第71話 『序曲フィンガルの洞窟』 メンデルスゾーン

 最近、『スポーツ選手』ではなくて『アスリート』と言われることが多いようです。

 

 また、いつのころからか(大体想像はつきますが)、『レガシー』という言葉が良く聞かれるようになりました。


 このこと自体は、その時の世の潮流とか、さまざまな事情が反映されることがらで、べつに問題があることではないでしょう。


 ただ、急に外国語になると、言われている内容自体に、なにかの変革が起こっているのだろうか、と気になるのですね。


 言葉が変化する時には、意味内容自体の変化が起こっていることも多いですから。


 また、『アスリート』とか、『レガシー』とか横文字で言わなくちゃ、もう世の中に通じないのかしら、とか、半分以上閉じこもりのやましんは、かなり気にもなります。(スポーツだって外来語かな)


 いつのまにか、浦島効果が起こって、他所の時代に突然移動しちゃったんじゃないのかしら・・・、と心配になるのです。


 まったく関係ないことですが、この曲は『序曲フィンガルの洞窟』と呼ばれます。(1830年。原題は『Die Hebriden』(ヘブリディーズ諸島))


 これは、歌劇の『序曲』とかではなくて、少しのちの時代になると、『交響詩』と言われるようになる範疇の音楽なのですが(別に作曲家が、今だって『序曲』と題を付けたってよいのですけれど。最終的には、作曲家の勝手ですから。)そのころは、そうした言い方がまだなかった、という事情だったのです。


 メンデ先生も、ある日地上に降りて見たら、この曲は『交響詩』だ、なんていわれたら、ちょっと、びっくりするでしょう。


 やましんは、中学生時代には、この曲と、スメタナさんの『モルダウ(ブルタヴァ)』に惚れ込んでおりました。


 特にこの曲の中間部当たり、荒い北の海の岩礁に打ち寄せる激しい波、その空間に、まるで立ち止まるように飛び交う海鳥さん、を描いたようなあたりは、いつもうっとりと聞いたものです。


 すばらしい表現力を持っているのです。


 ただし、描写音楽という意味よりは、もっと抽象的な観念だとは思いますが。 


 ただ、どうもこの傑作も、昔の方がひんぱんに、随所で取り上げらていたような気がします。


 ちょっと、呼びかたが、古風なせいがあるのかしら。


 とも思います。


 題名を聞いただけでは、ピンとこないのかもしれないです。


 それは、やましんが『アスリート』や『レガシー』と言われても、なんだか、キツネにつままれたような感じがするのと似てるのかもしれないです。


 そうはいっても、これは大変に良い音楽でして、癒し効果もなかなか大きいものがあるようにやましんは、思います。はい。


 ま、このこと自体が、すでに過去の記憶にだけ寄りかかって生きる、年寄り、という感じもしますけれどもね。 


 行って見たいものですが、遠すぎです。

 


 


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