感が強くて、耐えきれないような、ある種の壮大なむなしさに襲われるのです。


 それに続く、主題部は、せわしなく動き回ります。


 ロシア系の作品には、わりとよく出てくるパターンです。


 ボロディン先生もそう。


 この曲の最終楽章も、そう。


 そもそも、この動き自体が、なぜだか、やましんのトラウマに触れるらしいです。


 第2楽章のワルツは、チャイコフスキー先生らしい傑作で、ここは安心して聞くことができる良い音楽です。


 第3楽章のエレジーも、深々とした、良い音楽です。


 チャイコフスキー先生ご自身は、この曲には自信と、愛着があったようです。


 やましんが、どう思うかに関わらず、ロマン派の弦楽セレナーデ分野では、ドヴォルザーク先生の作品と並び、両横綱であります。


 癒し効果高し。(ただし、個人差あります。)


 と、いつも書かせていただきますが、やましんには、いささか、逆効果な、個人差のうちなわけです。


 そのオケの、弦楽セクションの実力のみせどころ。(弦楽オケもあるかな。)


 初演は、1881年10月18日、ペテルスブルク。


 



・・・・・・・・うつ 🎻 🎻 🎻 うつ・・・・・・・・・・・・・・


  


 




 


 


 

 

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