第19話  「クラリネット協奏曲イ長調」/「フルートとハープのための協奏曲ハ長調」/ついでに「ピアノ協奏曲イ長調」  モーツアルト

 いやあ、なんでこの最初の2曲を忘れていたのかなあと反省。

 

 それはさておいて、この『クラリネット協奏曲イ長調』に関する録音で、まず衝撃を受けたのは、これもまた古い、ウラッハさんの録音です。

 古いと言っても、すでにモノラル録音の頂点に達した様な録音ですから、ステレオ録音ではないということを除いてしまえば、音質にそう気になるところはありません。

 ただ、どうもCD化は必ずしもうまく行っていない感じで、ことこの録音に関しては、かってのLPが良いような気がいたしますが、まあこれは初期高齢者の、ノスタルジーと申しますか、自分勝手な思い込みなのでありましょう。再生する機械がもっと良ければ、きっと話も違うのでしょう。


 まあ、それにいたしましても、この音楽の、深い深い癒し効果は、例えば道後温泉や別府温泉や箱根温泉や草津温泉のような、なんと言いますか、老舗の最高級温泉の癒し効果とは、また、ちょっと異次元のもの、のような気がいたします。


 つまりこれは、例えば超大昔の金星の支配者ビューナス様の(これらは、やましんのお話の中の登場人物などのこと。)『金星温泉』とか、2億5千万年前の太古の地球にあったであろう、かもしれない、幻想の『超豪華温泉旅館「地球」』のような、つまりその存在場所自体が、もはや、この世のものならぬところに由来を持つ、そうした、『超絶的地点非存在系』の音楽であります。(要するに、多分、『うそ』ということですね。真面目な方からは、異論もあろうかとは思いますが。)


 普通に言えば、つまり『すでにこの世のものならぬ』音楽なのであります。

 大体、イ長調という調性には、そうした、どこか浮世離れした性格が宿ることが多いんじゃないかと思います。

 それは、もっとも近いところでは、モー先生ご自身のK.488のピアノ協奏曲がそうです。


 この第2楽章や第3楽章には、初めて聞く方に「これはロマン派の音楽であるか?」と錯覚させるだけのものさえあります。ロマン派の音楽は、この世間からは、遥かに超絶していることが多いのであります。まあ、叱られることを前提に言えば、ロマン派音楽は、音楽史上の『SFファンタジー時代』であると言っても、あまり外れない気がします。そういうことから言えば、20世紀音楽は、非常に難解な『超ハード理論SF系』でありましょうし、21世紀は、まだわかりませんけれど『ノスタルジック理論的ハードムード音楽時代かもしれません。』(意味不明。)


 まあ、ともかく、この世から大きくかけ離れたところに本質がありそうな音楽である。ということで、その癒し効果も、きわめて『異世界的な効果』を生み出すのであります。


 ときに、実際この、『K.488のピアノ協奏曲』の第2楽章は、手塚 治虫さまのアニメ『銀河探査2100年ボーダープラネット』で使われていました。手塚さまは、クラシック音楽にも造詣が深く、おそらくは、この曲もお好きだったんじゃないかなあと、勝手に想像します。


 やましん自身が、10代の学生時代に、FMラジオでこの曲を最初に聞いた時、「こりゃあ、ロマン派の曲かなあ?でも、古典派っぽいしなあ。」と、困惑した覚えがございます。

 

 『第2楽章』終盤の、オケのピチカートは、人生の残り時間を刻んでおりますが、それは、チャイコ先生の『悲愴交響曲第1楽章』終盤部分と、かなり共通するものにも思います。


 『フルートとハープのための協奏曲ハ長調』は、ぼくたちアマチュアのフルート奏者にとっては、憧れの的であります。


 もともと、アマチュアを念頭において、書かれたらしいのですが、どうしてどうして、これをきちんと、ピュアに演奏しようとすれば、難しい事、この上なしであります。

 「見た目は単純、でも演奏はしたくないほど難しい。」

 アマチュアにとって、モーツアルトの音楽はそうしたものであります。

 とはいえ、この作品の、特に「第二楽章」。これは、『クラリネット協奏曲』にも、また数あるモー先生の『ピアノ協奏曲』の傑作にもない、独特のたたずまいを持っています。

 ほかのどの曲も持たない。唯一独自のたたずまいです。

 したがって、そこから得られる癒し効果も、この曲のみがなし得る、独特の効果が発揮されるのであります。

 これは、ぼくが言葉で表現することは、無理であります。

 

 例の、映画『アマデウス』のなかで、コンスタンツェさんから、夫(つまりモー先生ですが)の作品の楽譜を見せられたサリエリさまが、それらの作品のあまりの神々しさに、最後には楽譜をばらばらと落としてしまう場面(もちろん創作でしょうけれど)がありますが、そこでもこの第二楽章が鳴っていたように思います。


 それは、あくまで架空の場面であっても、あのときの、サリエリ様のその気持ちは、もう痛いくらいによくわかります。(とはいえ、サリエリさまも天才です、念の為。)

 

 第2楽章のカデンツァが終わった後、再び冒頭の主題が帰ってきます。そこからあと最後まで、この世界に、ここだけにしかない『いやし』を、どうぞご堪能ください。

 ぼくも、ここだけ取り出してみて、よく練習してみるのですが、ぼくのようなド・ど素人が試みても、無限の表現の可能性があるような気がして来てしまう・・つまり、どうやっても完璧には出来ない・・・そんな気がいたします。


 恐るべき、奥深い音楽なのです。






 



 

 







 



 









 












 

 

 





 

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