第162話 『交響曲第6番』 アッテベリ
あっちこっちで、ちらほらと名前を出しながら、なかなか本体を持ち出さなかったのは、例によってCDさんが全部逃げ出して、書く前の復習が出来なかったためです。
まあ、やはり、雰囲気に浸りながら書くのと、そうじゃないのは、違いますから?
この『交響曲』成立のいきさつについては、フランツ・シュミットさんの『交響曲第三番』のところと、アッテベリさんの『ピアノ協奏曲』のところで、書かせていただきました。
要は、1927年から28年にかけて開催された、シューベルトさん没後100年記念の一風変わったコンクールに応募し、並みいるプロの作品をすべて打ち破り、スウェーデンのアマチュア作曲家である、アッテベリ先生が、みごと栄冠を勝ち取ったのです。
追加情報としては、応募総数は、513曲。
うち、100曲は、当初の要領による、シューベルトさんの『未完成交響曲』の完成品で応募したとのことです。
審査員は、委員長は、グラズノフ先生。あと、大指揮者の、シャルクさん、アルファーノ、ダムロッシュ、シリンクス、そして、ニールセン。トーヴイー、グイド・アドラーなどの大物ぞろいです。
この中で、アッテベリ先生を一番よく知っていそうなのは、もちろんまずは、デンマークのニルセン大先生です。
グラズノフ先生は、1927年にはじまり、1928年に本選となったこのコンクールを理由にしてソヴイエトから脱出し、その後は体調不調を理由にして、帰国しませんでした。
本選は、1928年6月に、ウィーンで行われたのだそうです。
このコンクールには、イギリスの作曲家、ブライアンさまが、世界最大の交響曲とギネスに認定された『ゴシック交響曲』の『第一楽章』だけで応募していました。
その曲も、先にご紹介させて頂きました、フランツ・シュミットさんの曲も、評価が高かったようですけども、最後は、グラズノフ先生が、アッテベリさん優勝に決定した、と。
(児玉宏さま指揮のCDの解説参照 キングKICC792)
音楽は三楽章構成です。
第1楽章は、きわめて、アッテベリ節満開の音楽です。
アッテベリさんの曲を知ってる人ならば、『やはり、そうきたか!』と、思うでしょう。
管弦楽の扱いが個性的で、ブラスや打楽器の響きが強く働き、どこか、吹奏楽系音楽の印象を与えるのです。これは、『ピアノ協奏曲』もそうです。
しかも、他の誰にもない、独特の印象的な個性を発揮します。
それは、確かに、ある種の通俗性を伴ってもいますが、コンクールの趣旨が、本来シューベルトさんの未完成交響曲を完成させる(事実上撤回されたけど、消えたわけではなかった。)と言う、当時の音楽状態から言えば、やや反動的動機を伴っていただけに、かえって、かなり強烈にアピールできたのだろうと、やましんは、勝手に思いますです。はい。
また、グラズノフ先生が、なぜ、最終的にアッテベリ先生を選んだのかは、もちろん、やましんごときには、はっきりしたことは分かりませんが、しかし、フランツ・シュミット先生やブライアン先生の曲と比べて見ると、アッテベリ先生の音楽は、好きか嫌いかは別として、実にくっきりと個性的な音楽が浮かび上がります。
グラズノフ先生自身が、20世紀の新しい音楽からは、いささか離れたところにいたことも、やはり、影響したかもしれませんね。
第2楽章が、一番シリアスな美しさを提供しております。奥の深い音楽で、あまりアッテベリ節を出しません。
一方、第3楽章は、目一杯、アッテベリ節音楽満開です。
多少世俗的ですが、面白いということから言えば、実にお祭り騒ぎ的な面白さがあります。
やはり、個性的です。
やや、保守的アメリカ風お祭り騒ぎ的なコンクールの性格から言えば、やはり、ピッタリだったと言うべきだったんでしょう。
あ、やましんは、アッテベリ先生の音楽、それなりに、大好きですからね。
あ、応募した作品、全部聞けたらすごいな。
その大企画、してくださいませんか?
・・・・・うき 👕👘 うき・・・・・
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